こっちに来て半年と半月。
NYにいられるのももう5ヶ月あまりとなった。
日々お金の心配をしながらも人生で一番吸収をしていると実感できる毎日ですが
未だに言葉の壁を乗り越えることはできません。
英語を聞き取ることはなんとなく向上したように思えますが
話す事はまだまだ思うようにはいきません。
伝えたい事をなんとか伝えることはできるかもしれませんが
決して喋れるという水準ではないのです。
まあそんな簡単に喋れるようになるわけないので気長に取り組みます。
さてこちらにきてとうとう150本の観劇を達成しました。
これだけ観て来て思うのは
恐ろしく素晴らしいものもあればてんで駄目な物もある。
個人的にNYは世界の演劇発信地ではなく終着点だと思ってます。
最終的に素晴らしい物はNYにやってくる。
そんな気がします。
だから素晴らしい物は本当に素晴らしい。
だからといって一定の水準があるわけではなく
信じられないくらいできの悪い作品もオンの劇場でかかったりします。
この層の厚さ、幅の広さも面白さの一つかもしれません。
ブロードウェイは興行的成功を収めることができるかどうかで
ロングランできるかどうかが決まります。
当然チケットが沢山売れる作品は長く上演できるわけです。
逆を言えば作品的にいまいちでもチケットが売れれば成功です。
これは日本の商業演劇界でも同じ価値判断です。
ただ日本との違いはチケットが売れればロングランできるということ。
四季以外の演劇興行の場合千秋楽は基本的に決まっています。
つまりチケットの売れ行きがどうあれ公演日程は変わりません。
チケットが売れていなくても千秋楽までは公演を行わなくてはならない。
ブロードウェイの場合は潔く予定よりも短く終わる作品も沢山あります。
こういった状況から日本では作品のクオリティーをあげることよりも
ある一定期間劇場を埋められる作品価値を創り出すことに重点が置かれます。
その作品が成功か失敗かは初日の幕が開く前にどれだけチケットが売れたかで
もう既に決まってしまうのです。
言ってしまえばチケットが売れているのだから作品のクオリティーなんてまあ
それなりに予算の範囲でうまく収めてればいいでしょ。
という不誠実な考え方もできるわけです。
そもそも一ヶ月そこらの上演期間でリクープできる程度の予算しか与えられなければ
到底ブロードウェイやロンドンで上演されるクオリティーに追いつける訳はありません。
お金のかけかたが全く違います。
ロングランが成立する要因としてはNYは観光客の観劇人口の割合の多さが多分にあると思われます。
オンブロードウェイ作品は特にその傾向が高く
最近は映画スターの出演で短期間でチケットを売りあげる手法もみられます。
日本と同じで看板で売る訳です。
しかしこういったスター俳優作品の多くはチケットを沢山売り上げても
予めスターのスケジュールの都合でロングランには至りません。
更にどんなにチケットを売り上げても厳しい批評家達の評価によって
作品の善し悪しがはっきりします。
商業的な成功作品が必ずしも芸術的な成功にはならないのはどこも同じですが
作品をきちんと評価するシステムが機能していることが重要なんだと思います。
その結果評価の高い作品は概してオフ・ブロードウェイ作品に多いと言われます。
NYには非営利劇団が山の様にありそれらはチケット売り上げではなく多額の寄付で
運営されています。それにより予算に縛られず良質な作品作りに没頭できるわけです。
更にオフで評価された作品が結果的にオンで上演される事もあるわけで
これがNYの演劇界の層を厚くしています。
海外の優れた作品、アメリカ国内の優れた作品、オフからあがってくる実力作品
観客は俳優だけでなく作品を選び、批評を頼りに作品のチケットを買います。
日本の場合は作品ではなく俳優を観に行くという文化的趣向があるため
商業演劇において作品のクオリティーが爆発的に集客につながるわけではないようです。
この文化趣向は歌舞伎などの興行形態により培われて来たわけでこれを否定する気はさらさらありません。
ただ作品を正しく評価する基準がないことはかなりの問題だと思います。
批評家は作品の紹介をするためにいるわけではなく作品を評価するために必要です。
演劇賞にはしがらみの無い公平な審査基準が必要です。
僕の夢は沢山ありますが個人的なことを置いておくと2つになります。
劇場を持つこと。
トニー賞に匹敵する演劇賞を日本に創設すること。
この2つはもうかれこれ10年以上昔から思い続けていることです。
そのためにはまず自分が大きくならなければと日々精進してますが
死ぬまでには成し遂げたいことです。
まずは自分の作品がトニー賞をとれるように頑張らなくては。
これも端から見たら馬鹿みたいなことでしょうが
夢を見続けるのが人生だと思ってるので
いつまでも諦めずにいようと思います。
NYにいられるのももう5ヶ月あまりとなった。
日々お金の心配をしながらも人生で一番吸収をしていると実感できる毎日ですが
未だに言葉の壁を乗り越えることはできません。
英語を聞き取ることはなんとなく向上したように思えますが
話す事はまだまだ思うようにはいきません。
伝えたい事をなんとか伝えることはできるかもしれませんが
決して喋れるという水準ではないのです。
まあそんな簡単に喋れるようになるわけないので気長に取り組みます。
さてこちらにきてとうとう150本の観劇を達成しました。
これだけ観て来て思うのは
恐ろしく素晴らしいものもあればてんで駄目な物もある。
個人的にNYは世界の演劇発信地ではなく終着点だと思ってます。
最終的に素晴らしい物はNYにやってくる。
そんな気がします。
だから素晴らしい物は本当に素晴らしい。
だからといって一定の水準があるわけではなく
信じられないくらいできの悪い作品もオンの劇場でかかったりします。
この層の厚さ、幅の広さも面白さの一つかもしれません。
ブロードウェイは興行的成功を収めることができるかどうかで
ロングランできるかどうかが決まります。
当然チケットが沢山売れる作品は長く上演できるわけです。
逆を言えば作品的にいまいちでもチケットが売れれば成功です。
これは日本の商業演劇界でも同じ価値判断です。
ただ日本との違いはチケットが売れればロングランできるということ。
四季以外の演劇興行の場合千秋楽は基本的に決まっています。
つまりチケットの売れ行きがどうあれ公演日程は変わりません。
チケットが売れていなくても千秋楽までは公演を行わなくてはならない。
ブロードウェイの場合は潔く予定よりも短く終わる作品も沢山あります。
こういった状況から日本では作品のクオリティーをあげることよりも
ある一定期間劇場を埋められる作品価値を創り出すことに重点が置かれます。
その作品が成功か失敗かは初日の幕が開く前にどれだけチケットが売れたかで
もう既に決まってしまうのです。
言ってしまえばチケットが売れているのだから作品のクオリティーなんてまあ
それなりに予算の範囲でうまく収めてればいいでしょ。
という不誠実な考え方もできるわけです。
そもそも一ヶ月そこらの上演期間でリクープできる程度の予算しか与えられなければ
到底ブロードウェイやロンドンで上演されるクオリティーに追いつける訳はありません。
お金のかけかたが全く違います。
ロングランが成立する要因としてはNYは観光客の観劇人口の割合の多さが多分にあると思われます。
オンブロードウェイ作品は特にその傾向が高く
最近は映画スターの出演で短期間でチケットを売りあげる手法もみられます。
日本と同じで看板で売る訳です。
しかしこういったスター俳優作品の多くはチケットを沢山売り上げても
予めスターのスケジュールの都合でロングランには至りません。
更にどんなにチケットを売り上げても厳しい批評家達の評価によって
作品の善し悪しがはっきりします。
商業的な成功作品が必ずしも芸術的な成功にはならないのはどこも同じですが
作品をきちんと評価するシステムが機能していることが重要なんだと思います。
その結果評価の高い作品は概してオフ・ブロードウェイ作品に多いと言われます。
NYには非営利劇団が山の様にありそれらはチケット売り上げではなく多額の寄付で
運営されています。それにより予算に縛られず良質な作品作りに没頭できるわけです。
更にオフで評価された作品が結果的にオンで上演される事もあるわけで
これがNYの演劇界の層を厚くしています。
海外の優れた作品、アメリカ国内の優れた作品、オフからあがってくる実力作品
観客は俳優だけでなく作品を選び、批評を頼りに作品のチケットを買います。
日本の場合は作品ではなく俳優を観に行くという文化的趣向があるため
商業演劇において作品のクオリティーが爆発的に集客につながるわけではないようです。
この文化趣向は歌舞伎などの興行形態により培われて来たわけでこれを否定する気はさらさらありません。
ただ作品を正しく評価する基準がないことはかなりの問題だと思います。
批評家は作品の紹介をするためにいるわけではなく作品を評価するために必要です。
演劇賞にはしがらみの無い公平な審査基準が必要です。
僕の夢は沢山ありますが個人的なことを置いておくと2つになります。
劇場を持つこと。
トニー賞に匹敵する演劇賞を日本に創設すること。
この2つはもうかれこれ10年以上昔から思い続けていることです。
そのためにはまず自分が大きくならなければと日々精進してますが
死ぬまでには成し遂げたいことです。
まずは自分の作品がトニー賞をとれるように頑張らなくては。
これも端から見たら馬鹿みたいなことでしょうが
夢を見続けるのが人生だと思ってるので
いつまでも諦めずにいようと思います。