Tak's 雑記帳

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北海道へ旅行に行く <その3>

2005-09-15 00:50:52 | 社会一般
 初めてご覧の方は面倒ですがこちらからどうぞ。

 ホテルやらレンタカーやらの予約は基本的にリーダー的な存在の人が進めた。

 で、旅行前々日の9月はじめ、メンバーが食中毒になったという話が。結局大丈夫(本人がそういうので)となり、旅行は予定通り実行するのだが、これが結構後々効いてくるとは、何人かは“予想していた”。

 6人中5人は普通4輪車運転免許を持っているため、運転は法律上ほぼ誰でもできるがペーパー、もしくはそれに限りなく近いのが3人いるため残った2人はあまり休まる暇はない。それでも代わる代わる運転しながら青森に着き、船で函館へ。そして広大な北海道の道を北へとひた走る。

<<北海道の道を走って思ったこと>>
 とにかく幅が広く郊外や市街地間の道路ともなるとずーっとまっすぐ、たまにキツネすら見ることができるほど自然が豊富。その割には走る車は大変少なく、スピードは出せるし何とも走りやすい。
 道路公団民営化の委員会で「北海道の高速道路は車よりも動物のほうが多い」といった議員がいたが、一般道においては過言でないかもしれない。
<<以上>>

 なんだかんだで、ぐったりしながら宗谷岬へ到着。そして、ここで食中毒の威力が凄いことを思い知らされる。宗谷岬と言えば何の許可も要らずに誰でも行くことができる日本最北端の地。秋も深まり始める北海道のそれはやはり寒かった。食中毒により弱っていた免疫力は、自分を含め男6人が持つ雑菌やウイルスに対抗し切れなかったらしい。高熱を出す破目となる。とはいっても宗谷岬にはこの最北端の地以外に特に用はないため滞在時間を短くし、その日の宿泊地である札幌へと急ぐ。

 札幌では風邪(?)の当事者を病院へ連れて行き、点滴を打ってもらい、各方面への連絡などで1日終了。まあ、でもその人は修学旅行で一度北海道へ来たこともあるということで、点滴を打ってもらっている間の時間を利用して、札幌のラーメン屋へ。味は、まあまあといったところか。
 とりあえず熱も下がったので、次の日は様子を見ながら函館へ。度々熱を測るも、まま下がっていたのと台風の接近(!)で急ぐにも船も飛行機もキツイということで、最終日の日程はそのままに。
 カップルはよく来るだろうが、男6人だけではなかなか来ないだろう、函館山へ1番のりに行ってみた。10時を過ぎ少々登り始めた辺りあたりから急速にしかも非常に濃い霧がかかり、さすがにその時運転していた私はびびった。ただ、ほかの5人のほうがもっとドキドキ(ビクビク?)していたような気もするが・・・。頂上まで行ったものの見事に何も見えない。どれくらい見えないって10m先が見えない。しかしながら台風の影響で雲(霧)が、高速に流れるのがはっきり分かった。携帯電話用気象情報サイトの情報によれば台風の中心より南にはほとんど雲はない。中心は函館の西北西にあるから僅かな可能性にかけ展望台を右へ左へ。一瞬雲が切れたが再び雲の中へ。それでも15分くらい待っただろうか、今まで雲があったとは思えないほど綺麗に晴れ渡った。雨や湿気で空気中のゴミを取り去ってくれたのか、函館の夜景が(しかもかなり遠くまで)非常に綺麗に映った。

 その後台風は、北海道の西北のほうに上陸したようだが次の日の朝にはカラッと晴れた。風は残ったが・・・。
 函館の朝市にて自由行動で各々土産などを買い昼飯も済ませ、また集合。

 夜までなんとなくすごし、台風のおかげで大混乱となってしまった船にも、隙間があったのと、早めに手続きを済ませたことが功を奏し予定通り乗船できた。

 後は力技で山形まで戻ると言う、なんともな旅をやってのけた。

 長くなったが、書いたところの文章の長さで分かるとおり函館山は印象強いが、他はそれほどでもない。それよりも疲れた(肉体的にも精神的にも)と言う意識のほうが未だにはっきりしている気がする。

 でも、人間不思議なもので、良かったことよりも悪かったことのほうが記憶に残りやすい気はしないだろうか?多分同じことを繰り返し、再び苦しむことのないようにするためだと思う。
 このたびの同士が分かれて何年か経ち、再びであった時に「あの時は馬鹿なことをやったな」と酒の肴にでもできればそれでいいと思う。人生80年、一応20代なのでまだ先は長いから、リフレッシュや楽しむ“旅”はまだまだできる。そういう意味では今回の旅は非常に良かった。

 とにかく長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方がいたらありがとう御座います。