それでは。最後は『この胸いっぱいの愛を』で。
★あらすじ★
2006年1月5日、同じ飛行機に偶々乗り合わせたのは、豪快に弁当を食べる男・鈴谷比呂志、チンピラで仕事を失敗し門司へ行くように指示された若者・布川輝良、どこか小心な落ち着かない男・臼井光男、そして何かを大切そうに握り締める老婦人・角田朋恵だった。
幼い頃門司にいたことがある比呂志は、かつて厳しくも優しかった祖母と暮らした旅館の方へ足を向ける。既に人手に渡ったが、全く変わらない姿だった。しかし、玄関から飛び出してきた少年が幼い頃の自分だと気がついて、比呂志は激しく動揺する。同じ飛行機に乗っていた布川と再会し、どうやら自分たちがタイムトラベラーであることが飲み込めてきた。
今自分がいるのは、1986年1月5日の門司。20年前、祖母の誕生日にケーキを焼こうとして小火騒ぎを起こしたことを思い出した比呂志は、慌てて旅館にとって帰す。なんとか大事にならないうちに消し止めた彼は、20年前にも通用する紙幣を持っていないこともあり、住み込みで働きながら10歳の自分と同居することになる。そこには難病で死んだ自分の初恋の人・和美姉ちゃんもまだ生きていた。
難産で死んだ母の姿を垣間見ることができた布川と近況を連絡しあううち、同じく飛行機に乗っていた臼井に出会う。臼井の話によると、途中まで同行していた目の不自由な老婦人・角田は、長年連れ添った盲導犬の終の棲家でパートナーだったアンバーと再会し喜びのうちに姿を「消した」という。どうやら、自分の未練を精算することにより元の世界に戻れるようなのだが……。
う~ん、何と言うか。「未来からの黄泉がえり」というキャッチが、全てを表しているというか……。彼らのタイムスリップのきっかけになったのは、実は飛行機事故で、彼らは既に「死んでいる」から時間を越えることが許されたという設定のようです。詳しい理屈は分かりません。(恋愛ファンタジーに理屈を求めるほうが野暮!)
だから、ずっと心に残っていた未練を精算するということは、死を意味するんです。ここらへん、是枝監督の『ワンダフルライフ』に似てるかなぁ。(『ワンダフルライフ』は個人的にA+級です。機会があったら、是非どうぞ!)
比呂の場合は、和美姉ちゃんを助けること。布川くんの場合は、「お母さん」と呼びかけること。臼井さんの場合は、花を滅茶苦茶にしてしまった近所の人に謝ること。クドカン演じる臼井さんの最期に一番泣いた蛙は、ヒネクレ者?(笑)ラストで臼井さんの驚愕の経歴が分かるのですが(更に笑)。
泣きはしなかったけど良いシーンだなぁと思ったのは、30歳の比呂が10歳の比呂の家出を止めようとするシーンです。和美が難病であることを受け止めろという大人比呂に、絶対嫌だとタックルするチビ比呂。直ぐに抱き合って仲直りにならない辺りが、良かったです。
時々、脚本に甘さを感じたのがマイナス要因でした。例えば、布川くんの生い立ち。強姦により出来た子で、両親に反対されながらも産もうと決心したお母さん。布川くんの祖父にあたる人は、堕胎させようと階段から突き落としたこともあるとか。でも、その祖父という人が娘の身体を危険に晒してまで赤ん坊を望まなかった背景が分からないので、まるで「不幸」を表す記号のようで、感動が薄くなる。勿論、映画に盛り込む余地が無かったというのはあるでしょうが。(その点、臼井さんの過去の方が、説明臭いところはあっても「本当だ」と思わせるところがあった)
それにしても、布川くんが全然怖くないんだ、これが。本人は精一杯スゴんでるつもりが、可愛くてお人よしだから、比呂も臼井さんもあんまり引いてない。まぁそういう役だから、いいんだけど。あんた、きっと体質的にヤクザ向いてなかったんだよ。
キャストと言えば、コンサートの指揮者が本職・金聖響先生だったことにビックリ。先生が指揮台に上がったコンサート、見たことあるよ。そのときは後姿だったから、スクリーンで観ても全っ然気がつかなかったけど(爆)。
結論。伊藤英明氏の弁当をパクつく横顔は、男くさい可愛げに溢れている。(今回最後の大発破)
蛙的映画ランク:D-
★あらすじ★
2006年1月5日、同じ飛行機に偶々乗り合わせたのは、豪快に弁当を食べる男・鈴谷比呂志、チンピラで仕事を失敗し門司へ行くように指示された若者・布川輝良、どこか小心な落ち着かない男・臼井光男、そして何かを大切そうに握り締める老婦人・角田朋恵だった。
幼い頃門司にいたことがある比呂志は、かつて厳しくも優しかった祖母と暮らした旅館の方へ足を向ける。既に人手に渡ったが、全く変わらない姿だった。しかし、玄関から飛び出してきた少年が幼い頃の自分だと気がついて、比呂志は激しく動揺する。同じ飛行機に乗っていた布川と再会し、どうやら自分たちがタイムトラベラーであることが飲み込めてきた。
今自分がいるのは、1986年1月5日の門司。20年前、祖母の誕生日にケーキを焼こうとして小火騒ぎを起こしたことを思い出した比呂志は、慌てて旅館にとって帰す。なんとか大事にならないうちに消し止めた彼は、20年前にも通用する紙幣を持っていないこともあり、住み込みで働きながら10歳の自分と同居することになる。そこには難病で死んだ自分の初恋の人・和美姉ちゃんもまだ生きていた。
難産で死んだ母の姿を垣間見ることができた布川と近況を連絡しあううち、同じく飛行機に乗っていた臼井に出会う。臼井の話によると、途中まで同行していた目の不自由な老婦人・角田は、長年連れ添った盲導犬の終の棲家でパートナーだったアンバーと再会し喜びのうちに姿を「消した」という。どうやら、自分の未練を精算することにより元の世界に戻れるようなのだが……。
う~ん、何と言うか。「未来からの黄泉がえり」というキャッチが、全てを表しているというか……。彼らのタイムスリップのきっかけになったのは、実は飛行機事故で、彼らは既に「死んでいる」から時間を越えることが許されたという設定のようです。詳しい理屈は分かりません。(恋愛ファンタジーに理屈を求めるほうが野暮!)
だから、ずっと心に残っていた未練を精算するということは、死を意味するんです。ここらへん、是枝監督の『ワンダフルライフ』に似てるかなぁ。(『ワンダフルライフ』は個人的にA+級です。機会があったら、是非どうぞ!)
比呂の場合は、和美姉ちゃんを助けること。布川くんの場合は、「お母さん」と呼びかけること。臼井さんの場合は、花を滅茶苦茶にしてしまった近所の人に謝ること。クドカン演じる臼井さんの最期に一番泣いた蛙は、ヒネクレ者?(笑)ラストで臼井さんの驚愕の経歴が分かるのですが(更に笑)。
泣きはしなかったけど良いシーンだなぁと思ったのは、30歳の比呂が10歳の比呂の家出を止めようとするシーンです。和美が難病であることを受け止めろという大人比呂に、絶対嫌だとタックルするチビ比呂。直ぐに抱き合って仲直りにならない辺りが、良かったです。
時々、脚本に甘さを感じたのがマイナス要因でした。例えば、布川くんの生い立ち。強姦により出来た子で、両親に反対されながらも産もうと決心したお母さん。布川くんの祖父にあたる人は、堕胎させようと階段から突き落としたこともあるとか。でも、その祖父という人が娘の身体を危険に晒してまで赤ん坊を望まなかった背景が分からないので、まるで「不幸」を表す記号のようで、感動が薄くなる。勿論、映画に盛り込む余地が無かったというのはあるでしょうが。(その点、臼井さんの過去の方が、説明臭いところはあっても「本当だ」と思わせるところがあった)
それにしても、布川くんが全然怖くないんだ、これが。本人は精一杯スゴんでるつもりが、可愛くてお人よしだから、比呂も臼井さんもあんまり引いてない。まぁそういう役だから、いいんだけど。あんた、きっと体質的にヤクザ向いてなかったんだよ。
キャストと言えば、コンサートの指揮者が本職・金聖響先生だったことにビックリ。先生が指揮台に上がったコンサート、見たことあるよ。そのときは後姿だったから、スクリーンで観ても全っ然気がつかなかったけど(爆)。
結論。伊藤英明氏の弁当をパクつく横顔は、男くさい可愛げに溢れている。(今回最後の大発破)
蛙的映画ランク:D-
