サッカー見聞録

サッカーに関する記憶を留めるために

検証 カタール戦

2008年11月28日 23時59分38秒 | サッカー日記
改めてカタール戦のビデオを見直した。深夜眠気と戦いながら見ていたときには気づかないことが多々あった。

日本の勝因を挙げてみる。

まず、日本は良く走っていた。走っていたため前線での守備がしっかり出来ていた。また、前線のみならず、相手がボールを持った場合大抵3人で囲んで相手のボールを奪っていた。

ただ、カタールの攻撃は大変稚拙であった。組織的なプレーは一切見られなかった。左右に展開するでもなく、また、スペースに走りこんで日本の守備の裏をつくといった攻撃は皆無といってよい。

だからカタールの攻撃は、一人で持ち込んで立っている見方の足元にパスをする。もしくは大きな縦パスを出す場合も、オープンスペースに走りこんだ選手にパスを出すのではなく、前に立っている選手に出しているだけである。これではサッカーにならない。

カタールはメツ監督も最近就任。多くの選手は最近帰化したり、海外からの帰国選手といった張りぼてのようなやっつけ仕事で作ったチームだ。

明らかにチームプレーの観点からでは準備不足の感はぬぐえない。しかし監督含め個々の選手の潜在能力は優れている。次回ホームでのカタール戦、つまらぬ星の取りこぼしをせぬよう、しっかりマークしたい。

日本の話に戻ると、パスアンドゴーという基本が出来ていた。比較するのもなんだが、オリンピックチームはその大事な基本が出来ていなかった。

それと誰か解説の方が言っていたが、試合開始前の顔つきが違っていたように感じる。気合が入っていたのだ。背水の陣的切迫感があった。特に田中達也選手の顔はガッツが感じられた。これもオリンピックチームは全くガッツが感じられなかった。オリンピックでは皆言っていることだが、女子サッカーは気合が入っていた。

次に俊輔の守備に象徴されるように、味方が危険な状態になったとき、前線から長距離を全速で戻り敵の攻撃を封じていた。

また、玉田、大久保、達也は他への依存を捨て自分で突破するという姿勢が随所に見られた。だから今回の日本チームの攻撃は私を久しぶりにわくわくさせた。これの起爆になったのはやはり達也だと思う。達也の突破は素晴しかった。触発された玉田の突破も素晴しかった。

ただ、今回カタールは走っていなかったに等しいので、今後しっかり走って前線からプレスをかけてくるチームが相手だとそう前記の場面は見られないだろう。

今回終了後の俊輔のインタビューがネット上に載っていた。こんな内容だった。「オシムさんのやろうとしていたサッカーが出来つつある・・・・・」。

この発言をした俊輔の気持ちは良く分かる。だがこのコメントを目にした、もしくは耳にした岡田監督はどう思っただろうか?また、オシム前監督をその監督であった時「訳の分からない事ばかり言う監督はもういいですよ。どうですか日本人の監督に変えたら。そろそろいいんじゃないですか」といって批判した、今回のテレ朝での解説、松木氏もどう思っただろうか?大変気になるところである。

2月のオーストラリア戦、今回のようなサッカーをすれば日本にも十二分に勝機があると感じる。

そのために「更にオシムさんが目指したサッカー」へ近づきたい。

W杯アジア地域予選 カタール戦(アウェー)

2008年11月20日 03時23分35秒 | サッカー日記
川口、内田、トゥーリオ、寺田、長友、中村、長谷部、遠藤、大久保、田中、玉田というスタメンだ。

しかし、やたら15年前のドーハの悲劇を放映するとは、テレ朝の無神経さを疑う。本日の試合がドーハで行われるからといって、あのイラクのヘディングシュートによるゴールと日本選手の落胆を放映するなんて、縁起でもないだろう。こういった映像は日本チームが結果的にすべて上手くいった後、「こんな事もあったよね」的に放映すべきものだろう。

反対にカタールに関しては、良いことばかりをあげつらう。

日本人特有の自虐史観だ。

それなのに「絶対負けられない試合がそこにはある」だ。

屁理屈だが、そんな素晴しいカタールには勝てないのでは?なんて皮肉の一つも言いたくなる。

1:15、いよいよ選手入場である。キックオフは1:30か・・・。明日の朝はきつそうだ。

少々時間があるので、先日のACLアデレードユナイテッドイコールオーストラリア代表?に関して。その答えは、友人に聞いたら「NO」だそうだ。その理由は、オーストラリア代表の殆どの選手は、ヨーロッパの強豪チームでプレーしているからだ。

まずは今日の試合だが、やはり来年2月のオーストラリア戦が気になる。

中国人の主審がおかしい。カタールはかなりダーティーなプレーをしそうだ。このダーティーさに負けてはいけない。

カタールのセットプレーからフリーでのヘディングシュート。相変わらず空中戦に弱い。

9分カタールのコーナー。クリアボールを自分のボールに出来ない。カタールの中盤でのプレスはかなりきつそうだ。

13分日本のコーナー。15分また日本のコーナー。16分までで日本のシュートは1本。少ない。達也が2本目をうった。達也それでよい。

19分達也ゴール。よくやった。さーあと3点取ろう。

大久保プレーやや中途半端か。攻撃も守備も。思い切っていこう。

26分。カタールのパスは足元から足元へ。リズム悪し。チャンスだ。

29分日本のフリーキック。遠藤が蹴る。日本のコーナーへ。37分玉田気合が入った守備。

カタールに殆ど連携プレーが見られない。大久保と玉田の重なり。残念だがそれで良い。玉田がシュートすれば良かったではなく、大久保が「俺がきめる」という姿勢をみせたこと、それが良い。

ロスタイムは?2分とでた。寺田。君のポジションでのパスミスは致命傷になる。気合を入れろ。

前半終了。

拘泥してたチームプレーの評価は?先日のシリア戦に比べると明らかに今日のほうが良い。逆にカタールはしょせん選手の寄せ集め。チームプレーの観点で言うと殆ど出来ていない。あくまでも前半だけの評価だが。

後半開始。

玉田ゴール。やったー!!!!!あと2点取ろう。

11分。大久保ナイスシュート。もう1本だ。

13分。日本の動きが止まってきた。2点リードなのでプレーが小さくなっている。そのような中、達也の突破。
優柔不断な主審。今の大久保へのバックチャージは完全にファウルだ。

カタールは相変わらず足元へのパス。

トゥーリオ、ゴール。あと1点取ろう。そして無失点で!!

25分。達也に代えて松井。27分。長谷部ミドルシュート。がんがん打ちまくろう。

松井シュート28分。ジャストミートしていないが、良い。遠藤足を怪我か?大丈夫か?30分。遠藤復帰。解説松木氏が言った「集中力」が重要。あと13分。集中しよう。

35分。プレー萎縮のため、カタール決定的な状況に。しかしゴールならず。集中せよ。

40分。大久保に代え岡崎。

ロスタイム3分。

玉田に代え佐藤。

勝った。よくやった。細かい検証は明日ビデオを見てからにする。しかしこれだけは言えるが、すべての選手は良く動いていた。走ってもいた。


あ・うんの呼吸-チームプレー-

2008年11月17日 22時58分28秒 | サッカー日記
チームプレーに拘る。

既にこのブログに書いたが、ブラジルは現在の世界的金融危機(9/15のリーマン・ブラザーズの破綻)発生の直前までは、その資源保有の多さからロシア、インド、中国と並んで経済発展が進行し始めていた。しかし、今かなり金融的に厳しい状態である。

それはブラジルだけではなく、ロシア、インド、中国も一緒である。だが巷間伝えられるところによると、この世界的金融危機が終息し安定したとき、資源国はやはり経済的に発展するといわれている。

資源立国としての経済的なことは別として、ブラジルは世界一のサッカー選手輸出国である。少し前までは(現在でもそうかもしれないが)ブラジルにとってサッカー選手輸出は外貨獲得のため大変重要な位置に経済的にはあったと何かに書いてあった。

だからブラジルの優秀なサッカー選手は世界中に散らばっている。当然運不運もあるから、何らかの影響で相当力があるのに、国内もしくは南米にとどまっている選手もいる。その選手と世界に出た選手の差はそれほどあるとは思えない。

そうとはいえ世界に散ったブラジルサッカー選手はやはり優秀である。なので当然セレソンとなる。

2010年W杯予選でブラジルは苦戦している。

ブラジルのサッカー選手が世界中に散った事をサッカーにおけるグローバリズムと勝手に命名すると、そのグローバリズムになる前、ブラジルセレソンの殆どの選手はブラジル国内リーグから選出された。

しかしグローバリズムの現在、W杯予選に臨むときブラジルのセレソンは世界中から集められる。

そうすると私見だが、ブラジルのセレソンにおいて昔日国内リーグから選出されたチームと、現在の世界中から召集した選手で構成されたチームとを比較すると、明らかに前者のほうがチームプレーの熟成はなされていると思われる。

理由は述べるまでもない。

そこに現在のブラジルの苦戦の理由があるかどうかは知らない。たまに報道されるように、ドゥンガの采配が悪いからかもしれない。

しかし真の理由ではなくても、多少はその理由もあるのではないかと感じる。

日本チームに関連して考えてみる。

ブラジルナショナルチームと比較するには多少無理があるがその環境的には似たようなことがあるのではないかと思う。

日本に関しては、海外組の事だけを言っているのではない。Jのメンバーに関してでもだ。

オシム氏と岡田氏の持っている時間の差は明らかである。オシム氏は2010年W杯に向け、計算できるある程度余裕のある時間を持っていた。しかし岡田氏は持てる時間が少なかった。

岡田氏はそのように持てる時間が少ないのに、オシム氏を否定し踏襲しなかった。時間があればそれでも良かったかもしれない。

オシム氏が作ったチームプレーまで、0ベースにしてしまったのではないかと感じる。

チームプレー醸成には時間がかかる。それを時間が無いのに0からのスタートにしてしまった。

何度も書くが今チームプレーを醸成する時ではない。W杯予選の最中なのだ。

明後日、A代表は機能的に走るだろうか?すべてのボールゲームはミスをするスポーツであるから仕方の無いミスはあるだろう。が、オシム時代にはある程度払拭された犯してはいけないミスを出さないで済むだろうか?

サッカーは11人で行うゲーム。つくづくサッカーチームの采配をふるう事の難しさを感じる。

11/19、圧倒的な勝利を!がんばれ日本サッカー!!

長沼健著「チームプレー」から考えるチームプレー

2008年11月14日 23時00分28秒 | サッカー日記
1968年メキシコオリンピックで全日本が銅メダルを獲得した後、その監督だった長沼健さんが、出版社は忘れたが「チームプレー」という本を出した。

小生はその本を当時知らなかった。しかし、小生よりも100倍もサッカーエンスージアシストである小生の友人が多分だが中学生時代に購入していた(この友人はベースボールマガジン社にもないサッカーマガジン創刊号を持っている)。

その友人と高校で一緒になり様々サッカーを語り合っていたら、その本の存在を彼は教えてくれた。小生は「是非貸してくれ」と懇願し、かじりつくように読んだ。

内容は1964年東京オリンピックからメキシコの栄光までの日本サッカーに関する話が主体であったが、最終章あたりにこんな一節があった。

「チームプレーというものは当然の事ながらサッカーでも重要で、その意味するところは例えば今の日本チームにペレが参加しても、決して強いチームにはならないだろう」という内容が記されていた。

1968年当時の日本サッカーにペレがはいるという例えは現在ではどう表現すれば適当だろうか?

日本の高校選手権で優勝したチームにメッシかロナウジーニョが入るようなものか?

もしそういった状況になったら、どうなるか想像もつかない。

健さんの言いたいことは、勝手な解釈をすれば凡庸なチームにサッカーの天才が一人加わっても機能しない。それがサッカーでのチームプレーだということだろう。

小生は現在の日本A代表に関して、徹底的に「チームプレー」に拘泥したい。

現在の日本チームは決して凡庸ではない。だからそのチームにもし一人の天才が入ったら機能するかもしれないが、そのような事を考えても現在は意味が無い。現在の日本チームでのチームプレーを考えるなら、個々人のタレントがチームプレーの熟成によって活きているか否かだ。活かされていれば、目を覆うような無駄が無いファンタスティックなサッカーが実現されていることになる。

現在の日本サッカー界は40年前の日本のサッカー環境とは全く違う。先年か一昨年、NHKのトップランナーという番組に鈴木啓太が出ていた。そこで彼の1年間のスケジュールが紹介されたが、想像を絶する非人間的な過密スケジュールであった。当時鈴木啓太選手はA代表の核のような存在だったので、J、A代表、ACL等々で全く休む暇が無い。良く体がもったと感心した。

海外選手に関しては、日本でプレーしていないのでA代表の招集がかかってから帰国し日本チームに順応しようと努力する。

以上のような状況で「チームプレー醸成」をどのようにしたら良いだろうか?単に岡田批判ではすまない。

小生にはどうしたら良いか分からない。関係者ではないからだ。

ただ、オシム前監督の時も状況は同じであった。オシム監督のときの中村俊輔選手の事を考えてみる。

うがった見方をしなくても、彼はオシム時代のほうが彼の最大スペックが発揮されていたように感じる。それはセルチックに戻っても良い結果として、スコットランドでも活かされた・・・ように感じる。このように書くと、俊輔選手個人を語る事になってしまう。そうではなくて、俊輔のスキルが発揮できるほど周りの選手、言ってみればチーム全体が機能していたのだということだ。俊輔選手が活きているか否かは、A代表のチームプレー熟成度のバロメーターになるのかもしれない。

何かこのまま行くと、岡田批判になりそうだ。

一体何があるのだろうか?そして何が無いのだろうか?

じっくり考えてみたい。

11/13キリンカップ 日本vsシリア

2008年11月13日 23時11分33秒 | サッカー日記
キリンカップと冠はついていたが、今日のこの試合の目的は11/19に向けた調整であることは誰の目にも明らかであろう。だから終了後岡田監督が「けが人が出なくて良かった」といったコメントは正しい。

昨日はACL決勝でのガンバの戦いに関して、この日記を書く筆は快適に動いたが、今日はどうも遅筆になりそうだ。

一生懸命戦っていた選手を見ていると批判的なことは言いたくない。岡田監督もその胸中は大変な重圧であろうことを考えると、同様に批判したくは無い。

だとすると、3対1で勝ってよかった。なんて書かなくてはならない。もし日本中そういうことでコンセンサスが取れるのなら、日本サッカーに未来は無いと思う。だから今日の試合で感じたことを率直に書く。

今日の試合、はっきり言って何の覇権もかかっていない。「キリンカップ」を争奪しているじゃないかと言われるかもしれないが、その質問をまともにされたら小生はその方とサッカーを語りたくない。

今日の試合は練習試合である。・・・・・だが重要な練習試合である。なぜか?1週間後のW杯アジア地域予選を視野に入れたものであるからである。

だから選手は一生懸命戦いに挑んでいた。シリアもそうたるんで試合に臨んでいたとは思えない。スタジアムも沢山の観客で埋まった。

昨日のようにアジアの王者になれるか否かといった緊張感のある試合ではないので、あのようなサッカーの興奮を求めること自体間違いだとは重々承知だが、こういった試合でも良い試合と悪い試合がある。

1週間後の事を考えながら試合を見たが、前半こそそこそこだったが、しかし全体的にはかみ合っていない。今日から1年後にW杯アジア地域予選があるのなら修正すべき点が多く見つかって良かったといえるが、1週間後である。いや、最中と言ったほうが正しいか?

確かに今日、海外組はいなかった。昨日ACLを戦ったガンバの選手もいない。中村憲剛選手も足を怪我していた。

ただ予想される心配事はその選手がいても、チームプレーのギクシャクは治まるのであろうか?パスを出したときその受け手がボールが自分の足元にくるまで待ったため、敵選手にボールを奪われカウンターを受けるという愚は無くなるのであろうか?パスを出したら受け手は敵選手だったという事は無くなるだろうか?

多分無くならないであろう。昨日書いたが、チームプレーの熟成がなされていないからだ。

今日本には良いタレントを持った選手が沢山いる(サッカー強豪国レベルとはまだいえないが)。日本の監督は沢山のカードを持っている。そうであるのならその人選にチームプレー醸成のキーがあると思う。

現日本A代表監督岡田氏はオシム前監督が病魔に突然倒れた後の後任なので、大変な事は分かると以前書いたが、その交代した時からW杯予選までの「時間」を失念したかのような人選をしたことに、チームプレーのギクシャクさの原因があるとどうしても感じてしまう。

ただそれは一因でしかないが・・・。

岡田監督は「我々は2010年W杯にてベスト4に入るのだ」と目標を掲げた。

果たして。

ACLアデレードユナイテッドVSガンバ大阪

2008年11月12日 22時42分54秒 | サッカー日記
勝った。2対0である。アウェーで2対0は賞賛を超え絶賛に値する。
オーストラリアは誰でも知るように、もともとはイングランドの人々によって建国された。その国旗にはユニオンジャックが入る。

だからオーストラリアのサッカーは1970年代後半から80年代のイングランドサッカーに似ていると思っていた。その頃のイングランドサッカーは大変低迷していた時期であるが、以前このブログで書いたように諸所の悪い条件が重なってそのようになった。1966年W杯イングランド大会での優勝を頂点に下降の一途を辿った頃だ。

その頃のイングランドは身長が高い、体は頑健である。体力もある(実に愚直に走っていた)、キック力もある。身長が高いので空中戦は得意である。しかし南米と比較しなくても、他のヨーロッパ強豪と比べても個人技は、実戦に使用できる相手を突破する個人技は、無いに等しかった。ただ当然だが基礎技術はある。基礎技術とは正しくインサイドキック、インステップキックを蹴るとか、ボールを止めるとかヘディングを正しい頭の位置ですることが出来るということだ。

当時のイングランドチームは空中戦に持ち込むことだけが攻撃だった。だからセンターフォワードにロビングボールをポンポンあげ、ゴール前でそのボールに対して相手と競るのである。その繰り返しなので非常に単調な攻めであった。

イングランドリーグには1960年代後半ジョージ・ベスト、それ以前はサー・スタンレー・マシューズ等世界的なウィングがいた。1970年後半にもボビー・ウィットル等世界的とは言えないまでも何人かのウィングがいたが、ゴール前に送られるボールはセンタリングよりもロビングでの方が多かった。

今日のアデレードはその頃のイングランドサッカーにも至らないサッカーをした。アドバンテージであった高さを利用する事もなかった。基本的にサイドを切り込むシチュエーションは皆無だった。だからその攻撃含めフォーメーションは非常にナローだった。だからガンバは大変守りやすかったのではなかったか。観客側としては敵に点を取られる気がしなかったくらいである。

それに対し、アウェーのガンバは立ち上がり2分くらいは相手と観客の応援に押されたが、すぐ冷静さを取り戻し、最善の気迫をもって守り、攻撃をした。だから立ち上がり3分で佐々木選手のキックフェイント&シュートがこぼれたところをルーカスが完璧なタイミングで1点目を取得した(実はA代表にルーカスのような本能でゴールを取得できる選手が欲しい)。

今回の作戦立案は西野監督だと思われるが予想通り素晴しい采配だった。基本的にはアウェーでの戦い方を基本どおり行ったが、ポジティブなサッカーの履行によって消極的な守備専念になることなく、両サイドを大きく使い、効果的な直線の攻撃も加味し、とてもアウェーとは思えない、アグレッシブなサッカーを成し遂げた。

これだけ熟成されたチームを西野監督はよくぞ作ってくれたと言いたい。今回の勝利は一種日本のアジア制覇といえる。

だが、何度も書くがこのアデレードユナイテッドサッカーイコールオーストラリア代表サッカーなのだろうか?既に何試合か行われたW杯アジア地域予選でのオーストラリア代表チームを日本サッカー協会は視察に人を送っていると思うが、そのデータと今回のデータは貴重なデータとなることだろう。

今日つくづく思ったが、日本の技術はかなり高くなっている。少なくてもアジアでは最高レベルといって良いくらいだ。しかしW杯アジア地域予選では苦戦を強いられている。なぜか?????

ひとつ大きな要因は「チームプレーの熟成が出来ているか否か」だと思われる。日本の選手は走れるし、ダイレクトパスも通せるのである。それがギクシャクするのは、ひとえにチームプレーが出来ていない!ということに尽きる。

明日その点を注視したい。

ただ、ガンバは当然ながら選手が固定されている。しかし岡田ジャパンは様々な理由が考えられはするが、到底固定された人選をもってしてチームプレーの醸成に精励しているとは考えられない。

サッカーでは「チームプレー」が大変重要である。言うまでもないことだが・・・。

ACL決勝ガンバ大阪VSアデレードユナイテッド

2008年11月11日 01時11分58秒 | サッカー日記
以前このブログでオーストラリアサッカーの目覚しい成長を褒めたが、今回のACL決勝を見たら「あれっ?」ってな感じを持った。「あれっ?」って思ったのはアデレードのつまらないサッカーに唖然としたからだ。

あれがオーストラリア代表と同じレベル、内容だとすると日本のA代表も大丈夫なのかなとデータや根拠の無い喜びを感じてしまうが、そうもいくまいと感じる。

だが今回のガンバは素晴しかった。アデレードがつまらないでくの坊ではなく、ガンバが素晴しかったのだ。

まずは相対的に機能的に選手は走っていた。次に機能的に走っていたので前線での守備、相手の攻撃を早期につぶすことが完璧に出来ていた。

ガンバの全選手はパサーもパスを受ける選手も全く迷い無くお互いが「あ・うん」の呼吸でパスをだし、受ける側はまるで自然に最善の位置に走りパスを受けていた。

また、ガンバの選手の気合をものすごく感じた。アデレードはアウェイとはいえその状況に萎縮したのではなくガンバ選手の気迫に圧倒されたように感じる。遠藤選手も当然だが全選手の気迫が大きなオーラを発していた。

全選手と書いたので、一人ひとりを列挙するのはおかしいが、小生には特に佐々木選手、安田選手が光って見えた。安田選手のウィンガーとしての力がA代表で発揮されたら相当なウェポンになるであろう。佐々木選手もあの強い前線、中盤での守備がA代表で活かされたら、相当なレベルで敵の攻撃を封印できるであろう。

なんだ日本サッカー行けるなーと感じた。今週12日にガンバはアウェーでACL決勝を戦う。小生は信じる。先日のあの気迫をもって、西野監督の思い通りに作戦遂行できれば必ず優勝できると。是非12日も感動を呼ぶガンバサッカーを見せていただきたい。

だが13日。A代表はシリアとの試合だ。何人かのけが人が出ているがシステムは違うとはいえ果たしてガンバのようなファンタスティックなサッカーを見せてもらえるだろうか?19日のための練習試合のような試合なので大きな驚きは無いかもしれないが、大きく変わった岡田ジャパンを見てみたい。

天王山の12日。アデレードのホームなので敵は当然がんがん攻めてくる。それに対してガンバ(チームとしての日本代表)はどう戦うか?非常に楽しみである。先日のアデレードは全く走っていない。ガンバが走らせなかったとも言えるが、でかいやつらは立っていた。だが12日は走り、中央へロビングをたくさん放り込んでくるだろう。一応やつらは背が高いので。理想的なのは先日と同様ガンバは早い時点で相手の攻撃の芽をつぶすべきだ。ロビングからヘディングというアデレードの攻撃の数を少なくすべきだ。また、中距離シュートも要注意だ。

ガンバは背が高く、フィジカルにガンバ(日本人)よりも一日の長があるアデレードサッカーと同じペースでサッカーをしてはいけない。先日のアデレードを見る限り細かい戦術は取ることが出来ないような感じを受けた。するとアデレードのサッカーはいわゆる「単調なサッカー」と想像される。

かなり結果を出している西野監督だからその辺の作戦立案に抜かりは無いだろう。何度も言うが是非12日を勝ち抜いて、トヨタカップで世界と戦ってほしい。

きっと12日は日本サッカーとオーストラリアサッカーの差が感じられる試合になると感じられる。ガンバのトップは日本人ではないが・・・。

13日よりも凝視したい。リアルタイムで見られないので前回同様ビデオ録画になるが、今から興奮させられる。

シュートに関して

2008年11月06日 18時19分31秒 | サッカー日記
前回に続いてシュートに関して。
当然得点できる確率の高い状態でのシュートが一番よい。それには小生も異論がない。しかしそれを有効に実行しようとするには高い技術が必要である。有効に実行するとは得点できる確率を上げるとういう意味だが。

今日本サッカーは30年前のような昔との比較でなく、Jリーグが出来てからを考えても確実にその技術は向上している。これは間違いない事実だ。しかしサッカー列強の域にはまだ達していない。

小生が主張したいのは世界レベルの前まで来ている日本サッカーだが、まだ達していないとなればサッカー列強と同じ結果をすぐには望めない。だとすると日本サッカーは得点できる確度をある程度無視してシュートを数打つ必要があるという事である。

シュートをゴール枠内に打った場合想定される一次的、二次的なチャンスの事を考えてみる。「ゴールできる」「キーパーがハンブルし拾って得点できる」「相手バックスにあたって跳ね返りをゴールに結び付けられる」「相手のクリアが小さくてペナルティエリア近辺からミドルシュートで得点できる」「コーナーキックのチャンスが得られるかもしれない」「オウンゴールも考えられる」「ペナルティキックに結び付くかもしれない」等々。

シュートを枠内に打つとかなり二次的なものも含めチャンスがうまれるのだ。ただ確かにこのような事を期待したサッカーをサッカー列強はしない。日本はサッカー列強国になったら確度を求めるプレーにしたらよい。しかし今はシュートを数打ち、二次的な副産物を期待する時期だと思う。

技術的に少々未熟さが残る日本サッカーが確度を求めすぎシュートを打たずに相手ボールになってしまうことを繰り返すこと、これは大変危険であるしやるべきでない。換言すればこの事こそ日本サッカー決定力不足(ここでは決定力不足の意味を得点取得能力不足とする)の原因だと言える。

ただ相手チームが一人トップだけ残して全員守備になった時どうするか?小生の経験からすると、左右から中央へロビングボールをどんどん入れるという戦術は全く奏功しないと思われる。また、中距離シュートを打つことはどうか?これも壁に向かって打つようなもので意味ないであろう。

なのでそのような状況の時よく見られるのが、中盤あたりでボールを回し、ボールに向かってくる敵の動きにあわせ攻撃に移るという形だ。これはごく自然な戦術だと思う。ただこの場合もインターセプトされることは極力避けなければならない。先のUAE戦の失点のような愚を犯す事になるからだ。

あと、ありきたりだが上記の場合はサイドを切り込み、中央へ・・というのが正論かと思う。その場合1対1で相手を抜くことも必要になってくる。
そして肝要なことはシュートで終わることだ。シュートで終わると流れがいったん切れる。がインターセプトされると流れが一気に相手のペースになり、カウンターを食らうことになりかねない。シュートで終わった場合、リプレーの状態はキーパーがボールを味方に出して攻撃に移るか、ゴールキックを蹴る。どちらにしても敵チームの守備的フォーメーションはこの時崩れる。この時どう攻めるか?相手のほつれめをどうこじ開けるか?が重要と感じる。

最初の話に戻るが、シュートを打つ時得点に至る確度を大切にするか否かは自チームの技術力に対し相手の技術的力が低ければ確度を重視すればよいし、力量が拮抗している場合は確度よりも数にするべきだと思う。また相手の出方に関しては相手の戦術、戦略が予想に反していた場合90分の中でその状況に臨機応変に合わせる力が必要かと思う。その臨機応変さを見事になした例として、1974年W杯決勝の西ドイツチームがあげられる。

しかし臨機応変の対応をするにも「技術力」は必要か・・・?むむむアンビバレンツ。

シュートを打つタイミング

2008年11月03日 23時23分31秒 | サッカー日記
先日のJリーグヤマザキナビスコカップ決勝戦は良い試合だった。しかし解説の風間氏の発言で気になるところがあった。
大分の後半の攻撃で中央やや左にいた選手から右に走った選手(選手名は失念)に素晴しいロビングがあがり、パスを受けたその選手はキーパーとほぼ1対1になった。
そのロビングを受けた選手はやや迷ったか、技術的に難しいシチュエーションだったのか、ロビングボールをダイレクトに右足インサイドでジャストミートすることなくシュートした。
シュートは凡庸なシュートに終わり、ボールは難なくキーパーが抱えた。明らかに技術的な問題だと思われる。
その時風間氏は、「もったいないですね。シュートでなく周りにいる良いポジションの選手にパスすれば確実だったのに・・・」といった内容の発言をしていた。
私は風間氏のこの発言を否定したい。

またあるJの試合にてシュートをはずした選手が照れ笑いをしながら合掌し、皆にお詫びをするしぐさをしていた。

苦労して、また、少ないチャンスなのにシュートできる状態までいった場合、得点すれば「素晴しいシュートでしたね」と称賛される。しかしはずせば「もっとほかの方法があったのではないか?」等々非難ごうごうである。

サッカーというゲームは大量に得点は入らない。だから上記の点で言えば、称賛される機会は非難される機会よりも圧倒的に少ない。

私は海外列強国の選手、Jの海外移籍選手がシュートをはずしたとき、手を合掌し照れ笑いをしながら皆に謝罪する姿を見たことがない。

日本ではシュートをはずすとその選手は「責任」を取らなければならない。しかしそういったことはサッカー列強国ではありえない。

サッカー列強国の選手がシュートをはずした場合、天を仰いで悔しがるだけだろう。また必要以上に責任を負わせられるようなプレッシャーが無いので、シュートをはずした後プレーが萎縮することも殆ど無い。

そのような観点からナビスコ杯決勝戦での先に書いた風間氏の発言にもどると、凡庸ではずしたシュートだけど、シュートを打たない、打てない日本サッカーの現状から見て「シュートを打ったこと」は評価できないか?と聞きたい。また、もし入っていたらどうコメントしたのか?はずしたからあのようなコメントをしたのか?失敗したあるいは成功した結果を見てからものを言うだけなら、有能なコメンテーターとは言えないし誰でも出来る(私には出来ないだろうが・・・)。

日本でシュートを打つ選手に対し「なんでシュートを打つんだ?横にいるフリーの選手にパスだろう」や「もっと他の方法があったのでは?」といった発言とか「責任を取れ」的な雰囲気が一掃されなければ、「日本サッカーの決定力不足」はなくならないと思う。

日本サッカーの技術は昔に比べれば各段に伸びている。しかしまだまだサッカー列強には及ばない。そうとは言え少しづつ技術が伸張しているのであれば、サッカーではさまざまな可能性が広がる。その可能性の頂点が「ゴールすること」だとすると日本サッカーはサッカー列強を含む公式戦にて、シュートをする経験をつまなければならない。100回シュートを打っても100回得点はできない。サッカーをよく知らない人でも知っている。100回打ったらそのうち何回得点できるか?その確率を上げるためには経験を積むしかないだろう。

そういった必要があるとき、シュートをはずすと非難され責任を取らされる。こんなサッカー環境で誰がシュートを打つだろうか?恣意的にシュートを打たなくなるというよりも、無意識下でシュートが打てなくなるような気がする。

マスコミのような外部が非難したり、責任を取れ的な発言をするのは仕方が無い。仕方が無いというのは選手がある程度無視できるからだ。

だが間近な日本サッカー内部でこのような事があってはいけない。

司馬遼太郎先生の名著「坂の上の雲」のなかでこのような一節があった。
日清日露の戦役の中で、陸軍の総帥だった大山巌は「部下の手柄は部下の手柄。部下の失敗は私の失敗。ですので思い切って戦ってください」と部下に語った。

責任転嫁天国の現代日本。サッカーの総帥は明治の元勲のような気概を持ってシュートを選手に打たせていただきたい。

最後に。私は風間氏が嫌いではない。むしろ彼のコメントには非常に好感を持って聞いている一人である。
ナビスコ杯でのあの発言は何だったのか聞いてみたい。