青葉繁れる「男組」

 
青葉繁れる「男組」

大久達朗

 辻口編集長ゴメンナサイ。「誰も書かないようなコテコテのマルコム・マクラーレン論、書かせてくださいね!」などと先日電話で豪語したばかりでしたが、どうしてもその前に個人的にケリを付けなければならないことが起こってしまいました。

 作家・井上ひさしが死去した、と報じられたのは、奇しくも自主憲法の制定を標榜する新政党の旗揚げが正式にアナウンスされたのと同じ日、街の木々に青葉が繁る季節を迎えた日のことでした。
 「吉里吉里人」等の小説の他、劇団「こまつ座」を中心とする劇作家でもあり、TVメディアにおいても「ひょっこりひょうたん島」「ひみつのアッコちゃん」「ムーミン」他センス溢れる多くの作品で知られる人です。直木賞作家でもあり、演劇の世界とはまったく無縁の当方のような人間でも、その偉業は勿論知っています。




 鋭い風刺とユーモア、というのは井上ひさしの代名詞のように語られますが、ハッキリ言って当方は井上作品の熱心なファンではありませんし、「偉業」と書いた彼の業績をことさら今ここで持ち上げる気もありません。それに、社会人としてなかなか難しい、といいますか、調和という面では多少の問題も抱えた人であったことも有名です(当方とて人のことをを言えたギリではありませんが)。
 以前から闘病の身であることは既に広く報じられていたので、75という年齢も考えれば、「くる時が来た」という感慨はやはり当方の胸にも去来したことは事実です。

 井上ひさしのちょっとだけ有名な小説に「青葉繁れる」があります。小説は今も文庫で入手可能ですし、74年には映画やTVドラマ(見たことないんですが、TV版の主人公は今の千葉県知事が演じたようです)にもなった作品なのですが、ちょっとだけ、と書いたのは、例えばウィキにもその作品紹介がいまだ載っていない、というビミョーな立ち位置の作品だからです。つまり、その後井上はヒット作を連発したため、その影に隠れる形になった小説、と言えばいいかもしれません。




 で、その「青葉繁れる」ですが、ちょいとばかり<特殊>な校風をもった学校環境での、平々凡々たるフツーの少年の高校生活を描いた、ほぼ自伝的な青春小説です。井上自身の高校生活を下敷きにしつつも、勿論その中で書かれたプロットがフィクションであることは間違いありませんが、あの小説に書かれた高校生の姿、それはまぎれも無く当方が過ごした高校生活そのままでありました。

 自重献身/自發能動、その8文字を最大に重んじる、おそらく一般的には想像することさえ難しいような、実際に風変わりな高校でした。客観的にどんなガッコだったかはこちらをクリックすればおおむね把握できると思います。本稿がいささか大げさに書かれているキライがあることは認めますが、でも実際ウィキに書かれているよりももう少しドラマチックな学校でした。
 当方と井上ひさしは35も年齢差がありますが、それでも「同じような」高校生活を送ったという事実があります。当方が「青葉~」を初めて読んだのは16の時でしたが「35年前と今と、まったく同じジャン」と驚いたものです。とはいえ、井上ひさしは当方のように髪の毛オッ立ててパンク・バンドやったり、スクーターに乗ってトラックと正面衝突したりはしなかったでしょうけど。

 菅原文太が卒業したその翌年には井上ひさしが卒業し、その35年後にはNYでヒップホップDJになった人間とか、今この文章を書いているマヌケな人間なんかがこの学校を卒業しています。あ、そういえば同級生には現職の国会議員もいますね。進学校でしたが、単位の足りない生徒はバンバン落第してました。昨今の教育事情からは考えられないかもしれません。



YOU THE ROCKとのコラボを経て、NYに渡り自主レーベルも作ったDJ BEN THE ACE。元気かな

「生徒が主権を持ち、運営する高校」が実際にあり、バンカラというアナクロニズムに本気で誇りを持つ16~18の生徒、なんてのが実在したのです。それは尋常中学校時代からの伝統を守る~、みたいなお行儀のよろしいモノではなくて、生徒が自主的にそれを選んでそう運営した、そんな学校でした。当方が在学時、学校に制服はありませんでしたが、イベントがあれば学ランを引っ張りだして、喜々として生徒全員が高ゲタで勇ましく街を闊歩したものです。
 ライバル校(こちらがバンカラなのに対して、ライバル校はやはりハイカラな校風でした。ちょうど大昔の早稲田と慶応、もしくは『男組』の流全次郎VS神竜剛次、といえばわかりやすいかもしれません。笑)との野球定期戦は、毎年地元テレビで生中継されました。



こっちの表紙より、一番上に揚げた緑の表紙の方がドンズバで内容を示していると思います。馴染みあるから、そう思うのかも知れませんが

 熱心なファンではありませんが、「青葉繁れる」は個人的にもちろん大好きな小説です。己の思い入れもトーゼンそこには加味されてますが、ハイカラを気取るお行儀のいい方々に何もかもまかせていたのでは、世の中何も回らない、ということは、既に高校生の時には確信できていました。

「青葉繁れる」の作者が亡くなる直前の出来事ですが、この高校は120年ほどあった歴史に一旦区切りを付けることが決定していました。それは2010年度から男女共学の学校に変わることになったからです。
 県教育委員会の方針によるものでしたが、その案を押し進めたのは、浅野史郎という当時の宮城県知事でした。もちろん彼がドロドロだった地方自治にメスを入れたのは認めますし、別にこの人に個人的な恨みがあるワケじゃないんですが、当方はこの有名な政治家さんに昔から馴染めませんでした。なぜならこの官僚出身のインテリさんは、そのハイカラでお行儀のいいライバル校の卒業生だったからです。だから言わんこっちゃねえんだよ。フザケンなよオイ。

 在校生/卒業生は県議会を巻き込んで10年間にもわたり是非をめぐり論争をやったそうですが、今年ついに共学化が実施されました。時代は変わり、時間は流れます。
 古いものは捨てられ、新しい洋服を着なさい、とお偉いさんは事情に疎い子供達に命令してきます。例えばダムに沈んだ古くて小さな街とか、震災で崩壊した都市、という話とは勿論同列に語ることはできませんが、井上ひさしや当方が過ごした「あの風景」はこうして失われました。

 井上ひさしのような人物を生み出す土壌がひとつ消えてしまった、という出来事と、その井上ひさし本人が鬼籍に入ったのが同じ時期(しかもこの青葉繁れる季節に)、というシンクロニシティは、どうしても当方には気持ち悪い感慨を残してしまいました。

 自重献身/自發能動。いい言葉です。誰が言った言葉なのかはすっかり忘れてしまいましたが。




一応音楽のブログなので、CDを紹介しときます。井上ひさし率いる劇団「こまつ座」の音楽は、「一休さん」「サザエさん」「ムーミン」他多くの有名テレビ音楽を手がけた宇野誠一郎が担当しました。昨年それらをまとめたCDがTV AGEシリーズからリリースされています。ジャケ・イラストは和田誠氏。






THE DIG Special Issue ザ・ビートルズ アナログ・エディション
(発売中)


THE DIG Special Issue ザ・ビートルズ CDエディション(発売中)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« マルコム・マ... 1Q84 B... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。