一部の釧路人は、幣舞橋を前景に太平洋の水平線に沈む夕日を「世界三大夕日の一つ」(2月22日付『釧路新聞』第1面、写真上段を同新聞から転写)というが、日の出日の入りの風景の美しさは、世界の至るところにあり、釧路だけが特別美しいわけではない。幣舞橋とて、それほど意匠に凝った珍しい造りではない。夕焼けを見たいというだけで観光客が集まると思っているとしたら、考えが甘いと言わざるをえない。
世界三大夕日、とは大きく出たものだ。日本の多くの地域、世界の多くの国で、人々は我が夕日こそ「世界一」と自慢しているはずだ。市民有志が立ち上げた「釧路ライブカメラ企画(仮称)」が釧路のよさを世界に向けて発信することを否定はしないが、釧路駅から幣舞橋までの北大通と釧路川両岸に、夕日とともに人々の興味をそそる企画があふれていなければ、発信は単なるかけ声に終わるだろう。
写真下段<右>のシメは、2月22日6時58分、朝日を背に受け目を輝かせて地面のヒマワリの種を探そうとするところを撮影。下段<左>のスズメは、2月21日16時24分、給餌箱のキビをたっぷり食べ終え、夕日に目を輝かせて一休みしているところを撮影。北大通を行き交う人々の目に小鳥たちのような輝きがあるだろうか。
北大通はもはやかつての賑わいを取り戻すことが出来ないと私は思っている。幣舞橋の夕日は、釧路の街全体が今後、人口十万そこそこの規模にまで縮小の歩を早めるのを食いとめることは出来ない。夕日そのものが、そもそも「負のイメージ」を負っている。朝日にせよ夕日にせよ、目に写る光が明るい希望を約束するものであるためには、私たちは「夕日+α」を発信する必要がある。「旧約聖書」(「伝導の書」)の「日は出で日は入り、またその出し所に喘ぎゆくなり」では、約束は何もなされない。
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