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蛙の掘立小屋~カエルノホッタテゴヤ~

蛙のレトロ探求と、本との虫と、落語と、日々の雑事。

名古屋レトロ・ハンティング

2005-09-06 22:56:08 | れとろ・とりっぷ
蛙の旅も3日目。2日目には雨に降られ、ホテル到着は遅れ、近所に晩飯を食えそうなところはあるけど出歩く元気もなく、自販機カップ麺を食った後、濡れたスニーカーを乾かし、靴の中敷を風呂場で洗い……。初日が順調すぎた分、ボチボチ運が落ちてきた模様。最終日はどうなることかと思っていましたが、案外良い滑り出しとなりました。
この日のテーマは、レトロハント。万博は先輩のお友達に只で券を貰ったのをいいことに、午前中で切り上げ。残りは、大須演芸場と名古屋市市政資料館にて取材(何の?)に力を傾注することにしました。

先ずは、朝、熱田神宮におまいり。本宮だけをお参りするという超ショートカットルート(土塀だけは、ちゃんと見ました)。しかも、100円ぽっち(税込み)で旅の安全を祈願する、ムシのいい蛙がここに一匹。
早すぎるので、当然「きよめ餅」の本家は開いていませんでした。しかし、運よく駅のコンビニお土産&名物コーナーでGET。
一路名古屋駅へ。リニモに乗ってその滑るような動きに感激した後は、大須へ。

伝説の大須演芸場。東京と大阪を除く地域で唯一(?)頑張っている、希少価値の高い寄席。落語ファンを自称する者なら、行かずしてどうする!
大須観音のすぐ裏手辺りなので、案外迷わずに行けました。その順調っぷりに気をよくしていたのですが……。客が少ないと噂の大須演芸場。しかし、今日に限って(?)何故か人がどんどん入っていくんですけど?しかも、入口にはモリゾーとキッコロがいる……()。なんか法被きたおにーさんやら、綺麗に着物を着こなした女将さんふうの人もいる……。不気味な予感がしつつも、「きっと愛知博で盛り上がって、イベントか何かやってるんだ!ひょっとしたら、ローカル番組の収録があるのかもしれない」と、無理やり良い方向に考えようとしていたのですが。
入っていく人々が、キッチリスーツにネクタイ姿というのがおかしい。
入口で缶入り飲料を配っているのがおかしい。
受付の人も、入っていく人も、何かの参加証みたいなものを首からぶら下げているのが、絶対おかしい。
入口をよく見ると、「本日の演芸場は、休演いたします。申し訳ございません」の文字が。
今日帰る旅行者たる蛙に、ショックで落ち込んでいる余裕は無いので、周辺の商店街を軽く廻った後、名古屋市政の中心部・名城周辺へ。(でも、煎餅屋のみたらし団子は美味かった)

しかし、人間万事塞翁が馬の言葉どおり、ここまでのツキの無さが、最後で一気にスペシャルラッキーに変わりました。
本来は、予備の予備、実現の可能性が一番低かった、名古屋市市政資料館に行くことができました。
外観は見ての通り、いかにも庁舎風の建物ですが、入口にドームがついていたり、レンガとタイルの紅白使い分けも中々装飾的。尾張名古屋気質というものでしょうか、レンガ建築の中でも大変華やかな雰囲気を纏っています。しかも、これが何の建物だったかというと、名古屋控訴院(戦後に名古屋高等裁判所)、つまり法廷だったというから、驚きです。
中に入ると、正面玄関のゴージャスっぷりに更にびっくり。資料館公式サイトのボタン一番上「市政資料館案内」をクリックしてみてください。つややかに輝く石造りの手すり、天井は広々と高く、ステンドグラスが燦然と輝く。玄関の写真だけ見せられたら、ホテルと言っても通りそうです。
レトロファンの血が騒ぎ、片っ端から歩きたおし、写真をとりまくる蛙。撮り進めていくうちに、分厚い絨毯を敷き詰め、ピカピカ光るテーブルと丁寧に布が張られた椅子が置いてある部屋に。薄暗く、何とかシャッター無しで良い写真を撮ろうと粘っていたところ。

「あのすいません」
と、声をかけられました。
「はい?」
と振り向くと、見るからに職員の方。
「事務所で写真撮影の許可をとられましたか?」
「え?許可がいるんですか?!」
「いえ、他の場所はかまわないんですが、この部屋は撮影禁止でして」
と言っておじさんが手を指す方向には、カメラにペケをしたマークが。

…しまったぁつっっ!!
写真に気を取られて、完全に見落としていました。監視カメラに妙な蛙が一匹映っていたんで、慌てて飛んできたんだろうなぁ……。すいません、おじさん、ご迷惑おかけしました。
これが、(最後JRの立ち食いきしめんを逃したことを除けば)この旅のドジのふみ収めでした。

常設展示案内の図録があったので、当然購入。これだけの素晴らしい建物を維持するにはかなりのお金がかかる筈なのに、入場料はタダ!
入場料無料の施設が財政事情から100円のお金でもとりだすと、途端に入場者がガタ落ちするのはよくある話。だから、入場料をとれとは言えないけど、もし募金箱があったら、500円ぐらいは入れてきた。月曜日(祝日に当たる場合はその翌日)、第3木曜日(祝日に当たる場合は第4木曜日)、12月29~1月3日を除く日で、名古屋に行ったレトロファンは、他の何を逃しても見るべきです。
外には代書屋さん、すなわち司法書士の事務所が並んでいる辺り、やっぱり法律の町。(桂枝雀師匠ファンの方は「でーしょやさん」と読みましょう)

名古屋は、レトロだけ取り上げても面白いところが一杯でした。その価値に名古屋自身が気がついていない辺りが残念。レトロを売りにしている他の観光地に、絶対対抗できるのになぁ……。
また行きたいです。そして、きしめんと名古屋コーチン食うぞ!

愛知レトロ採集紀(奇?)行~犬山・明治村

2005-09-04 22:36:15 | れとろ・とりっぷ
8時代出発のしらさぎに乗って名古屋方面へいざ出発。本当はもう少し早い便に乗ってもよかったのですが、米原で新幹線に乗り換えるのが面倒だったので(笑)。普段見慣れない方向から琵琶湖を見、天下分け目の関が原、晩生が実る水田にカルチャーショックを受け、西日本と東海で微妙に変わるJRの対応に内心笑い、やって参りました名古屋駅。
名鉄の名古屋駅で東海圏を除く地域に向けて発売していた、名鉄 愛・地球博2DAYフリーきっぷを引き換え。基本的に名鉄ほぼ全線に乗れて(名鉄名古屋~犬山間、片道540円)、エキスポライナーにも乗れて(往復1,500円)、明治村をはじめとする名鉄系テーマパークにも入れる(明治村の場合、大人入村料1,600円)。これは他地方人の特権を活用しなきゃ。
犬山行きの電車も待ち時間ホボ0。蛙の旅行にしては、不気味なまで順調にコトが運んでいます。

犬山に到着!重い荷物は宿に預かってもらい、早速最大の目的明治村へ。ここでも大して待たされることなく、しかもバスに乗った人々は見るからに目的が同じという分かり易い集団!犬山駅から明治村まで、降りる人は一人もいませんでした(爆)。

先ずは何にせよ腹が減ったので、コロッケ&カレーパンを。村井 弦斎の明治美食小説『食道楽』(岩波から上下巻で出てます。エラソーなこと言って未読)に載っているレシピを再現したとか。どこまで本当かは知れませんが、確かに現在の「コロッケ=ジャガイモorクリーム」という頭から見ると、こちらの「コロッケー」はデミグラスソース風の味がなんともハイカラ。カレーパンのピーナッツは身が丸々一つ入っているのを期待したのですが、説明をよく読むと砕いてあるんですね。それでも、美味しいや。
そういえば、お昼に食べたカツレツ丼も、思いっきりデミグラスソース。洋食といえば、ケチャップ、コンソメと並んでこの味?

とりあえず入れるものを入れると、市電&SLに乗って一番奥まで。こちらは方向転換も目の前で実演してくれるのが面白い。SLの機関車って、ターンテーブルみたいなものに乗せて、人力で廻していたんですね。疲れるわ、こりゃ。それでも、毎日長くは無い距離を何往復もしているおにーさんたちは、玩具のように元気良く手際よく機関車を廻していきます。
また、市電の窓の凝りっぷりときたら。曇りガラスで、ちゃんと会社のマークが浮かぶようになっています。今時、そこまで作りこんだバスってあります?

さて。明治村一番(?)の目玉、帝国ホテルに到着。上の写真は、正面から見てロビーの左側にあたるラウンジ。1階2階が吹きぬけになっているので、この部屋は広く明るい印象ですが、全体は照明を落とし気味で天井が低いです。現代日本人女性の平均身長よりは高く、男性平均身長よりは低い蛙でも、ちょっとばかし圧迫感を感じます。マリリン・モンローは狭くなかったんだろうか……。
それでも、落ち着いたゴージャスな雰囲気には変わりありません。ライトデザインの六角背もたれ椅子もあって、レトロファンには至福の空間です。ベストショットを求めて、かがんだり、上を向いたりしながらシャッターをきる蛙の姿は、かなり変だったと思います。

今回の掘り出し物建築は、啄木が下宿していた理髪店喜之床です。当時、一番ハイカラでオシャレであったろう鏡と理容椅子の反対側には、落語『崇徳院』やなんかのの床屋にでもでてきそうな待合風景が。たかが髭をあててもらうだけのおやっさんが、近所の大将と世間話でもしながら、自分の番を待っていたのでしょうか?

脚を運ぶ建築ごとにオーパーツが映らないベストショットを探していたら、4時間ではとてもとても。時間が足りなくなりました。
それでも、お土産&資料はチェック。明治村だから、明治キティや明治ドラえもん、明治カトちゃんがないかなぁ……と思っていたのですが。ありませんでした(苦笑)。
それでも土産栞コレクター(?)の蛙は、金属栞2種ゲット。建物のガイドブック。漱石先生の傑作・半人半猫の吾輩くん(心持細長め)の表紙を使った一筆箋を購入。
本当は好きなサクラキャラや小説家の生まれた日の新聞をプリントして帰りたかったんですが。肝心ここというときに、年or日にちを忘れるのはお約束。後でボチボチ思い出して買おうとして、買えず仕舞い。
しかし。それより何より蛙を魅了したのは、『建築物移転報告書』(ウロ覚え)!移転前の状態調査から、見取り図、移転方法まで詳細に書かれた本です。「うっわ、めちゃ欲しい~っ!!」と思ったのですが、一部5,000円。ご、ごせんえん……って。そりゃ、マニアックな品だけど。買う人滅多にいないだろうけど……、ごせんえんてあーた。しかも、建物一つにつき一冊ですよ!園内の主要な建物だけでもそろえるのに、一体いくらかかるんだ……。それでも諦め切れず、給料ためて通販しようかな?と考えていたりします(爆)。

明治村、しのこしたこと一杯あります。また行きたいです。
……が、残念なこともあります。
例えば、帝国ホテルの横に名鉄岩倉変電所があるというありえない配置。或いは川崎銀行本店のように、ケーキでも切るように一部だけ持ち帰った移築。市電なのに、山道を走るレール。それほどあからさまでなくとも、レトロ建築が好きで自分の足で写真を取り集めた人間が見ると、明らかにチグハグな並び方であることが分かってしまいます。
勿論、丁目ごとに区切って、なるべく雰囲気を壊さないように移築したのは分かるのですが。スペースの問題があることも分かるのですが。建物が迷子のように頼りなく映ってしまう。
たとえ、離れ小島の状態で高層建築の中にポツンとあろうと、有るべきものが有るべき場所にある迫力には敵いません。やっぱり、自分の足で訪ねるのが、レトロ建築の基本だと思い知らされました。
明治村は、素晴らしい場所ですけど、ね。

明治村の閉園後は、城下町犬山を当ても無くぶらぶら。5時過ぎなので、大抵のお店は閉まっていましたが。
町の中でも「少なくとも昭和中ごろかな?上手くすれば戦前?」という建物を見つけましたが、残念ながらレトロアンテナは鈍ってしまって直感が働きませんでした。地元でレトロの勘が働くのは、町ごとの歴史や性格の違いが下地として頭に入っているからだと痛感。
その代わり、城下町アンテナは感度良好でした。建物の配置や通りの幅、角の複雑さと単純さ、そういったものがビバ・城下町!でした。猫ものんびりパトロールをしていたし……。
見ていて面白いと思ったのが、犬山祭に使われる山車をしまう倉。各町内ごとに一つあって。蔵の戸には、「何々町」と紋か屋号のマークみたいなものがついていたりする。
金沢は前田家が来る前は一向宗の町でした。一向一揆の力を恐れた前田家は、町衆が結束するような行為は禁じました。ですから、獅子舞のような武芸が形を変えた祭りはあるのですが、大きな曳山を動かすような町衆の祭りはありません。
こんなところにも、町の性格が出ることを思うと、やっぱり日本は狭くて広いです。

老大家とソシアルダンス~徳田秋聲記念館

2005-08-30 22:13:28 | れとろ・とりっぷ
本日、初めて徳田秋聲記念館に行ってきました。
「徳田秋聲」って、誰?
てか、「徳田秋聲」って何て読むの?
……と言われても仕方が無いくらい、地元民と本の虫を除くと超マイナーになってしまった、「金沢の三文豪」の一人です。残りの二人は、泉鏡花と室生犀星。
右下のチラシ画像をチョイとクリックしていただくと、秋聲記念館公式サイトのトップに出るようにしてあります。その地味な顔立ちのオジサマが徳田秋聲です。「とくだしゅうせい」と読みます。『金色夜叉』の尾崎紅葉門下に入ったという点では、鏡花と同じです。しかし鏡花は幻想美溢れる作風であるのに対し、こちらは自然主義文学の大家。現在の文学史では「自然主義文学」=「自己の内面を飾らずに書く文学」(=すっげー辛気臭ぇウジウジした話)といったイメージで教えられているので、マイナーになるのは致し方ないです。蛙も、実は読んでません(こらこら!)。

しかし、折角記念館が出来たのだから観にいこうとは思っていました。東茶屋街の近くにあり、散歩のついでに寄るには丁度良い位置です。
それに今回のチラシ画像をよ~く見てください。「秋聲」の字の上に緑の丸い部分があり、カードか切符のようなものが並んでいるのが見えますか?これ、ダンスホールのチケットです。入場やダンサーへの謝礼、音楽の演奏料として、客はこのチケットをちぎって渡したのでした。一応会則のようなもので渡す枚数は決まっていたのですが、バンドへの祝儀や、お気に入りのあの娘に多めに渡して歓心を買うということがあったようです。チケット実物見たさにノコノコ出て行った、阿呆レトロファンがここに一匹。

感想は。行ってよかった。
企画展示の名前は『秋聲と二つの金沢』というのですが。一つは当時の東茶屋街に代表される古い(或いは古くなりつつある)金沢、そしてもう一つはダンスホールに代表される新しい金沢です。
茶屋街が出てくる作品として、『挿話』。町の中心が東から西に移動し時勢の変化を感じながらも、古い町の中で静かにしなやかに生きていく女性、お絹。
ダンスホールが出てくる作品として、『町の踊り場』。ソシアル・ダンスの電飾がつき、静かな通りにジャズが漏れ聞こえてくる、しかしホールの床はタタキ。
当時の地方都市にもモダニズムの波は押し寄せ、東京を始めとする大都市とはまた異なったペースで大衆化が進む社会の様子が伺える2作品です。(ちなみに、この2作品が合体すると、映画『秋聲旅日記』になる)

さて。『町の踊り場』では、お姉さんの葬式の夜にホールを見つけて、フラリと入るのですが。秋聲先生、本当に社交ダンスが趣味でして。ちゃんと先生にもついて習っていたそうな。ステップは正確で、文士仲間のうちでは追随を許さないくらい上手かったそうです。自然主義文学の大家が、社交ダンス……。秋聲の性格硬軟両面が見えてくるエピソードです。

主に企画展示をご紹介しましたが、常設展示も中々よかったです。中でも、秋聲ヒロイン5人をピックアップし、和紙人形とミニシアターで紹介するコーナーでは、それぞれの女性たちの魅力が伝わり、「秋聲って、実は鏡花、犀星、三人の中で、一番女の書き分け上手いんじゃない?」と思わせる内容でした。読みたくなった。秋聲は絶対、「自然主義」というジャンルで損してる!

金沢にいらっしゃる機会がある方は是非どうぞ。
2階からは、旦那衆が贔屓の芸妓会いたさに造ったと言われる「梅の橋」がよく見えます。

大正昭和読書青年

2005-08-28 21:21:07 | れとろ・とりっぷ
大分前の話になりますが、蛙の祖父の従兄弟に当たる方が亡くなった話をしたと思います。その遠縁のお祖父ちゃんの家を壊すことになりました。伴侶のおばあちゃんは入院中で、家には誰も居らず、物騒な世の中のこと放火でもされたら大変だということで祖父が決めました。
供養か勝手か、中のもので使えるものがあったら持ち出していたのですが。祖父に本がたくさんあるから、好きなものがあったら持っていけと言われました。そこで、初めて蛙は2階に上がったのです。

部屋の隅に大して大きくない本棚がありました。見てびっくりしたのが、殆どが戦前の本だったことです。吉川英治、直木三十五といった現在でも名を知られる大衆作家に、名前も知らない作家、政治実録、犯罪実録、探検記、戦記文学など等。量は多くないのですが、幅広く、平易な言葉で、専門的ではなく、おそらく当時そこそこ読書が好きな人の本棚とはこんなものだったとうなと思わせる内容でした。大正・昭和の一文学青年の頭の中身として、この本棚を丸ごと持ち帰りたかったのですが、それは出来ません。古本屋か図書館、資料館に寄贈しようにも、全集のうちの1、2巻のみということが多く、また保存状態も悪いので、そちらに持っていくこともできません。
6冊だけ、選んできました。

『明治大正文学全集』第十二巻 泉鏡花 春陽堂
 …鏡花の戦前の版ということで、貰いました。
『明治大正実話全集』(3)強盗殺人実話 甲賀三郎 平凡社
 …戦前探偵小説ファンとしては、乱歩と並び称された甲賀三郎を見逃すテはありません。また、装丁がモダンでタイトルに似合わず可愛らしい。昭和モダニズムの香が残る一冊です。
『金色夜叉・多情多恨』尾崎紅葉 春陽堂
 …まだ真面目に読んだことがなかったので。
『由比正雪』前編 大佛次郎 改造社
 …前編しかみつかりませんでしたが、惜しかったので。
『佐々木邦全集』6巻 大日本雄弁会講談社(講談社?)
 …ユーモア小説のようでした。笑いには当時の価値観が如実に反映されるので。資料として。
『現代大衆文学全集』三十二巻 三上於莵吉集 平凡社
 …作品よりも、乱歩作品等の挿絵を書いた、岩田専太郎の美麗な絵があったので。

そういえば、入院したおじいちゃんにいい本が無いかと祖父に聞かれ、司馬さんの『項羽と劉邦』を貸したことを思い出しました。

使命終えるとき―アーケード撤去

2005-08-23 21:12:06 | れとろ・とりっぷ
先日より、横安江町商店街のアーケード撤去が行われています。
アーケードの歴史は46年ということで、「レトロ」と呼ぶには、少々新しすぎるかもしれませんが、こちらのカテゴリーに。

この商店街は、東別院の門前町として歴史を重ねた町です。お寺参りが現在で言うテーマパークの様相を持っていた頃、この通りも人でごった返していました。
「赤玉」や「美人座」といった大阪を始めとする大都市系資本のカフェーが派手な宣伝合戦を繰り広げた当時、メイド・イン・金沢のカフェー「バッカス」はこの通りにありました。仏具屋とカフェーが同じ通りに並んでいた、摩訶不思議な世界。しかし、当時の金沢人には、それは当たり前のことだったのかもしれません。

この道も、やがて石タイルに変わる予定です。

レトロ発電所の旅…その2~入善編

2005-08-22 08:05:32 | れとろ・とりっぷ
本日先頭の写真は富山県入善町の旧黒部川第二発電所です。現在は下山(にざやま)芸術の森 発電所美術館として利用されています。本当は、もっと建物の全貌が分かる写真もあったのですが、出来が面白くなかったので(爆)。美術館ということで、ちょっとアートっぽく見える、格好付け根性の写真を選びました。ちらりと見える、富山の平野が気に入ったので。
こちらの建物の凄いところは、発電所内部の様子が結構残っていることです。タービンや導水管もそのまま。外にはかつて使っていた水車をオブジェとして良い意味で放置したあります。錆びた水車は再び電力を起こすことは無く、ただ無言で往事を語るのみ。
今は二代目が、先輩に似せたレンガ風の建物で発電にいそしんでいます。
美術館の展示はモダン・アートが中心のようです。館の横には階段の遊歩道がついており、かつて河岸段丘を利用して水を落としていた導水管の脇を登っていくことができます。落差23メートル。運動不足の足には、ちょっときついかも。
頂上には、同じく発電所を利用したレストランと、展望台、アトリエがあります。


富山は、山も、平野も、海も美しいです。右は滑川から見た富山湾。新湊、高岡方面の陸が見えるでしょうか?天気がよければ、能登半島も見える筈です。曇天でも、富山の海は美しいです。……但し、いくら美しいからと言って、身の程を知らない行動は取らないように。
今、富山では深層水を利用した商品を開発しています。石鹸や化粧水、お酒など、いろいろあったのですが、蛙は安直に「深層水ソフト」を食べてきました。地元メーカーなのが、泣かせます。


一方左は、新湊の初代海王丸です。雲から覗く晴れ間をバックにしたところです。まるで嵐を抜けた後のように勇敢で思慮深く、優雅に見えました。
しかしこの後散歩をしている間に、雲の形はあっという間に崩れ、完全な曇天になってしまいました。この時の海王丸は、暗く不安そうな表情になっていました。蛙が写真を撮ったときは、偶然のシャッターチャンスだったようで、ラッキーでした。その割りに出来がイマイチなのは、ヒトエに蛙の腕のせいです。(苦笑)
この写真はクリックしていただくと、より大きな画像が見られます。オリジナルサイズだと、発電所の写真を食ってしまうので。

いつか、海王丸のいろいろな写真をとれたらなぁと思います。

レトロ発電所の旅…その1白山~手取編

2005-08-21 22:19:58 | れとろ・とりっぷ

こちらは、北陸電力・吉野第一発電所です。
石川県白山市・旧吉野谷村にあります。国道157号線を手取川に沿ってずっと移動したところにあるので、レトロファンならすぐに気づきます。ご覧のとおり、現在も元気に稼働中。
こちらのサイトさん勉強させていただいたところ、大正10年に竣工。金沢電気水道局により設計されたものだそうです。……「金沢電気水道局」については、後日調べてご報告します。出来たら(ダメダメだ)。参考までに、石川県内の水力発電所運転開始時期はこちら
全体的に機能重視、シンプル・イズ・ザ・ベストの造りになっていますが、かといって飾り気が無いわけではなく。きっちり積まれた屋根の直線的ラインが引き締まった印象を与え、通気の為と思しき丸窓がアクセントになっています。シンプルなことで、却ってマッチ箱のような可愛らしさを出しており、小さな働き者といった風情です。
この近辺(白山市・旧河内村)には、福岡第一発電所もあるのですが、ドジボケ蛙は吉野第一発電所で満足してしまい、福岡第一の写真を撮りに行くことをケロリと忘れたのでした。こちらも、また後日(汗)。

この手取川は暴れ川でして。急流を渡るために「手に手を取った」から「手取」川だとか、氾濫の度に「手間」を「取った」から「手取」川だとか言われています。また、石川という県名も、この「石だらけの川」から取ったといわれています。
昭和9年、手取川の氾濫により、流域の村々は甚大な被害を受けました。その当時の様子は石川県立歴史博物館の第1棟第2展示室・ビデオコーナーにて視聴できるようになっています。(ついでついで2

この川を制する為に造られたのが、手取川ダム。出来たのは昭和55年ですので、大洪水から半世紀近くの年月がたったことになります。管理施設とは反対側の遊歩道を奥まで進むと、そこには慰霊碑があります。まるで、水害と工事で亡くなった方に、出来上がったダムを見てもらうかのような位置に。

右は、手取峡谷。
左は、白山市・旧鳥越村の実りつつある田圃の風景です。

マル秘?!大正のお医者さん

2005-07-22 22:38:51 | れとろ・とりっぷ
祝日があるお陰で、休日が多い今月。本日は、たっぷり美術館を廻ってきました。
先ずは県立美術館でバロック絵画なるものを見てくる。衣服の表現に、ちょっと判で押したようなところがあったけど、光と影と闇の表現が凄い。暗闇から場面の中心を見つめている人の顔を、こちらもついついじっと覗き込んでしまう。
印象に残ったのは、「ユダの口付け」。白い肌、ばら色の頬、女性的な顔立ちをしたキリストと、暗く怒り、妬み、裏切り、復讐の入り混じった目で口付けをする髭面のユダ。「メディチ家の子供の肖像」顔立ちは可愛いけど、可愛げが無い生意気そうなガキンチョ(笑)。その他、画家たちそれぞれの自画像。
お次は21世紀美術館。グリコのおまけ展。作家さん本人のアイディア原画とそれに自分ツッコミをいれる解説から成り立つアイディアノートが、見ていて楽しかったです。
最後は同じく21美。人体の不思議展。生命体はアートの極致……と言っていえなくも無いですが。ここは素直に、科学展と言った方がいいと思います。生物選択者蛙にとっては、マシュー・バーニーより、こっちの方が、よっぽどグロくなかった。(精神的にグロいのは参る。……そのくせ、乱歩は至って平気どころか、切ないとか可愛いとか思ってしまう<おい>)おそらく、細胞の顕微鏡写真を見て気持ち悪くなる人は、そもそもこの展覧会を見に来ないだろうなぁ(笑)。会場は老若男女、夏休みの小学生からカップルまで!みんなキャーキャー言いながらも、興味津々で見ていました。カップルの女の子が、肺がんの標本を見て、彼氏に「煙草やめてね」と言っている姿なんか、「若いねぇ~」といった感じでした。

さて。一通り見終わってグッズ販売を冷やかし、外に出ようとしたところ!(↑長い前振りだ)

「金澤醫科大學時代の教育・研究・診療風景」の文字が!
大正末期の医科大学の授業・実験・課外活動および付属医院での診察風景を収録だとぉ!!レトロファン的には、ものすごく「買い!」な資料じゃないかっ。
フムフム。DVDとVHSがあるのか。
お値段は……。

いっ……いちまんえんっ?!

そ……そんな、無茶だ……。
一万?
間違いなく、壱万?
やっぱり壱萬??
どーしよーもなく、10,000???
もうちょっと負からん?5000円とか。え?値切りすぎ?じゃ、6000円。まだまだ?しょうがないなぁ。7000円。えー、まだダメなの!よーし、7500でどうだっ!くっそー、これ以上譲歩せんぞ!地元大學ならそれらしく、市民の皆様に貢献しやがれ!俺も漢だ!(嘘)清水の舞台から飛んでやる!8000円でどうだっ~~~!!

……という、脳内バーチャル値切りシミュレーションをしたところで、振込み用紙に表記された金額が変わるわけでなく。
それでも、振込用紙が折れないように慎重に折りたたんで、このチラシお持ち帰ってしまいました。申し込み期限は8月15日……。くっそー、悩むっ!!

追伸:ネット検索をしたが、卒業生を念頭に置いて製作したせいか、一般向けの宣伝をしていない模様。いいのか?金沢大学医学部?!
追伸2:あの生意気ガキンチョはボルジア家でなく、メディチ家だった模様。失礼。

しょうゆソフトとレトロ港町

2005-07-20 22:05:23 | れとろ・とりっぷ


こちらは、知る人ぞ知る、知らない人は全然知らない、醤油ソフトで有名な(?)醤油味噌のお店です。
見よ!この木造建築と商標(?)の入った幟。
本当にここでいいのかと不安になるような細道を抜けると、店があります。
このソフト。ガイドブック等では「キャラメルのような味」と表現されるが、蛙はスイカに塩をふった味だと思っています
美味です。ハーゲンダッツに醤油をかけてみたくなるくらい、美味しいです。(妙なたとえ)
店内には本業の味噌・醤油・出汁も並んでいます。刺身専用醤油だとか、いしる(こっちの魚醤?)が入った出汁なんていうのもあり。



港ということで、町を歩くと潮の香がします。
しかし、醤油工場の脇を通るときは、それが「塩」の匂いに変わります。


それもやがて再び潮の香に変わります。醤油屋の小路を抜けると、そこには港町の風景が広がります。
橋をわたってまっすぐ行けば、港の信仰を表す神社があります。
絵馬やなんかに北前舟の絵があると、漁師港とはまた違った雰囲気を感じられます。

少し昔の港の面影が残っている。そんな町です。金沢・大野港は。
金沢通とレトロファンにお勧めの、隠れスポットです。


イチオシ、不思議なしょうゆソフトと多彩な味噌&醤油&ドレッシング♪
金沢・ヤマト醤油味噌
(ソフトの店舗については、「醤蔵」をクリック!)

トワイライト・かえるゾーン~昔工場今舞台編

2005-06-18 16:14:58 | れとろ・とりっぷ



昔は紡績工場でした。子供の頃、お昼と夜の決まった時間に時計代わりの音楽が流れてきました。
「おおスザンナ」と「遠き山に日は落ちて」があったような気がする。他にもいくつか。
今は文化施設になっており、市民が使えるスタジオ&ギャラリー&舞台になっています。
コレは屋外舞台として使える部分。
客席は階段状。


後ろを振り向くと、柱の構造が見えるようになっています。