5月12日
日本のカエルは中南米のカエルと話し合えるか?
東北の復興はまだ始まってもいない。むしろ、これからが被災者の人たちにとって苦しくつらい。いろいろ東北以外の問題や事件が起きて、これまでのようなわけにはいかないだろうけれども、根気よく見守って行きたいと思う。そこで、再び東北の詩人に目を向けることにした。とはいっても、肩がこるような話はごめんだ。面白いのがいい。そこで思いついたのが「日本のカエルは中南米のカエルと話し合えるか?」というテーマだ。
(ここにはひとつの無視できない昔からの訓戒がある。張りつめ続ける弦は、つまり緊張しっぱなしの糸は、切れやすい。適当に息抜きするゆとりをどうしても見つけておかなければならない。連休が終わったとたん、東北のボランティアは急減したそうだ。地元の人々の負担はむしろこれからがきついだろう。ときどきは、馬鹿馬鹿しい話で気を休めてほしい。お釈迦様でさえ、いきすぎた苦行は悟りを妨げる、と牛乳を飲まれたではないか。財界の内部でも原発問題がからんで足並みに乱れがみられる。株価もヨーロッパの財政危機、アメリカと中国の不都合な統計が出るたびに一喜一憂だ。政局は、たぶん激動の時期にはいる。あまり気にしないことにしたい。どうせなるようになる。)
今回のテーマは、日本のカエルは中南米のカエルと話し合えるか?
これは、遊び心で楽しんで過ごしたくて試みたことだが、一方とても真面目な疑問でもある。なんでこんなことにつきあうかというと、詩人 草野心平が、この世にカエル語というものがあることを我々に教えたからだ。それで、まず草野がどういっているかを見ておこう。
それは「ごびらっふの独白」という詩に出てくる。長いので、一部省略してしまったが。
るてえる びる もれとりり がいく。
ぐう であとびん むはありんく るてえる。
けえる さみんだ げらげれんで。(中略)
いい びりやん げるせえた。
ぱらあら ぱらあ。
というのが「日本の」蛙語であって、その「日本語訳」というのはこうである。
「幸福といふものはたわいなくつていいものだ。
おれはいま土のなかの靄のやうな幸福につつまれてゐる。
地上の夏の大歓喜の。(以下、しばらく省略)
美しい虹だ。
ぱらあら ぱらあ。」
カエルの原語と日本語訳が対応しているのかどうか、よくわからない。最後の「ぱらあら ぱらあ」というところだけは同じだ。
草野によれば、日本の蛙はカタカナを話すようだ。それも紹介しよう。
鰻と蛙
カキクケコ カキクケコ ラリルレロ ラリルレロ
ガッガッガッ ガギグゲゴ ラリルレロ
心配はいらない!鰻だ!鰻がとほるんだ! カキクケコ カキクケコ ・・・
(蛇足だけれど、ここの「心配はいらない・」云々はカエルの心理状態を草野が推し測って、のことだろう。ヘビに似てるけどヘビじゃないから安心さ、って。)
もちろん、こんな擬音で埋めつくされたような詩ばかりではない。
さやうなら一万年
闇の中に ガラスの高い塔がたち 螺旋ガラスの塔がたち その気もとほくなる尖頂に
蛙がひとり 片足でたち 宇宙のむかうを眺めてゐる
読者諸君もこの尖頂まで登つて下さい
草野は、「蛙は“ひとり”立ち」という。決して「いっぴき」とは言ってない。
では、今度は中南米にもカエルはいるはずである。確認しておこう。
まず、第一の証拠。マヤ暦というのはもうたいていの人が耳にしていると思う。マヤ暦は2012年で終わる、それはマヤの長期暦というのはそうなっているが、どうもマヤの人たち自身はそうは言っていないようだ。また、コールマンによるとホゼ・アグエイアスによる西洋暦への換算に間違い、というか不正確なところがあるらしくて、長期暦の本当の終わりが2012年プラスマイナス数年、ということらしい。さらにいえば、マヤ暦には何種類もあって、中には2012年どころか、ずっと先のほうのカレンダーもある。長期暦だけとらえるのは少し行き過ぎのようだが、それでも、2012年前後から人類の意識がこれまでとは非連続的に、画期的に自然を尊重しポジティブに変わるということは確実のように思われる。それはアメリカ先住民各種族のデイキーパーたちの一致した見解といえる。あえていえば、プレアデスのメッセージもそうである。
マヤ暦のひとつ農事暦を「ハアブ」という。その月(ウィナル)のひとつが、ウォ月である。高橋徹著「マヤン・カレンダー2012」voice刊153頁の一部分を引用をしておこう。
「ウォ(uo)とは、マヤ語でカエルのことだとされます。雨や水、また豊穣にも関連するウィナルです。カエルが雨の降ることを前もって感知して鳴くように、目に見えないもの、聞こえないものを察知し、それを外に表現するという意味があるようです。」
ちなみに今年の場合は(来年はちがってくる)ウォ月は4月23日から5月12日までである。
これで、アメリカ大陸にもカエルが昔からいることがわかった。それでは、アメリカのカエル語はどうなっているだろうか。残念ながら僕の知る範囲では、草野のような親切な詩人はいないので、カエル語訳があるかどうかはしらない。しかし、大変すばらしいことに、ブラジルのカエル語は歌詞にもなっている。ボサノバの「The Frog」つまり「カエル」という曲がそれである。とっても生きのいいカエルの大合唱である。
ゴロゴド・ゴロゴロゴドゴロ・ゲレゲレ・ゲレゲデゲレ・ヤザンゲ・ヤザンゲンゲ・ゲレギギ・ギンギギンギ・ゴロゴド・ゴロゴロゴドゴロ・ゲレゲレ・ゲレゲデゲレ・ヤザンゲ・ヤザンゲンゲ・ゲレギギ・ギンギギンギ・ゴロゴド・ゴロゴロゴドゴロ・ゲレゲレ・ゲレゲデゲレ・ヤザンゲ・ヤザンゲンゲ・ゲレギギ・ギンギギンギ・・・・
試聴をお勧めしたい。以下
http://www.neowing.co.jp/detailview.html?KEY=UICY-3703
ボサノバの中でも異色の音楽で、ジョアン・ドナートの作である。
桜が散って、いつのまにか新緑、五月雨の季節となった。小雨降る小道をお歩きになったら、道端の青々とした草の上をよく見てみてください。ちっちゃな雨蛙がゲコゲコ鳴いてあなたを歓迎しているかもしれない。そうしたら、あなたもちょっと片手をあげて手をふってあげてください。ひょっとしたら雨蛙もちっちゃな片手をあげて「ハァーイ」と返事してくれるかもしれない。
(この子の名前だって?好きにつけてやってください。あえて言えば、ブラジル南部出身だから、ポルトガル風の、ポンタとかポンテなんかどうだろう。ポンサなんてのもありか)