典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

何処で最期のときを?

2018年01月07日 | 〈雑記〉孫や子ども達、若い人と
 現在の住まいは、「貯金の残高が百万を切れた」と私に訴えてきた実母に請われて引っ越して来ました。
 2000年10月の初めでしょうか。
 賃貸の契約書の日付が10月17日。
 当時私は50才!すべての借金が片付いたのが、55歳でした。

 或とき、私が選んだのは、自分は死んだ者として生きる…であります。20年間に渡って、一応続けた個人通信が証と申してよいでしょう。

 ところで年末の和歌山二人旅での友から聞いて吃驚がもう一つあります。高校2年の秋、私が担架で運ばる様子を目撃したとのこと❗初告白よ。生死の境でこっちに戻って来た者だもの、キリギリスにはなれません。

 「幕引き」「ゴール」としての「死」と、今現在との間、ラインををどう走るか❓距離は分かりません。
つまり、時間、「とき」をどう捉えるのか?で大きく違ってきます。
 
 話を結論に運びたいのですが…。(以上1月6日)

 「バアバ、ミキチョーワ?」と数年前の上孫までの言葉を思い出しました。家賃等の条件はよし。大阪からそっちに移住した知人らもいます。
 何よりも、この町には火葬場があります。

 此処で焼いて貰えれば、孫たちが骨を拾うてくれるでしょう。そして、骨仏に…。すでに、一心寺には連れて行ったし、私は死ぬることを「仏さんになる」とそう語って来ました。
 「覚えている」とは考えませんが、忘れていても思い出すであります。二人とも、人の話をちゃんと聴く「耳」を持つよう、育っているはず…❓❓❓

 「はず」の後ろに疑問符をつけたいけど、打ち込めません。
 「命令」は聞いて従うことは出来ても、<話を聞く能力>をを持たず、持たされないままに育ち、老いてしまったものが多いのでは❓❓ 
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