実は私自身、母親に“ありがとう”と言った記憶がない、31年前の別れから...今日、こんな記事を見つけた。
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝い
みたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二
人で質素に暮らしていけた。娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。ある日、母が勤め先から
プロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華
な弁当を作ってくれた。野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは招待
券ではなく優待券だった。 チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、帰り
の電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外のベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しか
ったよ」と言ったら、母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。俺は母につらい思いをさせた貧乏と
無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
結婚もして、母に孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、
最後まで声にならなかった。
感謝の意、そう簡単に伝わるものではない、でも本当にありがとう思える瞬間、むしょうに相手に伝えようと思い
ませんか!?、何でもそう感じた事、思えた時、素直に伝えようと感じた!
監督
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝い
みたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二
人で質素に暮らしていけた。娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。ある日、母が勤め先から
プロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華
な弁当を作ってくれた。野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは招待
券ではなく優待券だった。 チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、帰り
の電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外のベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しか
ったよ」と言ったら、母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。俺は母につらい思いをさせた貧乏と
無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
結婚もして、母に孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、
最後まで声にならなかった。
感謝の意、そう簡単に伝わるものではない、でも本当にありがとう思える瞬間、むしょうに相手に伝えようと思い
ませんか!?、何でもそう感じた事、思えた時、素直に伝えようと感じた!
監督
素敵で切ない話ですね。
さっそく監督に・・「この話、書いてくださってありがとうございます」
変わろうと思います。
「ありがとう!」の言葉は伝えたいときに
伝えた方がいいですよね。
タイミングを逃してしまって後悔することが
よくあります。
これからは自分でも気をつけ、母としても
わが子にこの事を教えていこうと思いました。
素敵なお話、ありがとうございました。