居酒屋黙示録 新章 暖簾を繋ぐ刻

旧き善き銭湯を訪れ、立ち飲みを巡り、居酒屋で思う。

関東遠征(前編)

2019-02-23 10:44:25 | 日記
昨年の豪雨災害時以来の関東出張である。
一日だがデイオフを得たのでとりあえずは実家に帰る前にやりたいことはやっておこう。

先ずは本を買いに行くことにしよう。
昨今どんな本も通販で買うのが手っ取り早いのだが、矢張書店で手に取って買うのが良い。
入手した本を開くまでの高揚感とでも言おうか、手元に在るのにまだ読めないという待ち遠しさが何とも言えない。
今回買う予定なのが「我が日常茶飯」。
鎌倉の立飲み、ヒグラシ文庫の店主が書いた酒肴本である。
ヒグラシ文庫は当ブログの以前の記事、清水湯連湯にも登場するハイクオリティな立飲みである。
出版は横浜市民酒場の探訪でお馴染みの星羊社、そりゃ期待もできますわ。
取り敢えず鎌倉で途中下車。
横浜有隣堂本店でも買えるそうなのだがこの時点で今日の銭湯が未確定であり、伊勢佐木町まで出てしまうと選択の幅がかなり狭まる為に先に買って置くことにした。
東口改札を出て少し右手に、以前のブログで漫画が無いのであまり用の無い書店と書いてしまった書店がある。
まさかこんなに早く再訪する事になるとは思わなんだが、まあ拙ブログの読者数なぞたかが知れているし、そういう記事を書きましたと喧伝しながら店に入る訳でもなし。
さっくり入手して次の上り電車に間に合う様に駅に戻る。

さて今日の風呂はどうするかなと模索。
第一条件は新規開拓、そしてレトロ系、近隣に立飲みなどあれば尚良し。
大船だと近過ぎ、鶴見までだと少し遠くなる。
いつもよりかなりエリアを限定しているのは、最後に横浜の名酒センターに寄る積もりだからである。
という訳で松島館に決定したが、最寄り駅は何処だ?
グーグルマップで見ると戸部か新高島か桜木町になりそうだが、横須賀線に乗っている現状からだと横浜まで行って乗り換えるのが早い。
早いと解っているのだが身体が一度横浜まで出ることを拒否するので戸塚で下車。
料金が中々高額なことで知られる横浜市営地下鉄に乗り換え上大岡へ。
そして京急の普通に乗り換えて戸部に降り立つ。
記念湯の前を通り街中を散策がてら松島館へ。
角打ちをしているような酒屋は見つからなかったが良さげな蕎麦屋などもあり、風呂上がりに一杯やるのも悪く無さそうだ。
ランドマークタワーが一際大きく見える辺りに松島館はある。
横浜でも最先端の町MM21に近い所にこんな渋い銭湯がある時点でテンション上がりまくり。
早速楽しむ事にしよう。
相変わらず全国一位タイの銭湯料金470円を払い、貸タオルをお願いする。
何と貸タオル無料ですかそうですか。
自前タオルはあるのだが、今日のデイパックの中には買ったばかりの本があるので、濡れタオルを一緒に仕舞いたくなかった為である。
バイクではないのでいつもよりかなり軽装備であり、下着と防寒用のアンダーの上にはLLビーンのコットンシャツとジャンパーなので余裕でロッカーに収まる。
さあ行くぜ!
早速の西伊豆からの富士山がお出迎え、何せ昨日その西伊豆からの富士山(本物)を見て来たばかりだからな。
固定シャワーのある仕切り壁側のカランで身体を流す。
カラン数は外壁から4、5ー5の島、仕切り壁の6と少な目。
外壁側の浴槽に近い所に立ちシャワーのある珍しい構造だ。
髭まで当たって浴槽へ、先ずは富士山と対面して浅湯に。
久々のペンキ絵を堪能した後、浴室を見聞。
浴室幅は三間半、奥行きが四間。
床の風車紋様のタイルと仕切り壁の上部のタイルがハイカラな感じだ。
湯気抜きはこれぞ関東の銭湯と言わんばかりの中央四間四方ぶち抜き、良いねえ、この開放空間。
空の色が薄暮から夕闇へと移る様を浴槽から楽しんで、シャワーで上がり湯を浴びて身体を拭う。
防寒アンダーの性能が良過ぎるので確りと汗が引くまで涼み、服を着る。
タオルを返す際にお礼と良いお湯だった事を伝えるとおかみさんが、「薪で焚いてるから温まったでしょ」と声をかけてくれた。
言うまでもないが最高レベルの銭湯だ。

松島館を暇して、戸部へと戻る道を進んで行く。
行き掛けに見つけた蕎麦屋で一杯引っ掛けようかと思っていたが、台湾料理店の立看板の文字にレーダーが著しく反応する。
横浜羽沢野菜のサラダ、だと?
人生の半分以上を既に広島で過ごしたが根っこは横浜、横浜市歌だって未だ歌えるんだぜ。
そこにそんな文字並べられたらそりゃ入りますよ、もう。
台湾料理の金葉は開店したばかりのようで、他に客はいなかった。
取り敢えずはハイボール、そして横浜野菜のサラダ。
ハーフができるそうなのでハーフにしておこう。
先に届いたハイボールを嘗めながら、テレビのニュースを眺めていると程無くして横浜野菜のサラダ、満を持しての登場である。
見た目は7、8種類の野菜が盛られたミックスサラダだが、明らかに名前が判る野菜はキャベツと人参くらいなものだ。
後はラディッシュなのかサラダリーフなのが法蓮草なのか全く判らない。
考えても仕方がないので箸をつける。
大きめにカットしてあるのでキャベツと人参をつまみ口に運ぶ。
甘!
控えめにドレッシングが掛けてあるが野菜の味が物凄く甘く感じられる。
これは美味い。
外壁が緑色で中身が赤地に白い水玉模様の大根の一種やラディッシュのような野菜は歯応え良く、さっぱりとした味が特徴だ。
むしゃむしゃと食い進み、ハイボールを流し込むともう少しここで飲んで行こうと心が決まる。
メニューを眺めつすがめつしていると、干し大根の卵焼きと言うメニューがある。
フラッシュバックの様に脳裏に、呉にあった台湾料理の店「香到里」が思い出される。
独身の頃は週に一度は必ず顔を出していた店の一つで、台湾の家庭料理の大皿がカウンターに並び、何を食べても旨かった。
マスターが身体を壊し急に店を閉められ、それ以来台湾料理の店に行った事はない。
近くに無かったのもあるだろうし、敢えて探そうともしなかったその理由が今なら、何となく判る。
多分、俺は香到里と言う店を自分の中から無くしたくなかったんだろうなと思う。
あれから何年経ったのかも最早忘れてしまったが、香到里はちゃんと俺の中にあった。
干し大根の卵焼きと紹興酒のハイボールを追加して、二杯目は少ししんみりと。
確かにあの頃と同じ味がした。

心引かれるメニュー達を振り切って金葉を二杯で暇する。
さあ横浜名酒センター行くぜ。
横浜名酒センターは岡野町にあるので電車で横浜に行って更に歩くと結構あるため、バスで近付けねえかなと模索。
金葉の目の前はバス通りなので松島館の方に少し戻った所にあるバス停をみると、何じゃこりゃ?
一日に数本、しかも午前中だけとか。
ここは本当に日本第二の大都市横浜かと思えるような時刻表である。
こんなひどい路線は昔は太尾新道を走ってた41系統か瑞穂埠頭を走ってた48系統位しか見たことねえぞ。
まあ一本道を離れれば新横浜桜木町線の大通りなのでそっちにいくと、101系統保土ヶ谷行きが通るので停留所二つばかりバス移動。
はっきりいって岡野町でバスを降りるのは初めてではなかろうか。
スクランブル交差点を渡り勝手知ったるドアの前まで行くと何やら貼り紙が「2月◯日まで休みます」。
ガーソ!
おおお、ここまでほぼ完璧だった(行き当たりばったりの)計画遂行が・・・。
頭の中は完全に日本酒飲んでブライアンと面白おかしく話をするつもりだったのに。
仕方ない、酒だけでも飲まなきゃ収まらねえと、グーグル先生にお伺いを立てる。
横浜辺りに戻れば店など選び放題だが今日は「戻る」という選択肢がどうしてもダイアログに出て来ないため岡野町周辺で適当に探す。
日本酒を売りにしてるらしい店が三軒ほどヒット。
一軒は改装中のようで残る二軒の内、日本酒原価酒蔵という店を選択する。
まあ先に言って置くけど誉めないよ。

店内に入り二人掛けのテーブルに案内されると、店の簡単なシステムと日本酒についての説明が始まる。
システムはともかく日本酒について俺に何を説明しようというのだ?
酒関係の本で埋まった俺の本棚を見せてやりたいわ。
然し何処を探しても「説明をスキップ」というボタンが表示されてないので約5分近くに渡り聞き流す事に専念する。

取り敢えず安芸津の地酒、今田美穂杜氏の醸す富久長。
肴は温かいものが欲しかったので青海苔豆腐を注文する。
酒は100ミリリットルの小瓶で提供されるようだ。
2オンスのグラス8分注ぎで2杯分位?
色々飲みたい時には良いかもしれない。
店の中のポップに依るとこの小瓶を売っているらしいが、とりあえず100ミリリットルしか入らない瓶を一合瓶と呼ぶのは止めた方が良いんじゃね。
青海苔豆腐は中々美味い。
酒を陸奥八仙(だったと思う)に代えてのんびり。
大分余裕が出て来たのか、仕事しないバイトを見ても自分に被害が及ばない限りは温厚な態度を保てている。
最後に肉っ気が欲しくなったので木戸泉とハムカツを追加して暇。
2500円弱の勘定になったが、まあそんなもんだろ。
アプリ入れたりすると安くなったりするらしいが心配しなくても二度目はない。

さて翌日、起きるのは早いが朝飯はパス。
親父の仏壇に線香をあげて、8時を過ぎた頃に家を出る。
今日の目的地は永田町、そう国立国会図書館での旧い住宅地図調査が目的だ。
新しくなった渋谷にも然程迷うことなく乗換えられ開館して間もない国会図書館に到着。
先ず利用者登録をしてカードをつくる。
当然初めて来たのだが職員さんの対応が凄く良い。
ちょっとした質問にも懇切丁寧に答えてくれるので、迷ったりすることがあまりない。
カードを受け取り早速本館の4階の地図室へ向かう。
ここでも検索方法から請求方法、複写の申込み方法など丁寧に説明してもらい、因島市の1970年の住宅地図と大崎上島町の1978年の住宅地図を請求した。

昭和期の広島県銭湯調査は現在行き詰まり状態である。
住宅地図で存在を確認できていないのが、庄原市の寿湯、旧因島市のだるま湯、因島温泉、都湯、みなと湯の四軒、三原市の和田温泉、大崎上島のだるま湯、鮴崎温泉、甲湯、大平湯、一〆目風呂、そして豊島の大和湯となる。
この内住所や経営者などから推測したり、現地調査でほぼ特定したものを除くと庄原市の寿湯と因島の四軒、そして大崎上島のだるま湯が残る。
広島の県立図書館にある因島、大崎上島の地図より旧い住宅地図はもう国会図書館にしか存在していない。
つまるところ住宅地図に依る調査の最後の砦である。
何としてでも何か掴んで帰りたいところである。
程無くして届いた資料を受け取り、閲覧席で調査開始。
尚、国会図書館には鞄等は持ち込めないので持ち物はクリアファイル一冊とノート一冊、そして筆記具セットだけだ。
先ずは因島の土生周辺を絨毯爆撃。
ページの上端部分にだるま湯を発見し安堵する。
これでここまで来た事が全く無駄ではなくなった。
別ページで因島温泉も確認できたが、三庄地区の都湯とみなと湯は発見出来ず。
また大崎上島の地図では甲湯の位置が特定できたものの、肝心なだるま湯は発見に至らず。
兎にも角にも図書館での調査は出来る処までやった、と思う。
だって国会図書館まで調べたんですよ。
これ以上地図がありそうな所ってゼンリンの本社資料室とかしか思い浮かばないよ。
そんなん行く方法も思い付かないわ。

地図の複写を申込み、複写カウンターで受け取ると、既に昼前だ。
流石に腹が減って来たので何か食おう。
検索すると食堂があるらしいので行ってみると、何か凄いメニューがある。
メガカレーというシリーズだがトレイの上に皿を置くと後はスプーン位しか置くスペースが残らないほど皿がでかい。
それでもショーケース内の見本ではそれほどご飯が多く見えなかったので、朝も食ってないしイケるやろと牛丼との合い掛けとなるメガ図書館カレー850円なりの食券を購入。
カレーや定食のカウンターに出して暫し待つ。
出て来た皿をみて内心「やってしもうたー!」
ほぼトレイと同じ大きさの皿の全域に拡がるご飯の量は見本より遥かに多い。
これは狗頭羊肉ですわなど考えてる場合ではなく、兎に角お冷やをゲットして空いている席の方へと移動する。
こうなれば満腹中枢が刺激されるまえに一気呵成に食うしかないと、勇猛果敢に食い始めるも新たな刺客が登場。
暑い、そりゃそうだ。
暖房の効いた部屋で防寒のアンダーも着込んでいるのにカレーなんか食えば汗も出よう。
端からみれば汗だくで大盛のカレーを詰め込んでるおっさんだが、当の本人にそんなことを考える余裕もなく何とか平らげることに成功。
今針で突かれたらつるんと皮がはじけて俺の形のカレーが出そうな気分である。
取り敢えず汗だくなので一度コインロッカーまで戻り、ボディペーパーで汗を拭う。
ひー、暫く何も食わなくて良いや。

午後からは雑誌カウンターでまんがタイムスペシャルのバックナンバー閲覧を申し込む。
まんがタイムスペシャルには「花の湯へようこそ」という銭湯をテーマとした漫画が連載されていた。
単行本は4巻まで発行されているが、雑誌掲載分で1年5ヵ月分が単行本未収録のままとなっているのである。
行くだろ、当然。
事前に情報を整理しておいたこともあり、二回に分けて閲覧、複写申込み。
最終回までの資料を手にいれ終えたのは3時頃だったか。
取り敢えず国会図書館でやりたい事はやり終えた。
明日は仕事なので横須賀に戻って風呂と酒かな。

多分新橋辺りまで地下鉄で行って、東海道線、横須賀線と乗継ぐのが早いのだろうが結局渋谷から横浜乗り換え京急というルート。
酒を飲むのが中央の方が都合が良さそうなのでこのルートとした。
じゃあ京急沿線での銭湯はと言うとこれまた一悩み。
折しも冷たい雨が降りだして、あまり歩きたくはない状態。
そんなこんなで横須賀辺りの銭湯を探っていたが、どうも一軒足りない気がする。
汐入の大黒湯閉業は知っていたが中央より南側でもう一軒あった気がすると思い色々探ると富の湯がグーグルマップに出てないぞ。
慌てて検索掛けると昨年8月に火災が起きて消失したという記事が出てきた。
マジかー。
フィギュアの並んだレトロ銭湯ってTVKの銭湯物語でも紹介されてたのに。
本当にどんどん無くなっていくなあ。
第二常盤湯も永生湯も無くなったしなあ。
行ける所は行っておかないとなあ。
という訳で京急大津まで行き宮本温泉に入ることにした。
京急大津から歩くこと約10分ほど、住宅街の中に宮本温泉は見えて来た。
下足箱に靴を入れてその鍵をフロントへ、代わりに脱衣ロッカーの鍵をくれる仕組みだ。
こぢんまりとした脱衣場で服を脱ぎつつ周りをみるとやたら注意書きが多い気がする。
昔、品川の高輪浴場に行った時やはり注意書きが多かった事を思いだしつつロッカーに服を納め浴室へ。
目の前にいきなり紺色タイルの小さな浴槽が現れるがこれは水風呂の浴槽だ。
仕切り壁にシャワー付きのカランが7つ程並び一番手前は立シャワー。
外壁側はサウナ入口からカランが3つ、露天風呂の入口と続き奥壁手前に主浴槽と続く。
主浴槽の奥には写真をプリントしたようなタイル絵が渓流の風景を描きだしている。
水風呂の脇に鏡もシャワーもない真四角な島カランがあり、髭を剃る気も無かったのでここで身体を流す事にする。
メガ図書館カレーのお陰で大汗をかいたので、漸くさっぱりする事ができた。
主浴槽は少し熱めなので露天に入ろうとすると常連さんに声を掛けられ世間話をする事に。
雨が更に勢いを増す中、実母散の露天に浸かったり涼んだりを繰り返し、最後に主浴槽から水風呂へのコンボの後、立シャワーで上がり湯。
最近モバイル替え下着セット同梱のタオルを、セブンイレブンの極ふわフェイスタオルに替えたのだが、このタオルが優れもので風呂上がりに一通り身体を拭ってもまだ、水分を絞り出せない位給水性が高い。
少し嵩張るのが難点だが、鞄の中などにしまう場合水漏れの危険が下がるのでお勧めである。
あてがわれたロッカーの隣の爺さんが非常にのんびりとお着替え下さったので、脱衣場で十分に涼む事が出来た。
ロビーに出て靴下を履きなおして冷たいものでも飲もうかと思ったが、メガ図書館カレーの影響未だ衰えず。
ここで飲んだらもう他で飲み食いできねえと思い宮本温泉を辞した。
堀ノ内まで一駅分歩き、三春町の富の湯の跡を確認。
商店街に不意に現れるぽっかりと空いた更地に在りし日の富の湯に思いを馳せ、堀ノ内から中央へ戻った。
然し未だメガ図書館カレーは腹の中でその存在を主張をしているのではしご酒は断念、中央酒場で一杯だけ飲んで帰る事にする。
折角だから久々にハートランド、一杯目のコップを堪能した後、牡蛎の天ぷらを注文。
熱々の天ぷらを抹茶塩、レモンと醤油で交互に楽しみハートランドを空けてしまうと最早限界。
大人しく帰る事にし、かくして前編はここまで。


年の瀬の調査行と延岡の奇跡 喜楽湯

2018-12-16 09:48:49 | 日記
ここらで一つ更新しておかないと又新春の雑感になりそうなので何とかしようか。
とはいえ仕事も忙しく然程取り立ててニュースもないのだけどな。

一つ思い付いた所で刃物を研いだ話をしようか。
大分前になってしまったが娘が工作をするとのことで木っ端を沢山持ってきた。
木っ端と言っても拾って来たような物ではなく、色々な長さ形の木片がビニール袋に入って売られている物のようである。
かなり無理そうな代物を色々作りたいと言っていたが、なだめすかしてログハウス風の小物入れに落とし処を持って行き休みの日にちまちまとパーツを削りだしている。細かいパーツも多いが、全てカッターナイフでという訳にもいかずオルファのホルダーに着けるノコギリ刃等も使っての一仕事である。
削り出したパーツを全部サンドペーパーで磨くのも大変なので、ある刃物にご登場願うことにした。
親父の形見の鉋である。
実はこの鉋、刃の所に入っていた銘を検索したところかなりの名工の作であることが判っている。
今まで殆ど使うことなかったので使って見ると、今一つ綺麗に削れない。
これ又親父の形見の30倍のルーペで刃先を見ると、欠けがあったりとどうもよろしくない。
仕方あるめえと、研ぐ事にしたのだが鉋なんか研いだこと有る訳ない。
YouTubeで検索して動画を検分し、まずは砥石の面出しから始める事になった。
家にある砥石は包丁位しか研がないので、正確な平面を得るために中砥の使ってない面で仕上げ砥石を磨く。
これだけで30分位掛かり、既に少し後悔。
さて次に鉋の刃、鉋身を研ぎ始めるが流石は名工の品。
鋼が硬いのなんのって、欠けた部分が揃うまで一時間近くも中砥で研がされるとは思わなかった。
しかも鉋身というものは砥石の面に真っ直ぐ当てて研ぐために、刃先を押さえていた指から血が出てきたわ。
仕上げ砥は程なく研げたので、元々綺麗だった裏金は軽く研ぐに留め何とか無事終了。
適当な木を削りつつ刃の調整。
最初は木を手に持ってやってみたが上手くいかず、クランプで木を固定してやると何とか上手く力が掛けられるようになった。
やはり道具というものは正しく使うのが大切と思い知る。
最終的に透けて見える程の鉋屑を作ることが出来たので良しとしよう。
因みに鉋屑の薄さに挑戦している人のブログは凄い物があった。
興味のある方は是非検索してみることをお薦めする。
しかし金箔って薄いんだな。


元々昭和43年の呉市の全銭湯の場所を調べる目的で始めた調査であったが完全に広島県の全銭湯へと拡がってしまった。
現在の処、全国浴場名鑑に掲載されていた385軒の銭湯の内、全く見当もつかないのが6軒。
住所や現地調査から推定ながらも特定したのが16軒。
特定率は98.4%とまずまずの結果である。
先日代休日に、大調査行を決行したのでその顛末を少し。

いつものように朝に家をでる。
少し遅らせてはみたものの、俺が家を出るのは薄明にもなっていない頃なので真っ暗である。
気温7度の中、ゆるりとバイクで東へ向かう。
主目的は図書館4軒。
福山市中央図書館、尾道市立中央図書館、三原市立中央図書館、市立竹原書院図書館の4軒で県立図書館より古い住宅地図の閲覧が目的だ。
各館で開館時間が異なるが最も早い閉館は市立竹原書院図書館の午後6時であるため、最も遠い福山市中央図書館から攻めるのがセオリーと云うものだろう。
まあ折角遠出するので通りすがりの銭湯跡もなるべく見ていくかと、グーグルマップで、今までに判っている銭湯跡をチェック。
建物が現存していそうな所をいくつかピックアップしてある。
安芸津まで来たものの未だ暗いのでセブンイレブンのカフェラテで暖を取りつつ夜明けを待ち、先ずは竹原市吉名の稲田公衆浴場と吾妻湯の場所を確認。
稲田公衆浴場は個人宅になっており銭湯の面影はないが、吾妻湯の方は建物現存のようだ。
犬の散歩に出て来た近所の方に確認し間違いなく銭湯跡だと確認し次へ向かう。
竹原の市街地で竹原温泉の建物も確認、一階部分は色々な店舗が入っているが二階部分の外装がいかにもな感じだ。
人通りがなく近隣住民に確認出来なかったが後で、意外な形で確認出来る事となる。

同じく竹原市の忠海は以前旭湯建物の現存を確認していたがその他にも3軒の銭湯があった。
えびす湯、山福湯は既に無いようだが旭湯から程近くにあっただるま湯跡は引き込みの入口に引戸が左右にあり番台の背と脱衣場部分の壁がタイル貼りのどこから見ても銭湯だ。

国道185号線を更に東進。
東へ向いて走るので朝日が眩しい。
日陰者が陽の光など浴びたら灰になりかねないなどと愚痴りつつも三原の手前、幸崎町の桜湯跡付近へ。
左右対象の建物を程なく発見したが今一つ確証が持てなかった所、近隣住民の方に聞くことができて桜湯跡無事発見。
もう一軒の大村湯の建物は既に無かった。
須波駅近くで名山温泉の跡が無い事を確認したところで、大分時間を食っていたので一路福山へ向かう。
各図書館で一時間半程調査に費やすとしても、福山市中央図書館のオープン10時から竹原書院図書館に4時半に入るには6時間半しか無いのである。
幸い福山市中央図書館に近くに着いたのは9時50分頃、すぐ近所にあった光南湯を確認してから入ることが出来た。

早速カウンターへ赴き、福山市の住宅地図の1962年、1964年、1967年版を借り受ける。
福山での調査は住所からほぼ特定できているが、72年の地図では既に記載が無いつばめ湯の地図上での確認である。
程なく発見、同様に府中市の春日湯と三宝湯も発見し複写申請してコピーを無事ゲットした。
よし良いペースだ。

尾道市中央図書館はそう上手く行かなかった。
尾道市の1966年と1969年の住宅地図は人権保護等のため閲覧に制限があり、目的等を申請して許可を得なければ閲覧複写共に出来ないのである。
カウンターで職員さんに説明し、その職員さんが上司にお伺いを立て、申請書を書いてと2、30分も掛かっただろうか。
漸く閲覧出来るようになった。
尾道での調査は未だ完全に見つかっていない十四日町の尾道温泉、そして玉の浦温泉である。
また向島の末広湯とのんき湯も、現状推定であるためそこも確認したい所である。
尾道温泉、玉の浦温泉は十四日町で番地も判っているためすぐ見つかるかと思いきや、これが中々見つからない。
かくなる上は最終手段、絨毯爆撃である。十四日町のエリアを全てチェックするのであるが最近は目に来るのであまりしたくない。
尾道温泉は全く予想外のエリアで発見、しかも69年の地図では既に観光ビルとなって消滅しているとは見つからない訳だ。
玉の浦温泉も何とか発見したが、向島の二軒は新しい発見もなく痛み分けな感じ。
更に二枚の複写申込書を書いて、尾道温泉、玉の浦温泉のコピーをゲット。
かなりヒットポイントを削られたが、まだまだ先は長い。

尾道から三原はそれほど遠くないため、程なくして三原市中央図書館へ到着。
三原でのチェックは浮城温泉、筆影温泉、和田温泉、名山温泉の温泉パレード4軒と糸崎にあった港湯の計5軒である。
1965年と1967年の住宅地図を借り受け早速チェック
名山温泉は予想通りの位置で発見、筆影温泉は見つかったが以前チェックしてコピーをとっていたページにあり完全に自分の手落ち。
港湯もほぼ予想通りだったが浮城温泉がヤバい。
住所は判っていたものの、現在の三原駅前一帯が同じ住所というブービートラップである。
またもや絨毯爆撃を余儀なくされヒットポイントを削り何とか発見。
住所からかなり絞れている和田温泉は発見出来ず、かなり早い時期に廃業している可能性が高くなった。
更に尾道寄りの木原付近に一軒、風呂という記載がありまた別の銭湯の可能性を発見した。

東へ向かう時は海岸沿いの国道185号線を通ったが、三原竹原間の最短ルートはやはり県道75号線に限る、と言うものの7月豪雨の被害は未だ癒えていない事を痛感した。
片側交互通行やあちこちに見られる土砂崩れの痕跡が生々しい。
竹原の市街地へ降り竹原書院図書館に到着したのは3時半頃。
十分調査時間はある積もりでいた。
竹原市の1968年住宅地図を借りたいとカウンターで申し出ると、ちょっと職員さんがばたばたして暫くして持って来てくれたのだが何かやたら紙が挟まっている。
どうも事前に銭湯の事を調べたいのでと電話で確認したのだが、職員さんがチェックしてくれていたらしい。
うわ、申し訳ねえ。
しかも一枚の紙に調査結果をまとめ、さらに79年の竹原市商工年鑑から浴場経営者を抜粋してくれている。
うわ、俺のやること無いんじゃね?とか思ったらそうでもなかった。
竹原市で見つかっていないのが竹原町の旭湯であるが、やはり調査結果のリストにない。
そして商工年鑑の方に名山湯という聞いたことの無い銭湯名が記されている。
とりあえず住宅地図を確認するも旭湯はやはりない。
商工年鑑も貸して貰い名山湯を確認すると忠海にあったと記載されている。
すわ忠海5軒目の銭湯かと思ったが商工年鑑をよく見ると山福湯と同じ電話番号が記載され代表の名字も同じである。
代替わりの同銭湯ということでこの件は終了。
結局見つかっていない旭湯に悩んでいると、職員さんが色々相談に乗ってくださり年配の方を連れて来られた。
竹原書院図書館の館長さんで、事前に調べて下さった方のようである。
実際に入浴された竹原の銭湯も多くその特徴も調査結果に書かれていて非常に助かった所である。
同図書館収蔵の資料では住宅地図も商工年鑑も最も古いものを調べているので手詰まりかと思ったが、もう一度職員さんに商工のみで検索をかけてもらい出版年の昇順でソートしてもらった。
そこで見つけたのが都市商工調査所編の竹原市詳細図典、昭和35年8月現在というものがあるとのこと。
一縷の望みを掛けて借り受けた資料は、街並みはデフォルメされているが竹原市中心部の住宅地図であった。
経営者名字からおそらくはここだと云うページを開く。
・・・・・・・あった、朝日湯とあるが間違いない、漸く見つけた。
館長さんも職員さんも我が事の様に喜んでくれて、暫く銭湯談義で盛り上がり、暗くなって来たところで暇した。
何とも実り多き一日であった事だろうか。

風呂の話だけど最近ちょっと行ってないな。
ここ一月は鶴の湯二回、湯楽里一回、汐音一回とすっかりお見限り的。
これも仕事が忙しいせいで、出張先も銭湯も無いような片田舎ばかりだったのだが、先日出張先での半日オフがあり行きたかった一軒に行くことができた。
延岡の奇跡、喜楽湯である。
出張先の宿から駅まで徒歩30分、一時間に一本か二本の日豊本線に乗って約30分、延岡駅から歩いて喜楽湯まで約30分。
そうそう行けねえよ!
だって喜楽湯って19時迄だって云うし。
今回は明るい内に喜楽湯に着けると判った時点で行くことを決めたね。
喜楽湯さえ入れば良しで後は何も考えてない小ツアーである。
角打ちでもやってるような酒屋でもあれば良かったけどなさそう。
という訳で行って来ました喜楽湯。
グーグル先生頼りで最初路地の裏側に行ってしまい、少々焦ったが無事に到着。
水色の板壁が見えた時は心底ほっとしたね。
番台で料金を払い脱衣場へ。
渋いわあ、これまた。
松本康治さんのレトロ銭湯へようこそ西日本版の表紙を飾った喜楽湯を今更描写してもという感じなのであっさりと。
凍えた身体を暖めようとさっさと浴室へ。
何ともシンプルなのに素晴らしい佇まいを見せる中央の円形浴槽と使われてはいないが奥壁前に設えられた半円浴槽。
カランは仕切り壁側のみで奥側は仕切り壁が競りだしており、上にあるのは常連さんの入浴道具だろうか。
椅子や桶は外壁側に積まれている。
白ケロリン、宇部友恵湯以来の邂逅である。
先客は一人だが身体を流している間に上がってしまったので貸し切り状態。
円形浴槽の絶妙なアールを描く縁に頭を乗せて身体を伸ばす。
板造りの天井の中央部は高くなっているが湯気抜きの小窓はないようだ。
ふう、今は難しい事は考えなくて良いだろう。
脱衣場のテレビから笑点のテーマが聞こえてくる。
宮崎はこんな時間にやってんだとぼんやり考える。
ああ、良い風呂だ。

湯冷めしないようにしっかり身体を乾かし服を着る。
礼を言って暇して駅の方向へ歩き出す。
行きの道中に角打ちしてるような酒屋は見当たらなかったので、帰りは違う道を進んで見るも飲み屋ばかりである。
五ヶ瀬川の堤防にぶつかった所で何やら看板があり畳堤とかいてある。
史跡の説明看板を読んで一つ上流の橋まで歩き散策。
延岡に残るもう一軒の銭湯、丸か湯を見て商店街を抜ける内に駅の近くへ戻ってしまった。仕方なく次の電車の時間を確認すると一時間位ある。
駅前にあった渋い食堂は休みのようで、かといってコンビニでビール買って外で一時間は寒過ぎる。
何か近くにねえかなと検索する内、チキン南蛮発祥の店が近くにあるとの事。
たまにはまともな物を食ってもばちは当たるまいと行ってみた。
チキン南蛮の定食と瓶ビールで贅沢な夕食。
チキン南蛮はタルタルソースではなく揚げた胸肉を甘酢にくぐらせたタイプで確かに旨かった。
後は電車乗って帰るだけなはずなのに結局またコンビニ寄るんだよな。
寒いとか言ってる割にはアイスと宮崎の日本酒のワンカップとか買ってるし。

そんなこんなで師走も何とか過ごしております。
まだ忙しいのが残ってますので次の更新は多分新春の雑感となりそうです。

関東での御乱行

2018-09-24 18:03:30 | 日記
夏の関東での顛末を自粛したまま放っておいたら別の話を先にアップしてしまったのでとりあえず書いておこう。

久々の関東での仕事は波乱もなく無事終わり。
休日にも掛かり実家に帰ることにして連絡を入れ、取り敢えずは酒と風呂。
後輩に連絡を入れていたが今のところ音信不通。
その後輩と前回会った時に行きそびれていた鎌倉の高崎屋本店を見てみようという事で途中下車。
休日のせいか観光客が多いが、嫌になる程ではない。
あまり汗を掻かないように、のんびりと御成町を歩き、程なく到着。
通りに面した酒屋の横の細道側に一畳程の立ち飲みスペースがある予想とはちょっと違う感じ。
時間も早いし観光客らしいカップルが一組居るだけだったので、ヒューガルデンとチーかまでさっくりと飲み暇した。

さてまだ陽は高いし、取り敢えず横浜まで出て時間調整にハンズと有隣堂をチェック。
歩きながらの思案で今日の風呂を市内最小かつビジュアル豊富と名高い子安の井川湯に決めた。
京急で子安に移動し、うだるような午後の風を浴びつつ井川湯へ。
グーグル先生のお導きによって迷うことなく細い路地の奥に井川湯を発見。
早速お邪魔しようじゃないか。
玄関の鯉のタイルを眺めてから、下足箱に靴を納め引戸を開けると板張りのシンプルな脱衣場。
番台のおかあさんに料金を払い、外壁側に並んだ化粧板のロッカーに荷物を放り込み汗に湿ったシャツを脱ぎ捨てる。
いや、ちゃんとロッカーにしまいましたよ。
兎に角さっさと浴室へ。

おお、流石は小さな美術館と称される井川湯。
外壁側まで少し入り込んだペンキ絵の下は鯉のタイル絵。
外壁仕切り壁共に6個しかカランがないが仕切り壁には三枚のタイル絵。
ええと、三保の松原、二宮尊徳、忍野八海ですかね。
ペンキ絵は以前は赤富士と聞いたが新しくなって富士山本体は女湯側のようであり男湯は海岸、西伊豆か、それにしては島が多いか?
とにかく身体を流そう。

高崎屋でのビールなぞ既に身体の中に残ってない位、シャツ湿ったしな。
カランのお湯は熱くメンテナンスの良さが感じられる。
髭まであたって、浴槽へ。
広くはないが湯気抜きが高く、まだ明るい外の光が浴室内を優しく照らしている。
相客は一人でまだ身体を流しているので、浴槽を独り占めしてペンキ絵を堪能。
まあ程々にしておかないとまた大汗かきますから。
相当水を浴びましたけど、中々汗引きそうにないです。

脱衣場で下着一枚で15分ほどテレビをみながら、扇子使って暫く休憩。
落ち着いた所で服を着る。
番台のおかみさんに挨拶してしばし雑談、ここ紹介して頂いた英語講師の方の話をするとよく来られるんですよと。
今度来たらお伝えしておきますねと、俺の名前を控えて下さっていた。

いやはや気分良く、少し涼しくなった街をゆっくり子安の方へ歩く。
第一京浜を渡った所で、立飲み情報のあった岡澤酒店を覗いて見るも電気は付いていない。
しかし中で掃除をされてる人が居たので声を掛けてみると、凄く申し訳無さそうに今日は休みなんですと教えてくれた。
定休日も知らず声を掛けたのはこっちだし恐縮してまた今度伺いますと、その場を離れた。

んー、ビール位飲んで置きたい所だけと、まいばすけっとで買うのも風情がない。
大口側に出るかと線路の下をくぐり、大口一番街側に出た。
出てすぐにある金剛商店は良さげな感じだがまだ準備中、少し歩いて竹澤商店の前、焼鳥や煮込みが物凄く旨そうだが、周りを見てもビールをゲット出来そうなコンビニや酒屋が見当たらず、暖かいもの持って歩くのも何なのでスルー。
マイマップで立飲みマップを確認すると、おっ近くに美加登屋酒店があるじゃん。
定休日でも無さそうだし、早速足を向ける。
グーグル先生のお蔭で全く迷う事なく、すぐに到着。
立飲みカウンターには三人ほど着いている。

サッポロ黒ラベルを出して貰い先ずは一杯。
ふう、生き返るぜ。
三人の先客は常連のようだが気さくに声をかけてくれる。
どっから来たのと、どこ行って来たので20分は話が持つが銭湯行って来たと言うとかなり食い付いてこの界隈の銭湯について色々教えてくれた。
まあ知ってますけど。
ノザキのピリ辛ウインナーを貰ってのんびりとビールを空け、また来ますと言って暇した。
良い雰囲気だった。
子安から大口界隈はまだまだ探究の余地ありだなあ。
次は大口駅周辺かな。

その日は取り敢えず家帰って晩飯。
その後後輩から連絡貰い翌日飲む事にして寝る。

翌日、昼飯食った後に家を出る。
後輩との約束の時間はまだまだ先だが、ホームセンターやらあちこちで買い物をするためである。
目指すは星川のコーナン。
頼まれたものを色々買い込み、星川から相鉄に乗って一路横浜へ。
おっと最近導入された相鉄の20000系じゃないすか。
中々渋いな。
時間があれば相鉄線界隈も銭湯立飲み探索推奨エリアだが今日は結構忙しい。

横浜もダイソー、マツキヨと色々巡り買い物が一通り目処がついた所で、京急で子安を目指す。
あれまた子安?
はい、実は昨日井川湯に風呂道具忘れて来ました。
気が付いたのが子安から下りの電車乗った後だったんで今日取りに行きますと連絡はしておいた。
ちょっと早く着いたんでまいばすけっとで涼みながら時間潰して井川湯。
昨日電話を受けてくれたご主人が居られ、すぐに道具を受け取れた。
泣けるね、しっかり乾かしてくれてあるよ。

子安に戻り更に生麦へ移動。
今日、何だかの試験受けてくる後輩を待ち伏せる。
携帯で漫画読んでるうちに後輩到着。
さて先ずさっぱりとしますか。
国道沿いまで出て少し歩くと宮造りの立派な銭湯が見えてくる。
横浜でも屈指の銭湯、朝日湯初訪問である。
下足箱に靴を仕舞い、番台で500円玉をだすと、番台おかみさんから何?との一言。
?こっちも何?状態だがどうやらサウナとかは要らないのかとの事らしい。
流石は鶴見区、客に阿ねるようなことはしないらしいので、こちらも風呂だけと端的に返事をする。
高い格天井に渋い色合いの島ロッカー。
意外と広さを感じないのは島ロッカーが2個もあるためか。
さっくり服を脱いで浴室へ。
後輩風呂道具忘れたと石鹸を買おうとしたが、一通り揃っているマイ風呂道具に隙はない。
浴室も期待していたほど広くはなかった。
カランは仕切り壁6、5-5の島カラン、5の島と立シャワーが2つ。
浴室内部にサウナ切ってあるから広く見えないのかな。
一通り身体を流して浴槽へ。
今日も表は蒸し暑く、のぼせない程度に黒湯の水風呂なども織り混ぜつつ、程々にして上がる。

えらく駆け足のような感じがするが、まさにその通りで今日ばかりは名湯朝日湯もおまけみたいなものである。
今日メインで行きたかったのは朝日湯と生麦駅の間にある立飲みの大番である。
魚の旨い立飲みと言うことで前から入りたかったんですよ。

朝日湯を暇し開いたばかりのはずの大番の引戸をあける。
カウンターに丁度二人が入れる程の隙間がある他は既に一杯だった。
危ねえ、危ねえ。
後輩また健康診断とか聞いていたが、日にち変わったとの事で先ずはビール。
当然キリンの大瓶で。
最初の一杯を飲みながら、二人して壁の短冊と他の客の食ってる皿をチェック。
先ずは刺し盛、中落ち、ついでに新生姜も。
いや、こりゃ真面目に旨いわ。
混む理由も判るってもんだ。
あっという間にビールは空き、二人して酎ハイに。
つまみは温かいものに移行して、後輩セレクトとアジフライと俺セレクトの生揚げ焼きを追加。
もう一杯づつ酎ハイ入り、最後にホヤ貰って締めくくり。
一人二千円も行かないのにこの満足感、こりゃ名店だわ。

後輩とは実家が逆方向になるので、今日は一軒で別れ俺は一路横浜。
食い物はいいから少し良い酒を飲みたいとくれば、あそこしかあるまい。
以前も寄った横浜日本酒センターまで歩き、階段を上がる。
まだ開店したばかりで他に客は居らず、下手な英語で店主のブライアンに挨拶しても恥にはなるまい。
前回寄った時も相当楽しかった覚えがあるが、今回も良かったね。
飲んだ酒の銘柄まったく覚えてないよ。
途中入ってきた女の人とも良く話したな。
若いのに意外と飲み歩いてるようで、鶴見の大番も行ったことありますと言っていた。

さて最終日は横須賀でまた頼まれた買い物をする前に少しだけ飲む事にした。
汐入界隈で立飲みならヒデヨシ酒店か焼鳥小町あたりの名がでるが今日は後輩に聞いた新店開拓だ。
汐入駅前から横断歩道渡った所に酒屋が一軒。
柏木商店という酒屋、一見立飲みなどなさそうだが店舗正面から横手に回ったところにドアがありそこが立飲みスペースへの入り口である。

先ずはビールから。
軽くやって帰ろうと目論んでいたが、相客の頼んでいたつまみが旨そうだったので自分も海老焼売など頼む。
相客とぼつぼつ話す内に勢い付いて、二本目の酎ハイとラー油奴を追加。
更に盛り上がっていると、新しい客が。
おお、前に同じ部署にいた上司の人だ。
挨拶して更に話は弾み、気がつけば三本目のハイボールも少なくなっていた。
買い物があるので名残惜しいが暇して、買い物を済ませ重たい荷物を持ってその日は終了。

いやあ、何だかんだと楽しみました。
新しく行きたいとこも増えるし体がいくつあっても足りんやね。


西日本豪雨災害~ライフワークに関して

2018-08-05 00:33:12 | 日記
西日本豪雨水害が発災してから間もなく1カ月が経過しようとしている。
未だに行方不明の方々も居られる状況ではあるが、呉に住む者として先ずは全国から寄せられた支援にお礼を申し上げたい。
爪痕は多く残されたままで完全に復旧するには多くの時間を要するだろうが、復旧に向け一歩づつ進んでいます。
多くの御支援を頂きまして、誠に有難うございます。

発災当時は出張中で呉に居なかっのだが、一早く避難所に移動した嫁の先見の明により物理的な損害は全く受けなかった。
職場の後輩には車が土砂に埋もれた者も居るが、自分の近しいところでは大きな被害、つまるところ人的被害を受けた人はいない。
自分的に大変だったのは断水そして交通である。

そうそう断水してるころ、やたらブログのアクセスが延びましたがおそらくは呉、銭湯辺りで検索掛けたら出て来たんでしょうねえ。
誠に申し訳ないんですが、そういう事に役に立つようなブログじゃないんですよね。

自分自身、職業柄災害の復旧に従事する傍ら、家の生活用水の確保の為に24時間給水をしている給水所に朝起きてすぐ水を貰いに行き家に持って帰ってから出勤したりしたのだが、災害後の猛暑に水を持って階段を上がるだけで汗みずくに成る始末。
発災当時呉に居なかったおかげで、出先のホームセンターで買うことが出来た折り畳み式の水タンクや袋詰めの飲料用水を家に置いてから出勤。
職場でシャツを代えるのにボディシートを大層消費した。

いつも使っている出勤経路が土砂崩れで通行止めの為に、1.5倍ほどの距離と時間を掛けて通勤。
朝早く家を出る自分は、普段より少し多く車が居るものの問題なく通勤出来たが、呉から広島への通勤通学は地獄だった様である。
広島以外にお住まいの方に説明がてら申し上げると、広島と呉を繋ぐ主な交通は瀬戸内海に沿ったJRの呉線、そして同じように海岸線を走る国道31号線とそのバイパスである広島呉自動車道路である。
その広島と呉の間に全国的に有名となってしまった天応地区、坂町小屋浦地区等がある。
交通としての被害は水尻というところで広島呉道路が躯体と呼ばれる道路の基礎部分から崩落し、JRの線路を押し流し国道31号線を埋め尽くした。
現在でも国道31号線は海岸にあった海水浴場の駐車場を道路に転用した仮復旧の状態であり、最も渋滞の激しい時間帯では呉から坂町を往復するだけで5時間掛かるとまで云われている。
自分が広島に通勤しなくて良かったとつくづく思った。
また呉と東広島を繋ぐ国道375号線は同じように大規模崩落の為に通行止めが続いているが、こちらも東広島呉道路という自動車専用道路があり車は通れる。
通れるが呉市側の最終出口である阿賀出口は災害前でさえ渋滞の多発する先小倉交差点直結なので、既に朝からカオスらしい。
らしいというのはその時間既に職場に着いている自分の無駄に早い出勤時間が効を奏しているためだ。
間もなく1カ月になろうという今、漸くあちこちで通行止めが解除され始め少しずつ渋滞は解消されつつあるということである。

呉は元々海上自衛隊呉基地があるし、海田市には陸上自衛隊の駐屯地があるため、普段から自衛隊の車など見かけることは多いが、この期間はまあそれはあちらこちらで見かける事となった。
特に24時間給水所となった広公園、通称オークアリーナは全国から支援に来てくれた陸上自衛隊の車で埋め尽くされ何処の基地ですか状態。
聞いた話ではオークアリーナが陸上自衛隊員の宿泊所になってたそうで、被災者と同じように体育館で生活しながらの支援は本当に大変だったことと思います。

今災害では当初広島県内で規模問わず5000箇所の崩落があったと報道されていたが今7000箇所に増大している。
さもありなん、道路を走れば至るところにまだ砂が積もっているし山を見ればどの山にも剥き出しとなった土の部分が見て取れる程である。
取り敢えず重要な所から復旧を進めている状態である。
山陽自動車道の高屋ジャンクションが土砂で埋め尽くされた画像を見たが、あれが数日間で撤去出来るとは思わなかった。
まあ東日本大震災でも奇跡的な早さで高速道路を復旧させた日本のインフラ整備の底力は称賛に値すると常々思ってはいるが、流石に早々に完全復旧とは行かないだろう。

最近では市内は大分落ち着きを取り戻し、自分も仕事帰りに銭湯に寄れる時間が取れるようになった。
まだ水道が完全復旧してない頃に阿賀の鶴の湯に寄った時は凄かった。
初めて鶴の湯の空きカラン待ちを見たね。
駐車場も何台分かはあるのだが、店の前の旧道が1車線路駐で数百メートル埋まるほどの大繁盛である。
また地下水を汲み上げ使用しているので、普段から水を汲んで持って帰って良い様に蛇口が用意されてるのだが、外に用意した蛇口にも行列ができる始末。
大変だったことだろうが、復旧するまでに半年分位稼げたんじゃなかろうか。
何軒かの銭湯や温浴施設は自治体からの要請で無料支援をして頂いたそうで、嫁と娘も赤ビル温泉に行ってきたそうである。
先日赤ビル温泉に寄った際に知己のオーナーをお見かけしたので、お礼を言ってきた。

その際に脱衣場に貼ってあった戦前の呉の住宅地図のソースを伺ったのだが、呉市史を編纂しているところが市政の100周年記念として発行した呉の歩みという本に昭和16年頃の呉市市街図が掲載されているとの事であった。
何でそんな話になるかというと、大分前の話になるが横浜で銭湯と横浜展という展覧が開催されていた。
自分は行けなかったのだが、このブログの読者でもある兄貴が気を効かせて、見に行ったうえに図録を買っておいてくれたのである。
ツイッターで画像を見たのだがその中でも昭和43年の横浜市銭湯マップがかなり俺の興味を引いた。
以前、全国浴場名鑑を閲覧して43年の銭湯リストは数県分コピーをとった事だし、広島のも作れるんじゃね?と安易に考えたのがこのブログを書いているバカである。

全国浴場名鑑44年度版に掲載されている広島県の銭湯は385軒。
ちなみに昭和43年の横浜市で347軒だそうだが、まあリストもあるんだしイケるやろと軽く泥沼に頭からダイブした次第である。
最初に立ち塞がった壁が旧住所表記の壁である。
リストは当然旧住所表記であるのでそのま現在の地図で探してもわからない。
変化していないところもあるが、新しい住所に変わった所や、昔と町名自体が変わり既に存在しない町名等が単純にリストから現在の地図への反映を不可能にしている。
先ずこの壁を突破するには、旧い住宅地図と現在の住宅地図を見比べながら当時の街が今のどこら辺になるのかを首っぴきで見比べる必要が出て来てしまった。
呉市の図書館では古いものでも昭和58年が限界だったので、休みを利用して広島の県立図書館に初めて行ったのはもう2カ月以上前のことである。
幸い昭和43年の住宅地図があり、リストの頭の広島市内から始めたものの慣れない作業であっという間に時間を浪費。
これでは呉市の銭湯すらたどり着けないと、あっさり呉市内の銭湯の地図作成へと路線を変更する。
ある程度慣れたので旧市内である呉支部の銭湯は殆ど特定し現在の地図での位置もほぼ割り出せたが、旧阿賀町及び広町の芸南支部に移った途端に再度スピードダウン。
旧地図で銭湯を見つけきれない。
理由は一つの町名が広範囲に渡っており銭湯を発見しきれないのと、リストに番地等まで記載されていない銭湯が多過ぎて的が絞りきれないこと。
それでも古い住宅地図を嘗め回すように見て、温泉マークを発見してはメモをとり、現在の地図と比べてを繰り返し、8割方特定することができた所でその日はタイムアップ。

満足できる調査であったと言えるかどうかは微妙。
理由は却って謎が増えてしまったことによる。
先ず古い住宅地図の目次部分が欠損していて成町なる住所を特定出来なかったため一軒不特定。
次に現在の宮原5丁目にあるはずの神原湯がリストにない。
また阿賀町に西延崎という住所が存在してないことや、リストにない銭湯が旧地図で発見されてしまったのである。

自分の自己評価はいい加減な方だと思っていたが、意外にも結構完璧主義者だったようである。
暇が出来ると近隣の図書館で地図とにらめっこをする事を何度となく繰り返すうちに少しずつ明かりが見えてきた。
別の古住宅地図で成町を発見、神原湯はリスト記載漏れ。
西延崎はやはり存在しなかったし銭湯の屋号も誤記載であることは、住宅地図に記された名字から推察することができた。
大分進んだ所でまた悪い所で完璧主義者の片鱗が出てくる。
呉市って今の呉市だと、旧安芸郡音戸町や豊田郡の川尻町や安浦町、そして芸予諸島も入ってくるんだよなあと、益々もって道の蕀が太くなる。
旧音戸支部の7軒、川尻町の4軒はすぐに特定出来たものの、安浦と芸予諸島の13軒の内、特定出来たのが3軒だけ。
あまりにも住宅地図の探索が困難過ぎる。

目先を変える為に呉市のローカルタウン情報誌くれぇばんのバックナンバーを最初から図書館でチェック。
何回か銭湯の特集を組んでおり、その内の一回に呉案内記という本に銭湯の事が書かれているとのことで一部抜粋されていた銭湯のリストに、今までとの見た事のない銭湯がある事に気が付く。
幸い図書館に居る訳だし検索してみると、あるそうなのて早速閲覧してみる。
何じゃこりゃ?発行が明治40年?
閲覧できたのは復刻版で昭和59年の物だが、国会図書館からの寄贈品のスタンプが押してある。
てな訳で遂に111年前の銭湯の事まで調べ始めてしまった訳である。
この本に記載されていた銭湯名は40軒。
他にも新規開業が数件あるとの一文。
簡単な所在地も書かれていたので、巻末にあった地図と比べつつ見ていくと昭和43年のリストにもある名前が数軒ある。
待てよ、呉って昭和20年7月2日の空襲で市内殆ど焼け野原じゃなかったか?
携帯でさくっと調べると、やはり旧市内は全域に渡り灰塵と化しており、とても銭湯だけ綺麗に残っていたとは考えられない。
やはり戦後に建て直されたと考えるのが適当だろう。
取り敢えず名前とある程度の場所が特定出来ただけで良かろう。

そして思い出したのが以前赤ビル温泉の脱衣場で見た戦前の呉市の復刻住宅地図のことである。
清心温泉のチラシ掲示にも協力していただいたお礼と、災害時の入浴支援のお礼を言うのも兼ねて久々に赤ビル温泉へと出向いたのであった。
やっと話が繋がった。
でもってオーナーと呉由来の九つの嶺の話や、災害時の話をした後教えて貰ったのが市政100年記念の呉の歩み2改訂版に記載された地図だった。

そしてまたもや図書館で地図とにらめっこをしてきた訳だが、阿賀や広、宮原、警固屋などは網羅されていない為に34軒の銭湯を発見するのに留まった。

さてこれからどうするかと云う所であるが、現在の所、明治40年(1907年)、昭和16年(1941年)、昭和43年(1968年)、平成30年(2018年)の4つの時代の資料が出来つつある。
・・・・・並べるべきなんだろうな。
取り敢えず今は集められるだけの資料をかき集めてる有り様である。
集め終わった所で綺麗に並べ、そしてそこからどうして現在に至ったかを考えるのが、研究だと、高校時代の社会科研究部の顧問の言葉が聞こえて来るようだ。
金には成りそうにない趣味ではあるが、何か作れたら赤ビル温泉のオーナーや、ホームグラウンドの常連にでも見て貰うとするか。

あっ、関東出張の話はまた後日。

春の平常運転

2018-04-06 20:57:28 | 日記
桜も殆ど終わってしまったが、相変わらずの平常運転。

先ずは風呂の話。
ここ最近はホームグラウンドの銭湯しか寄っていないが、その頻度がかなり高いので益々の常連化が進行中。
置道具を考えて良いレベルだが、それはもう一つ風呂道具セットを作るということになるので、今のところモバイル風呂道具セットをバイク常備で我慢している。
銭湯関連の勉強の方は、長い間探していた全国浴場銘鑑を閲覧する機会を得て、昭和44年の全国の銭湯の情報をゲット。
見たことがあるけど名前が分からなかった銭湯の名を知ったり、こんなところに銭湯が有ったのかと驚いたり。
一部はコピーを取ることが出来たので、神奈川や広島、岡山などの情報をその内に整理していく積もりである。
そういえば横浜で銭湯と横浜展なるイベントが22日まで開催されているらしい。
こういう時に限って、関東出張の予定が全く無い。
図録だけでも非常に欲しい所なのだが、流石に1300円の図録を買いに行くために、往復4万円の電車賃を払うほど潤沢な小遣いは貰っていない。

横浜のネタでいえば、岡野町の橋のたもとにあった銭湯の名前が岡野湯と判明したり、六角橋だけでも6軒位銭湯が有ったのかと色々読み取れて非常に面白い。
呉の旧市内だけでも46軒銭湯が有ったそうだが、一つ気が付いたのは神原湯が銘鑑に載っていない。
近くにあった石川湯は住所等も照合出来たので、旧い住所等で変わっているのでも無さそうなので記載洩れが濃厚だろう。
旧住所との照合が中々大変だが、その内にエクセルで新旧の照合リストを作るかな。

閉店の情報は相変わらず毎日の様に入って来る。
銭湯情報の豊富さから、最近ツイッターを始めたのだがもう全国の閉店情報が飛び交っている。
追っかけるのも大変なので流石にある程度流しているが、それでも良さげな銭湯やいつか行きたいと思っていた銭湯の情報はきついものがあるなあ。

岡山清心温泉は現在復活基金を募集しているが、今銭湯を一軒新しく造るのに一体いくら掛かるのだろうか?
よしんば上物を建て直せる基金が集まったとして、運転資金は?
そしてそれをいつまで経営していく?
そんな事を考えてしまえば、今から銭湯を建てようなどと考える人はまず居ないだろうと思う。
少しでもコスト下げるにはどんな方法が有るだろうか。
どこかで廃業した銭湯の上物だけでも譲って貰って、上手く解体して移築するとかしないと資材だけでも普通の家を建てる比ではないだろう。
湯釜も廃材等の使えるタイプなら運転資金を軽減出来るだろうが、市街地だと難しいだろうしなあ。
効率の良いボイラも、銭湯クラスの大きさなら安くは無いよなあ。
と、ネガティブな考えばかり浮かぶが決して清心温泉の復活を望んでいない訳ではない。
むしろ出来る事なら大いに助力したいと思っている。
一度は消えていた灯りを再び点すと言う、銭湯業界でも稀有な奇跡を起こした清心温泉。
それは正に黄昏の中の一条の希望の光だったのだから。

桜は今年も美しく咲き、そして潔く散った。
花見をする暇は無かったが、恒例の桜餅は食った。
今年は中々早い時間に買いに行くことが出来ず、三回ほど袖にされたが何とか今年も長明寺にありつけた。
しかし年々軽減気味だった花粉症が今年はことのほか症状が酷く、数年振りに鼻炎の薬を買うはめになってしまった。
お陰でこの季節のもう一つの楽しみのタラの芽採りを完全スルーするはめになった。
俺にも見分けがつく数少ない山菜で、大好物でもあるタラの芽だが、花粉症のせいで山入ろうとか考えられん。
通勤の道すがらに何ヵ所か密生している場所を抑えてあるが、こういう時に限って目に付くんだよな。
大きくなった芽が他人に採られて行くのを観察する毎日だが、最近はタラの芽の採り方も分からず枝を折ってまで採っていく馬鹿が多い。
枝折っちまったら来年生えてこねえだろうに。
もう少し花粉症が収まった所で、こしあぶらか野蒜の方でも採りに行くか。
こしあぶらも枝ごと折っていく馬鹿が増えたとネットの記事で読んだな。

そんなこんなで例年通り平常運転、春の臨時ダイヤは特にありません。
花粉症治まるまで大人しくしてます。