休みだ。
久々の平日の休みを取れることとなり、さてどうしようと思案に暮れる。
当然子供は学校だし家族とどっか行くとかいう選択肢はない。
かといって一人で遊びに行くにせよ先立つものは心細いことこの上なく、また図書館で銭湯跡を探そうにも、そろそろ調べ尽くした感がある。
調べ尽くしたとは言え、呉市東部の安浦、東広島になるが安芸津町、大崎上島と大崎下島、豊島の銭湯跡は殆ど位置を特定出来ない有り様であった。
・・・行くか、現地調査。
俗にいうフィールドワークてヤツだ。
天気予報はどうやら問題なし。
大崎上島へのフェリー料金も原付込みで650円と小遣いで何とかなるようだ。
ざっくりと計画を立てる。
朝家を出る、ぶらぶらと安芸津まで行く、フェリーで大崎上島、住所や地名から銭湯があったと思われる場所を調査、フェリーで大崎下島へ大長と御手洗の銭湯跡二軒を調査、豊島へ渡って豊島温泉ともう一軒を確認とざっくりしすぎな感もあるが、行き当たりばったりもまあ面白かろう。
当日朝、いつものようにゴミ捨てをして部屋をでる。
当然夜も明けていない内だが、時間などどこでも潰せると国道185号を東へと走る。
国道沿いの電光看板の気温表示が19度を示しているのは今秋初だな。
流石にウインドブレーカー無しでは寒いと感じる程だ。
広町と仁方町の間の仁方第一トンネルの西口で、「あー、そう言えば仁方にも一の湯以外に三軒位あったなー、残ってるとは思えないけど時間はあるし見て行くかー」と旧道のトンネルへバイクを進める。
仁方西神町にあったとされる月見湯、昭和43年度版の住宅地図にだけ記載されていた同じく仁方西神町の秀の湯、仁方町の胡子湯の三軒の跡を見てみる積もりで早朝の住宅街を進む。
目印となるお寺を発見して角を曲がった瞬間に驚愕で変な声が出た。
月見湯の建物残ってた。
正確に言うとそこで見えたのはコンクリート煙突と古い煉瓦造りの壁である。
ここで銭湯跡探しをする人なら解っていただけると思うが、煙突は銭湯探索の非常に役立つ目印でもあるが同時にトラップにもなることがある。
広島県は酒や醤油の小さな醸造蔵が数多くあるため、それらの煙突と錯誤してしまう事が俺も何度か経験がある。
だが更に角を曲がり確信に変わる。
左右対象のガラススイングドアに挟まれた、タイル壁の上に小さな窓、間違いない銭湯だ、これ。
まだ薄暗い内だったので、確認だけに留め、秀の湯と胡子湯の痕跡無しを確認した。
胡子湯跡近くには何かの工場の煙突があって裏に回って無関係なことを確認して、やや興奮気味に更に東征を継続する。
やー幸先良いやね。
仁方と川尻の間は豪雨災害の影響で未だに片側交互通行だ。
旅は始まったばかりだが幸先の良さに、セブンイレブンでカフェラテ飲んで一休み。
第二の調査地は川尻駅周辺である。
川尻は昭和43年には四軒の銭湯があったと記録がある。
駅前に大和湯、中央町に月見湯、胡町に朝日湯、川尻町寿に野呂温泉となっている。
野呂温泉以外の三軒は住宅地図で場所が特定出来ているので、先ずは大和湯痕跡無しを確認。
続いて月見湯も痕跡無し。
住宅地図で確認出来ない野呂温泉だが実は既に知っている。
そう駄菓子屋野呂山商店として現存しているのは以前の日記で書いた通りであり、その姿を再確認して朝日湯跡を目指し細い道を更に進む。
グーグルマイマップにポイントを打っていたのでそれらしい空地を確認したが、後でもう一度住宅地図見ると隣のブロックだったっぽい。
まあ煙突等も見えなかったしまた近くを通るときに確認しよう。
さてさてどんどん東へ進み、俺の呉市周辺銭湯調査の鬼門である安浦町である。
三軒あったとされるがヒントが少なく未だに位置特定が一軒も出来ていないのである。
185号線の旧道を進み、安浦歴史民俗資料館を過ぎる。
フィールドワークで何も掴めない時はこの安浦歴史民俗資料館なども訪ねる積もりであるがいかんせんまだ7時にもなっていないので取り敢えず東進し安浦町内海辺りでバイクを止める。
安浦にあった三軒は内海湯、有馬湯、朝日湯の三軒。
ミクシィのコミュニティに安浦の吉田湯の写真があったが経営者名が屋号となるパターンと推察し有馬湯の事であると考えられる。
内海湯は多分地名関係屋号で安浦町内海にあったと思うのでここらを見てみようと考えた訳である。
通りすがりのお婆さんが俺を知り合いと勘違いされたようで、お早うございます挨拶されたのでこちらも笑顔で挨拶をお返しする。
渡りに船とばかりにこの界隈に昔銭湯がありませんでしたか?と訪ねるとすぐ近くにあった事を教えて下さった。
何とまあこんなトントン拍子で進んで良いものか、何か後で有るかも知れんな。
後の二軒についてはその後情報を得られず、フェリーに乗る事も考え安芸津へと向かった。
昭和44年版全国浴場名鑑に記載された安芸津の銭湯は二軒、安芸津町三津に松の湯と旭湯である。
これも殆どノーヒント、聞き込みだけが頼りだが人通りがまだ少ない。
安芸津の駅前は線路の山側で酒造蔵やお寺の数多く残るエリアである。
駅前のロータリーには広駅までの代行バスを待つ人々が並んでいるが、その人達に話を聞こうとするほど、空気の読めない俺ではない。
少し離れたお寺の近くで幸いお婆さんに話を聞くことが出来た。
非常に聞き取り辛かったが、どうやら駅裏、つまり海側に二軒ともあったと教えて下さいました。
海側に移動してぐるり一回りしてみたが煙突などは見つけられず、これはヒント有りでの住宅地図調査をまた行う必要が有りそうだ。
フェリー乗り場はすぐそこなので、余裕を持ってチケットを買い待合室で大崎上島の情報とグループマップでの予習をしていると出航時刻が近づいてきた。
バイクごとフェリーに乗り込み、客室へ入る。
船室内でかかってたテレビは特に面白いニュースもなく、すぐに飽きて外で瀬戸内の多島美を眺めていた。
天気は上々過ぎる位で、ウインドブレーカーは既に丸めてカーゴの中である。
大西港に近づくと大崎上島発電所のある長島との間に掛かるトラス橋が見える。
長島大橋と言うらしいが中々立派な橋である。
大西港に着いてフェリーを降りて早速長島大橋の方へと走って見る。
予定にない寄り道だが、まあ時間はたっぷりとある。
今日の内に安芸津へ戻るか大崎下島へ渡れば、帰れないことはないはずだ。
長島大橋を往復して、さて少し腹が減った。
朝から口にしたのはセブンイレブンのカフェラテだけだし。
一応ディパックの中には非常食のソイジョイが2本程入っているが、道すがらにデイリーストアを発見。缶コーヒーとパンで軽くエネルギーを補給しておいた。
さて大崎上島にあった銭湯は全国浴場名鑑では六軒となっている。
東野町のだるま湯と鮴崎温泉、木江町に桜湯、甲湯、大平湯、一メ目風呂とあるが記載された住所以外にヒントはほぼ無し。
唯一住宅地図で桜湯の別称であろうと思われる山竹温泉だけは見つけてあった。
大西港から時計回りに島の縁を走る。
漫画家、川原正敏の通った広島商船高専の実習船などを見つつ、だるま湯があったと思われる住所付近を探索するもそれらしい痕跡はまったく見つけられなかった。
大崎上島の北東の端にある鮴崎という集落にあった思われるのが鮴崎温泉だが、意外と新しい住宅が多くここでも痕跡発見には至らず。
海を見ていたお爺さんに聞き込みをするも要領を得られなかった。
東側の海岸を南下していくと木江港という港に到着。
フェリー乗場で貰った観光パンフレットで木造の五階建て住宅があるとのことで一目見ておくかと立ち寄ったのだが、結構大きな集落である。
全国浴場名鑑のコピーを引っ張り出して、木江町木之江とはここら辺だと確信し、聞き込みをすると、この集落は北側が一貫目、真ん中が木之江、南側が天満と呼ばれていて、それぞれ一軒づつ銭湯があったという。
そのうち一軒は詳細な場所と経営者の名前が判り、木江の郵便局近くにあったのが甲湯であったと判明。
お礼をいって甲湯のあったと思われる付近を確認し一貫目の方でまた聞き込みすると、今度は造船所の敷地になったとこにあったよとの情報ゲット。
全国浴場名鑑にあった一メ目風呂はどうやら一貫目風呂ではないかと推察するに至る。
天満の方の一軒は詳細な場所の特定には至らなかったが、上々の収穫である。
かなり御機嫌で南下を続け、露天風呂の眺望が素晴らしいことで有名なきのえ温泉ホテル清風館の入り口を通り過ぎ、沖浦の集落へと到着。
地図を忘れて来ており、少し手間取ったが、桜湯こと山竹温泉の建物が現存しているのを確認。
大崎上島での調査は大成功と言って良いだろう。
さて予定では島の南にある明石という港からフェリーで大崎下島の小長へ渡る積もりで取り敢えず明石港に行くも、次のフェリーまで一時間以上ある。
という訳で、予め調べてあった大崎ふれあいの館薬研谷温泉で一風呂浴びる事にした。
明石港から10分ほどなのであっさり到着。
310円の入浴料金を支払い、早速入浴。
30度近くまでぶり返した暑さで結構汗を掻いたため、一通り身体を流して湯に浸かる。
五角形の浴室は結構広く湯船も大きなのが二つ。
カランは少な目だが人も少なかったし、のんびりとしたい所ではあるがフェリーの時間もあるので早々に切り上げた。
明石港の待合室で三ツ矢サイダーとソイジョイでエネルギー補給して、朝のフェリーより少し小さなフェリーがやって来たところで乗り込んだ。
殆ど目前の島迄の航路だが、到着寸前に大崎下島と愛媛県岡村島を繋ぐ橋の下を潜る為中々楽しい。
自転車で旅行してるらしい外人の熟年夫婦も喜んで写真を撮っていた。
さて大崎下島の小長港から南へ。
ブランドみかんで有名な大長と古い街並みの残る御手洗にそれぞれ一軒づつ銭湯があったという。
大長に朝日湯、御手洗に桜湯である。
朝日湯跡はツイッターでフォローさせて貰っているシロヤギさんが今夏写真を上げてたし、桜湯も跡地が確認出来るとのことである。
先ず大長の朝日湯だなとバイクを走らす。
海沿いにあると思ってたので盛大に通り過ぎ、いつの間にか御手洗まで来ていたのでグーグル先生で確認し、無事に発見。
御手洗の観光案内所で聞き込み、ある程度の場所に目を付け、桜湯跡を捜索。
御手洗郵便局の近くで住民の方に聞いたところ、わざわざ案内して頂いて桜湯跡地を確認することが出来た。
いやー観光地いいね、スマホと地図片手にうろうろしてても通報されないし、住民の方も色々親切だし。
さて次は豊島だとそのまま南回りで豊浜大橋に行ってやろうと思ったら、沖友天満宮の先でまさかの通行止め。
幸い島の中央を縦断する道路が通れた為、大回りして戻らずに済み、久比集落にあったループ道路も通ることが出来た。
豊浜町大字豊島に豊島温泉と大和湯があったとのことであるが、ここが今回の調査で一番凄い所でした。
家と家の隙間のような道が複雑に入り組んでいて、GPSオンにしてグーグルマップで方向確認しながら漸く豊島温泉跡を発見。
廃業は近年でまだ建物も暖簾もある。
もう一軒の大和湯は住所を頼りに探したが、痕跡不明で調査終了。
あの狭い道をあれ以上彷徨いていたら間違いなく通報案件である。
さて、後はとびしま海道を渡って本土に戻るだけ。
順調に調査が進んだので、安芸灘大橋を渡り川尻と仁方の間に帰ってきたのは、まだ14時を少し回った頃。
もう少し詰めるかと再度川尻方面へバイクを向ける。
野呂山商店が開いていたので写真を取らせて貰い、更にバイクを駆って安浦まで戻ってきた。
呉市図書館の分館である安浦図書館で住宅地図を借りて見る。
住宅地図は各図書館で手持ちの資料の発行年度が違うので意外な発見があったりするのである。
この図書館にあったのは2005年の住宅地図で先ずは安浦を見てみる。
朝聞いた内海湯は特定出来なかったが、何と今まで発見出来てなかった吉田湯の記載がある。
これは大きい、早速資料をコピーして貰い、バイクで行ってみるとやはりミクシィのコミュニティに投稿されていた門の痕跡を発見。
遂にここまで漕ぎ着けた。
もう一軒の朝日湯は経営者名をなるべく古い住宅地図で探すのが良いと判断し、一路呉の中央図書館へ向かう事にした。
途中広の図書館で予約していた最後の晩ごはんシリーズ最新刊を受け取り、更に西へ。
中央図書館で呉市と竹原市の一番古い住宅地図を借りだして今日の調査結果との照合をする。
安浦内海湯の場所特定、安浦朝日湯発見し場所特定、安芸津旭湯場所特定と本日の調査を締めくくる良い結果となった。
この時点で実はかなり疲れており、目は霞むわ足は痛いわとアラフィフの衰えを身体全体で感じていた。
そういうときは?
勿論風呂に限ります。
ホームグラウンドの鶴の湯で、いつものスチームサウナではなくジェットバスと打たせ湯でぐったりした後、自分で自分を誉めるために小遣いでいつもの発泡酒ではなくビールを買いました。
いやー充実した調査になりました。
これで呉市内の銭湯はほぼ特定し、現状も確認できたので呉市の銭湯の歴史の執筆に入れると言うものです。
まあ昔から積み本、積みゲーが多い俺ですからいつになるかわかりませんがね。
久々の平日の休みを取れることとなり、さてどうしようと思案に暮れる。
当然子供は学校だし家族とどっか行くとかいう選択肢はない。
かといって一人で遊びに行くにせよ先立つものは心細いことこの上なく、また図書館で銭湯跡を探そうにも、そろそろ調べ尽くした感がある。
調べ尽くしたとは言え、呉市東部の安浦、東広島になるが安芸津町、大崎上島と大崎下島、豊島の銭湯跡は殆ど位置を特定出来ない有り様であった。
・・・行くか、現地調査。
俗にいうフィールドワークてヤツだ。
天気予報はどうやら問題なし。
大崎上島へのフェリー料金も原付込みで650円と小遣いで何とかなるようだ。
ざっくりと計画を立てる。
朝家を出る、ぶらぶらと安芸津まで行く、フェリーで大崎上島、住所や地名から銭湯があったと思われる場所を調査、フェリーで大崎下島へ大長と御手洗の銭湯跡二軒を調査、豊島へ渡って豊島温泉ともう一軒を確認とざっくりしすぎな感もあるが、行き当たりばったりもまあ面白かろう。
当日朝、いつものようにゴミ捨てをして部屋をでる。
当然夜も明けていない内だが、時間などどこでも潰せると国道185号を東へと走る。
国道沿いの電光看板の気温表示が19度を示しているのは今秋初だな。
流石にウインドブレーカー無しでは寒いと感じる程だ。
広町と仁方町の間の仁方第一トンネルの西口で、「あー、そう言えば仁方にも一の湯以外に三軒位あったなー、残ってるとは思えないけど時間はあるし見て行くかー」と旧道のトンネルへバイクを進める。
仁方西神町にあったとされる月見湯、昭和43年度版の住宅地図にだけ記載されていた同じく仁方西神町の秀の湯、仁方町の胡子湯の三軒の跡を見てみる積もりで早朝の住宅街を進む。
目印となるお寺を発見して角を曲がった瞬間に驚愕で変な声が出た。
月見湯の建物残ってた。
正確に言うとそこで見えたのはコンクリート煙突と古い煉瓦造りの壁である。
ここで銭湯跡探しをする人なら解っていただけると思うが、煙突は銭湯探索の非常に役立つ目印でもあるが同時にトラップにもなることがある。
広島県は酒や醤油の小さな醸造蔵が数多くあるため、それらの煙突と錯誤してしまう事が俺も何度か経験がある。
だが更に角を曲がり確信に変わる。
左右対象のガラススイングドアに挟まれた、タイル壁の上に小さな窓、間違いない銭湯だ、これ。
まだ薄暗い内だったので、確認だけに留め、秀の湯と胡子湯の痕跡無しを確認した。
胡子湯跡近くには何かの工場の煙突があって裏に回って無関係なことを確認して、やや興奮気味に更に東征を継続する。
やー幸先良いやね。
仁方と川尻の間は豪雨災害の影響で未だに片側交互通行だ。
旅は始まったばかりだが幸先の良さに、セブンイレブンでカフェラテ飲んで一休み。
第二の調査地は川尻駅周辺である。
川尻は昭和43年には四軒の銭湯があったと記録がある。
駅前に大和湯、中央町に月見湯、胡町に朝日湯、川尻町寿に野呂温泉となっている。
野呂温泉以外の三軒は住宅地図で場所が特定出来ているので、先ずは大和湯痕跡無しを確認。
続いて月見湯も痕跡無し。
住宅地図で確認出来ない野呂温泉だが実は既に知っている。
そう駄菓子屋野呂山商店として現存しているのは以前の日記で書いた通りであり、その姿を再確認して朝日湯跡を目指し細い道を更に進む。
グーグルマイマップにポイントを打っていたのでそれらしい空地を確認したが、後でもう一度住宅地図見ると隣のブロックだったっぽい。
まあ煙突等も見えなかったしまた近くを通るときに確認しよう。
さてさてどんどん東へ進み、俺の呉市周辺銭湯調査の鬼門である安浦町である。
三軒あったとされるがヒントが少なく未だに位置特定が一軒も出来ていないのである。
185号線の旧道を進み、安浦歴史民俗資料館を過ぎる。
フィールドワークで何も掴めない時はこの安浦歴史民俗資料館なども訪ねる積もりであるがいかんせんまだ7時にもなっていないので取り敢えず東進し安浦町内海辺りでバイクを止める。
安浦にあった三軒は内海湯、有馬湯、朝日湯の三軒。
ミクシィのコミュニティに安浦の吉田湯の写真があったが経営者名が屋号となるパターンと推察し有馬湯の事であると考えられる。
内海湯は多分地名関係屋号で安浦町内海にあったと思うのでここらを見てみようと考えた訳である。
通りすがりのお婆さんが俺を知り合いと勘違いされたようで、お早うございます挨拶されたのでこちらも笑顔で挨拶をお返しする。
渡りに船とばかりにこの界隈に昔銭湯がありませんでしたか?と訪ねるとすぐ近くにあった事を教えて下さった。
何とまあこんなトントン拍子で進んで良いものか、何か後で有るかも知れんな。
後の二軒についてはその後情報を得られず、フェリーに乗る事も考え安芸津へと向かった。
昭和44年版全国浴場名鑑に記載された安芸津の銭湯は二軒、安芸津町三津に松の湯と旭湯である。
これも殆どノーヒント、聞き込みだけが頼りだが人通りがまだ少ない。
安芸津の駅前は線路の山側で酒造蔵やお寺の数多く残るエリアである。
駅前のロータリーには広駅までの代行バスを待つ人々が並んでいるが、その人達に話を聞こうとするほど、空気の読めない俺ではない。
少し離れたお寺の近くで幸いお婆さんに話を聞くことが出来た。
非常に聞き取り辛かったが、どうやら駅裏、つまり海側に二軒ともあったと教えて下さいました。
海側に移動してぐるり一回りしてみたが煙突などは見つけられず、これはヒント有りでの住宅地図調査をまた行う必要が有りそうだ。
フェリー乗り場はすぐそこなので、余裕を持ってチケットを買い待合室で大崎上島の情報とグループマップでの予習をしていると出航時刻が近づいてきた。
バイクごとフェリーに乗り込み、客室へ入る。
船室内でかかってたテレビは特に面白いニュースもなく、すぐに飽きて外で瀬戸内の多島美を眺めていた。
天気は上々過ぎる位で、ウインドブレーカーは既に丸めてカーゴの中である。
大西港に近づくと大崎上島発電所のある長島との間に掛かるトラス橋が見える。
長島大橋と言うらしいが中々立派な橋である。
大西港に着いてフェリーを降りて早速長島大橋の方へと走って見る。
予定にない寄り道だが、まあ時間はたっぷりとある。
今日の内に安芸津へ戻るか大崎下島へ渡れば、帰れないことはないはずだ。
長島大橋を往復して、さて少し腹が減った。
朝から口にしたのはセブンイレブンのカフェラテだけだし。
一応ディパックの中には非常食のソイジョイが2本程入っているが、道すがらにデイリーストアを発見。缶コーヒーとパンで軽くエネルギーを補給しておいた。
さて大崎上島にあった銭湯は全国浴場名鑑では六軒となっている。
東野町のだるま湯と鮴崎温泉、木江町に桜湯、甲湯、大平湯、一メ目風呂とあるが記載された住所以外にヒントはほぼ無し。
唯一住宅地図で桜湯の別称であろうと思われる山竹温泉だけは見つけてあった。
大西港から時計回りに島の縁を走る。
漫画家、川原正敏の通った広島商船高専の実習船などを見つつ、だるま湯があったと思われる住所付近を探索するもそれらしい痕跡はまったく見つけられなかった。
大崎上島の北東の端にある鮴崎という集落にあった思われるのが鮴崎温泉だが、意外と新しい住宅が多くここでも痕跡発見には至らず。
海を見ていたお爺さんに聞き込みをするも要領を得られなかった。
東側の海岸を南下していくと木江港という港に到着。
フェリー乗場で貰った観光パンフレットで木造の五階建て住宅があるとのことで一目見ておくかと立ち寄ったのだが、結構大きな集落である。
全国浴場名鑑のコピーを引っ張り出して、木江町木之江とはここら辺だと確信し、聞き込みをすると、この集落は北側が一貫目、真ん中が木之江、南側が天満と呼ばれていて、それぞれ一軒づつ銭湯があったという。
そのうち一軒は詳細な場所と経営者の名前が判り、木江の郵便局近くにあったのが甲湯であったと判明。
お礼をいって甲湯のあったと思われる付近を確認し一貫目の方でまた聞き込みすると、今度は造船所の敷地になったとこにあったよとの情報ゲット。
全国浴場名鑑にあった一メ目風呂はどうやら一貫目風呂ではないかと推察するに至る。
天満の方の一軒は詳細な場所の特定には至らなかったが、上々の収穫である。
かなり御機嫌で南下を続け、露天風呂の眺望が素晴らしいことで有名なきのえ温泉ホテル清風館の入り口を通り過ぎ、沖浦の集落へと到着。
地図を忘れて来ており、少し手間取ったが、桜湯こと山竹温泉の建物が現存しているのを確認。
大崎上島での調査は大成功と言って良いだろう。
さて予定では島の南にある明石という港からフェリーで大崎下島の小長へ渡る積もりで取り敢えず明石港に行くも、次のフェリーまで一時間以上ある。
という訳で、予め調べてあった大崎ふれあいの館薬研谷温泉で一風呂浴びる事にした。
明石港から10分ほどなのであっさり到着。
310円の入浴料金を支払い、早速入浴。
30度近くまでぶり返した暑さで結構汗を掻いたため、一通り身体を流して湯に浸かる。
五角形の浴室は結構広く湯船も大きなのが二つ。
カランは少な目だが人も少なかったし、のんびりとしたい所ではあるがフェリーの時間もあるので早々に切り上げた。
明石港の待合室で三ツ矢サイダーとソイジョイでエネルギー補給して、朝のフェリーより少し小さなフェリーがやって来たところで乗り込んだ。
殆ど目前の島迄の航路だが、到着寸前に大崎下島と愛媛県岡村島を繋ぐ橋の下を潜る為中々楽しい。
自転車で旅行してるらしい外人の熟年夫婦も喜んで写真を撮っていた。
さて大崎下島の小長港から南へ。
ブランドみかんで有名な大長と古い街並みの残る御手洗にそれぞれ一軒づつ銭湯があったという。
大長に朝日湯、御手洗に桜湯である。
朝日湯跡はツイッターでフォローさせて貰っているシロヤギさんが今夏写真を上げてたし、桜湯も跡地が確認出来るとのことである。
先ず大長の朝日湯だなとバイクを走らす。
海沿いにあると思ってたので盛大に通り過ぎ、いつの間にか御手洗まで来ていたのでグーグル先生で確認し、無事に発見。
御手洗の観光案内所で聞き込み、ある程度の場所に目を付け、桜湯跡を捜索。
御手洗郵便局の近くで住民の方に聞いたところ、わざわざ案内して頂いて桜湯跡地を確認することが出来た。
いやー観光地いいね、スマホと地図片手にうろうろしてても通報されないし、住民の方も色々親切だし。
さて次は豊島だとそのまま南回りで豊浜大橋に行ってやろうと思ったら、沖友天満宮の先でまさかの通行止め。
幸い島の中央を縦断する道路が通れた為、大回りして戻らずに済み、久比集落にあったループ道路も通ることが出来た。
豊浜町大字豊島に豊島温泉と大和湯があったとのことであるが、ここが今回の調査で一番凄い所でした。
家と家の隙間のような道が複雑に入り組んでいて、GPSオンにしてグーグルマップで方向確認しながら漸く豊島温泉跡を発見。
廃業は近年でまだ建物も暖簾もある。
もう一軒の大和湯は住所を頼りに探したが、痕跡不明で調査終了。
あの狭い道をあれ以上彷徨いていたら間違いなく通報案件である。
さて、後はとびしま海道を渡って本土に戻るだけ。
順調に調査が進んだので、安芸灘大橋を渡り川尻と仁方の間に帰ってきたのは、まだ14時を少し回った頃。
もう少し詰めるかと再度川尻方面へバイクを向ける。
野呂山商店が開いていたので写真を取らせて貰い、更にバイクを駆って安浦まで戻ってきた。
呉市図書館の分館である安浦図書館で住宅地図を借りて見る。
住宅地図は各図書館で手持ちの資料の発行年度が違うので意外な発見があったりするのである。
この図書館にあったのは2005年の住宅地図で先ずは安浦を見てみる。
朝聞いた内海湯は特定出来なかったが、何と今まで発見出来てなかった吉田湯の記載がある。
これは大きい、早速資料をコピーして貰い、バイクで行ってみるとやはりミクシィのコミュニティに投稿されていた門の痕跡を発見。
遂にここまで漕ぎ着けた。
もう一軒の朝日湯は経営者名をなるべく古い住宅地図で探すのが良いと判断し、一路呉の中央図書館へ向かう事にした。
途中広の図書館で予約していた最後の晩ごはんシリーズ最新刊を受け取り、更に西へ。
中央図書館で呉市と竹原市の一番古い住宅地図を借りだして今日の調査結果との照合をする。
安浦内海湯の場所特定、安浦朝日湯発見し場所特定、安芸津旭湯場所特定と本日の調査を締めくくる良い結果となった。
この時点で実はかなり疲れており、目は霞むわ足は痛いわとアラフィフの衰えを身体全体で感じていた。
そういうときは?
勿論風呂に限ります。
ホームグラウンドの鶴の湯で、いつものスチームサウナではなくジェットバスと打たせ湯でぐったりした後、自分で自分を誉めるために小遣いでいつもの発泡酒ではなくビールを買いました。
いやー充実した調査になりました。
これで呉市内の銭湯はほぼ特定し、現状も確認できたので呉市の銭湯の歴史の執筆に入れると言うものです。
まあ昔から積み本、積みゲーが多い俺ですからいつになるかわかりませんがね。
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