昴星塾(ぼうせいじゅく)のブログ

リサ・ロイヤルの「ギャラクティック・ルーツ・カード」に親しむ会。不定期の掲載。

プレアデス

2011年10月14日 | 日記

2011年10月14日 

プレアデス

 

プレアデス星団(Pleiades )は、おうし座の散開星団である。メシエ天体としてはM45。漢名は昴(ぼう)、和名はすばる、すばるぼし。

 

「地球から400光年の距離にあり、肉眼でも輝く57個の星の集まりを見ることができる。双眼鏡で観測すると数十個の青白い星が集まっているのが見える。比較的近距離にある散開星団であるため狭い範囲に小さな星が密集した特異な景観を呈しており、このため昔から多くの記録に登場し、各民族で星座神話が作られてきた。」(以上、wikiより)

 

もちろん、普通の天文学的解説では、これで十分だ。そのとおりである。400光年という距離をどうやって割り出したか、については天文学の専門書をみたらいい。直接測れるわけがないから、視差とか照度とかいろいろの工夫でそういう結果となったのだろう。もちろん正確に400光年というわけにはいかない。それに散開星団である、ということは、星団の直径が当然1光年以上はあるだろう。その星団の範囲である球体の全面と後面では、我々の太陽系がすっぽり入る以上に広い距離があるに違いない。(プレアデス星団拡大図)

ところで地球に一番近い恒星はプロキシマ・ケンタウリの4.22光年と聞いたが、もっと近い暗い星があるかもしれない。いずれにせよ、人類が光速以下の速度で宇宙飛行で地球にもっとも近い恒星に到達しようとしても、最低10年はかかるだろう。なぜなら、加速と減速に時間がかかるはずだからだ。まさか、急発進、急停止の車に進んで乗り込みたいとは誰も思わないだろう。だからこの方法では400年先のプレアデスの惑星にたどりつこうとしても、人間の寿命では足りない!

では、プレアデスからの宇宙船、UFO,はどうやって地球に来てまた帰還するのだろう。そういう疑問はSFでしか答えがない、とつい最近まで僕も思っていた。しかし、これから紹介する上平剛史氏の本で、それともう一つ、ミシェル・デマルケ氏の本で、地球人類でも他の恒星に(もし準備ができている人ならば)自由に行き来できることを納得した。さらに、先年亡くなった、沖縄出身の知花敏彦さんもそう言われたようだ(古本しかないが、アマゾンで検索すればいい。さもなければ、「地球家族2020」のHPから。)。これは重要な、認識の転換だ。というのは、地球は、昔日本が鎖国から開国へと迫られたように、地球開国(というか、地球開星というべきなのかもしれないが)の時がきたと思うからだ。そうでなければ、こんな情報は出版できない。

では、だれに対しての開星なのか?。それは、宇宙の親戚たちに対してだ。UFOのほとんどは地球よりはるかに進化した星々から来た、しかしルーツは人類と同じ琴座に由来する親戚たちの乗り物だ。リサ・ロイヤルさんからの情報では、非人類系の存在も来ているが、基本的には人類を導こうというあるいは親しく交流しようという奉仕できているという。

わずかながら、黒い意図のUFOもあるが心配はいらない、とのことである。そういうのは、次元の低い、過去の世界から来ているとのことだ。圧倒的に愛と奉仕の存在の高い周波数のUFOだからだ。ところが、地球の人類は恐いもの見たがりや!で、悪い方にばかり注目したがるらしい。たしかに、夏になればお化け屋敷が繁盛する。

 

 ミシェル・デマルケの『超巨大[宇宙文明]の真相』は徳間書店から再刊されている。この情報がもつ意味がどれほど深いかは、簡単には説明ができない。いつか、まったく別の機会にどこかで説明するかもしれないが、今この天狼星児のブログでは扱いきれない。ただ、ほんのすこし、何が問題かについてだけ触れておこう。デマルケの話しには、ある部分が「竹内文書」と一致する部分がある。私は『竹内文書』についてはよくしらない。そこには五色人という概念があるらしい。それは、竹内文書では、ムー大陸では、黄金色を中心に、赤、白、青、黒の五色人が一緒に生活していたということらしいが、それと対応するようなことをデマルケが書いている。ただ、竹内文書のいうところとは異なり、起源が異なる他の星の各色の宇宙人たちが地球に植民したということらしい。デマルケの本によると、最初に地球に植民したのが黒色と黄色の宇宙人だったということらしい。

ところで、これら宇宙人は即いまの黒人、黄色人種、白人、アメリカ・インディアン(赤色)を意味するかというと、デマルケの説明から見るとそうではない。これらの色の植民者たちは、数億年から数千年のあいだ入れ替わり立かわり地球の植民者となった宇宙人らしい。それらの宇宙人の遺伝子を部分的に受け継いでできたのが、今いる各色の地球人類なのかもしれない。因みに、青色人というのはデマルケの本からはよくわからない。だから、竹内文書でいう五色人の概念とデマルケのいうところとは、一致しているかどうかまだ断定はできない。このあたりがまだよく分らないところだ。

ただ、黄色人が天上界から鳥岩舟というUFOに乗って、豊葦原の国に降りてきた、日本が地球世界の中心国である、という説は、江戸時代後期の国学者・平田篤胤によって強く主張されている。(『霊能御柱』の天孫降臨のくだりなど)

 これについて、デマルケ、この人はフランス系オーストラリア人で、別に日本とは縁もゆかりも義理もない人なのだが、彼と接触した宇宙人から、キリストの墓は日本の東北にある、と聞いたとある。デマルケ自身が驚いている。これは竹内文書のいうところと同じであって、相当注目していい問題である。

 このデマルケがつれていかれたティアウーバという星がどこにあるかは、よく分らない。私の推測を書いておこう。デマルケはこの星から我々の太陽を肉眼で見た、と書いている。目のよい人でも、普通見えるのは六等星くらいまでだ。そのように目をこらせば見える太陽のような輝度と色の恒星をどのくらい離れたところから見えるかというと、25光年くらいであろう。うしかい座のアークトゥルスが37.5光年なので、私はティアウーバという星はプレアデスではなくて多分、アークトゥルスの惑星のひとつだと思う。絶対そうかどうかはわからないけれども。

 ところで、宇宙人からみて、アジア人は和を実現するべく遺伝子操作によって作られた人種であって、なかでも日本はやがてくる新しい世界では特別な中心的役割を今後担うことになるという。ただ、具体的なことが今ひとつよくわからない。地球世界で政治的なリーダーシップを取っていける日本に拠点をおく人材は、まだ隠されているのだろう。最近、そういう可能性のありそうな人たちと偶然?顔見知りになる機会が増えてきたような気がする。イザヤ書にも、「神の隠された矢じり」というのがあった記憶がある。そもそもプレアデスの情報といっても、いろいろの異なる時空から来た飛行士のものがあって、かならずしも一致していないようだ。プレアデスは決して一つの星でない、太陽系にも地球もあれば火星も金星も土星もあって、それぞれの人類(見えない次元も含めて)がUFOをもっているらしいので、そうなるとプレアデスからといっても色々の伝えがあるのかもしれない。

 平田篤胤の上記の問題については、2年前私も論文をある雑誌に投稿したことがある。あまり注目されたわけでもないが。それは『仙境異聞』という篤胤のルポルタージュ、天狗の話、なのだが、これはおとぎ話ではない。予断をもたないよう、岩波文庫から出ている(アマゾンで検索すればかならずある)『仙境異聞・勝五郎再生記聞.』をまず一読されることを強くお勧めする。読んでみないことには始まらない。私はそこで気づいたいくつかの発見を雑誌に書いたのだから。

 

前置きが長くなったが、ここからは上平剛史氏の紹介に移る。

私がこの本の存在を知ったのが2004年の年の暮れだったが、そのときは顧みなかった。まだ私の内なる機が熟していなかった。その2年後、父親が亡くなってしばらくして、なぜか急にプレアデスに強く関心をもち、色々出版されている本を読んだ。信用できるものを探したのだ。もっとも有名なものは、マイヤーというスイス人の、宇宙飛行士セムヤーゼとのつながりである。ところが、問題があった。セムヤーゼとコンタクトを取ったという人物が複数でてきて、マイヤーは全部それは嘘だ、と言った。セムヤーゼはマイヤーのみとコンタクトすると約束したというのだ。

だが、私は、セムヤーゼがでたらめを言ったとも思わないが、かといって、マイヤー以外のコンタクティーを持たないということはないと思う。その根拠は、カリフォルニア州に在住するpyradyneを主催していた、この9月25日に亡くなったばかりのDR.Fred Bellがセムヤーゼとのコンタクトについて詳細に書いているからだ。http://pyradyne.com/

 リサによると、セムヤーゼは「ある時代」のプレアデスの飛行士だった、ということで、サーシャと同じ時空を共有しているようには言わなかった。こういう点は、なかなか理解がむずかしい。

 さて、上平剛史氏は、どの時空の宇宙人かはわからないが、プレアデス星団に属する文明から派遣された宇宙人「宇宙太子」のグループの宇宙船により、プレアデスの惑星を訪問した。この「宇宙太子」というのは一つの敬称であろうが、そうすごく深い意味はないように思う。天上界のリーダーの一人、と考えたらよい。直接、本『北の大地に宇宙太子が降りてきた』(たま出版)から引用して紹介しよう。

「私は、昭和16年12月5日に、岩手県の浪打村という寒村に、大工の子として生まれた。・・父は若いころ、兵役時代に、近衛兵として天皇を護持するため、宮城勤めをしたこともあったということである。・・。

私が生まれてはじめておそろしい事故にあったのは、昭和23年のことである。それは地元の楢山小学校に入学して一年生の時であった。私はなにげなく父の事務所の机の中に入っていたものを持ち出して遊んでいたのだが、それが突如爆発したのである。その爆発で左手がぐしゃぐしゃになり、・・・あとでわかったことだが、そのとき私が触っていたのは、ダイナマイト用の雷管であり、そのときの爆発で私は左手を失ってしまったのである。それからが、私の苦難の道の始まりでした。(中略)

今振り返ると、小学校から大学まで、何一つ勉強らしい勉強もしないで、大学を卒業できたことは、奇跡のようなものであった。そんな私を大学まで行かせてくれ、自由に学ばせてくれた両親と家族には、いくら感謝しても感謝したりないと思っているところです。(中略)

 現代社会は、・・・格差社会である。そしてそのことが、人間の争いごとの原因になっているのではないか。だから、争いのない、「誰もが平等に平和に暮らせる社会を確立する」バイブルのようなものを書かなければならない。(以下、三沢市役所に採用され定年まで勤めたこと。略)

そんな感謝の日々を送っていたある日、突然、私に宇宙太子が降りられ、私に「宇宙の法」を授けられたのである。「宇宙の法」は、「人類が平等に平和に暮らすことのできる社会を確立する」ための法である。私は、この「宇宙の法」をさずけられたとき、一瞬にして、私の人生はこの法を世に出すためにあったのだ、・・・自分が生まれた意味を悟りました。(以下、略)」

その内容のうち祈りの部分が短くまとめられた部分を以下、引用しておく。上平氏は、むしろ続刊『宇宙太子との遭遇』(たま出版)で、かなり遠慮がちに、宇宙太子と初めて出会ったこと、それが彼が9才の時、日蔭山にひとりで出かけたときであったことを記している。

そして、14才のとき、再び宇宙太子(エンパー)が、上平氏の呼びかけに応じて野張山頂に現れた。そして、エンパーが彼の宇宙船で上平氏をプレアデスに導いたのである。これがいわゆる幽体離脱の話であるかどうかは、読者が自分で判断しなければならない。円盤搭乗記というのはいくつかある。実際に乗って、彼方の星に上陸した、という場合は、実際に波動をあげてもらってそうなったのだろうと思う。一方、いわゆる肉体は地上に置いておいて意識は幽体離脱の場合は、それを経験した人自身が自覚をもっている。一例をあげると、円盤の中を見せてもらったが、向こうには行っていない、というケースで、私自身がそういう経験のある人に直接会ったことがある。もうかなり以前だが、千葉県市川市にある白光真宏会でまだ、五井昌久氏が教えておられたころ、幹部の一人、村田さんという方が円盤搭乗記を書いていた。(今はお二人とも亡くなっている。)この方に友人を介して面会を申し込んだのである。村田さんの場合は、この会に縁のある宇宙人の円盤の飛行士が彼を幽体離脱で導きいれたようである。だが、それと上平氏の場合とは異なる。蛇足だがひとつ言っておこう。幽体離脱は肉体が元の位置にいる。一方、アポーテーションというのがある。瞬間移動という。この場合は、肉体は別の場所に行く。

 さて、プレアデス訪問記のほうは本で読んでもらうとして、ここで引用しておくのは『北の大地に宇宙太子が降りてきた』にのっている次の「幸福を招く祈りの言葉」である。(つづく)

http://blog.goo.ne.jp/tenrouseiji2/e/23e84f03b26b82801de68c728b699ab8

 

 

 


最新の画像もっと見る