清里町は、昭和18年に上斜里村として開村、昭和30年に町制が施行された。伝統的に革新勢力の強い地域で、昭和22年に開村後初めての公選で就任した□□□□・元村(町)長の在任中(保守・7期28年間)に、いわゆる55年体制が生んだ保守・革新の激しい対立とともに、多選の弊害として町長の恣意的な町政運営が、役場内の人事及び町議会との関係に不毛な緊張を生み出したことは夙に知られている。昭和50年の△△△△・前町長の誕生は、町を二分する対立を解消するための努力の結果で、中立の町長の誕生による感情的対立の終焉は、町民にとって賢明な選択だった。
前町長も現町長も、町政の刷新に努め、大きな成果を上げてきたが、町議会議長の暴力は、愚劣な反社会的行為であり、清里町議会の恥を全国に晒した。己の議会運営に異を唱える町議の胸を殴りつけ怪我を負わせるなど言語道断である。町民憲章の精神に著しく悖ることを肝に銘じなければならない。
町内外で○○の名は、北海道内水面漁業調整規則第24条に基づく資源保護水面に指定されているエトンビ川に澱粉工場の排水を垂れ流した父親の代から、傍若無人で通っている。○○○○を知る者には、彼が清里町議会議長にふさわしい人物かどうか、すぐ分かるだろうに、人口5千人に満たない町に人材がいないのか、あるいは、ボスに牛耳られる町の精神的風土なのか。釧路地裁網走支部の判決を機に、○○○○は議員を辞職すべきだ。