サッカー見聞録

サッカーに関する記憶を留めるために

日本サッカーの危機的状況打破には

2008年10月28日 13時00分15秒 | サッカー日記
前回現在の日本サッカーに対して大変ネガティブな事を書いたが、小生としては間違っていないと思っている。
今、日本サッカーはかなり退歩している。何年前に戻ったかと問われれば、しかとは答えられないが、前に進んではいない。完全な退歩だ。
サッカー列強国でも浮き沈みはある。だから日本にもあって当然だが、このまま放置しておいてよいわけがない。放置すれば座して死を待つのみだ。

まずはオシム氏から引き継いだ岡田現監督について。
人間性がどうのこうのということを岡田氏に関しては全く知らない。それは今回無関係なこととし、サッカーだけで彼の事を考える。

オシム氏から引き継いだ後の彼の言動をかいつまむと、「日本独自のサッカーなんてあるのか?」「オシム氏の路線を引き継がず私独自のサッカーを目指す」・・・。先のウズベキスタン戦終了後には「後半トゥーリオが攻撃参加して攻撃に厚みが出て良かった」等々。いやはや何をかいわんやだ。出るのは溜息と、溜まるのはストレスである。

オシム氏は日本代表監督を引き受けた時、「日本はサッカー列強国のまねをしてはいけないし無駄だ。日本は日本独自のサッカーを目指すべき」と話していた。
岡田氏はそれを否定したのだ。

否定することは構わないが結果がこれでは話にならない。

岡田氏独自のサッカーがまるで見えてこない。選手も岡田氏の意向をくんで機能的に動いているかと思えば動いていない。動けないのかもしれない。

これからの日本サッカーに関して言うと、岡田氏解任等々はどうでもよい。続行でも更迭でもあまり状況が変わらないと思われるからだ。

それよりも2014年にむけ、オシムイズムの徹底的な浸透を図るべきだと思う。
具体的には、体調をある程度回復されたオシム氏に2014年までのグランドデザインを描いていただき、それを実践するのだ。

まずやるべきことは、オシム氏に毎回以前のように直接現場に立っていただくことは不可能だし、危険なので日本人の有能なコーチ陣に対して「オシムイズム」を徹底的に教えていただくことだ。

オシム氏は人間的にも相当器が大きいので、最初はサッカーだけでなく人間の幅といったところから学ばなくてはならないかもしれない。

サッカーは他のスポーツと同じく、技術的な部分と精神論的な部分が大きくそのプレーにかかわってくる。

オシム氏は技術の伝承と精神論との使い分けが絶妙であった。そして人間的に大変大きな方なので、人心掌握も当然のことながら見事に成し遂げていた。
だが、岡田氏は技術の伝承と精神論の使い分け的な部分では残念ながら逆のことをやっているように感じる。技術的な事を指示するときに精神論を、精神論的なことが肝要な時技術を・・・といった感じだ。実際岡田ジャパンのそばにいたわけではないのであくまでも個人的な感じだが・・・。

先日オシム氏はリハビリを終えて、日本に戻られた。すでに様々なオファーが来ているみたいだが、是非日本の今後の指導陣を鍛えていただきたい。そしてオシムの子を沢山日本に作っていただきたい。

私はオシム氏が目指した日本サッカーの最終形がどうしても見たいのだ。

ウズベキスタン戦

2008年10月15日 22時22分06秒 | サッカー日記
サッカーは感情を持った生身の人間22人で行うゲームである。その22人の公(おおやけ)がサッカーをすることであるとすると、当然サッカーから離れた私(わたくし)もある。生身の人間だから当然公私共にその人生に悲喜こもごもさまざまなことを抱えていることだろう。
だが人間は大抵公の部分で日々の糧を得る。だからプロのサッカー選手はサッカーをすることにおいて最善を尽くさなければならない。

今日の試合、日本チームの完成度は100点満点で何点だろうか?個々のスキルが高いことはかなり評価できる。しかしチームとしての完成度では50点以下か?

チームの完成度だから、低評価の原因はチームプレーが出来ていないことにある。「あ・うん」の呼吸でのチームプレーが出来ていない。だからオシムサッカーで目指していた「考えて走るサッカー」が出来ていない。

走れないのではない。どう走ったらよいか皆分からないから空回りな走りしかない・・・か走っていない。しかしチームとして熟成すれば良いチームになる素地は感じられた。言ってもせんないが、オシム氏が倒れる寸前までの日本チームはオシムイズムの醸成がかなり進み、今後日本チームの雄姿を見ることが出来そうだという期待を持たせてくれるチームだった。

ただし、このような感想はワールドカップ予選の最中に評することではない。岡田監督もオシム氏が病魔に倒れた後の引継ぎなので、こうなるのはある種仕方がないが・・・。

一人ひとりはキラリと光るものを日本選手は感じさせてくれた。しかしそれがチームとして繋がらない。

例えば中村俊輔選手が将棋の指し手だとすると、駒である選手が彼の意志どおり動いていない。局地的には大久保、玉田は俊輔選手と縦のラインで繋がっている場面もあったが、それだけではゲームには勝てない。

俊輔、遠藤選手がいかに優れていようが、周りが動いていない、走っていなければそのスキルは全く活きない。

ウズベキスタンは旧東欧の選手に良く見られた頑健さがあった。しかし華麗な組織的サッカーとは無縁のチームである。そういった意味ではその頑健さに対し日本守備陣は良く戦ったと思う。だがこの頑健さに高さとチームプレーが加味されたチームがオーストラリアだろう。

だからこの日本チームではオーストラリアには惨敗しそうだ。

個々で述べると、大久保選手、玉田選手はボールを持ったらシュートするまでパスするな・・・大げさだがその位の気持ちでやってほしい。
先に疑心暗鬼だと書いた内田選手はまーまー良かった。しかし以前から私にはすごく目立つのだが、敵ゴールエリア近辺まで切り込むか、そこでパスを受けゴールに向いたらシュートを打て!!!!!!シュートを打つのが怖いのか君は・・・・。

解説者がウズベキスタンは前半前線で完璧に日本の機能をつぶしていたといっていた。事実だろう。だとするとウズベキスタンは前半完全守備の作戦を取らなかったのだろう。1対1の後半には、アウェーでの引き分けにしようとしたようだが。

そのように前半敵はアウェーにもかかわらず攻めてきている。その敵にたいして臨機応変な対応が出来なかったのか。「融通無碍」ではなかったのか?この辺のウズベキスタンの対応にはジーコの助言を感じるが、日本チームは想定外な事態になっても相応の対処が90分のなかで出来るようにならなければいけない。

課題山積の日本チームだが、チームが熟成し完成度が高まれば(年末までに)十分やれると思うが、どこまでそうなるか?はっきり言って心配だ。確かに言える事は、現時点でのこのチームがW杯本大会に出る資格はない。フロックで出られたとしても、相手となる世界のサッカー強豪国に失礼だと思う。現状では、目指すべきはまずアジアの覇者か・・・。

日本チームはフランス、日韓共催、ドイツに引き続き4大会連続でアジア地域予選を突破し本大会に出場することを狙っている。当然だが大変な困難さがそこにはある。

オーストラリアはフランス大会時以前はそれほどではなかった。それ以前はラグビーこそ世界最高レベルだがサッカーは全く話にならないチームだった。しかし近年そのレベル伸張には驚がく的といってよいくらい強豪チームになっている。

体が大きく、背も高く、キック力、走力、体力、ボール扱いそして組織的なプレーが急速に世界レベルになったオーストラリアチームはアジアではナンバーワンではないかと感じる。何かオーストラリアは国家をあげてサッカーを強化したように感じる。ワールドカップ開催を望んでいるのかもしれない。

しかし!個に光を感じる日本もそのサッカーに勝てないわけではない。いや、絶対負けるわけではない。だが・・・・・・・。

早期に日本代表のチームとしての熟成を望む。としか今は言いようがない・・・・。

UAE戦

2008年10月09日 23時15分39秒 | サッカー日記
タイトルをUAE戦としたが、残念ながらテレビを見ることができなかった。今午後9時56分だがどちらが勝ったのかさえわからない。

たった今NHKニュースで1対1の引き分けであることを知った。わずか1分ほどのニュースなので日本チームがどのような試合をしたのか全くわからない。

ただ、UAEの1点はペナルティーエリアぎりぎりからのシュート。何か日本の定番みたいな失点のように感じる。

仕方のない失点など応援する側には存在しようもないと思う。が、私にはほんの数秒の映像だったが「またか!!」と感ずる落胆このうえない失点のようだった。

選手内はどうなのか?不協和音といった日本のサッカー音痴なマスコミが喜びそうなつまらぬ事が内部で起こっているのだろうか?先にゴールキーパーに関して書いたときに言ったが、バックライン真ん中の選手も第二、第三の指揮官といえる。
その資質にはチーム全体を統括する力が要求される。だから守備においては、局地的指揮官といってよい。

なぜUAEのシュートコースは開いたのか?UAEのその選手が優秀だったからか?たった数秒の映像だがUAE選手は単純なフェイント一発でシュートコースを開けた。逆を言うと簡単に日本のその守備をしていた選手はふられた・・・ように見えた。

失点後の中澤選手の映像が映ったが、かなり憤慨しているように見えた。もちろん憤慨の対象は日本の守備にあたった選手に対してであろう。右手で大きく失点後の指示をしていたが彼は何に憤っていたのか?

不協和音と書いたが、中澤選手とだれかれという事はないかもしれない。しかし何か毎度守備の不安定さが露呈している。

守備のとき日本のフィジカルの弱さが見事に現出する。今回の失点の時、UAE選手に相対したのが誰だか現在わからないが、あれは守備になっていない。あのように簡単にふられるのなら、A代表には相応しくない・・・と思う。

北京オリンピックの内田選手に対しても小生には少々疑心暗鬼だ。
何が疑心暗鬼かといえば、岡田監督は「彼は最初のタッチでまっすぐ前を向く。そのような日本選手は珍しい。とてもよい選手である」というようなことを言っていたが、現代サッカーでのバックスの攻撃面ではそのとおりかもしれない。
しかし守備の面ではどうだろうか?オリンピックの惨敗が彼一人の責任ではないことは重々承知している。しかし彼の体力のなさ、守備のスキル不足等があのオリンピックでは大変私には目だった。

これからの選手なのでまた、確かに才能はある選手なので鋼鉄の体と、疲れを知らない体力づくりに励んで攻守ともに要になる選手になってほしい。

最後にするが彼のような脆弱さは、先のワールドカップでオーストラリアに振り回された日本守備陣を想起させるのだ。

つらつらと書いてきたが、今ニュースステーションでスポーツニュースが始まりそうだ。まずは巨人のことかららしい。
その後のサッカーを見てみる。だからしばし休筆。

わずか2分の映像だった。UAEのシュートをした選手にシュートコースを開けたのは中澤選手だった。

中澤選手のフィジカルは問題ないと思う。また、彼のヘディングも素晴らしい。まさに日本守備陣では貴重な存在である。

UAEの選手は真ん中からやや左をドリブル突破し、フェイントをかけ右にでた。そしてすばやい振りのシュート。そのシュートに対し、中澤選手は左足を伸ばし阻もうとしたが奏功しなかった。

不協和音は全くうかがい知れないが、中澤選手であれば仕方がないかと思う(A代表に相応しくないと言っておきながら何言ってんだろうと自分でも思う。しかし・・・だ)。なぜかと言えば、彼を超える選手は日本にいないからだ。また、怪我をしてまでとか、レッドカードをもらってまでそのシュートを防ぐ試合ではないともいえる。
少々ひいきが過ぎるか??

中村俊輔選手のプレースキックをUAEは徹底的に研究しているようだ。それとUAEのゴールキーパーはなかなかよい。遠藤選手、憲剛選手・・・頑張ってください。といったところか。

それとシュートをはずしてよいとは言わないが、大久保選手、玉田選手をはじめとする攻撃陣はどんどんシュートをうつべし。
ひいきをまた言うと、高原選手の早期の復調を願う。

ウズベキスタン戦まで1週間をきった。

やるしかないだろう。


バックス

2008年10月07日 19時21分22秒 | サッカー日記
前回はゴールキーパーに関して書いたので、今回は左右のバックスに関して書く。
昔のサッカーにおいてサイドバック、所謂バックスの役割はサイドから切り込んでセンターフォワードにセンタリングすることがミッションであるウィングを止めることであった。

その役割が大きく変わったのはやはり1970年メキシコワールドカップ以降からだと感じる。

そうは言っても70年メキシコ大会ではあまりその兆候は感じられない。

1970年のメキシコ大会では様々なシステムがあった。例えば決勝に進出したブラジルは左右にウィングを擁していたが(ジャイルジーニョとリベリーノ)、イタリアはツートップ(リバとボニンセーニア)という当時では特異な布陣であった。

イタリアに関しては、カテナチオという世界的にも独特のサッカーをしていたので、今から38年前にも関わらず442というフォーメーションで臨んでいた。

しかしイタリアのサイドバックが現代サッカーのように昔のウィング的役割もしていたかに関しては、その役割はしていなかったように感じるが・・・。

1970年の大会にてバックスが得点して印象的だったのは、決勝でのブラジル右サイドバック、カルロス・アルベルトのゴールである。

だがブラジルの左右バックスは常時上がってセンタリングをしたり、シュートを打つような役割を担っていなかったように思う。

70年大会バックスが得点したということで目立ったその得点だが、試合の流れから鑑みると、後半大きな得点差があったりしてブラジルに余裕ができたのと、イタリアが既に白旗を上げているような状態だったので、カルロス・アルベルトもある種余裕で上がってシュートを打てた・・・そんな感じであった。

そのようなバックスが明らかにシステマチックに攻撃参加をし始めたきっかけを作ったのは、私のブログでは毎度おなじみの1970年代のオランダ・トータルフットボールだと思う。

オランダ・トタールフットボールが完成形を見たとき、そこにウィングという職人は存在していなかった。

以前にも書いたが、1975年欧州選手権予選でのオランダ対ポーランドにおけるオランダの1点目は、右サイドバックのシュルビアがオーバーラップをしライナーのようなセンタリングをあげ、それにニースケンスがダイビングヘッドで合わせ決めたものである。

また同年ボルシアメンヘングラッドバッハ市市制100年記念試合で見た、ボルシアメンヘングラッドバッハ対リアルマドリードでは鉄人フォクツのオーバーラップを何度も目の当たりにした。

このようにバックスが攻撃参加を積極的にし、かつ守備的なサッカーをミックスしたサッカーが現代サッカーであるという意味では、オランダ・トータルフットボールとイタリアのカテナチオが組み合わさったサッカーが現代サッカーのシステムだと感じる。

しかし現代サッカーのサイドバックは大変なポジションだと感じる。あれだけ敵陣深く入ってセンタリングもしくはシュートをし、いざ敵ボールになったら全力で戻らなければならない。当然その守備にも完璧さを要求される。

だから最終ラインでの守りの時、よく中盤の選手がその任を担っていることを散見するが当然だろう。

そして当時のオランダサッカーと現代サッカーの相違点は、当時のオランダサッカーはリスクを犯しても攻撃をするサッカーだったのに対し、現代のサッカーは守ることに重点が置かれていることだろう。

私見でどちらが好きかと問われれば、答えるまでもない。
オシム氏はこのような当時のオランダサッカーはもう見ることは不可能だと言っていた。

乱暴な言い方だが、点の取り合いになるゲームはとても面白いと思う。私が学生の頃はサッカーの試合において3対2くらいの試合が見ていて面白いと言われていた。

様々な事(お金も含め)が複雑に絡み合うスポーツビジネスが跋扈する現在、そのようなサッカーを見ることは儚い望みになってしまったようだ。

ゴールキーパー

2008年10月03日 11時59分31秒 | サッカー日記
私はゴールキーパーをやったことがない。中学生の頃学校外でサッカーをやっていた時ゴールキーパーが誰だったか覚えていない。高校のサッカー部では1年生の最初、クラブ活動が終わった後皆で将来目指すポジションを語り合い、ポジションに重複の無いよう整合性を取るべく話し合った。しかし最後にゴールキーパーの問題に行き当たった。当然サッカー部に入部してくる皆の意志の中心は、走りまくってボールを蹴りゴールを決める事であった。そうであれば誰一人としてゴールキーパーをやりたいというものはいなかった。誰もゴールキーパーを目指していない。時代もサッカーの中では釜本みたいなセンターフォワードがよい、杉山みたいなウィングがよい、宮本(輝)のようなゲームメーカーがよい、八重樫、鎌田のようなセンターバックがよい、山口のようなバックスがよい、とゴールキーパー以外のポジションに光が注がれていたような気がする。結局高校サッカー部ではある人物に皆でゴールキーパーになってくれるよう「懇願」した。その理由はその人物が中学校時代野球をやっていたので、ボールを手で取ることがうまいだろうというはなはだその当人にとっては失礼な基準で決めた。だからその人物には今でも申し訳ないと思っている。
だが、我らのゴールキーパーは熱心に練習に励んでくれ、素晴らしい活躍をしてくれた。

そういった特殊なポジションといえるゴールキーパーだが、その役割を少し考えてみたい。
よくゴールキーパーはすべてのポジションが見渡されるので、第二の指揮官と言われる。
なので大声をもって有効な指示をだすことが結構大切な役割であった。過去形で書いているのは今でもそう言われているのか否か知らないからだ。基本的には変わらないと思うが・・・。
また、大変危険が伴うポジションなのでゴールエリア内ではルール上格段に守られている。
そしてゴールキーパーはスーパーセーブが華やかに報じられるが、基本的には相手のシュートを真正面でとらえるキーパーが有能なキーパーと言われてきた。その理由はキーパーは敵の攻撃態勢、味方のそれに対する布陣等から最終的に敵のシュートコースを瞬時に的確に判断することが要求される。その判断が正確に実行できるのであれば、相手のシュートはキーパーの読み通りのところに打たれるので、ボールはキーパーの体真正面で受けることができるということからである。

キーパーをめぐるルールでは昔キーパーはボールを持ったら五歩以上歩いてはいけないというものがあった。これは相手の間接フリーキックになる。ペナルティエリアもしくはゴールエリア内での間接とはいえフリーキックである、大変危険な状況になるルールであった。また先のルール改訂前は味方からキーパーへのバックパスは手で持ってよかったが、今は味方の足でのバックパスは手で持てない。
このルール変更は昔日のサッカーから試合の流れを大きく変えたように感じる。
私見では良くなったと思う。やはり時間稼ぎのキーパーへのバックパスは卑怯だ。

キーパーは相手と1対1になったときは、下がらないで前に進むように言われてもいた。文字だと表現が難しいが、相手のシュートコースが狭まるからだ。しかし最近ではその裏をかくループシュートが散見される。キーパーも大変だ。
セービングの技術だと、横に飛ぶとき鉄道における踏切の遮断機のように倒れるキーパーは全く駄目で、横に一直線に飛ぶ技術が要求される。

日本のキーパー、A代表のキーパーだが相手コーナーキックの時全て楽々相手ボールをとれるようになってもらいたい(せめてその部分だけでも安心させてほしい)。楢崎選手は身長が高いのでその点ある程度期待できそうだが、先のJでは足元へのボールをハンブルしてゴールを許していた。
ゴールキーパーは最後の砦だ。最高の技術は当然だが、「つき・運気」を持っているか否かも重要な要素になるのかもしれない。