昴星塾(ぼうせいじゅく)のブログ

リサ・ロイヤルの「ギャラクティック・ルーツ・カード」に親しむ会。不定期の掲載。

シリーズ最終回

2016年08月14日 | 日記

2016年の夏の盆の送り火、いつのまにかそれが明後日となりました。

秋の足音が聞こえてきます、今朝の空気にそれを感じ取りました。

時のたつのは早く、高い目標をもっても実現の日ははるか先・・

ですが、一歩を踏み出せるかどうかが分かれ目なのです。用意ができたならすぐ踏み出してください。

リオのオリンピックが多くのすばらしい成功秘話を物語っています。はねのける力を信じることから始まります。

 

さあ、これで、今回のシリーズは終わりです。このシリーズが、あなたのこれからの旅の道しるべとなればとても嬉しいです。では、皆様のこれからの御精進をお祈りいたします。

志を高く持つ。その内容が何であれ、以上これまでに申し上げたことに留意されて、力まず、焦らず、黙々と、目標を見つめて歩まれれば、それがどんな途方も無いことであろうと、実現してしまうのです。天を味方につけること、ただそれだけです。

 最後に、一つだけ、きっと土産になることを書いておきます。それをどう活用されるかは、皆さん次第です。

 出典は、知的生きかた文庫 「マーフィー 人生は思うように変えられる」三笠書房 刊 533円です。

P23

「ある成績の悪い保険の営業マンが、私のところへやってきました。「いくら一生懸命努力しても、他の人より長い時間歩き回っても、全然成果が上がらないのです。私は保険の仕事に向かないんでしょうか。?」と彼は私に訴えました。

 私は彼のために、週一度の特別教育をすることにしました。この教育で、私はまず彼の心を落ち着かせ、気楽にさせるようにしました。

それから彼のためにこう祈りました。

「あなたは、今、くつろいで安らかな気持ちになっています。静かに落ち着いています。日ごとにあなたは精神的にも感情的にも、財政上でも豊かになっていきます。あなたは非常に成功します。あなたは心を広くもって、新しい考えを受け入れます。あなたの幸福が、自由と喜びに満ちて、絶えることなくあなたの元へ流れ込んできます。増殖の法則が、今、あなたのために働いているのです」

 私の祈りの後について、彼は5分間祈ることにしました。心を込めて、私の祈りの「あなた」を「私」に変えて、その意味をじっくり考えながら祈りました。

 この一週間ごとの共同作業は、すばらしい実を結びました。2、三週間後に、彼は何ヶ月かぶりで新しい契約を獲得しました。

 それをきっかけに、彼の成績はみるみるうちに上がっていったのです。彼は、心の態度を変えることにより、人生のすべてを変えることができるのだと気づいたのでした。」

  

 マーフィーは、「彼は常に自分が成功、反映していると想像し感じています。すると彼の潜在意識は、必ずこの考えに答えて、それを現実のものにしてくれるのです」と説いています。

 マーフィーのいう「潜在意識」とは、私がこれまで述べてきた「ハイヤーセルフ」のことであり、それが「聖霊」でもあるのです。この関係についてすぐ納得するのは難しいかもしれませんが、理屈抜きでそう信じてください。

このマーフィーの教えを日本人の著名なある学者が自らの体験とともに解説している本があります。ついでにご紹介しましょう。

知的生きかた文庫 「マーフィー 100の成功法則」大島淳一著 三笠書房 刊 533円

この大島さんというのは筆名です。上智大学の名誉教授。2冊ともじっくり読んで考えてみてください。


 これで、今回のシリーズは完了です。長い間読んでくださってありがとうございました。

質問もあるかと思います。しかし、自分自身で答えを見つけてください。答えは自分の中にすべてあります。直観に導かれて、自力で調べて見つけてください。それだけが身につきます。皆さんなら、それができるのです。皆さんには守護天使というガイドがおられるからです。

瞑想して、心を落ち着けて、質問して、忘れてください。

数日以内に、必ずや何らかの答えを見つけることでしょう。

 いつか、実際に体験してみられて、納得され、またいつか、どこかでお目にかかれるのであれば大きな喜びです。みなさん、ごきげんよう。

(完)

 


シリーズ7回目

2016年08月10日 | 日記

今回は、最後から一つ目です。一息入れたい人は、ざっと眺めるだけで結構です。

高い志を自然に実現して、あなたの夢をよくこの世界で現実にしていかれることを心から期待いたします。

これまでのところで、それで十分です。

(おつかれさまでした)

ここからは、もうすこし進みたい人だけのものです。

あなたが瞑想を真面目にやって、毎日40分座るのが当たり前のある日、ふと1時間以上瞑想をしていた、ということも起きます。

その時、あなたはきっと「アナハタ・ナーダ」というものについて、私自身が師匠の下で体験したような「沈黙の声」を聞くこともあるでしょう。

遠い昔のことでしたのであまり覚えていないのですが、部屋いっぱいに「音」がありました。初めは太鼓、それも大きな音でした。だんだんと笛の、そうですフルートのような音が中心になりました。それは、アナハタすなわち「無破」と言われる、ヨーガ行者が聞く沈黙の音だったのです。

それは心臓のチャクラ(チャクラとは、光輪のことです。微細な生命エネルギーのセンターを指す。)で聞かれる音で、喉のチャクラであるヴィシュダにおいては「声」となります。

以下の図象は、上の方は、17世紀のドイツの神秘家としてまた精神世界を直接的に示したマスターとして哲学史上にも名を止めているヤーコプ・ベーメが弟子たちに教えたチャクラの図です。この絵自体は、ベーメの大勢の弟子たちの中でも死後の弟子の一人ギヒテルが描いたものです。

ベーメの著作は、ドイツ人よりユダヤのカバラ学者ショーレムやフランスのイスラム学者コルバン、あるいはイギリスの詩人で画家のブレークなどのお陰で近代以降でも世界に知られるようになりましたが、ベーメに最も多くのものを負っているのがドイツの哲学者ヘーゲルです。ヘーゲルについてはきっと聞いた人もおられると思います。

 ヘーゲルはベーメの神秘哲学を世俗化平板化したものだ、とも言える面があります。ヘーゲル自身も哲学史上の巨人ですが、その弁証法というのはベーメによる認識が元にあります。なお、最近のベーメに関する研究として重要なのは、分析心理学の創始者 C.G.ユングの幾つかの著作です。

 さて、この絵でもわかるように、心臓については、占星術の星々の中で最も中心の太陽を置いています。ベーメはその思想の一部をパラケルススの錬金術に置いていて、ベーメ哲学の一部は錬金術的な表現です。錬金術はヨーガの生理学ともとても深いつながりがあります。

 ベーメは、音についても触れています。臨終の時、彼は「天界の音楽が聞こえる」といってなくなったそうです。

心臓のチャクラの目覚めと「音」との関連は、このようにインドの場合でも、ドイツの場合でもあるのです。

 

下の絵は、イギリスのテオソフィストの一人、リードビーター僧正が描いたもので、上のギヒテルの図象と一致しています。リードビーター自身が見たチャクラの図象は、こういうものでしたが、インドのものやギヒテルのものには、明確な、星とか動物とかが描かれています。私がまだ助手だった頃、ヨーガの瞑想をしていたユダヤ人の女性は、インドの図象のものを見た、というので、人により具体的に見えるのだろうと思います。ただ、本質的には全く同じもので、究極的には色も形もなく光の渦に他ならないようです。見える、見えないは重要ではありません。ただ、恐れないこと、信じてつながることだけです。

 

以上ですが、皆さんの中には、本格的にインドのヨーガを学ぶ人もあるかと思います。そういう人に、以下のことを書き加えておきます。上にあげたチャクラの図は、インドの図とは違います。どこが違うのかを下の図と見比べてみてください。

 下のふたつのチャクラの位置が、ヨーロッパの図には描かれていないのです。この下位のふたつのチャクラへの集中は、経験のある師匠のもとで安全に行う必要があります。本で読んだだけで自己流にやってはいけません。人によりますが、心身の不安定をきたして苦しむひともかなりいます。

おそらくヨーロッパのマスターたちはこの危険を考慮して、未熟な弟子には伏せていたのかもしれない、という説があります。おそらくそれが本当のところだと思います。

今、これの指導を得たいと思っても、適当な先生はたぶんみつからないでしょう。ただ、次のような道をとることはできます。

まず、初歩的な呼吸法と座法を学ばなければなりません。とくに、丹田呼吸という技法について、経験の深い日本の師匠としては

原久子という人がヨガクラスを開いています。HPを検索してみてください。あるいは、禅の修道会か、阿字観の修道会を訪ねてみてください。呼吸法と座法ができてから、超越瞑想法(TM)の教室などを訪ねてもいいでしょう。残念ながら、ヨガクラスにはあまり好ましくないものもあるので、十分注意して、今あげたようなところから始めてください。

 

補註:ここからは、本当に興味ある人はお読みください。興味が起きないのに無理に読んでもわかりません。読む時期が来れば、自然とまたこれを開かれれば良いのです。

 

これまで引用した、ソニア・ショケットの格言について説明する上で、宇宙意識について、もう少し話さなければならないことがあります。今回で最後です、少し我慢してください。それは「梵我一如」という、前にお話ししたことについてです。もう少し、文献にあるものをご紹介しておきたいのです。

この話は、スピリチュアルなことを扱うセミナーにもし将来出席した時、「ハート」という言葉に何度でも会うことに気付かれるでしょう。感覚的には分かっておられるのでしょうが、もう少し深い意味があります。それに備える意味もあります。

 

 古代インド文明についてはまだ解明されていないことが沢山あります。特に、インダス文明の頃の出土品には、文字の刻まれた印章があるのですが、読めないのです。アーリア民族がアフガニスタン方面から侵入して、先住民とされるドラヴィダ人を征服してから、リグ・ヴェーダなどの最古の聖典ができたと言われます。この中の、瞑想や呪術に関する部分は先住民族の文化がたくさん入っていると推定されています。インドには、マハーバラタなどの口伝えの文学があって、サンスクリット語で書かれ、これ自体がインド古代哲学の一部をなしています。中でも特に有名なものが、「ヴァガヴァト・ギーター」です。ちくま学芸文庫から解説本が出ています。

 あまり長くはないし、今でも欧米でも非常に良く学ばれ、日本語にも訳されています。般若心経と同じくらい、ぜひ一度は目を通してください。人の志と神の御意志、というテーマで読んでみることができます。

 

私が学生だった頃、最初に撮った専門科目の一つが「インド思想史」でした。前田恵学という先生が講師でした。この先生は「シャンカラ」というインド史上でも指折りの学者の研究家です。シャンカラは、不二一元論という哲学思想を書き、それがインドの哲学の一つの源泉になっています。これをここで解説することはやめておきます。一言だけ言っておくと、それは仏教でいう「空」の思想と通ずるものがあります。

 さて、前田先生の授業を聞いてとても興味ができて、リグ・ヴェーダや他のヴェーダについて邦訳で少しづつ読んでいきました。岩波文庫から出ています。

一番重要なものは、強いて4つ挙げるとすれば、「宇宙開闢の歌」p322、

「プルシャ(原人)の歌」p318、「ヒラニア・ガルバ(黄金の胎児)の歌」p316、そして「タパス(熱力)の歌」p309、です。

 これらは、読んですぐわかるというものではありません。でも、見ておくだけでいいのです。意味はいつかわかります。

 今、聖霊とのつながりを知る上で最も大事なのは、各ヴェーダに付属する「奥義書」と呼ばれるもので、ウパニシャッドと言います。ヴェーダの解説のいうよりは、もっと哲学的なものです。

 ちくま学芸文庫に、岩本裕氏の訳で、『ウパニシャッド』という本から引用します。P69 チャンドーグヤ・ウパニシャッドから。

「それについて、リグ・ヴェーダの讃歌に述べられている。

その偉大さはこのようであり、プルシャはそれよりさらに大である。

一切の存在はその足であり、天上における不死はその三つの足であると。

このブラフマンと言われるものは、実に人間の外にある虚空である。

人間の内部にある、この虚空である。実に人間の内部にある虚空こそ、心臓の内部にある、この虚空である。それは充満しているものであり、不変のものである。

このように知る者は、満ち足りて変わることのない幸福を得る。」

ブリハッド・アーラヌヤカ・ウパニシャッドp277

「この偉大で不生のアートマンは、実に諸機能の中において識別から成るものであります。一切の支配者であり、一切の君主であり、一切の統率者であるそれは、心臓中にある空所、そこに横たわっています。」

 おそらく、この意味がわかる人は、例えばヨーガの瞑想、あるいはユダヤ神秘主義などの瞑想に通じた目覚めた人です。なぜなら、私は、例えば、それについてアーサー・アヴァロン卿によって翻訳されたヨーガの秘伝書『serpent power』にまさにこれの記述があることを承知していますし、また、アメリカ人のマスターの一人、ユダヤ神秘主義のカバラとアメリカ原住民の秘儀に精通しているドランヴァロ・メルキセデスの講義を聞き、またその著作をよんで、同じことが説かれていることを確認しているからです。本も探せばあります。「ハートの聖なる空間」という本です。

 

 以上の本に書かれたことは、本当のことだ、と思います。また、いつかあなたは、膻中と呼ばれる鍼灸のツボのちょうどそこから螺旋のように不意に虚空に広がっていくエネルギーの渦巻きがあることを認められるでしょう。アナハタ・グランティという微細な結び目が解けることがあります。

 さて、もう限界、と悲鳴をあげられた方もおられると思います。確かに、ちょっとハードな話なので無理もないと思いますが、ここまでついてこられた皆さんは本当にすごいです。

次回で最終回


シリーズ7回目

2016年08月06日 | 日記

いよいよ、ブラジルのリオ・オリンピック開幕しました。

とても素晴らしい開幕式で、地球の平和と緑の環境を強く訴える、色彩豊かで楽しい演出で、とても感動しました。

歌われた「パイス・トロピカル」。直訳すると、熱帯の平和、です。

さらには、ブラジルの第2の国歌とも言われる「ブラジルの水彩画」。有名な音楽家アリ・バホーゾの世界的な名曲です。(barrosoというポルトガル語の発音は、バホーゾ、です。)

ブラジル音楽としてボサノヴァの創始者の一人であるアントニオ・カルロス・ジョビンと、詩人ヴィニシウス・ジ・モラエスの二人で作詞作曲された世界的名曲「イパネマの娘」も開幕式の冒頭で出ました。その様子を外電はこう伝えています。

「ブラジル出身のスーパーモデル ジゼル・ブンチェン(Gisele Bündchen)が日本時間午前中に行われたリオオリンピック開会式の冒頭に登場し、ウォーキングを披露した。ブラジル出身のスーパーモデル ジゼル・ブンチェン(Gisele Bündchen)が日本時間午前中に行われたリオオリンピック開会式の冒頭に登場し、ウォーキングを披露した。」

今回、ブラジルと日本との深い結びつきを改めて思いました。

今日、8月6日に合わせての広島との連帯のメッセージ。日本からの移民の方を大きく取り上げた演出。涙を流された日系移民の人たちも多いと思います。

こういう人たちのおかげで、日本も世界で一目置かれているのです。感謝しましょう。

これから熱い戦いが17日間も続きます、熱中症、寝不足に十分気をつけましょう。熱中症には、「熱中しすぎ!」の意味もありますからネ。

では、シリーズに戻ります。このあと、もう2回で終わります。頑張ってみてください。

 

8番目。

*毎日静かにスピリットを見つめる

毎日、5分間、誰からも邪魔されないで、ただ自分の胸の中を見つめるだけ、の時間を取りなさい、ということです。

どうしても、誰かが声をかけてくるならせめてトイレの中で。

できれば、庭とか屋上の方がいい・・・。

一人静かに邪魔されずに、ということは必須なのです。

 

 

*本当の自分に沿った選択をする

 

静かな中で、初めて心の中から、内なる光が声となります。

この声は「沈黙の声」とも言われます。深い静寂と平安を自分の中に創り出してください。

 疑問に思うこと、頭から離れないこと、感情のもつれ、そういって全てを、内なる光に委ねるのです。

 その繰り返しの中で、「本当に自分に沿った選択」ができます。

 

次ぎ

*愛をもって、心に生まれる真実を語る

 

相手のためになることを知る、ということがカウンセリングを成り立たせる絶対的な要件です。

 そのためには、心のうちから、謙虚で勝つ公正でいなければなりません。日頃からの生活態度に出てきます。日頃から心がけることが必要です。

そうなると、自他の区別を超えた共通の地平が見えてきます。エゴ対エゴではない、自他の区別が超えられた知恵の領域に目覚めます。

 その時、相手にとってためになることが何か、がわかります。

そうなったなら、場合によっては本当はそうではないけれど、つまり「嘘」を言って相手の元気と希望を維持することも正しいのです。仏教で「嘘も方便」というから大いに嘘を言って儲けよう、などという捉え方をした時代もあったようですが、因果の法則というのがあって、嘘について生じた不正の結果の責任は、嘘をついた本人に必ず生じます。仏教では、異熟因—異熟果ということがあります。かならずしも今生で目に見えるだけではありません。本当は今生で捕まって罪を償う方が断然幸せなのです。ですが、因縁により隠されるケースもあります。それはいつの世にか結果を見るでしょう。

 いわゆる、振り込め詐欺の被害者と犯人と、どちらが傷つくか、は歴然としていることなのです。それに気づかないのは、憐れ、という他ありません。

 大いなる無条件の愛とつながっていると、同じように見えることでも因果のレベルが変わるようです。異熟果が違ってきます。例えば窮地を救われる、というような。宇宙の愛と叡智とバランスを皆さんは信じてください。

 

 

*スピリットの炎を絶やさない

 

常に、聖霊、スピリットのカゴをいただいている、と感謝を自分の心の中でつぶやくことです。

 

*好きなことを毎日欠かさず行う

 

意外と、皆さんは、人のためには尽くすが、自分(と家族)を大切にしていない。これはバツです。私がメンターから学んだこととしては、毎日が、イニシエーション、ということです。朝日を毎朝拝む、というのもその一つです。

毎日、ストレッチする、ジュースを飲む、深呼吸する、皆マルです。

 

*フローにすべてを委ねる

 

この意味は、時の流れに完全に委ねる、という意味です。

私たちは、常に目標を実現するための、「戦略」とか「戦術」とかを立てて、合理的に目的を追求しないと「実現できない」と思い込んでいます。

ここで、その思いを「手ばなしなさい」と言われているのです。

具体的にいうならば、日本的な言い方をすれば「人事を尽くして、天命をまつ」ということです。特に、天命を「待つ」のであって、待つべき時に、「そわそわと心配して動くな」。

 どーんと、宇宙を信頼して「手ばなして、ゆだねなさい」ということなのです。

ですが、これがすごーく、難しい!

私たちは、自分の思うようにならないと心配で、状況をコントロールしようとします。その時、コントロールしたいその焦りと不安、これがかえって、何もしなければうまくいくように宇宙がつくってくれているところを、自分で「だいなしにする!」。

実に浅はかなのですが、そういう私自身、これがなかなかできない。

でも、そうすれば、うまくいくのです。

コントロールしたいのが「エゴ」。ゆだねることに信頼するのが「セルフ」。そう覚えてください。

 

*引き潮を受け入れる

これは、若くて元気いっぱいの皆さんには、飲み込みにくい話です。ですが、若くて元気いっぱいであっても、「引き潮」はあります。

一人取り残されるように、まわりが引いていきます。しかし、それは決して悪いことではありません!むしろ、しがらみがあって、引くに引けない、という苦しいことも、またあるのです。

いつも成功者でなくては、とか、いつも一番注目されたい、とかで頑張っている人には、受け入れがたい事態や状況も、たまにはあります。

 その時、「抵抗しないで」流れに従っていなさいという意味です。

一時、潮が引いていくように思われるでしょう。皆の中心だったあなたが、周りから人がいなくなる、大事にされなくなった、というようなその時、「引き潮を受け入れ」てください。いや、もしその兆しが感じられたら、積極的にその可能性を受け入れてください。先手を取って、引くべきときを見定めましょう。

それは、あなたの新たな旅立ちがあることを、宇宙があなたに告げているのです。過去を振り返らず、先を心配せず、あたらしい旅が始まるのだ、と気持ちを切り替えてください。それが、むしろ幸せであることに、いつかしみじみとわかるのです。宇宙の愛と叡智のことを、私自身もそれを信じて流れに従いました。それは格段に素晴らしい新たな出会いにつながったのでした。

 

*意図を強く持ち、インスピレーションに従いながら日々を送る

 

宇宙に信頼して、フローにすべてを委ねるようになると、自然に、意図が明確になり、インスピレーションが湧くようになります。

呼吸を整えてください。

ハイヤーセルフが下すインスピレーションをあなたはクリアに受け取るようになれます。それを求めてください。

それが、高いこころざし、なのです。

 

*導きを得られるよう、祈りを捧げる

祈りとは、宇宙とひとつでありたい、と願うことです。もちろん、自分の守護天使に導きをお願いすると、意思表示するだけでいいのです。天使たちは、私たちのような、エゴで苦しんでいる存在を無条件の愛で支え導かれています。終生そうなのです。ですから、今、そう祈れば即座に分かっておられるのです。

すぐに結果を見たい?

それがエゴなのです。疑い、怖れ、不安、が「結果を急ぎます」。しかしこれだと、成功すべきところなのに、反対のことを願っていると同じです。信頼しなければなりません。

 

 

*自分自身を含め、すべての存在に思いやりをもつ

「思いやり」という言葉を、おまじないの言葉にして、誰にでも対処してみてください。

 

*人生のすべてに感謝する

 感謝せざるをえない、といつか気づきます。

 

*人生という贈り物を楽しむ

呼吸することができる間は、この世に居ることが使命です。今、この世界でしか、片付けられないことを、するのです。寝たきり、という使命もあります。

植物、という使命もあります。

身体障害や知的障害、という使命もあります。

宇宙に委ねることです。

受け入れて楽しむ、それを天使たちは求めていると学びました。

 

*スピリットに導かれながら生きる

スピリット、または守護天使、あるいは守護仏、それがどんな名前であっても宇宙は気にしない、と私はメンターから聞きました。

私は自分のハイヤーセルフについてもっと知りたいと思いました。それはこの地球以外の星の存在だと思えたからです。ですからメンターにその存在の名をしつこく聞きました。「ヴェガのセンよ」。「名前はどうでもいいの。」

私は、それは日本語の「センセイ」と同じではないか、と思いましたが、それ以上には聞きませんでした。

ハイヤーセルフは究極的には「すべて」「本源」でありますが、個の存在にも現れるのです。

地球上にも星の世界にも、守護天使は複数おられるのです。

 

2016−8−6


シリーズ6回目

2016年08月04日 | 日記

本格的な夏の暑さとなりました。昨日は新月で、南の夜空の火星がひときわ明るく輝いていました。ですが、7日はもう「立秋」。秋の気配が静かに夏空を変えていくようです。今のうちに、遊びましょう。


3番目:

*考え、話し、行動する前に、スピリットを吸い込む

 

 私たちは空気はタダだと思っていて、感謝の念は持っていません。高山病になりかけた登山家には、濃い空気のありがたみがお分かりです。

 水は、日本人はタダだと思っていて、一方、砂漠のベドウィンたちは、井戸水で命をかけて争います。あの、「アラビアのロレンス」という映画見た方にはわかるはずです。ローレンス中尉が原住民のガイドに導かれてアラビアの広大な砂漠を旅しています。井戸水を飲んで、さらに進もうとしたその時、私から見れば地平線の上のように遠いところに黒い点が浮かびどんどん近づいてきます。ガイドはもちろん遠目がききます。じっと目を凝らして、その点が、今飲んだ井戸の持ち主の種族のものだと気づいて逃げようとします。とたんに銃声。ガイドは多分300メートルは離れていたにもかかわらず一発で殺されてしまいます。そう、それがローレンス中尉と、のちのアラビア反乱軍の指導者となった族長との出会いでした。

 土。私たちは一応、土地はタダでは買えないと知っています。土地の登記謄本にはきっちりとそのデータがあります。とはいえ、土地を所有したとしても、その所有者が本当に自然を大切にしているとは思えません。土地は人間の経済活動の自由だ、というふうにしか感じられていないのです。ですがそうではありません。昔からの共有地、里山、神社の鎮守の森、そこにある自然こそが本当に生きている土地なのです。その恵みが無ければ、例えば森と川が失われると海が死にます。もう科学的にわかっていることなのです。それなのに、原発産業の技術者は、福島の汚染水をなんとかして海に流そうと躍起です。科学技術の暴力としか言いようがありません。

 火。私たちは火を注意して扱いはしますが、その神的な意味について、古事記や神道の行事の中でこめられた意味を知りません。江戸時代の国学者で、「古事記伝」という大変な本を書いた本居宣長は、それに「直日の御霊」(なおびのみたま)という序文をつけました。それによると、火の神にまつわる忌みごとを犯すと大きな災いとケガレが出現することを警告しています。

 

 スピリットは、このように自然の霊的な存在でもあります。日本人は本来、山を御神体として信仰し、また海のさちを神に祈願し、船には船玉様を祀っていました。この感覚をまずみなさんが取り戻すことが、この「スピリットを吸い込む」という意味を理解する鍵です。私たちが自力で生きているのではないこと、聖なるスピリットたちによって常に生かされていると知っていることが求められているのです。

 

4番目。

*すべての生き物に聖なるスピリットを見い出す

 

さあ、これはどういう意味でしょうか。

人間の視点でいうと、人間は万物の霊長で、すべての生き物を支配し、自由に所有したり食べたりできる、という風に近代以降特に日本でもそう思われています。ですが、そうなのでしょうか。

 人間は生命を創造できる、という困った幻想が科学技術の発展の結果として考えられています。肉体は、遺伝子工学の発展により、クローン技術などもあり実現されつつあります。しかし、生命を擬似的にロボット技術で似せてみようとする試みは決して実現しないでしょう。というのは、意識の進化は無限に続くもので、人間の今の知性で全く触れることのできない次元があるのです。生命というのは、原始的レベルから動物レベル、人間レベルまで、というのは実は間違いです。このような生命の多様性と、人間中心でない生命観を一番しっかりと伝えているのが、日本で、「古事記」がそれなのです。本居宣長は、日本人の「カミ」の概念をこう説いています。カミは狐タヌキのような卑しいものもあり、功績の大きな人間の魂があり、山河がカミであり、太陽や月がカミである、と示しています。つまり八百万の神々ですが、私の指導教授だった筧泰彦先生は、「彼の」「身」、つまりこの世でないが在る世界の存在者、という意味だと言われました。

そうだと思います。私の他のマスターたちの説明では、物質的な第3密度にいる人間の精神では捉えられない高次の密度の存在者の階梯が、さらに4つあるそうです。

 ヨーガの聖者たちは、あらゆる生命の次元を悟られている(例えば、ヨーガナンダやヴィヴェーカナンダ、などの発言を調べてみても良いです。生命の全体を理解するだけのレベルには残念ながら地球人類はまだ達していないのです)ために、生命は一つしかない、その無限の表れがあらゆる生き物なのだ、と説いています。これほどまでに行かなくても、少なくとも、地球は一つ、私たちは皆友達、という人類の一体性を感じる人は多いでしょう。そう思う根拠は何ですか?人種や性別、年齢、等々を超えて私たちは同じ、と言われる理由がここにあります。

 もちろん、科学技術が進んで、生命医学の向上によって、困難な病気を治せることはある意味では必要なことです。ですが、全体とのバランスを欠いて、異様な展開にならないためには、謙虚な生命観を持つことは非常に大切なことです。

 

 ところで、すべての生き物には聖なるスピリットが見出される、ならばゴキブリもか?そうです。ゴキブリにもミミズにも。ですが、それは「平等観」とも言われ、真実ですがそれが全てではありません。ものごとに順序上下があるように「差別観」を働かせなければなりません。同じゴキブリを見つけても、あなたは道路を這っているゴキブリをわざわざ踏みつぶしますか?ですが、台所で見つけたら、必死で追いかけ回すでしょう。それでいいのですが、心をかき乱して、憎しみを満面に漲らせて「殺せ!」と怒り狂いながら追い回すのと、冷静に対処法を考えて捕まえるか追い出すのとでは違いがあります。大きな怒りや憎しみは避けること。これが基本です。やりすぎはバツ。

 私の学んだことですが「すべての存在、その中には不快なものをすべて含めて、黄金の液体の光でできている」という教えがあります。


5番目。

 

*意識して呼吸する

これは、最初の方で述べたことと同じことで、例えば数息観で、吸う息、吐く息、を数えるのも、意識して呼吸することです。

 

続けて、6番目。

 

*エゴが設ける制限を積極的に自覚し、それをはがしていく

 

 エゴというのが何か。それはある意味では、原始的な脳が司る反射的な自己保存の無意識的な衝動を根に持つ、意識的な判断ということができます。すなわち、自分——他人、自分——よその存在、という区別、あるいは意図的な差別です。私のマスターは、これを「第3密度における二極性への習慣的な執着」と定義されています。

 実は、人間存在は、本能的な自己保存と同時に、本能的な博愛、が備わっています。そうでなければ、イエスが孤児や寡婦への愛を訴えても、もし人間にそのことを受け入れられる土台がなければ、そういう話は無意味でしょう。つまり、私たちの中には誰にでも、エゴで終始しない愛があるのです。

 しかし、人間の精神的成長進化はまだ途上だと言われます。

ヨーガや仏教の整理学では、胃のあたりには太陽神経叢に対応するマニプラチャクラという微細身の器官があり、その一段上に、心臓の部位にアナハタチャクラという器官があります。仏教徒は、この境界を超えることが彼岸に至る道の第一歩だと考えているのです。こういう教説について詳しく知りたい人は、ヴァスヴァンド(世親)が書いた「アビダルマ・クシャ論」という仏教哲学書を研究しなければなりませんが、私には手に負えません。

 とにかく、このマニプラチャクラにおいて、個人の主張(エゴ)が強く打ち出されます。それは必要なことなのですが、それより上の精神的な愛や英知によって調教されていなければなりません。エゴというのは、かなり行き当たりばったりで、メンツのようなことにこだわり本当の調和や友愛を知りません。ですから、それを一枚一枚、じっくり剥がしていきましょう、という話なのです。

 

7番目。

*人生の目的に役立たないものを手放す

 

これは、「断捨離」の話です。

特に、人間関係における、腐れ縁を手放す勇気と気力を持ちましょう。

強い、依存関係から逃れたい、というのは、かえって解決から遠ざかるかもしれません。

まずすべきことは、「境界」をはっきりさせることです。自分が踏み込まない、踏み込ませない、それはどこかを自覚することです。博愛だから自己犠牲もやむをえない、というのは完全に間違いです。総合的な意味で「自分」を大切にできない人が、博愛などできません。

 それから、理性的になって、自分は宇宙にすべてゆだねますから後はよろしくお願いします、と「放下」して気楽になってしまうことです。「手ばなす」という言い方をよくします。

 それへの信頼こそが、あなたを導きます。

次からは、さらに具体的な話になっていきます。

また、次回に。

2016−8−4