典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

ぬらりくらりの一日

2011年10月07日 | 【日録】今日は何した?どう過ごした?

 昼過ぎまで眠って、残ったアルコールを抜いた?? 2人で、焼酎瓶1本以上呑んだのだわさ。

 まあしかし、酒でも呑まんと離せない、聞けない、壮絶に生きた御仁の最期と「遺産」の話である。もちろん、ゼニなんぞではない、その御仁の残したものは・・・。

 ポーランドの旅行記でも書こうかしら?と思いはするものの・・・。いつものように、後に残る鮮明なものがないんですね。

 まあ、アウシュビッツで聞いた中谷剛さんの話<問いかけ>と、一人で歩いたクラクフのカジュミェル地区、古いシナゴーグ・・・あたりでしょうか?。

  ナショ・ジオで昨年放映された、 ヘッカーが残した写真集をめぐるドキュメンタリーをみました。  ホロコーストに関与していない・・・という主張が通って、ドイツの銀行界にもどり、2000年まで存命だったとのこと。

  収容所やホロコーストについては、東海大学の鳥飼行博さんが、とっても、詳し~く、詳し~く ホーム・ページで情報公開をなさっていますので、そちらへどうぞ・・・。

新刊 『写真・ポスターに見るナチスの宣伝術 ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』 2100円 青丘社

 

  しかし、ユダヤ、シンティ・ロマ、ハンガリー、ウクライナの人々を 出来るのですよ。

 殺害できるようにさせているもの、これについて考えたいですね。

  そうそう、カルカソンヌのアルビジョワ十字軍の話の映像もみていました・・・。

 「異端なる者は殺しても、天国には行けるぞぉ!土地や財を奪ってもいいんだよ」とローマ教皇が GOサインを出しておるん。

 ポーランドの10ズローチの国王なんか、隣のザクセン人にやられる前にさっさと、カトリックに改宗して、直接本家本元のローマ教皇と結びついた方が得策だ・・・ですかね。

 まあ、こんなあたりでは、ドイツ騎士団のマルボルク城を実際に見てこれたのは、ツアーでの収穫だったでしょう。

    さて、もう9時です。ノーベルSHOWのニュースは、うんざり

  ああ、そうだ。「収容所」までに、大きくの人たちが殺されたり、やられてしまっている・・・ということをもうちょっと、強調しなきゃいけませんね。この「やられる」という意味は、ナチスのカポになった人々も含めたいです。

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