昴星塾(ぼうせいじゅく)のブログ

リサ・ロイヤルの「ギャラクティック・ルーツ・カード」に親しむ会。不定期の掲載。

仏教の応用―1:仏教と占い(易占を含めて)-2(9月20日付のつづき)

2010年10月25日 | 日記

2010年9月27日

仏教の応用―1:仏教と占い(易占を含めて)-2(9月20日付のつづき)

易占は、以上の観点から回向のために行い、また解釈していかなければなりません。わたしたちは、仏陀の弟子達、長老といいますが、彼らのようには神通力はもっていないようにみえます。興味がおありなら長老たちが自らの信仰告白を言い残した詩集『テーラー・ガーター』という本を図書館で探されたらいいです。しかし、私たちのエゴとその意識には神通力はないというだけの話で、わたしたちの良心という私たちの本来の心は、エゴとは別のように感じられますが実は本来の、神通力をもともともっている私たち自身です。わたしたちは、自らの内なる神聖な自己との結びつきを考えるべきなのです。自分が自分にお願いしたり、祈ったりするのは何か変な感じでしょうが、それが真相です。易の神さまというのはおりません。宇宙心は自分の心です。インド古代の宗教や仏教の言い方では、「梵我一如」といいます。梵とはサンスクリットでいうとブラーフマンで、我というのはエゴでなくてセルフのことですが、アートマンといいます。本来の自己、宇宙心に帰一したセルフで、ハイヤーセルフという言い方をする人もいます。

 易占の具体的な注意点は、およそ三つあります。占い方は、コインをつかうかサイコロを使うか、あるいは自分で探してください。

易経という本は必要です(岩波文庫)。それから、通俗的でない、しっかりした解説書もあったほうがよいです。同じ卦でも爻(こう)が違うと解釈が変わります。とくにおすすめの解説書はありません。ご自分でよいと思うものでとりあえずされたらいいのです。注意点は以下のとおりです。(ところで、易といっても、ここでいうのは周易であって、断易(五行易)ではありません。ややこしくなるので説明はしません。)

一、    自分のことを占うのは難しい。手前味噌の解釈に陥りがちである。まずは、おみくじを引いて、誠心誠意でおみくじを引いたとき、どういう答えを得るかを自分で納得するまで確かめて、自分の心の癖に気付いてください。それから易をやってみてください。

二、    他人のことの占いは、その他人が承認するのでない限り、しないこと。台湾で易をしてもらったことがあります。本場のやりかたを見てみたかったのです。共通していたのは、占いを求めてきたその本人に易をさせるのです。させ方は秘伝で、書くことはできません。

三、    易の卦に「山水蒙」という卦があります。これが出たら、それ以上、その件の占いは止めること。どうしても再占したいのなら、日を改めてしてください。

 なお、自分自身と、ある相手の人との関係に関する問いについては、何度か質問を変えて易をして、八割がた同じ傾向の答えなら、それが当面の答えである、と割り切るようにします。もちろん、一回ごとに日付、質問内容、答え、をメモしてもよいが、誰にも見られないように保管し、現実とあうかどうかを注意深く見直します。時期が来て不要になったらできれば焼き捨てる、さもなければこまかく裁断してしまう。この処置は、古今東西のいかなる場合でも共通する処置です。結構面倒なので、易占そのものをあまりやらないほうが良いでしょう。その暇があれば、当面の自分の気持ちを優先させて、冷静に行動するほうが良い場合があります。大事なのはタイミングであり行動であって、易は手段にすぎません。行動すれば結果が良くても悪くても、後になってそれが最善だったと気づくときがあります。諺に、「塞翁が馬」というのがあります。易にこだわって行動が遅れて本末転倒にならないように。

 くりかえしますが、易占をするのはあくまで自分の本来の自己、ハイヤーセルフとつながる練習のためです。さらに専門的に易で修行しようと思うなら、朱子学を学ぶことです。江戸時代の学問といえば朱子学でした。朱子という中国の学者の易についての解釈は大変優れたものです。以上。

 


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