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蛙の掘立小屋~カエルノホッタテゴヤ~

蛙のレトロ探求と、本との虫と、落語と、日々の雑事。

大正・昭和ジェネレーションギャップ

2005-06-04 21:39:05 | れとろ・とりっぷ
当たり前ながら忘れがちになるのが、ジェネレーションギャップはどの時代にもあったということです。例えば、それが江戸時代から明治に変わったような、歴史の教科書に載るような大変革なら、夏目漱石『こころ』だの、岡本綺堂『半七捕物帳』だの……といった形で、作家や作品名が試験勉強的知識でゴロゴロ出てきます。しかし、現在私たちが一緒くたにしてしまいがちな、明治~大正~昭和にかけても、結構深刻な(?)ジェネレーションギャップがあったワケです。今日はその証言を一つ。

証言台に立つのは、横溝正史。彼の生み出した金田一耕助こそ、現在の名探偵たちにDNAをもっとも多く残したキャラクターの一人でしょう。さて、正史が戦前、雑誌『新青年』の編集に携わり、江戸川乱歩の担当として腕を振るっていたのは、ちょっとこの時代の探偵小説に興味を持っている人間なら誰でも知っていること。また、二大巨頭の厚い絆は、今更言うまでもありません。
しかし。その乱歩が、『新青年』と担当横溝青年に大いに気をクサらせていた時期があるようなのです。

(…略…)さらに昭和3年には高田の馬場ちかくへ引っ越して、さらに大規模な下宿屋をはじめ、大いに奥さんを酷使しながら、自分は何もしようともせず、クサリにクサリ切っているものだから、いたって平凡な常識人であるところの私は、呆れ返ってものもいえなかった。そのことについて乱歩はつぎのように書いている。
(前略)ところで、本当のことを白状すると、実は私を駄目にしたものは「新青年」なのである。横溝君が主張したところのモダン主義という怪物が、旧来の味の探偵小説を、まことに恥しい立場に追い出してしまった。もはやルブランか、然らざればリーコック、ウッドハウス、乃至はカミ、上品なところでフランス式コントにあらざれば、「新青年」に顔出しが出来ない空気が醸されてしまった。(中略)即ち私の如き、やけくそな、自信のない鈍物は、昨日の幽霊の如く、はかなくも退場すべきときである。(後略)

戦後この文章を読んだとき私は愕然たらざるをえなかった。そういえばその当時、
「いまの新青年みたいなモダン雑誌に、ぼくみたいな作家は不向きだろう」
と、いうような言葉を二三度乱歩から聞いた記憶があるが、乱歩がかくも被害妄想狂であり、かくも私に対して遺恨コツズイであり、深讐メンメンであったろうとは、真実私は思いもよらぬところであった。私が「新青年」をすっかりモダンでダンディーな雑誌に改造したのは、私なりの主張なり意見なりがあってのことだが、それに触れることはここでは控えよう。私はモダン趣味と探偵趣味は両立しうると考え、「新青年」はつねに乱歩を必要としていたのである。


『横溝正史自伝的随筆集』(角川書店 H14年5月25日初版 ISBN4-04-883746-X)より。
この部分だけを読むと、二人の仲が誤解されそうだなぁ(苦笑)。探偵小説という土俵の上では、お互いに歯に衣着せぬ物言いを出来る相手だったということで、ご理解ください。
それにしても、乱歩の「モダン」に対するこの疎外感は何でしょう!思い返してみれば、『押し絵と旅する男』の浅草十二階や、覗きからくり、『パノラマ島綺譚』をはじめとするパノラマ……。震災前の東京を感じさせる言葉です。
一方、正史は「モダン」と「探偵」小説は両立できると主張。彼にとっては、自己表現の重要な二つの柱だったわけです。戦前の由利先生ものではホームズの『四つの署名』ばりにモーターボートと汽船のリバーチェイス、ミッキーマウスのお面をつけて仮面舞踏会……。昭和の匂いがする部分が見受けられます。
大正浪漫と昭和モダン。時の流れが止まるときは無くとも、区切りというものは確かにあるようです。

砂上楼閣の物語・粟ヶ崎遊園のアワジェンヌたち

2005-05-27 21:24:35 | れとろ・とりっぷ
内灘砂丘は、日本で二番目の砂丘だそうです。
すっかりアスファルトの下になっており、その存在は気がつけなくなっています。
日本三大砂丘に数えられることも無い……。
しかし実際その上を歩けば、時計とあなたの足が、その大きさを教えてくれるでしょう。
そして、この砂丘の一端には、「北陸の宝塚」といわれた、
粟ヶ崎遊園がありました。



写真は本館ゲート跡です。現在、内灘町風と砂の館にて保存されています。このゲートをくぐると、そこはお洒落な喫茶・洋食、くつろぎの温泉、小さな動物園、そして少女歌劇によるステージがありました。
手本にしたのは、宝塚。鉄道+娯楽施設という発想。呼び物に劇場、少女歌劇。実際、宝塚出身のスター・宝生雅子―本場出身で芸も上ということで女優たちの中ではボス的存在だったそうです―も活躍しました。
最も客ウケしたといわれているのは、壬生京子。風と砂の館の粟ヶ崎遊園コーナーには、彼女が引退するときファンにあてた手紙をガリ版で刷って、横に切り取り線とメッセージ欄がついており“励ましのお便り”を出すことが出来る、実にファン心理を巧みに突いた笑っちゃう展示があります。
舞台の外でも彼女たちと触れ合うチャンスはあり、例えば隣接の海水浴場では変装した女優を探し出すというお茶目で、ちょっとお色気路線の(しかし現在から見れば随分微笑ましい)催しが開かれたこともありました。
少女歌劇のほかにも大衆芸能、コミックバンド等の出演があり、売り出す前の益田喜頓もここで芸を磨きました。

皆様
不景気の声に聞き飽いた頭脳!
間断ない生活戦線に疲れた体!
すべての不平不満に煩わされた心!
そんなものは、みんな過去の破れた麦わら帽子と一緒に河北潟へ流してしまい、そして朗らかに愉快に秋の一日を心から楽しく過ごしましょう……。

昭和5年(1930年)のチラシの文句です。
世界中に戦争の不安が広がり始め、それを否定するように大量生産型の大衆文化、ハリウッド風俗を始めとするアメリカナイズに明るい夢を見ようとしていた時代と、現在の、何と似ていることでしょう。

やがて、少女歌劇の内容は軍事色的なものになっていきました。
そして、休園となり、軍需工場に転用されました。
昭和26年、せめてもの慰めのようにオリンピック観光博覧会が開かれました。
その後、建物は売却。
現在、先にご紹介したゲートのみが、移築され残っています。

「市民のための別荘を」この遊園を開いたのは、北陸の材木王といわれた、平沢嘉太郎です。
蛙の記憶が確かなら、泉鏡花記念館の裏・久保市乙剣宮の境内から浅野川へ降りていく「くらがり坂」の出入り口の門柱だか鳥居だかに、寄進者として彼の名前が刻まれています。

内灘町発行の、『粟ヶ崎遊園物語』を参考にしました。風と砂の館で手に入ります。レトロファンにお勧めの名著です。

ここのことかな?と思ったレトロスポットについて

2005-05-23 23:57:22 | れとろ・とりっぷ
『サクラ大戦イラストレーションズ』をお持ちの方は、最後のラチェットのページ・米村孝一郎さんのコメントをご覧ください。

米村さんの街には少女歌劇団があった、らしい。

読み進めて行くと、その歌劇団が出来た時期や消滅した時期、その跡地の地理的条件が、蛙の知っている「かつてあった少女歌劇団」に重なります。

米村さんのプロフィールを確認したところ、同県人であることがわかりました。
……ということは、あそこのことかな?

ということで。
後日、ある地方都市にあった砂上楼閣の話をしたいと思います。

本日は予告のみにて、失礼。

レトロアンテナ・蛙の小耳…砺波市美術館にて『アンリ・ラルティーグ』展開催!

2005-05-19 20:53:21 | れとろ・とりっぷ
チラシ係、再び横領。舞い込んできた展示のお知らせチラシがあまりにレトロで格好よかったので、思わずファイル分のほかに、自分用に除けておきました。

『ジャック・アンリ・ラルティーグ氏の優雅で幸せな写真生活』の情報をご覧ください。

チラシのプロフィールを見る限り、腹が立つくらいマジで『優雅』です。6歳のガキンチョにカメラかよ!今の価値観じゃ、ハイビジョン撮影用のカメラをやるようなもんじゃないかっ!!(誇張しすぎ?)とあまりに優雅すぎて、眩暈がしてくるやら……。

しかし、本当の「上流階級」がいた時代のお坊ちゃんならではの、華やかでありながら素直で、衒いの無い(?)写真の数々が展示されるようです。上流とはどんなものだったのか、その空気を感じることができそうです。
5月28日(土)~6月26日(日)富山県砺波市近辺へお出かけの方は、是非。

レトロ資料の罠……例えば小説はどこまで信じていいの?編

2005-05-18 22:29:02 | れとろ・とりっぷ
アシモフの『黒後家蜘蛛の会』のとある短編を読んでいて、面白いなと思った一節があるので、引用します。

…(略)…。しかし、勤勉なミステリ作家が食っていくためには、現実には無いことを書いて当たり前ではないかとも思う。
論より証拠に、アガサ・クリスチィの作品を見るがいい(何と言ってもクリスチィはミステリ作家の鑑である。アメリカ人の言動について奇妙な偏見があることは事実としても、なおかつだ)。クリスチィの作品を真に受けるなら、イギリスの上流社会で家族の誰かが書斎で殺害されることのない家庭は皆無ということになってしまう。…(略)…。読者はミステリが現実世界の引き写しではなく、もともと作り噺であることを知っているのだ。


『黒後家蜘蛛の会 4』池央耿訳 創元推理文庫(ISBN 4-488-16705-5)15版より引用。
他はどうだか知りませんが、少なくとも『黒後家~』では短編ごとに必ずあとがきを書きます。これは『フェニキアの金杯』のあとがきです。
蛙の目から見て、どこが問題かと言うと……。
先ず「イギリスの上流社会で家族の誰かが書斎で殺害されることのない家庭は皆無ということになってしまう」はノー・プロブレム。演歌を真に受けたら不倫の他に恋愛の道はほぼ閉ざされてしまうようなものです。読者にしても、「ミステリが現実世界の引き写しではなく、もともと作り噺であることを知っている」ので、事件やトリックに関わる部分は、ハッキリ「嘘だ。作りだ」という意識で読めます。
しかし。これら作家と読者の駆け引きに直接関係無い部分は、結構無批判に受け入れてしまうものではないでしょうか。このソ連の田舎町に生まれ、アメリカに帰化した科学者作家は「アメリカ人の言動について奇妙な偏見があることは事実」と指摘していますが、ボンクラ蛙は言われなきゃ気がつかないです。「クリスティの巧みな人物描写が云々」とか、「人間心理に対する観察がドータラ」と言った解説に目隠しをされて……ね。
しかし、アメリカ人がそう指摘しているからと言って、クリスティのアメリカ観が全て間違っているかどうかも考え物。どの国籍であれ、およそ人間は自分の姿が見えないものでしょう?

どちらにせよ、「20世紀前半のある理知的な英国人女性から見たアメリカ観」という意味では、これほど雄弁な資料は無いわけです。
素人玄人を問わずレトロを扱う者としては、客観的事実と主観的事実の選別が重要になってくるわけです。探偵小説はまだいいが、その他のジャンルは純文学に近ければ近い程、隠微な嘘をつくような気がします。嘘の積もりを忘れさせる罠があちこちに仕掛けられているものは特に。

金沢隠れ名所?

2005-04-30 22:12:32 | れとろ・とりっぷ
今日のカテゴリーは「看板に偽りあり」というか、「羊頭狗肉」というか……。とにかく、肉は肉、懐古(レトロ)は懐古(レトロ)です。

……江戸時代だけどね(爆)。

今回の写真は、蛙が密かに金沢の隠れ名所だと思っているところです。
中心繁華(?)街・香林坊の地下道で、三叉になっている広場がありますが、そこに金沢城下図屏風をもとにしたタイルがあります。

仕事に精を出す職人さん。道端で知り合いと立ち話をしているお侍。初めての(?)お使いに行く丁稚さん。お坊さんが通りから店の人に何か言っていたり、料理屋では板さんが鯛(?)を捌いていたり。
川には護岸用の蛇籠を沈めている人々、加賀名物毛ばりの鮎釣に興じるお侍、渡し守に自分も乗るから待ってくれと叫びつつ川原を走ってくる人、小魚を捕まえて遊んでいる子供たち。
凧をげている子もいれば、お面を買ってもらっている子もいる。トンボを捕まえて糸に繋いでいる子。乞食の親子さえ、無視することなく描いている。

そんなこの絵が大好きです。
県指定文化財どまりじゃあ勿体無いンじゃないかと思うくらいの、名画です。
いや、マジで(爆)。

……というわけで、今度の連休に限らず、金沢に遊びにいらっしゃる方は、是非、覚えていたら足を止めてみてください。

笑うドクトル野口!

2005-03-25 21:50:03 | れとろ・とりっぷ
本日、カウンター業務(=もぎり)でふとお金のケースを見ると、目の真ん中各一本と顔の中心に綺麗な折跡がついた新千円札・野口英世がいらっしゃいました。お客様が笑わせたのでしょうか?定規で引いたような綺麗な線で、思わず蛙も笑わせてみました(爆)。ドクトルは笑うというより、笑うのをこらえているような顔をなさっていました。

さて、仕事柄、新旧両方のお札を見る機会が多いのですが……。新札は目が怖い!旧札の方はこう彩というか目の色・目水晶の部分が澄んだような透明感があったのですが、新札は目が空ろ!ほぼ真っ黒な目に反射お星さん5等星ぐらいのが一つ。続けて一万円の座を守っている福沢センセも目が違う。(勿論、目だけではなく、輪郭、白髪、全てが違うのですが)

気になって子供向けの『坊ちゃん』を引っ張り出し漱石先生のお札のモデルになった一番有名なご尊顔を拝しタテマツルと、確かに目の微妙な具合が分かるような気がする……。
さて、それでは新札は?
ネットでお札のモデルとなったと言われているドクトル野口の顔写真を見つけたので見てみると(ごめんなさい、万が一を考え敢えてリンクははらない)。……え?これも、結構目が澄んでいる印象があるんだけど??

これは単純に、原版をつくった職人さんの癖なのだろうか?それとも、モデルの写真に問題があったのか?
レトロと現代を繋ぐ謎が、また一つ……と、勝手に疑問に思ってみたのでした。

レトロでトマソン

2005-03-14 23:12:52 | れとろ・とりっぷ
本日は撮りためておいた写真でご挨拶を。
ご覧ください!
この堂々たる赤レンガの建物についた、優美なる白いドア。
そこに慎ましく輝く、真鍮の(?)ノブ。

写真で分かっていただけるか心もとないですが、コレは二階についているドアです。(下部中央に辛うじて一階のアーチきれっぱしが見える?)
勿論、外側から撮ったもの。

……一体何処から入れと?

この建物は、かつて専売公社でしたが、現在は市立図書館の別館・近世資料館として使われています。

ちなみに、トマソンについてはこちらか、
またはこちらをご覧ください。

レトロは微笑む~続地元歴博の新収蔵品展を見て

2005-03-08 22:15:35 | れとろ・とりっぷ
本日アップしましたのは、地元れきはくの館内の写真です。
「展示品は写さない」
「撮影可能の場所のみ」
という条件を守ったら、絵になるのは階段ぐらいになりました。
レトロ写真と呼ぶには、オーパーツが写っていますが。(さあ、みんなで探してみよう♪<爆>)
ちなみに、職員の方に許可を取って撮影、アップしました。

さて、新収蔵品展で気に入ったもの第二弾。今日はしんみり系でいってみます。
……と言っても、何故かしんみり大賞も軍事関係になった今年の新収蔵品ですが。
蛙の心に深く残ったのは、終戦処理記録です。絵葉書サイズのスケッチブックぐらいの帳面に、「終戦処理記録」だったか、そんなようなタイトルを墨書し、簡潔に姓と階級、そして極秘の朱印。一つの価値体系の崩壊と、新秩序の整備。その大変動の欠片が、小さな帳面に詰め込まれているのだと思うと、少し胸が熱くなりました。
この方は、一体どのような思いで、生き残った人々と物と、死んだ人々の決着をつけていったのでしょう。

そして、もうひとつのしんみり大賞(ダブル受賞です<笑>)は、地元農機具メーカーの部品です。提供者の方は、製品の一部や看板、宣伝幕なども寄贈してらっしゃったようですが、何より心に残ったのが、鉄のスクリューのようなもの。説明文には、戦後軍用品からの払い下げで手に入れた部品であることが書かれていました。兵器の一部かはともかくとして、軍事用品という非生産的鉄器として生まれたそれは、農業機械という最も根本的かつ生産的鉄器として余生を送ったのでした。