Tak's 雑記帳

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戻ることはよいのか、それとも・・・

2005-09-25 01:26:45 | 社会一般
人工飼育のコウノトリ5羽を放鳥 兵庫・豊岡の郷公園 (朝日新聞) - goo ニュース

 いつだったかこの放鳥のために頑張っている役場職員らを特集にして放送したテレビ番組があった。野生のものは絶滅してしまったコウノトリを人工的に飼育し、野生へと返すために奮闘している、そしてもう少しで“その日(放鳥の日)”が来ると言うことがその特集の内容だった。
 私はコウノトリが動物園以外で飼われていたと言うことすら知らなかったし、ましてや野生復帰に尽力している人々や街があることも知らなかった。その人たちの努力は見習うべき十分な価値があると思う。

 さて、絶滅してしまった種というのは数多くいる。そして今もその数は増えている。地球上において絶滅が危惧される動植物の数は2004年版IUCNレッドリストによると15,000種を超えるそうだ。地球上の全動植物数は1000万とも3000万とも言われるようだが、それに対しての15,000をあなたは多いと見るか少ないと見るか。
 私の勝手な考えなのだが、絶滅はあってしかるべきものだと思う。それが我々ヒトが主な原因であってもだ。時の流れとは、進むことはあっても戻ることはない。絶滅したらそれはそれで運命と言うものだったと考えてもいいのではないか、そういう風に思うからだ。その運命を決定付けるものが自然であろうが何であろうが。
 恐竜は隕石の落下により引き起こされた様々なことが原因で絶滅したとされる。それに伴い哺乳類が発達し、ヒトが生まれた。また、現在のヒト、ホモ・サピエンスの前身であるクロマニヨン人は、さらにその前身のネアンデルタール人を絶滅させたと言われている。前者は自然により引き起こされた絶滅だ。しかしながら後者は自然と言えるかというとそうではない。それでも恐竜やクロマニヨン人が絶滅したことにより今の人がいるのは確かだと思う。絶滅は時の流れに乗り切れなかった時に起こると考えれば、どれだけ早く進もうが多種がなくなろうが、まったく変わらないで現在の種がずっと生き続けるよりも“遥かに自然である”とは言えるのではないだろうか?

 別にコウノトリの野生復帰を否定しているのではない。それはすばらしいことだと思う。私が話したことはもっと別次元のそれだと思う。
 環境保護団体がいうような「今の状態」ずっとを保ちたいならばヒトと言う種が絶滅することにはならないのだろうか?結局のところ今の状態は今しかないのであって、変化が無いことは有り得ないのが自然というのではないか、よく考えると私はそういう風に思ってしまうのだが。