昴星塾(ぼうせいじゅく)のブログ

リサ・ロイヤルの「ギャラクティック・ルーツ・カード」に親しむ会。不定期の掲載。

今年の8月2日に注目・アメリカの債務不履行なるか

2011年07月28日 | 日記

2011年7月29日

今年の8月2日に注目・アメリカの債務不履行なるか

 

国内問題への発言と、国際問題への発言は首尾一貫することが可能だろうか、それとも無理な相談だろうか。

たとえば、自国民には脱原発を呼びかけながら、他国に自国の原発を輸出できるだろうか。あまつさえ、つい最近明るみにでたことだが、東芝という会社は日本の使用済み核燃料廃棄物をモンゴルに運ばせようとアメリカに働きかけていた。経済産業省が後押ししていた(東京新聞 7月2日 朝刊)。一方、外務省は慎重姿勢だとのことだ。

私にはどうにも理解できないのだが、そしてこういう話には吐き気がするのだが、日本の核施設は、汚い言いかただがトイレのないマンションといわれている、核廃棄物の最終処理をまったく予定しないで原発を増設してきたのだ。そして、日本ではもう核廃棄物の処理場所を確保できない(費用がかかりすぎて採算が合わない)と感ずるや、自分の国の核廃棄物というゴミを、他国、それもモンゴルのような親日的な国に、経済援助をちらつかせて核廃棄物を押し付けることを、内緒でこそこそ画策する。

 経済人と経済産業省の役人たちのエリート意識なんだかわからないが、日本人一般大衆はこういう連中をどうして居座らさせているのだろう。日本も地球という活きた星のなかの、海に囲まれ海と山の幸のおかげで存続できてきたユーラシア大陸の端の列島なのだ。そこが自国の都合で核物質という手に負えないもののゴミを、こともあろうに森林と遊牧社会、同じアジアの友好国に持ち込むということを考えつく、そこがわからない。 

 歴史的にみれば、日本の明治維新は、日本社会では日本人の誇りとしてのみ評価されるが、たしかに欧米列強諸国によるアジア侵略に対する精神的な拒絶の役割を果たしたことは大きく評価するべきであるが、その後、特に日露戦争で勝ったあとはもう欧米列強の帝国主義の尻尾に成り下がる一途だったことを見ようとはしない。

 そうなったのは日本にだけに原因があるのではなくて、19世紀の産業資本主義が高度な軍事力をイギリスに与え、他の欧米諸国も産業資本主義の育成に全力をあげ、いわゆる重厚長大な重工業主義、大鑑巨砲万能の時代をつくったからだ。それには巨額の金が要る。そこで銀行資本家が諸国をまたがった金融取引を拡大させ、金融資本主義、それと軍事産業と、軍部と官僚が一体となった帝国主義が成立した。日本で言えば明治時代の終わりから大正時代で、それまでの薩長藩閥政権が明治憲法を公布して一見立憲君国家になったように見えるが、富国強兵路線への批判は決して許さない治安警察(今、中国でおきていることを笑ってはいけない。かつての日本もまったく同じだったのだ)による取締りは強化され、社会主義はもちろん、自由主義、民主主義、も取り締まった。こういう時代を、古きよき時代となつかしもうとする一部の政治家、言論人がなお現在もいる。戦後の日本の高度成長を牽引してきたのは、戦前の経済や軍需の部門の官僚だった人と、財閥の人たちだ。日本をなお原発強国にしたい、という思惑の根底にはこういう歴史的背景があることをもっと新聞もとりあげたほうがいい。ここが変わらなければ、そしてもっともっと広く人知を集め、広い視野で皆で討論して後世のことまで子孫のことまで考えて国づくりをしていかないと、表面的に脱原発したところで、別の災厄を生み出すだろう。たとえば、復興増税などは正しい選択なのだろうか。そういう政策立案を旧態依然とした政党や政府官僚にお任せでいいのだろうか。革新とか保守とかで昭和の後半を争った連中だが、ひと皮剥けば同じ穴のムジナだった。彼らは、これまでに無理と無駄を積み重ねて、歪みきった財政と利権をただただ維持していきたい、そればっかりの政策しか思いつくことができない。

マスコミは政府の方針を、ことなかれで追従するだけなら、世論を誤って誘導することになるだろう。与謝野大臣は、れっきとした原発推進論者で、そういう論文を書いてきている。この人の発想自体が問題であるにもかかわらず、菅直人という人は三顧の礼をもって与謝野を閣僚にした。菅政権の寿命はとっくに終わっている。

 

 次に、きのう今日の新聞記事からみえることは、まもなく、多分数日以内に、吉と出るか凶と出るか、それはわからないのだが、重大な事態がくる。8月2日に起源が迫った、アメリカの債務引き上げ上限についての、政治的妥協がなるか否か、についてである。ここで、一旦脇においておかなければならないのは、日本人の無意識的なオバマ大統領ひいき、そして大嘘をつきとおしてイラクに攻め込んでイラクをかき乱した共和党ブッシュ政権への嫌悪感だ。私も、これは共有しているといえるかもしれない、しかし、これを脇において考察しなければならない。

 一見、オバマを支援することがアメリカのみならず地球全体に平和をもたらすと考えられている。リベラル派にはその傾向がある。オバマにノルウェーのノーベル平和賞委員会がノーベル平和賞をあげたのもそういう理由からだろう、たぶん。

 ところが、アメリカの共和党のいう小さな政府論というのは、決して財政面とか、資本家富裕層への利益誘導というあからさまな面ばかりでない、ある重要な一面がある。それは、連邦政府という権力が、地方自治の原則を簡単に侵すからだ。本来、アメリカの独立宣言は強権的なイギリス本国政府のアメリカへの重税に反発した植民地住民の結束から生まれたもので、自治的な連帯が基本である。茶会tea party の運動もそのひとつで、独立戦争のきっかけになった。当時のアメリカ人の生活は質素で、敬虔な生活者の健全な生産活動、それは同時に神への奉仕でもあり、有徳なことだったのだ。本来、アメリカ・ドルに書かれているように、In God we trust  なのだ。だが、アメリカは、原住民インディアンの活きかたを破壊した。それは、自然との共生と平和に基づくものだが、それを白人の強欲が盗みまくった。そのうえ、産業資本主義が州をまたがる横断鉄道を引き、鉄鋼産業をつくり、ニューヨーク証券取引所を設け、極端な富豪と、没落する中間層、ホームレスがごろごろするスラム社会をつくってしまった。アメリカ建国の父たちは嘆いているだろう。

 こういう社会矛盾を解消するには、オバマは政権づくりをするとき、既得利権をもった政治家や官僚の影響を避けるための、社会改革の見識をもつすぐれた活動家であり学者でもある人材はアメリカには多いのだ。例えば、サステナブル・デザインやパーマカルチャー関係の企画設計者には多い。そういう人材登用をもっとしなければならないはずなのに、彼はそれができなかった。たぶん、そういう人材からは見放されていたのだろう。本物の見識をオバマはもっていなかったのだ。そうとなれば、連邦が強化されることはかえって危険なのだ。アメリカが独裁国家に変貌する可能性を、1970年代のSF作家たちは盛んに警告していた。いわゆる、ニクソン大統領によるウォーターゲート事件が実際にある。このときニクソン大統領とその補佐官たちの政略的手腕は、事件の隠蔽と圧殺以外のなにものでもなかった。政権についたものは、溺れそうになるときは何でもするのだ、菅総理のように。8月2日、もし債務不履行問題がこじれるとすれば、それは、現代の共和党内の茶会派(Tea Party)の人たちが頑張ったからだろうが、それが一概に悪いとはいえないのだ。ただ、そうなったら、アメリカのみならず世界中が大混乱になる危険性はある。私も、穏やかな生活をしたい、物価がシーソーゲームみたいに上げ下げしたり、急に会社が倒産して家族と路頭に迷うような事態はあってほしくない。

 しかし、起こりえる、8月2日でなくても、秋にも。共和党は8月は譲歩して妥協しても、引き上げ上限を低く設けていて、中間選挙で民主党に打撃を与えようとしているからだ。多分、これ以上の譲歩はできないだろう。一方、現にアメリカの景気の後退傾向は隠しようもなくなっている。さすがにダウ平均株価は昨日から急落した。よってますます、共和党の歳出削減の論調は先鋭化し、一方で、民主党が主張する富裕層への増税は認めたくない。対立の解消の見通しは遠のくばかりだ。しかし、アメリカのデフォルトが実際に起きたらどうなるか。まず、すぐには収拾がつかない大混乱だろう。アメリカ国債価格が暴落すれば、それをもっている世界中の政府系、あるいは民間系を問わず、あらゆる銀行が、また年金ファンドなどがパニックに陥る。

そうなったら我々はどうするか、それには有意の人たちが日ごろからネットワークをつくっておいて、いざとなったら、まず正確な状況判断をしていくことだ。天狼星児のブログは今年10月28日でおしまいだが、10月から別のコミュニケーションを考えている。(10月以降から、iosns@yahoo.co.jp に、1年間のメンバーになってメールマガジンの購読を申し込むとメールしてきた人に、週報を、万が一、非常事態になったら日報を送る考えだ。ただ、受付は10月になってからで、それ以前は返信はしない。また、内容も、時事問題と、エネルギー・ヒーリング、都市菜園などにかかわる実務的な問題を中心にしていくつもりだ。若干ファイナンシャル・プランニングに触れるかもしれない。政治的な論評は多分今後はしないだろう。とても解析できそうにない事態になるからだ。だから、政治的論評は期待しないで欲しい。)

 

 次に、意外と見落とされるが、ロシアと中国との関係は、お互いは決して本音のレベルでは友好とはいえない。日本はロシアを経済関係と領土問題だけでしか見ようとしない、それは戦前からの発想に、私たちの親たちの時代の意識に私たちが無意識に縛られているからだ。

 ところで、7月28日、東京新聞の9面は「軋む世界 中央アジア 経済力背景に中国化」とある。「中央アジアに対する影響力を拡大する中国は、ロシアにとって米国以上ともいえる脅威に変貌。ロシアは、中国を抑えるため、友好国であるSCO準加盟国のインドの正式加盟をもくろんでいた。」この目論見はうまくいっていない。

 国際関係は、国内の感情とは違った現実がある。それに、国内の感情が常に正しいわけでもない。そうだとすると、こういう情報を面倒がらず受け入れて読み解く努力を続けなければならない。そういう努力をせずに、一方的な激論をするのは幼稚である。

 この問題については、もう40年も前、ロシアと中国が国境紛争で銃火を交えていたことを想起する。今、中国はその当時と比べ物にならない武力をロシア国境に配置している。もちろん、今ロシアとことを構える予定はないはずだが、新疆ウイグル地区には、東トルキスタン独立運動が高まっている。ロシアはイスラム教徒のチェチェン地区で手を焼いているので、中国がイスラム教徒のウイグル族を武力弾圧するのを容認している。しかし、いわゆるテロ集団を追撃するとかの理由でウズベキスタンと中国との国境などを中国が破る事態が起きたら、おそらくロシアは中国と戦闘することも間違いない。では、中国が中央アジア諸国に干渉して兵を動かす可能性が大きいか。それは、間違いなく大きい。一番の理由は、カスピ海沿岸の油田を押さえるためである。中国はなりふりかまわず石油資源を買いあさり、南シナ海の島は全部自分のものだと言い張っている。そこには豊富な油田があるからだ。そして、中国は南シナ海の島がすべて中国領土であるという根拠をしめさない。もし示したら、それは世界の物笑いになるだろう。考えられるのは(そうでないとは思うけれど)、中国の古い歴史書地理書に、南の国の島が漢字で書かれている、とかいうのが根拠だろう。そうだとしたら、ベトナム(コウチシナといった)など皆中国のものだ、と言い出すだろう。日本も、魏志倭人伝で倭国とあってそれは中国皇帝に服属していたから中国のものだ、つまり九州は中国の一部だと言い出しかねない。そんな意識の民族なのだ。

 おなじ理屈で、中央アジアの諸国に、西暦7世紀、唐帝国は軍を送った。イスラムが台頭してきた時代、西域とシルクロードの権益を確保しようとしてタシケントに進出し、タラス河畔でイスラム軍に打ち負かされた。カスピ海まであと一歩である。今の中国なら、空軍と落下傘部隊でカスピ沿岸油田地帯は簡単に押さえられるだろう。しかし、ロシアが黙っているとは思えない。

 30年ほど前、ロシアはソビエトという共産国家(本当の共産社会でなくて、国家社会主義のひとつの形態)だった。宗教は公式には認められなかったが、ロシア正教会が対ナチス戦争(ロシアでは大祖国戦争という)に協力したので、それは認められていた。ただ、一般の宗教活動が抑えられていた。そういう中で、ロシアには中世の昔から聖人や霊能者がかなり沢山でていて、その血筋を引く子孫がそういう能力をもつ人がときどきマスコミにでてくる。そういう一人の女性が、ロシアはカスピ海に出てくる中国と戦うだろう、といった。まだ、ソビエトの時代で言論統制もあり、中ソ国境紛争もあったが、そこまでは言えない時期だった。なぜなら、今、カザフスタンといわれる地区は、かつて核実験場や宇宙基地がおかれて、もっとも強力に防衛されていた地区だからだ。一方、当時の中国は、旧式のロシアの戦車しか動かせない人海戦術に偏った軍事力だった。とても中央アジア奥深く入れるわけがなかったのだから。

 これからどうなるか。可能性としては決して、安定成長の無風地帯の日本でないかもしれない。


スペースシャトル・アトランティスの帰還に思う

2011年07月22日 | 日記

2011年7月23日

スペースシャトル・アトランティスの帰還に思う

 

 ニュートンのことは物理学を高校で学んだ人は知っているだろう。高校の物理の授業で運動方程式というものを始めて学んだ。とりわけ面白かったのが、放物線の方程式だった。大砲を打つと、砲弾がどこに落ちるかという計算だが、その発射速度が速くなると、そして音速の壁をこえて毎秒7.8キロメートル以上になると、もう水平に発射した砲弾は地表に落ちてこない。人工衛星となって地球を一周してくる。

 もちろん、空気抵抗があるから、そのうち地表に落下してくるだろう。パーっと火花を散らして夜空に消えていく。

 昨日、アメリカのスペースシャトル「アトランティス」が帰還した。シャトル最後の旅だ。新聞でみると、名残惜しむ声とともに、冷厳な現実も書かれていた。つまり、宇宙産業の従業員の大量解雇だ。彼らは優秀だから、引く手あまた(だろう)というのだが、アメリカの雇用統計は全くさえない。はたしてどうなることか。

 ロケットについては感傷がある。なぜ、人間は宇宙に行こうと思うのだろう。果てしなき夜と、遠くの、何十光年先の恒星と。月にいった宇宙飛行士たちは、いくつかの奇妙な報告をしているのだが、NASA(アメリカ航空宇宙局)は、なにかを隠している、とかなり前からうわさされている。どうやら、月にいった飛行士たちがみた月の世界には、なにか地球人以外の存在が動かすものがあるらしい。はるかに高度で人類愛より以上の高い精神性がある存在なので、宇宙飛行士は地球に帰還しておおくが牧師になってしまった。これはまぎれもない事実だ。なにかに出会ったのであるが、ごくたまに本人の身近な人からたまたまもれて聞こえてくる。

 火星にも、そういう文明の証拠があるが、いわゆる科学者の発言は決まっていて、それは自然現象だ、というが、行ってよく確かめてみてごらん。人間が作ったロケット技術は、ニュートンの作用反作用と慣性の法則のたまものだが、重力の法則そのものは定数として扱われて、可変でない。しかし、一般相対性理論となると、重力と回転運動が等価とみなされたりする。まだ重力の秘密は解明されていないのだ。UFO(未確認飛行物体)というのも、そういうたぐいのものだ、つまり、反重力が作れる文明によるものだという説もある一方、もっと違う説明もあるようだ。それは、UFOの原理は物質の微細な階層に根拠があるので、目にみえないのだという。ただ、これをあやつれるのは精神的に非常に高度な存在なので、場合によっては粗い物理現象として実体化できるというのである。バシャールの宇宙船やプレアデスの宇宙船はそういうふうに考えられる。ただ、バシャールの青黒い三角形の宇宙船が物理的次元に現れたということは聞いていない。それに対して、プレアデスの宇宙飛行士は、マヤの長老フンバツ・メンの本には伝承としてあるという記述があるので、地上に降りて、5000年前のマヤ人と交流していたのだろう。

一方、物理的円盤のほうは、人類の技術でも解明ができそうだという。本当かどうかわからないが、アメリカのニューメキシコかテキサスに、秘密の空軍基地があるそうだ。昔、ロズウェル事件というのがあった。以来、ずっと続いているらしい。UFOはナチスドイツがすでに作ったという話もある。半信半疑だが、何かナチスにはよくわからないが宇宙とのつながりがあるのかもしれない。ただ、ナチスとつながった宇宙の存在というのは、決して精神性の高い存在とはいえないだろう。ここからは、半分でたらめかもしれないのだが、幾分真実も含まれているかもしれず、砂金の大半が砂だからといって全部捨ててしまうのもどうかと思うので、すこし共有しておこう。

 まず、UFOのあの円盤の形は、実はユダヤ人にはとおのむかしから知られているらしい。旧約聖書(ユダヤ人は旧約とはいわない。キリスト教徒が勝手に旧約というだけのことだ)に、エゼキエル書というのがある。そこに戦車「メルカバ」というのが出てくる。因みに、よく聞くところのマカバとメルカバは同じことだ。ユダヤの神秘主義をカッバーラというが、15世紀ごろには盛んに「ゾハール」などの書が、神秘的能力をもったラビたちによって書かれた。その流れをくむ図像に、UFOそっくりのものもある。ちなみに、神秘的なラビたちの逸話については、アメリカのユダヤ学者マルチン・ブーバーの本が手に入りやすい。私も、天使的存在との係わりが実在することについて、最初この本に導かれたのだ。

 タロットというのはエジプト起源ともいわれるが、ユダヤ的解釈でカッバーラでは使われている。マグレガー・メイザースという19世紀のイギリス人の魔術研究家が書いた「カバラ開顕」という書物は有名だ。19世紀イギリスは、スピリチュアリズムが急激に広まった。いわゆる、降霊会(セアーンス)で、霊媒によって交信がさかんに行われ、自然科学者のうちかなり高名な人たちも真面目に検討した。そして、シャーロック・ホームズの著者コナン・ドイルもその強力な支持者だった。ドイルの著書「霧の国」(創元推理文庫)や、「ドイルの心霊学」(潮文社)は一読に値する。アガサ・クリスティのポアロの中でも降霊が扱われるが、アガサはあまり支持していないようにみえる。人それぞれだ。

 第一次世界大戦で、ドイツは負けたがその原因を「ユダヤ人が後ろから刺した」といいふらす右翼勢力の主張に共感するドイツ人が多かった。多くが、中小の企業家やサラリーマンで、左翼のドイツ社会民主党とワイマール憲法の下での貧窮に耐えられなかったのだ。そこに、第一次世界大戦に伍長として戦った、アドルフ・ヒトラーがナチスを率いて、強力に国家社会主義をとなえ、当時急速にイタリアで勢力を伸ばしはじめたムッソリーニのファシスト党と軌を一にし、全体主義的な権力を掌握することになった。1933年ごろ、ナチスは泡沫的な政党からヒトラーの政治指導のもとで選挙で第一党となった。ドイツ民族の労働者階級と資本家階級の融和を唱え、大規模な公共事業を起こし、アウトバーンをつくり、フォルクスワーゲンを供給した。ドイツ経済は急速に回復し、通貨は安定し、再軍備も行われ、ドイツ人は急激に誇りをとりもどした。ヒットラーのみならず、ドイツの右翼政党のすべては反ユダヤで、ドイツ人の中にユダヤ人が生存することを許さない雰囲気をつくりあげた。そしてヒットラーをヒンデンブルグ大統領は、彼は生粋の英雄でヒットラーを嫌っていたのだが、選挙で勝ったので首相に任命した。そののち、ヒトラーは大統領と首相を兼ねた総統(ライヒス・フューラー)となった。

 ドイツの民族主義の淵源を、ヒットラーは、トーレ会のような北欧神秘主義というべきものに置いた。トーレ会についてはよく知らないが、いずれにせよ、ヒットラーに抜擢された、ハインリヒ・ヒムラー、彼はゲシュタポ(国家秘密警察)とSS(親衛隊)のトップなのだが、東ドイツのある城で幹部会を開いたそうである。その内容は、北欧の神話的同盟を暗示しているようである。

 このとき、ヒットラーはロケットに非常に興味をもっていた。そこがドイツの軍事力の特異なところなのだが、こういう発想の奥に、私はヒットラーやヒムラーには、ある極度の支配というものに飢えた宇宙的な意識を感じるのである。ナチスが原爆を作ろうとしていたことが、ユダヤ人の恐怖をさそい、アメリカでの原爆製造を急がせた。実際、ヒトラーはこういっていた。恐怖こそが支配の源だ、ロケットの積載弾頭がたった1トンというのは戦略というものを知らない考え方だ、10トンの爆弾ならその威力で諸国民はひれふすだろう。こういう発言をしている。V2という大陸間弾道弾のモデルのロケットはこうして作られて、ロンドンに打ち込まれた。幸いにも、設計が変更できなくて1トンしか積めなかったが。イギリス軍はロケットの制御をするドイツのレーダー部隊を探り当てて、運搬途中のV2を空襲したのである。

 とにかく、ナチスの侵略の実体は、残虐そのものである。とくに東ヨーロッパとロシアにおける所業は人間性がない。それほど恐ろしいものなのだ。日本人は昔ドイツと同盟国だったので、こういうナチスのすさまじさをまったく見ようとしていない。ロシア人が今なお、21世紀になってさえ、ナチス侵攻の実情を映画にしているのだ。2000万人もの犠牲者(戦死者は数百万として、残りは民間人なのだ!)を出したロシア人の気持ちに私も疎いのだが、もう少し理解しなければならないだろう。

 昔、といっても20年くらい前、「スターウォーズ」という映画があって、30歳台以上のひとなら覚えているだろう。今でも、あのキャラクターのなかのダースベーダーには人気があるらしくて、ときどき電車の広告にみかける。あの黒ずくめの軍服と、独特の鉄兜、あれがナチス親衛隊の服装なのである。ドイツには国防軍と、親衛隊という二つの軍事組織があった。親衛隊はヒトラーに忠誠を誓い、戦車は親衛隊に所属していた。彼らはドイツ純血主義とそれに関する神秘主義を分かちあう、一種の信仰的集団だったのだと思う。ちょうど、宇宙皇帝パルパティンに臣従するダースベーダー卿のような、貴族社会復活が最終目的だったのかもしれない。

 そこで、世の中には、宇宙人というと、とにもかくにも侵略者ととらえるジャーナリズムがあるが、そういう恐怖にある種の根拠はあるかもしれない。だが、もしそれだけなら、とっくに地球はそういう高度な戦力をもつ宇宙勢力の植民地なのだ。なにも、ナチスの力を操作する必要もあるまい。しかし、そうならないところに気づくべきだろう。ナチスを敗北せしめた状況には、いくつかの奇跡的事情がある。いくどもヒットラーは形成逆転を図って半分は成功した。たとえば、1944年のベルギーにおけるアルデンヌ地方での反攻作戦である。ルントシュテット攻勢とも呼ばれる。結局天候がドイツの味方をしなかった。その後、ソ連軍がドイツ国境に迫るころ、その横腹を突くようにドイツ親衛隊第六軍がハンガリーを北上しつつあった。ところが未曾有の大雨で進撃ができなくなった。天がナチスに味方しなかったのである。

 戦後アメリカはドイツのロケット技術を手にいれようとソ連と競争した。ソ連はバルト海に面したペーネミュンデの実験場と技術者とニューヨークまで届くロケットの試作品や計算書を手に入れたので、まもなく大型の大陸間弾道弾をつくり、アメリカに先駆けて有人の人工衛星を飛ばした。アメリカは出遅れた。からくも、アメリカに亡命したフォン・ブラウンによってアトラスとかタイタンとかの大型ロケット開発ができて、主に高性能コンピュータでソ連に先んじていたので宇宙開発で優位に立った。そしてスペースシャトルが月に行ったのである。

 今、地球をまわる宇宙センター、日本人宇宙飛行士も何人も滞在しているが、そこに今後物資を運ぶのはロシアのロケットでソユーズである。歴史の大きな流れを、今回のアトランティスの帰還に見るのである。

 


リラックスタイム 猛暑をいかにしのぐか / まじめなはなし 年金

2011年07月15日 | 日記

2011年7月16日

リラックスタイム 猛暑をいかにしのぐか / まじめなはなし 年金

今回は、2話にしました。最初のほうだけで閉じてしまってもいいです、損しますケドネ。

■ リラックスタイム 猛暑をいかにすごすか

 

毎日あまりに暑くておまけに熱帯夜。本物の熱帯のリゾート地のほうがまだ涼しいかも、と嘆きの声が聞こえてきそう。

 でも、外国はそう甘くない。ヨーロッパ方面、とくに南欧諸国、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガル・・これらの国債価格の急落とユーロの下落がこの2,3日急浮上してきた。予想されていたとはいえ、不穏な流れだ。とくに、イタリアの財政危機がもし本物なら、ギリシャ以上に大きな激震となる可能性がある。サッカーとパスタとオリーブとピザとワインのイタリア。僕は大好きだが、今でかけるのは、「ちょっと、待った!」の髭ジイである。

 旅行の代わりに、納涼特集とした。7月2日の同じ東京新聞に載っていたのだが、なんとなく比べて見ていて、あんまりおかしくて腹を抱えて笑い出した。ただ、男性軍は大喜びかもしれないけれど、ご婦人方からは猛反発を食らいそう・・。

ひたすらお許しあれ。

 

まずは、これ。箱根の温泉芸者さんたちが、そろって打ち水、「いらっしゃいませー」

 

 

 

行こうかな・・

 

次は傑作。時事漫画だけれど、ほとほと感心・・・

 

陰の声 「やっぱ、天狼星児って趣味悪いねェ・・」

すみません・・

 

       まじめなはなし

 

 若者の国民年金への期待と信頼が急速にしぼんできているようだ。30代以下の未納率が30%から50%以上らしい。問題は二つある。今の国民年金は、後の若い世代が、高齢世代の年金給付の基礎になる部分を支払っていること。もうひとつは、若者が今、年金を支払わないでいるということにより、彼らの30年後の年金給付はない、ということだ。

(払いたくないというより、派遣などの賃金では月13000円は払えない、という事実がある。)

 いずれにしても、制度としての年金はあと遅くても十年くらいで消滅だろう。

 これは、高齢者にとって、というか、あと十年後に高齢者の仲間入りをするであろう四十代、五十代、の人たちがとくに真正面から向き合わなければならない問題のはずなのだ。つまり、この世代の人にとって、後に続く若い世代からの年金の資金供給がないからだ。

 そのうえに、自分たちが積み立ててきた年金給付額も、大きな経済変動(今回の震災を予測できた経済評論家はひとりとしていないのだ)が必ず十年以内にあるはずだが、そのとき、間違いなく目減りするだろうから。

結局、払った分の給付がもらえない事態となる。先進国は経済成長戦略などとれないのだ。だから、年金が増えるはずもない。あるとしても、ひとつの安定成長しかありえない、もしくは災害で人口減少するのみだ。だからといって、いまの発展途上国に無理やり大量消費型の市場を作らせることをもくろむ先進各国の財界指導者たちは、まもなく荒廃して手が付けられない環境破壊された地球を子孫に残しても平気だろう。嘘だと思うのなら、テレビや新聞、雑誌の株式解説を読んでみてごらんなさい。目先の値動きに一喜一憂し、モラルも環境も安定した雇用の創出もまったく視野の外なのだ。とにかく、大手の企業経営者のほとんどは株主が利益を出せればそれで成功者なのだ。しかも、数億の報酬をもらって、それを財産権だなどと言い切っている。そんな権利を認める必要がどこにあるだろうか。

 要するに年金というものは、一定の金融取引での黒字がでなければ原資を損ない、給付できなくなる。そして、もうその可能性があるのだ。これまで年金の屋台骨だったのが国債だが、日本の国債もアメリカの国債も最近格付けを下げられた。これは深刻なことなのだが、大きなニュースにしないらしい。つまり、せっぱつまってニュースが大きく出る前から、40代以上の人は、(5,60代ならもちろんのこと、)年金を当てにしない生活を長期にわたってどう創り出すかを、今、まさに今、考えることが必要なのだ。そうしないと手遅れなのだ。まさか、40代以下の人たちが、あなたの老後のためにこれから身を粉にして働いてくれる、とは期待しないでしょう。

 では、どうするか。それは、地産地消で、各地域がそれぞれの自然を活かしながら、自立経営していくほかはない。各自治体のエネルギーの自立(スマートグリッド)強化こそが重要であって、海外市場ばかり見ている傲慢な巨大企業にもたれあう下請けはもうつぶれていくしかない。そういう下請企業が方向転換できるように導くのが政治ではないか。ところが、明治維新は、廃藩置県で中央集権国家を築いて、その後大久保利通を軸に強大な官僚主義的な国家資本主義の日本を選択した。その恐竜はこんどこそ、地をはいつくばることになる。例えてみれば、先日の「やらせのメール」で連日謝罪の九州電力のように。また、数千万年まえ、小惑星がユカタン半島に落ちて、一瞬にして恐竜の時代が終わったように。小さな哺乳類が恐竜にとってかわるのである。地域力が強まり、郷土意識と地球社会や自然環境との平和なつながりが続くように努めれば、天が味方する。これはそう思いたい、というのではない。必ずそうなのだ。だから、老害経営者や原発推進利益にこだわる政治家、経済団体の代表などが、明治時代を回顧し近代化の成功の夢をもう一度、などと大河ドラマのような発想、そんな傲慢な時代錯誤はやめなければならない。日本の自然と共生する郷土を守っていくことこそ、本当の保守だ。

そういう身近な目的と、手仕事を大事にする経済活動の場を共同でもつことができれば、やりがいがあるものなのだ。社会的インフラは、今回の震災ロボットでわかるように、歩行ロボット-アシモみたいなものはいらないのだ。モバゲーなどへのゲームきちがいを生み出すパチンコ自閉症みたいな技術もいらないのだ。むしろ、自前の、原子炉の中に入って活動できる、災害のときの安全をしっかりともたらす工業製品を残せばよい。そういう肝心なものへの投資に「興味がない」というのがこれまでの日本企業であり大学だ。だから、アメリカとかフランスの災害対応技術を使うはめになって、今も汚染水浄化がうまくいっていない。日本の技術思想の根幹の大敗北なのだ。

 家庭菜園や都市菜園の普及は特に今後の食糧難(外国が日本に野菜や肉を売らない事態、つまり、かれらも自国民を食べさせられるだけのものがなくなってくるからだ。バカな企業が遺伝子組み換え農業などを貧しい国の人におしつけて、どうなっているかよく見たらよい。)に対処するうえで不可欠だろう。都市はもっと雨水を大切にしなければならない。今のような、無駄に流してしまうのでなく、共同で貯水して、都市菜園に使ったり、広域水撒きをしてヒートアイランドを減らしたり、いくらでも知恵の出しようはあるのだ。そうなったら、雨を汚す原子力などあってはならない。火力発電も煙の処理ができないなら(できるはずだが、やりたくないのだ)止める覚悟が必要だ。

 トイレも水洗から、堆肥化の工夫を考える時期が近づきつつあるようだ。

 日本にあこがれているらしい外国人も、なんで日本人は、旧態依然とした政治家やマスコミや財界の発想にこだわるのか、と不思議に思っているにちがいない。「ものづくり」は大企業にあるのではない。日本のものづくりは中小企業にあるのだ。そこをもっともっと自立してやっていけるように、生活ができて社会にも役に立つと実感できるように活かせないようでは、政治にならないではないか。

(もうひとつ。日本人はマグロの刺身はごくすこし、ありがたくいただくことにして、もっと消費を減らそう。マグロ好きな人もこだわりの時はもう終わっているのだ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


銀河鉄道の夜

2011年07月06日 | 日記

2011年7月7日                ☆

               ☆

 

銀河鉄道の夜―― ___□□□□*ШЪ___#### __ ⇒銀河ステーション!

 

((((   銀河ステーション! ))))

 

旧暦の七夕は秋。岩手県は、旧暦風(月遅れ)お盆を87日に行う地域に入るのだろう。ススキの原がひろがる真っ青な青空の夕暮れ。銀河の星星はあたかも、天上界から地球の丘の上になだれこむ巨大な滝のように、澄み切った風の向こうを落下している。

 宮沢賢治ならぬ、ジョバンニ少年は、黒々とした宵闇のさみしい丘の上で「銀河鉄道」との初めての出会いをした。『銀河鉄道の夜』五、天気輪の柱

 この天気輪というものはなんなのか、いまだわからない。思うに、四次元空間の存在である銀河鉄道の軌道が、我々の三次元の空間と接触し交わるための、アンテナなのだろう。

 

 「ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって行きました。まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持っていったからす瓜のあかりのようだとも思いました。

 そのまっ黒な、松や楢の林を越えると、にわかにがらんと空がひらけて、天の川がしらしらと南から北へとわたっているのが見え、また頂きの、天気輪の柱も見わけられたのでした。

 つりがねそうか野菊かの花が、そこらいちめんに、夢の中からかおりだしたというように咲き、鳥が一疋、丘の上を鳴きながら通っていきました。」

 

 ジョバンニ少年はとてもしんみりとした哀しい気分だった。原作をよんでみればその事情はよくわかる。しかし、このジョバンニ少年こそは、夢の銀河鉄道の終点まで、はるかな天の川沿岸の旅を続けることを宇宙が許した、まれな境遇の人だったのだ。なぜ、それが許されたのだろうか。その答えは、以下の3枚の影絵、藤城清治画伯のみが描ける、不思議な影絵をじっくりごらんになればわかるだろう。

私個人としても、この本のある記述に、ハッと気づいたことがあるのだ。いつか、そのことを話せるとよいが。また、この影絵の方の本も、ふとしたことで入手した。七夕の星の贈り物だったのかもしれない。縁とは不思議なものだ。


ネコ馬車社会主義を考えよう

2011年07月01日 | 日記

2011年7月1日

ネコ馬車社会主義を考えよう

 

 ついに7月に入りました。このブログも、あと4ヶ月弱で終刊となる。もうすこしの辛抱です。読者諸賢もぜひがんばって話しについてきてください。今回は、ちょっときついかもしれません。でも、できれば通じてほしい。未来予測をしようと思われる方、宇宙の意思とは、ということを思われる方。挑戦してみてください。読み通してくださった方には、乾杯!

 

前回、ネコバスについてあれこれ紹介しました。これに対して、宮沢賢治のネコ馬車の話は、私が思うには(というのは、あえてこういう見方をしたがらない文学関係者も多いからですが)、このお話は賢治が求めたものは社会主義であったことを暗示しています。ネコ馬車社会主義とは何か。私が勝手にそう命名しましたけれども、その実体は、実は19世紀にイギリスとフランスで高まったプロレタリア階級解放に向けた社会運動です。プロレタリアとは、無産階級のことであって、賃金労働者、小作人、など、資本に隷属して労働の対価を一部搾取(労働価値の対価から資本家が、巧妙に差し引いた賃金部分)されている人々の集まりのことです。

前回紹介したように、かねた一郎少年は、やまねこから、「めんどなさいばん」(面倒な裁判)の判事になってくれ、という依頼を受けました。どういう裁判かというと、どんぐりのうちで誰が一番えらいのか、を決めてくれということなのです。賢治は「どんぐりのせいくらべ」から着想したのでしょうね。

 結局、かねた少年の判決はこうです。「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい・・」でした。日ごろ少年はそうお説教されていたのでした。では、誰が少年にそう説教したのか。たぶん、日蓮宗の先達の行者、おそらくは国柱会の田中智学などの説教からでしょう。法華経という経典には常不軽菩薩という存在が書かれています。もうひとつ、出典として考えられるのは、イエスの「山上の垂訓」だろうと思います。「幸いなるかな、心の貧しき人よ・・」とつづられている説教です。

 

賢治は、社会主義に深く共鳴していた、それはまぎれもない事実です。ただ、賢治の社会主義とは、無神論的唯物論的な社会主義ではなくて、つまり、カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス、そしてウラジミール・レーニンの系統ではなくて、フランソワ・M.C.フーリエや、ロバート・オーエンの系譜の、しかしもっと宗教性の高い、例えば『クリスマス・カロル』を書いたディケンズのようなキリストの愛の教えのエッセンスをもった社会主義、これをエンゲルスは『空想より科学へ』というパンフレットにおいて「空想社会主義」と定義しています。エンゲルスによれば、空想社会主義に対して、マルクス主義を「科学的社会主義」と呼ぶのですが、私にはすこし異論があります。エンゲルスという人はマルクスの相棒で、両者は同じようにみられますが微妙に違っているところがあります。

マルクスは初めは確かに、唯物論的弁証法でもって経済社会を解明しようとしていました。しかし、マルクス晩年の著作『資本論』を少しお読みになると、それ以前の一方的な哲学的戦闘性ではないものをお感じになると思います。『資本論』のマルクスはむしろ、資本主義経済構造の秘密を科学的に暴き出すことに専念しているのです。その努力と天才的洞察力は驚くべきもので、だからこそ資本主義的陣営の学者たちが総出でマルクスに挑んできたのです。なんとか『資本論』は誤りだと、論証しようとして。しかし、それは決して成功しませんでした。一方、エンゲルスはそれにくらべて、マルクスのような真に虚心に科学的に解明しようというよりは、「科学的」をいわば信仰箇条にしてむしろ哲学を述べているように感じられます。個性の違いもあるでしょうが、私はマルクスを評価します。

さて、空想社会主義と科学的社会主義は両者のいずれもの共通点は、平等な社会、搾取のない社会、労働者が生産手段を自主管理する社会がいつか必ずできるという確信であります。資本家とその政府による抑圧がない社会、であります。また、これを実現するうえで、私有財産(土地、家屋、自分が支配権をもつ会社や工場、民間の銀行等)は廃止される、さらに、こういう生活を人々が地域共同体としてすすめることができるようになる、例えば生協とか自治会が発展したような地域管理ができるようになれば、もう一段進めて、貨幣経済のない世界、自然との共生の世界、男女の別は尊重されてもどちらかの性を不当に抑えるようなことのない社会を築くことができるという確信をもっていたのです。

ただ、不幸な誤解を世の中に与えたと私は思うのですが、マルクスは青年期、一時極端な唯物論哲学を奉じていました。精神分析を創ったフロイドがそうだったように、マルクスもユダヤ人で、中欧キリスト教世界では、受け入れられない宿命がありました。失望がたかまると、教会の説教、例えばガリレオを裁判にかけたような、教会の宗教的な饒舌に我慢できなくなります。勢い、霊性のような目に見えないもののすべてを否定するのを「科学的」と勘違いすることになります。でも、目に見えなくても、電波はあるのです。「気」のエネルギーもあるのです。「密度」が違う5次元世界というのもあるのです。

ネコバスも想像が創ったものですが、多くの人に支持されてエネルギーがあります。もし見る人が見れば、例えばミカエルとかガブリエルとかの天使的存在が見える人からみれば、きっと「ある」のでしょう。ですから、唯物論というのは、反宗教陣営による、宗教的妄想への反撃戦術であって、一時的方便としては、ありだったのでしょうが、真に正しいわけではないと思います。

そもそも、唯物弁証法は、ヘーゲルの精神現象論や大小論理学のような、存在と本質における運動、それぞれの発生がいかなる論理的法則から生まれるかの哲学的考察に根拠をもっています。そうでなければ、マルクス主義者が矛盾の弁証法的止揚とかをいってみても、じゃ、それはどういうことかと聞かれたら、ヘーゲルの論理学に戻らざるをえないのです。ただ、ヘーゲル左派といわれる人たちは、精神とか観念という概念をまあ、とても嫌っていたので、デモクリトスとかエピキュロスの唯物論に切り替えたのです。19世紀の初め頃は、物理学も、電波の存在を知らず(電磁方程式をつくったイギリスのマクスウェルが生まれたのは1830年代)、まだエネルギーと固体の運動の法則の関係を十分見極めていなかったのです。

 

さらにいえば、ヘーゲルの論理学そのものが、実はドイツ近世の神秘哲学者であった、ヤーコブ・ベーメの著書に書かれている、神の誕生の概念を近代的に書き直したものなのです。ベーメの処女作『アウロラ』はひどく読みにくい本です。しかし、わたしたちが今日、精神世界で聞くような話のすべてはここから出ているのです。ベーメは大変な神秘家でした。数世紀先のヨーロッパの未来も透視しましたし、太古の昔、今、小惑星帯とよばれる、「イトカワ」のような小隕石があるあたりですが、そこはもとひとつの惑星であったということを述べている可能性があります。とにかく大変読みにくい本なのです。よほど専門家でないと、全貌はつかめません。ベーメは、創造に際しては、二つの原理が弁証法的矛盾の克服をしたことによって生じたと述べています。つまり、光と闇の抗争ですが、古代グノーシス宗教でいわれたものと関係があると思います。ただ、ベーメはこれを「光」と「暴性」という概念であらわし、現実世界の創造とは、イエスの愛の「光」、彼はイエスを「第二の神」と呼んで、「父」とは区別するのですが、これに対抗する「暴性」すなわちルシファーの影響が存在に加わって、永遠なるものが転落して、生滅する物質存在世界に降下したと説いているのです。

ですから、ベーメは「見えない」存在である、光の天使ミカエルのことも「闇」の天使ルシファーのことも書いています。地球の密度(第3密度)における天地創造においては、どのような原理がはたらき、どんな展開があったのか、初めて明らかしたのです。もちろん、それはベーメの時代(17世紀初頭)の知識教養に限定されたものではありますが。でも、ベーメのチャクラ図というものがあり、それとインドのチャクラ図とは対応しています。ベーメには、彼の生い立ちの限定を超えた普遍的な悟りがあることに気づくべきでしょう。

こういう下地があることは、エンゲルスもよく承知しています。『空想より科学へ』にも、ベーメについて言及しています。ただ、エンゲルスはベーメを理解できなかったと思います。理解したら、唯物論ではやれないでしょうから。(エンゲルスは英語ではエンジェルス、天使の、ということになります。その人が唯物論で天使などいないと考える、皮肉なものですね。)

 

さて、空想社会主義では、未来の世界を「共産主義の社会」とよぶものであります。ところが、科学的社会主義者であるマルクスは実は、未来の共産社会について、あまり語ろうとしていないのです。一方、マルクス主義者ではありますが、イギリスの社会主義の運動家であった、著名なデザイナーであり詩人であったウィリアム・モリスは違います。彼が最晩年、実に死ぬ前年の1893年に急ぎ自費出版した『ユートピアだより』(岩波文庫)が、未来の共産社会を実現したイギリスの生活の描写なのです。そして、なんと、宮沢賢治はウィリアム・モリスに心酔していました。彼が農業改革に情熱を燃やした原動力の一つだったのかもしれません。賢治のユートピアの国であるイーハ・トーボもモリスに影響されたものなのだと思います。実際、賢治は、当時たちあがった労農運動という、後の日本社会党につながる運動に共鳴していて、当時はこういうのは取り締まられましたから、警察の訪問を受けたこともあるのです。また、賢治が書いたモリスに関する、未発表の手稿も見つかっています。

実は、我々はひどく誤解しているのですが、これまで共産党が支配してきたソ連のような社会が共産主義社会なのでは全然ないのです。それは、そうなる前の、弾圧と支配の、搾取と特権の、偽の社会主義もどきの社会です。そして中国は、いまや市場経済に組み込まれた、共産党という名ばかりの看板のもとでの国家資本主義社会です。下に、中国共産党を批判した一昨日の、中国の教授についての記事を載せておきます(*)。具体的に、今書いたことの意味がみてとれます。かつていまだ、今の人類の歴史の数千年に限れば「共産主義社会」は地上に実現されたという歴史的な証拠は、マヤ文明やインカ文明にはあったのかもしれないのですが、それをしめすものがことごとく葬り去られていて、わからないいのです。

ただ、ネコバスが現実に走るような、「第4密度」のレベルの現実においては、それは実現されているのです。この地球とは第3密度の地球であると、プレアデス星人やバシャールのような存在たちが説明してくれている(本屋の精神世界の棚を探すか、バシャールについての坂本政道氏の本『あなたもバシャールと交信できる』、上平剛史氏の『北の大地に宇宙太子が降りてきた』を探せばわかる)のです。それと並行して、別次元の地球、アセンションした地球、未来の地球では共産社会はすでにある、ということも言われます。すでに人類は、未来の時間からみれば、今の「国家資本主義」、これは三菱、三井、住友などの財閥によって金融と政治ががっちり固められた「日本株式会社」もそのひとつです。欧米の巨大企業、メジャー、などはすこし違うかもしれません。これら世界的な資源を押さえて価格支配をしているグローバル企業は、レーニンが「帝国」と定義した金融資本の現実の姿でしょう。しかしこの国家資本主義、グローバル資本主義の崩壊を未来の地球社会はすでに経験しおわっているのだというのです。しかも、それは、そう遠くない、私たちが生きているうちに実現する流れ、宇宙的な仕組み、があるようです。ですから、まあ、何もせずに、待っていればよい、ということなのだろうと思います。そうはいっても、自然を破壊し、自然との共生をあざ笑う人たちやその組織の一時的な暴走は阻止していかなければなりません。それは今生きているわたしたち自身がしなければならないことです。原発事故で日本人も、いかに後片付けがむずかしいか、悟ったと思うのです。このうえさらに、よけいな手間はごめんです。

 

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(*) [北京=朝田憲祐] 中国共産党が七月一日に結党九十周年を迎えるのを前に、北京の中央民族大学の趙士林教授が、党批判の「提言文」をインターネット上に公開したが、ネット監視当局によって、すぐに削除されたことが二十八日分かった。一方、市民からは「気骨ある知識人」と称賛の声が相次いでいる。

提言文は「共産党建党九十年にの宣伝問題に関する公開文書」との題で、二十日ごろネットに掲載された。趙氏は「党内には少なからず汚職官僚がいるのに、党を神聖化してはならない」と断言。さらに「執政の能力や品格、資質を高めるべきだ」とし、「(政治は)すべての中国国人民のために行われるべきであり、一部派閥や階級、集団の利益のためであってはならない」と腐敗や特権階級の一掃を求めた。また、結党九十年に向け連日繰り広げられる共産党賛美の宣伝について「形式主義で無味乾燥」と切り捨て、「中国では多くの民衆が貧困にあえいでいる、金の無駄使いだ」と非難した。

公開文は、監視当局の検閲で、二十一日には閲覧できなくなった。しかし、写真画像として処理された提言文がネット上に出回り、ブログには「趙先生の主張は筋が通っているなど賛同の意見が相次いでいる。

党指導部は結党九十年に当たり、メディア統制も強化。北京市党委員会宣伝部は、北京の新聞各社に対し、発行日の前日夜までに紙面を送付するよう指示したという。

   東京新聞 6月29日  朝刊