サッカー見聞録

サッカーに関する記憶を留めるために

2010年

2010年01月31日 20時48分05秒 | サッカー日記
2010年、平成22年が明けて早くも1ヶ月が過ぎる。時間の概念を徹底的に考えると、少々狂気に踏み込む恐怖を感じるのでいつもやめるのだが、しかし時間というものの本質は分からない。私のような凡庸な者が分からなくて良いし、そのようなことは物理学者にでも任せておけばよいだろう。ただ、凡庸な人間でも、一次元における点の存在を見ることができないこと。二次元における面も見ることはできないこと。時間も概念でしかないので、「現在、今」というものが何かは分からないことなどをふと考えるときがある。
そんなことを考えていても時間は過ぎている。これは事実だ。

そう、確実に時間というものは進行している。
だからついこの間だと思っていた元日は遠い昔になった。

話は今頭の中を離れない経済状況に移るが、現状、経済的には多少大企業には曙光が見えるものの、日本全体としての景気回復には至っていない。ゆえに私の会社に変化は感じられない。

そのように暗く、止めどない不安の中、2010年、平成22年はスタートした。

今年はW杯イヤーである。南アフリカで行われる。南アフリカは南半球に存するので、開催時期の季節は冬である。

今まで長年W杯を見てきたが(殆ど映像である)、真冬のW杯は初めてのような気がする。
果たしてどんな大会になるのだろうか?日本の目標は達成出来るのだろうか?大いに盛り上がりたいところだが・・・。アメリカが犯した金融危機という世界的な犯罪は、私からサッカーをゆっくり楽しむ機会を奪った。私はグローバル化礼賛の経済学者を信用しないし、嫌いだ。おっと、まさに余談。


昨年沢山Jを見ることができた。何度も書いたが、昔日の日本リーグ時代に比べると、随分と技術の向上を感じることが出来た。

日本リーグ時代の選手も体力は現在の選手とそれほど遜色ないくらい持ち合わせていただろうが、技術が稚拙なため、その稚拙さを補うために体力を消費していた。車でいうとまさに燃費が悪い。

現在のJの選手は、昔だったら、あのパスのトラップを正確に足下で止めることは無理だろうなと思われることも正確に行っている。

しかし、個人的な技術はかなり向上しているが、次は組織的な技術の向上、組織の中での個人技の最適応用が必要であると感じる。

それを解決する策の一つとして、チームプレーの醸成が上げられる。つまり「あ・うんの呼吸」で組織が動ければかなりな力を発揮すると思う。

昨年の鹿島、大阪両チームどちらでも良いが、今、日本A代表と試合をした場合、鹿島もしくは大阪のほうが強いのではないかと感じる。当然両チームのA代表選手がどちらに属するかという問題はあるが。

つまり、長いあいだ練習はおろか、寝食をともにした同士のコミュニケーション能力を持つチームは強い。当然前述には個人と組織の力が大変高いことを前提にするが。

今A代表は合宿に入っている。プロの選手が自分のチームを離れ、合宿に合流する。そのメンバー全員にすぐあ・うんの呼吸を持てるようにしろと要求するのはやはり無理なことだろう。

私が今回このことを書いたのは、鹿島の興梠選手を見て思うことがあったからだ。
私見だが彼がA代表として出場したとき、彼の持ち味が感じられた試合を見たことがない。

しかし鹿島の彼は彼の天性を感じさせる動きをする。そして11点も点を取っている(昨年のJに於ける彼の得点数だが間違っていたらご容赦)。
それの大きな理由は、鹿島というチームの中であるということと、小笠原選手との呼吸がベストだからだと感じる。

小笠原選手はどのようなシチュエーションの中でも、彼を感じている。興梠選手も自分が動いた時、小笠原選手からのベストなパスが来ることを感じている。そのように見えるのである。

A代表の選手選考にはこの辺も考慮に入れるべきだろう。