the other half 2

31歳になりました。鬱で負け組。後悔だらけの人生だけど・・。

桐原、業界入り。

2008-04-15 15:45:50 | Weblog
4月15日



彼から連絡がきたのは、半年ぶりのことだった。

「久しぶり。今月の*日から*日あいてる?」

彼は僕が東京勤務時代に知り合った友人で、同い年だが小さな会社の社長をしている。
以前から、

「うちの会社で働かない?半分本気で誘ってるんだけど(笑)」

なんてことを言われていたので、昨年の夏ころから仕事を一緒にさせてもらえないかと連絡をとろうとしていたのだが、メールの返事もこないし、電話をしてもつながらないまま今日に至っていた。

「ウチのアーティストがライブをやるんだけど、マネージャーをやって欲しいんだ。」

なんでも、彼の会社の音楽部門が長年育て上げてきた男性ボーカリストがアジアの某人気アーテイストの日本語カバー版を発売するとのこと。今回はその記念イベントなのだそうだ。

しかし、なぜか東京ではなく徳島で・・・?


軽い疑問を抱きつつも、どうせ暇だし飛行機や宿の手配は向こうが持ってくれるというので、なんとなく軽い気持ちで僕は徳島に飛んだ。


空港に着くと、程なく彼が車で迎えに来てくれた。
お互い顔を見るなり、

僕:「太ったんじゃない?(笑)」
彼:「太ったんちゃうん?(笑)」

いやだなぁ。30歳を超えるとみんな体型が崩れていく・・。

ふとみると助手席に小柄な男性が座っている。

彼:「紹介するわ。これ、ウチの一押しミュージシャン。××」

小柄で華奢な体。それでいて顔は骨ばっていて決して整っているとは言えない。
そして残念なことに、ミュージシャンとしての“オーラ”がまったく感じられないたたずまい。




売れねぇな・・・。




当たり障りのない世間話をしながら車を走らせ、途中で音響機材なんかのレンタル手続きをすませ、ホテルにチェックインしたのが16時くらい。さて一服・・。と思ったのもつかの間、

「これからバックバンドのメンバーと合流してリハーサルがあるから付き合って。」

17時~23時までという超夜型のスケジュール。
なんだか“業界”っぽい。

ライブは地元の小さなイベントバーで行われるそうだ。
当日はそのミュージシャン(以下A)にずっと付き添っているように、との指示だった。

・・付き添うのは別にいいけど。
付き添って何をすればいいのか?

若干の不安を抱えながら、すでにスタジオ入りしていたバックバンドの皆さんと合流し、早速リハーサルへ突入した。

ライブで披露する曲は全部で20曲程度。
そのうち、先にあげたアジア人ミュージシャンのカバー曲は2曲で、残りは日本のアーティストのカバーだった。


バンドのメンバーの印象は・・

ドラム:でかい。ジャイアンが金髪ロンゲになったみたい。
ギター:格好いい。V6の岡田君が大人になったみたい。(実は桐原と同学年だということが後日判明。しかもトークも面白いし、演奏もセンスもいい。今回であったメンバーの中で一番の好印象。)
ベース:少し年上な印象だけど、穏やかでみんなのまとめ役っぽい感じ。悪くはない。
ピアノ:無愛想なマッチ棒みたいな女。
サックス&フルート:地味な女。たぶんもうすぐ“おばさん”入り。

という感じ。
みなさんさすがプロというだけあって、リズムもテクニックもばっちりで音楽に一体感がある。
中でも僕が一番感心したのが、サックス&フルートを担当している女性。
彼女はアルトサックス、ソプラノサックス、フルートを曲によって、あるいは演奏の途中で器用に吹き分けている。

すばらしい。

ご存知の方はお分かりかと思うが同じ管楽器でもサックスとフルートでは音の出し方が根本的に違う。
詳細は省くが、唇の形、口の周りの筋肉の使い方がまったく違うのだ。
僕もサックス(テナーだけど)とフルートを一応持っているが短時間で両方を吹き分けるのは難しい。

プロってすごい。

そして肝心のボーカルは・・・。



ふつう。



さすがに腹式呼吸はできているようでお腹から声がでているようだが、声に特徴がなく、印象に残らない。
というか、カバーしているアジアのミュージシャンの曲自体の印象が薄い。
リハーサル中に何度聞いても、頭の中にひとつもフレーズが残らない。



特徴がない声に印象の薄い楽曲・・・。
そしてオーラのないボーカリスト・・。




微妙・・。





リハーサルは滞りなくすすみ、気づけば終了予定の23時が迫っていた。
そこでボーカリストA君が、僕に

「桐原さん、初めて聞かれてみて印象はどうでしたか?」

と聞いてきたので、

「いいと思うけど、ピアノの調律がくるっていてずっと和音が気持ち悪かった。」

と返すと、

「え!?そうですか??」

との反応。
実際にA君は自分自身でピアノの鍵盤をいくつかおさえ音色を確かめている。

「本当だ。ぜんぜん気づかなかった・・。」




え~・・・・。マジで・・・。



さすがにピアノを担当している女性と、となりで弾いていたベースの人は気づいていたようだが(おそらくほかのバンドメンバーも口にしないだけで気づいていたとは思うが)肝心なボーカリストA君は音のずれに気づいていなかったらしい。

僕の耳はいたって普通の耳で、絶対音感など持ち合わせてはいないが人並みに音の違いは聞き分けることができるようだ。
高校に通っていたときにブラスバンドをやっており、趣味でピアノを毎日引き続けていた(曲は尾崎豊。暗く孤独な学生だったのです。笑)ことも影響しているのだろう。

たとえば音楽の授業で、いくつかの少人数のグループに分かれてギターの合奏をしているとき、誰のギターのどの音がずれている、という程度のことは指摘できる程度の耳、である。
別にこれはそんなにたいした話ではなくて、少しでも音楽に携わったことのある人なら造作もないことのように思う。


素人の僕にわかるのに・・プロ(?)のA君、それじゃぁ、まずいよ。


そしてその日はお開きになるのかと思いきや、これからみんなでご飯を食べに行くという。

時間は0時。

僕は心の中で
「え~・・こんな時間にモノを食うの・・嫌だなぁ。」
なんて思いながらも某有名ファミリーレストランに引きずり込まれていく。
徳島まできたのにファミレス・・しかも全国チェーンだからどこで食べても同じ味。


時間も時間なので、軽く食べる程度だと思っていたが、僕のそんな予想とは無関係に皆がオーダーしていくものは、

「ハンバーグ定食1つ。」
「エビフライとステーキのセット。ライスと味噌汁つきで。」
「あ、それ私も!」
「じゃあ、エビフライのセット2つで。」
「俺はカツどん」

・・・・・・・。
深夜にこの食欲。
男性のみならず女性メンバーも。
その上、20分たらずで皆さんきれいに完食・・・。
僕は豆腐サラダを食べるだけで精一杯なのに・・。
業界の人ってすごい。

しかし驚くのはまだ早かった。

一行はファミレス帰りにコンビニにより、酒とつまみを買いだした。
ホテルに帰ってから宴会をするのだという。

まったくお酒の飲めない僕だが、一応“マネージャー”なのでしぶしぶ参加することになり、飲めないお酒を飲んで気持ち悪くなりながら、愛想笑いをふりまくこと2時間。

ベースの人の

「じゃぁ、明日もあるので今夜はこれくらいで。」

の一言でやっと開放された。


僕がベットにもぐりこめたのは明け方の4時を過ぎていたように思う。

次の日はライブ本番。
19時開場、19時半開演。
しかし、リハーサルのために13時には会場入りしなければならない。

そう。いつもテレビをとおしてみる芸能人たちの生活リズムが今この目の前で再現されている。というかそれを体験してしまっている。おもいきり夜型な生活だ。
夜中のハンバーグ定食はともかく、鬱の人間には午後から活動できる仕事なんて夢のようだなぁ、とのんきなことを考えてしまった。


そしてリハーサルがはじまり、音響設備が最悪でバンドメンバーたちの機嫌がどんどん悪くなるなか、僕はお店のスタッフとの細かい打ち合わせを任された。

会場のテーブルや椅子の配置はどうするのか、チケットは入場時に半券を切るのか1ドリンクサービスの時に切るのか、次から次へと届くお祝いの花輪はどこに飾るのか、照明のあたりが悪いのではないか、ボーカリストA君のステージ入りと、はけはどのような動線で行うのか。

そう、雑用。

だってそれしかできることないんだもん。
むしろ、事前打ち合わせが一切ないまま、

「桐原君、あとはお願い。」

と言った社長の一言でここまでこなした僕はえらいと思う。(誰も感謝してくれないので自分で褒めておく。)


そして本番を迎えるわけだが、意外にも会場は満員御礼。立ち見もでる状況になっていた。
とは言え、小さな会場だったから100名程度だったのではないかと思う。

それでも僕の心の声は
「え~?なんで?何がよくてここにきているの?」
と疑問を抱え込んでいる。

ライブ中、僕は何をするわけでもなく、ステージ脇にたち、バンドメンバーの演奏とボーカリストAの歌声を聞いていた。

何度聞いても、僕にはなんの魅力も感じないのだが、なぜか会場は盛り上がっている。

不思議な国、徳島・・・。

いや、多分、ここにきている人たちがマニアなだけなのだろう。

ドラムの爆音と奇声をあげるファンの皆さん、忙しそうに動くお店のスタッフ・・。


僕はここで何をしているのだろう。
ここは僕がいる場所ではない気がする。
おそらくそうだ。いや、絶対にそうだ。
ここは僕の居場所ではない。


頭の中でそんな思いが駆け回るなか、お客さんの一人が僕のそばにやってきて耳打ちをしてきた。

「あのね、他の店のことで悪いんだけど、60年代の曲ばかりやっているバーって他にないかしら。」

僕はこの店のスタッフではない・・。

「あらごめんなさい!フロアマネージャーかと思って・・。じゃぁ誰に聞けばいいのかしら?」

そんなこと知らない。タウンページで探せ。
そして入れ替わるようにやってきた二人目のお客さんはこう言った、

「ブルーハワイもう一杯。」

だから僕はこの店のスタッフでじゃないって。


あ~何やってんだ。俺。


全曲目が終わり、アンコール曲も4曲ほど歌ってやっと終了を迎えたライブ。
僕はCD販売の係となり、帰路に着くお客さん相手に売り込みをはじめる。

「こちらでCDを販売しておりま~す!ぜひどうぞ~!今なら本人のサインつきでーす。」


何やってんだ。俺。



その後会場の後片付けや関係者へのお礼周りを行い、すべてが終わったのは0時前だった。

そう、そして予想どおり彼らは「打ち上げ」に突入するのである。
さすがにその頃には、僕の精神も肉体も疲弊しており、一刻も早く一人になりたかったので、「調子が悪い」なんて嘘をついて一人ホテルに帰り、シャワーを浴びてやっと一息ついた。


疲れたなぁ・・。


髪の毛を乾かしながら、もらったCDを何気なく見ていると、ジャケットのスタッフ欄に見覚えのある名前が・・


「マネージャー:桐原亮司」


え~・・・。
なんで今日はじめて会ったのにCDに名前がはいってるんだよ・・。


結局彼らの打ち上げは朝まで続き、ボーカリストA君も社長もグダグダに酔いつぶれ、翌日の業務に大きな支障をきたした。

本当は、「これからもマネージャーよろしく。」とのたまう社長やA君と今後のことについて話をしたかったのだが、そんな余裕はないようだ。

なんとなくあやふやなまま、徳島駅まで見送られた僕は、帰りの便の都合で高速バスに乗って神戸空港へ。

ところが「チケットの清算に使って」と渡された社長のクレジットカードが使えないというトラブルが発生し、搭乗手続きの締め切りが刻一刻と迫る中、JALのお姉さんと僕は二人でパニック状態に陥った。

結局、仕方がないので僕が自腹で二万円を払い(株主優待券を使ったので安かったのです。)なんとか予定していた便に乗り込むという間抜けっぷり。


帰りの飛行機の中で、
「やっぱり自分には向いていないなぁ・・。なんで徳島まで行ってこんなに疲れてるんだろう。」
なんて考えながら、帰り際に社長から「今回のバイト代」として渡された封筒をあけてみる。


そこには一万円札が一枚、申し訳なさそうに入っていた。


知り合いだし、そんなに大きな会社でもないので最初からバイト代はあてにしていなかったし、自分がお金を出さないですむならそれでいいや、と思っていたのでその額に不満は感じなかったが、自分が帰りのチケット代を支払っていることにふと気づいた。

一万円もらっても二万円自腹を切っているので、結局一万円の損である。




なんか、本当に、何やってるんだろう。



なんとも言えない思いのまま居候中の家にたどり着いたのは21時くらい。
リビングのドアをあけると、






母が電話をしながら泣いていた・・・・。





あ~・・・いつもの現実・・・。もう嫌。







僕の人生、どこかが間違ってる。絶対に。













しんどい

2008-04-09 21:44:17 | Weblog
4月9日



追加の睡眠薬と安定剤を飲んで、やっと眠りにつけたのは午前8時過ぎだった。


母が金切り声をあげている。
ドンドンと足音をたてるように歩いてきて、僕が居候している、物置と化した部屋のドアを遠慮なく開け放ってこう言った。

「あんた、また仕事いかないつもり?!まったく×△○□…」

仕事の件は既に話してある。
すくなくとも今回の欠勤のお陰で参加できる研修カリキュラムが変わっており、その新しいカリキュラムに入れるかどうかも派遣会社の担当者と調整中である。

僕は枕に顔を沈めたまま、母が部屋をでていくのを待つ。
ひたすら黙って耐える。
睡眠不足の自分にヒステリックな母と闘う力はなかった。

母はいつもぶしつけである。
何度言っても部屋のドアをノック無しにあける。

一度そのことについて抗議したことがあったが、その時の母の言い分はこうだった。

「ここは私の家だよ?自分の家の部屋をあけるのにとやかく言われる筋合いはないわ。あんたは家賃払ってるわけじゃないでしょ?頼んでこの家にいてもらってるわけじゃないんだから、不満があるなら今すぐ出ていきな。」

それ以来、母とノックのことで議論するのを諦めた。


母は部屋のドアを開け放ったままリビングに戻っていった。
それでもまだごちゃごちゃわめいてる。

「深夜まで起きているのが悪い」
「働く気がないんだ」「怠け癖がついている」
「まったく情けない」

夜更かしをしているのではなく、眠れないのだ。
夕方以降になって動き出すのも鬱病特有の日内変動で…。

はぁ、もうやめた。何度言っても理解してもらえないなら言うだけ無駄である。

母はまだ何か言いたそうだったが、最後は

「私の育てかたが悪かったんだ…」

と涙声の捨て台詞を残して職場に向かった。

なんでもいいから、寝かせてくれ…。




起床したのは16時過ぎ。
少し外出をして今、帰りの電車の中でこのblogを書いている。


明日は朝一で飛行機にのり、徳島までいかなければならないのだ。
早めに寝ておかないと…。


徳島で何が起きるかは後日のお楽しみと言うことで。


はぁ…しんどい。

そして今日も

2008-04-08 19:59:07 | Weblog
4月8日



今日も会社を休みました。
研修期間中ですが、さすがに三日も休むと派遣先からクレームがくるわけで・・・。


担当営業さん、ごめんなさい。


なにもかもがね、もう、いやなんです。
相変わらず母は(も)おかしいし。


どうなっちゃうんだろ。





消えてしまいたい

2008-04-07 23:00:09 | Weblog
4月7日


今日、会社を休んだ。
金曜日も休んだ。


久しぶりに鬱だ。
もうなにもかもが嫌だ。
消えて無くなってしまいたい。

ベッドの中で目を閉じたまま、いっそこのまま死んでしまえばいいのにと思う。


一昨日の深夜、寝ているはずの母が絶叫して起き出してきた。

今朝は日も明けぬうちから声をあげて泣いていた。

そして今、彼女は留守電に残された一本の知らぬ番号からの着信にひどく怯え、あちこちに電話をかけている。

狂ってる。

みんな狂ってる。



もう、嫌だ。

研修初日

2008-04-02 21:43:21 | Weblog
4月2日



(パソコンがないのでネットカフェから書いています。)




今日から派遣先での研修が始まった。
登録している派遣会社からの派遣は僕をいれて2人だけ。
さぞかし寂しい研修になるのだろうな・・・と思って研修室に入ったら、


Σ( ̄□ ̄;!!


狭い室内にざっと40人の男女が着席している。
たぶん、この街にある派遣会社の大半がこの案件に関わっているのだろう。
だって、僕たちより先に120名ほどのメンバが研修に参加しているというのだから、この小さな地方都市では、2~3社の派遣会社ががんばったところで短期間にそんな人数は集められるとは思えない。

後で聞いた話だが、驚くことにこれでも足りなくてさらに募集をかけるらしい。

どんだけでかいセンターを作るつもりなんだろう・・。

今日は初日ということもあり、「えらい人」の挨拶を長々と聞かされたり、
コントだかシリアスだかわからない研修用ビデオを延々と見せられたり、
何かの宗教施設に迷い込んだのではないかというような一日だった。

研修の最後に一人一人自己紹介(!)をさせられたのだが、名前のほかに必ず前職とコールセンター経験の有無を話すように言われたものだからたまらない。

40名が順々に、「私は前はこんな仕事で・・」なんてしゃべりだす。
そんなこと、なんで言わなきゃいけないんだよ、って思っていら案の定、

「前職は・・・ないんですけど・・。」

学生というかニートというか、なんだか知らないが事情があって仕事についていなかった男の子が気まずそうに挨拶をしている。

ほらね、かわいそう。


男女比は半々だったが、9割がコールセンター経験者だった。

自己紹介も8割がた終わり、後は僕を残して数名。
いよいよ僕の順番になった。
簡単にしゃべって終わらせよう・・。


「桐原亮司といいます。コールセンター経験は足掛け10年ほどになります。前職ではスーパーバイザーとしていくつかのセンターの立ち上げと運用に携わり・・」

ここまでしゃべって、「あ、しまった・・。」と思ったがもう遅い。
会場が一気にざわついた。

なんでSVやってた人がこんなところの派遣社員のオペレーター研修に来てるの?

と、みんながささやきあっている。(幻聴ではありません。念のため。)



「・・え、っと。本格的なテクニカルサポートは久しぶりなので0(ゼロ)から勉強させていただきます。よろしくお願いします。」


はぁ・・・。
僕だって好きでこんなところに来てるわけではないのだよ。

余計なことを言ったおかげで僕の周りには変な壁ができてしまった。



明日から行きたくねぇ・・・。




帰り道、書店によってIT関連の解説書を五冊買いました。
だって負けたくないんだもん。


また、金が減っていく・・。



明日も朝から研修だ。
今夜中に一冊読破しておかねば・・・。







あ~いやだよぉ。






<追記>
就業中の注意としてドレスコードの話があった。
「スーツじゃなくてもいいけど、ビジネス・カジュアルで・・。」

イマイチよくわからない。
その文の下に具体的な例が書いてある。
・ジーンズ:可とするが、破れているものや、下着が見えそうなくらい下げて履くのは不可。
・Tシャツ:袖があるものは可。ランニングシャツや首元が伸びてグダグダなものは不可。


ここまではまぁいいとして・・・
・男子は眉毛を細くしてはいけない。

は?

・携帯電話の持込は不可とする。見つけた場合は没収。常習者の場合は没収したまま返さないこともある。

は??返さない、っていくら規則違反でも「返さない」権利はないだろう。お前らは中学校の教師か!


更に・・・

・髪型は華美でない程度の着色は可。(ヘビメタ、パンク風な髪型は不可)


ヘビメタって・・・・X-JAPANの再起動に影響されたのか?(笑)
挙句のはてには、


・民族衣装、和装での就業は不可とする。


・・・・・そんな格好で仕事にくるやつなんていないだろう・・(-_-;




なんか・・・やっぱりいやだな。






パソコン売りました

2008-04-01 22:07:52 | 社会復帰編
4月1日



エイプリルフールですが、嘘ではありません。

お金がない上、請求書やら督促状やらが山のようにたまってしまったので仕方なく金目のものを売りました。

パソコンと本を20冊くらい。


これで携帯がとまらずにすみます。

ちなみにこの記事は携帯から書いてます。
書きにくいです。

さらに言うと明日から仕事です。
以前うけた派遣のクライアント面接がとおりました。

今回は五人うけて受かったのは僕をいれて二人だけだそうです。

今月中は土日休みで、勤務といいながら実際は研修なので少し気が楽です。

しかし、過去に研修中に落とされていく人が結構いたようなのでどんな研修なのかちょっと心配です。



それにしても携帯からblogを書くのは疲れます。


いつまで続くかな…。

母の薬。

2008-03-31 22:57:29 | 社会復帰編
3月31日


先日の記事からおよそ2週間、母は仕事に行かなかった。
いつものようにリビングに布団を敷いて、家事も放棄し、一日中布団の中に引きこもっていた。

二日めの朝、僕がリビングに入ると、母は布団の上に座り込んで泣いていた。
声を立てずに、さめざめと泣いていた。
その様子は、この世の全ての不幸を一身に引き受けたかのようであり、見る者の心に不安をかきたてるものだった。

三日めの午後、僕が母のいるリビングに入ったとき、彼女は布団の中で沈み込んでいた。
リビングのテーブルの上には薬局から処方されたと思われる薬袋が置かれており、既に何錠か服薬した痕跡がみられた。

薬袋の隣に無造作に広げられた薬の説明書には、「デパス」(精神安定剤みたいなもの。)の文字があった。


僕はたったまま久しぶりに母に声をかけた。


「・・・病院、行ったの?」


母が言うには、最初にメンタルクリニックに行ったものの、新患は予約が必要だということで門前払いをくらい、仕方が無いので近くの神経内科に行ったのだそうだ。

神経内科の医師は母に「心が落ち着き眠くなる点滴」をし、デパスを処方した。
そして近いうちに専門のメンタルクリニックで診察を受けるよう助言したらしい。


デパスを服用するようになってからも、母はリビングに敷かれた布団の中にこもったままだった。

夜になると毎晩のようにどこかに電話をかけては、声高にいかに今の自分の状態が苦しいものであるのかを早口でまくしたてていた。

相変わらず夜は眠れていないようだ。

そして母は、この「出社拒否」の期間中に福祉職専門の職業斡旋機関に出向き、転職のための履歴書を提出したようだった。







それから数日が経過して、今朝、母は職場に復帰した。
復帰したという表現が正しいのかどうかはわからないが、ひとまず出勤するところまで復活したようである。

だが、今の職場で働くことに対するモチベーションはほとんどないようだ。


明日の仕事はどうする気だろう・・。



親子で共倒れする日も、そう遠くないのかもしれない。




この“子”にして、この“親”あり。

2008-03-20 02:29:21 | 社会復帰編
3月19日



枕元の携帯電話が鳴った。

まどろんだ意識のなかでディスプレイを確認する。
一般固定電話の番号からだ。
しかしその番号に覚えは無い。


無視。。。


僕の眠りを妨げるものは、例え恋人であろうとも、僕の逆鱗にふれる。
(怒っても怖くないですけどね、僕。)


そして僕は再び眠りの淵へ落ちていく。



どれくらい時間がたっただろう。
隣の部屋で物音がする。
僕の部屋(という名の物置)はリビングに繋がっている。

母と二人暮らしの僕。
今日は平日で母は朝から仕事にでている。・・・はず。


じゃぁ、誰だ??


呑気にベットから起き出してリビングに入ると、そこには憤懣やるかたない顔をした母がコートを脱いでいた。


「・・・仕事は?」

「帰ってきた。母さん、仕事辞めるから。いいでしょ?」


きた。
ついにこの日がきた。


日頃から職場の上司から冷遇~というか嫌がらせ~を受けている母。
中間管理職でありながら、歯に衣着せぬ物言いで意見を主張するので敵も多い。

去年辺りから散々もめてきたが、ここにきてついに堪忍袋の尾が切れたようだ。


僕は何も言わずに自室に戻りベットにもぐりこむ。
数分と立たぬうちに母の興奮した声がもれ聞こえてきた。
どうやら、どこぞやに電話をして今日の出来事の一部始終を、つまり職場での不当な扱いに対する不満を誰かにぶちまけているようだ。

いやだいやだ。。。

この記事をお読みくださっている方の中には、愚痴の一つくらい聞いてやればいいのに、と思われる方もいるかと思うが、母の愚痴は半端じゃない。
たぶん、一般人なら数時間きかされただけで、この人とは一生関わりたくない、と思わせるだけの暗黒の力を秘めている。

現に、そのせいで妹は、つまり母の娘と母とは疎遠を通り越して絶縁関係にある。


(余談だが、先日、妹が結婚した事をしらされた。披露宴は東京で行い、親戚一同大集合だったらしい。しかも去年の12月の話だそうだ。無論、母も僕も招待されてはおらず、母にいたってはその事実すら知らない。その点については気の毒きわまりない。)

ベットの中に戻った僕は、布団を頭からかぶり、CDで中島みゆきのアルバムを流す。持論だが、中島みゆきは鬱に効く。マジで。

布団の上からも、中島みゆきの歌声を多いかぶるように隣室の母の声が漏れ伝わってくる。
しかも、時間がたつにつれ、口調も、声量もますます大きくなっていく。

いったい何人を相手に話しているのか。

電話相手に気の毒な気持ちを感じながらも、その役割は僕にはできないとかたくなに拒む。


ふとんの中に潜って音楽を流しても耳にはいってくる母の“ぼやき”は、職場でいかに自分が不当な扱いを受けているかの一点に論点が集約されているようだ。


どうやら今回は本気で仕事を辞めるつもりらしい。

別にいいけど。



母子で無職。



生きていけるのだろうか。







ふと気になって携帯を見ると、先ほどの着信の後に留守電マークがついている。
再生すると、先日派遣先との顔合わせを終わらせた派遣会社の担当者からの伝言が録音されていた。

先日の顔合わせ以来、かれこれ一週間が過ぎようとしていた。

留守電に残されたメッセージによると、採否の連絡は今週末か週明け月曜日になるとのこと。

当面の生活のことを考えると、いつまでも無職でいられるわけもないのでなんとか受かっていて欲しいが、長い眼で見ると、この歳で派遣で、しかもコールセンターのオペレーターとかやってる場合じゃない、という気もしてくる。

たまに書店で購入する「ハーバードビジネスレビュー」(HBR)という高額なビジネス論文集だけが、僕の最後のプライドだ。


まだ電話で話している母を尻目に、僕はシャワーを浴びて駅に向かった。
今日は2週間に一度の通院日だからだ。

時間外診療で予約もしていなかったので、2時間半待たされた。
そして主治医とはとりとめのない話をし、仕事がなかなか決まらなくて困っていますという話しをした。

そんな僕に主治医は、

「焦ってはいけません。最初からフルタイムで働こうとすると身体がついていかない恐れがあります。できれば一日4~6時間、週3日程度で始めるのが良いと思います。」

ウチの主治医はたまにこんな風にトンチンカンなことを言う。
そんな仕事、アルバイト以外にあるわけがないし、だいたいそんな勤務で得られる給与で生活していけるわけがないだろう!

休職をすすめるときもそうだったし、復職にあたってもひどく慎重だった。

鬱の療養の基本は充分な休養にあることは百も承知でいうが、医者は、少なくともウチの主治医は、いい年をした社会人が、会社や社会から一定期間離れるということの重大性が理解できていない。

ましてや療養開始からもう何年目?という感じで世間から遠ざかっている三十路男が社会に復帰するということの難しさをどう考えているのだろうか。


所詮、これが医者なのか、と半ばあきらめてみたりもする。
精神療法なんて名ばかりで、ただの雑談なんだから、医者は処方箋だけだしてくれればいいのに、と本気で思う。


今日の通院の収穫は、薬が大幅に削減されたことだ。
ここ数週間はもっぱら、精神系の薬しか飲んでこなかった。
大量の薬を飲むのが面倒くさい、ということもあったし、精神系以外の薬が、副作用を抑える、若しくは緩和するための薬であることは承知していたので、別に飲まなくてもいいや、という感じだったのだ。

現に飲まなくても、飲んでいたときと副作用の症状はかわらない。
相変わらず便秘がちだし、口は渇くし、手は震える。
それに経済的な問題もあった。
薬の量が多くて、カネがかかるのだ。

無職無収入の僕には4桁の買い物は高額商品である。


事情を話すと、主治医は以外にもあっさりと減薬に同意してくれた。
その上、はずすことのできない精神系の薬も可能な限りジェネリックに代えてくれた。

この辺りの対応は柔軟なのだ、ウチの主治医は。



「それでは、また二週間後、お薬が切れる前に状況を報告してください。」


その頃には働いていたいものである。


そして母は・・・どうしたものか・・。



この“子”にしてこの“親”あり。


僕の観察が間違っていなければ、彼女もきっと病んでいる。間違いなく。



大幅減薬。

2008-03-20 01:37:13 | 現在の処方箋
3月19日

経済的な理由により、主に副作用を抑える目的で処方されていたお薬が大幅にカットされました。

また、いくつかのお薬はジェネリックに変更されました。

無職ってイヤですね。。。



■心療内科
<毎食後>一日3回
・デプロメール50 50mg×1錠
・アナフラニール 25g×2錠

<食前>一日3回
・ツムラ防風通聖散エキス顆粒(医薬用)×1包


<睡眠前>
・フルニトラゼパム錠2mg「アメル」×2錠
・ミンザイン錠0.25mg×1錠

恐怖の10割負担。

2008-03-07 00:43:26 | 社会復帰編
3月6日



枕元の携帯がなった。

メールだ。

時計は6:30AMを示している。
こんな時間に誰だ?と思いつつ携帯を開くと、そこにはかつての同僚Mさんの名があった。

Mさんは既婚で小学生のお嬢さんがいらっしゃる。
しかし、僕なんか足元にも及ばないほど強烈な両極性障害(躁うつ病)に罹っている。飲んでいる薬の量も、発病から今までの期間も僕の比ではない。

「朝早く眼が覚めたから会社にきてみたけど、さすがにこんな朝早くから重たい仕事にとりかかる気にはならないね。やっぱり会社は定時出勤に限る。とりあえずコーヒー飲むよ。」

Mさんはとてもいい人だ。
僕が鬱病が原因で初めて休職することになったとき、帰り際のエレベーターホールで、小さな付箋を渡してくれた。

「俺も、一緒だから。」

にこっと笑ったMさん。
付箋にはMさんの携帯電話番号とメールアドレスが書かれていた。
それ以来、鬱でどん底にあるときにも、Mさんが励ましてくれた。

「同じ病気だからわかるんだ。」

その言葉はとても心強かった。
僕はいわゆる“躁鬱”ではなく、ただの鬱である。
しかしMさんは、“躁鬱”。

落ち込みがひどいときには起き上がることもできないが、調子がいいときは今日のように夜明けより早く起きて、とんでもない時間に会社に出勤している。

Mさんの口癖は、

「俺はこんなだからさ、もうどうしようもないけど、娘にはね、人並みの幸せをつかんでもらいたいんだ。」

今も時給で働くMさんのデスクには、いつもお嬢さんの写真が立てかけてあった。

そんなMさん、今日は“躁”の状態らしい。


「いくらなんでも早起きすぎますよ(笑)」

とだけ返して、僕は再び眠りについた。


その後何度か眼が覚めたが、なかなか起き上がることができず、予定していた外出時刻を2時間もおしてしまった。
今日は区役所に健康保険証を作りに行かなければならない。
ついでに、自立支援医療の手続きも更新しなければ。

シャワーを浴びたり、なんだかんだとやっているうちに、区役所についたときには、もう16時になっていた。

平日の夕方だというのに、その窓口は意外にも込み合っている。

数十分待たされてやっと僕の番になった。


「あの・・会社を辞めまして・・国保への加入手続きをしたいのですが。」

会社から発行された社会保険の資格喪失証明書と、国保への加入申し込み書類をあわせて、窓口に座っているおっさんに提出する。

おっさんは早口に何かをまくしたてるように言い、ひとりごとのように何かをつぶやきながら、パソコンのキーボードを人差し指でリズミカルに叩いていく。

「ありゃ、あなたね、これ、ダメですよ。△□×★・・・。」

後半は何を言っているのか早口でよくわからなかったが、辛抱強く聞いているとおおよそ次のようなことを言っているようだった。

社会保険(健康保険)の資格を喪失してから、国保へ切り替える手続きは、資格喪失の日から14日以内に行わなければならないらしい。
僕の場合は、1ヶ月以上すぎてしまっているので、その間に受けた医療費は保険でまかなうことができない=全額自己負担(10割負担)になるという。

マジッすか・・泣

前回の受診の際、僕は医療費を“ツケ”払いにしてあった。
今日は薬が切れているからなんとしても病院にいかなければならない。
区役所を後にした僕は銀行により、なけなしのお金を引き出し、夜間診療中のいつもの心療内科(精神科)に向った。

受付のお姉さんに事情を説明し、ひとまず前回分の医療費を支払う。
今回分は国保なので3割負担。
その後同じビルにある調剤薬局へ。
ここでもまず前回の“ツケ”を支払い、今回分の薬代を払う。

そんなわけで、本日支払った医療費は、

1万4千円也。

無職無収入の身にはかなり痛い出費である。


その後、もう何ヶ月も放ったらかし状態の眼科に久しぶりの定期検査を受けに行ってきた。
ここのところ眼の調子が悪いので心配だったのだが、幸いにもまだ“網膜剥離”の状態にはなっていないとのこと。
但し、周囲の変性が進んでいるのでこまめな検診と、可能であれば予防的措置としてのレーザー治療を薦められた。

両眼とも。


え?両眼???

左眼だけじゃなかったの?

人のよさそうな眼科医は、僕の眼球にレンズを押し付けながらつぶやいた。


「うわぁ・・・こんな風になっちゃったか・・。まずいね。」


確実に病状は進行しつつあるようである。
しかしながら、片眼5万円はかかるというレーザー治療を受けるだけの金銭的余裕は今の僕にはない。

なんとかこのまま頑張ってくれ、僕の両目!!


仕事がみつかり、収入がおちついたら治療を受けよう。
さすがに両眼とも網膜剥離なんてしゃれにならない。

なんだかなぁ・・。





明日は昨日とは別の派遣会社にいって仕事の紹介を受けてくる予定だ。

あまりめぼしいものがなければ、昨日の体育会系の営業君がすすめてくれた仕事にしよう。


とにかく、稼がなきゃ・・・。