自分がその町のどこにいるかが定かでないと、精神的に不安定になります。非常に落ち着かない・・・。
先週の広島、息子の車の中で、一瞬、パニックが起こりかけました
広島市は、三角州に作られた城下町。いくつもの川が流れ、多くの橋があります。広島城、原爆ドーム、県庁のある中区の通りは、ほぼ南北、東西に走っていますから、方向感覚あまり、狂わない・・・。
しかし、むすこ一家の住まいする南区、比治山のあるこの地域は、道路が斜めで、くねくね曲がっています。
昨年春以来、何回か訪れているにもかかわらず、まったく、土地勘が育っていないのですよ。 わたしとしては、これはとっても<異常な状態>でありますの。
よって、今日はホテルに置いてあった「観光ガイドマップ」に書き込みを入れながら、川や橋、通り、町の名前を少し、チェックしてみました。
地図をみていると、いろいろと疑問が出てきます。
まずは、「まち」と読むか、それとも「ちょう」か?大体、城下町の場合は、共通しているとはいうものの、「てっぽうまち」か「てっぽうちょう」か・・・。
それから、金屋町にあるのに、なぜ「段原小学校」というのかといった不一致とか。
小1時間ほど、地図とにらめっこをしていたら、落ち着いてきましたわ。
そういえば、先月のポーランド旅行でも、同じ症状が起こっていましたぁ団体での移動と車利用のせいでしょう。職業柄、修学旅行や遠足などはあっても、わたし自身は引率する側で、行ったことがない場合でも、下調べを済ませている・・・。 ひとりでの旅行のときは尚更です。
やっぱり、自分の頭と足で動かないと、記憶に残らないと申しましょうか・・・。
グダンツク、トルン、ワルシャワ、クラクフとあわせて11泊という旅行でしたが、断片的な風景しか甦ってきません。残っているのは、やっぱり、アウシュビッツでしょうか?
ドイツ騎士団のマルボルク城は、覚えています、います・・・。「北の十字軍」を読んで、この本を手にして、あの風景を眺めていましたから・・・。
クラクフのカジミシェル地区は、ひとりで行ったからよく覚えています。朝、タクシーを飛ばして、この「ユダヤ人地区」という町へ・・・。一人とかの少数だと、その土地の人と直接、話をするしかないわけですよ。片言の、単語だけの英語でも、コミュニケーションをもたなきゃ、にっちもさっちも前にすすまない
広島の宮島の一日、孫との二人旅は、印象深いものでした・・・。水族館までは、バスを使いましたが、帰りは桟橋までてくてく、歩きました。景色も会話もくっきりと甦ってきますね。
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