今朝は緑の「世界の歴史6『隋唐帝国と古代朝鮮』」、7ページにジャンジャン書き込みを重ねた後、「大系」で、八王の乱❗(am11:05)
🔵以下は、朝早く、先に書いたものです。
「武帝の子司馬衷は暗愚であり、他方司馬師のあとを嗣いでいた武帝の弟の斉王攸は朝野の信望があつかったため、太子を廃して斉王を立てようとする動きがあったのであるが、」の一文にひっかかりま
した。でも、wikiさんで調べると、司馬炎と司馬攸は同母の兄弟。炎の父明の兄が司馬師で、彼には男子後継者がなく、甥攸をシュウシ、猶子にした─ちゅうことネ!
山川各国史の系図には、「司馬攸ユウ」は、‘□’表示でした。
さすが、「大系」です。「八王の乱」の伏線が呑み込めましたぁ!(-.-)
上の一文、2度目の「斉王」に「攸」の1字を足していたら、滑らかになるのでは?
(-""-;)休憩! ネット、特にwikiは有り難いですね。謝謝❗
🥣『瓔珞』観ながら、朝ごはんを食べます。さっきまでは、クラシックの映像…。演奏者の姿にまみえる映像はいいですね。\(^_^)/
「武帝は司空として洛陽で武帝の政治を支えていた斉王に封国におもむくごとを命じ、斉王は翌283年に憤死したのである。」
🔴正午過ぎです。「八王の乱」、どうにか決着つきましたぁ!
要は跡目争い?
お話として楽しみたいので、中国ドラマはないかな?と調べたら、やっぱりあるんですね。(^o^)
『乱世妖後』とか。他にもあるみといだけど、典虚的には、嵌まりたくない❗
曹氏の魏から司馬氏の晋へ。後継者を決めるルールがなかった。
司馬懿の息子昭には、炎と攸という兄弟あり。265年炎が跡継ぎになる。そしたら、次の後継者は誰にするか?267年に楊艶が生んだ衷を皇太子に決める。この時、18歳…。長男を失くした楊艶は衷を溺愛?馬鹿息子になった。
御曹子がアホでも周りがしっかりしておれば…もあるけど、周りの親族臣下の間に勢力争いが生じるのは世の常よ。
265年蜀、280年呉併合となり!三国対立の時代が終わる。
皇帝炎の弟司馬攸は煙たい存在となる。炎は、282年、攸に洛陽を離れて「封国斉」に行けと命じる…。そして、攸は283年憤死とか。
問題は、衷が長生きしたことと、妻賈氏一族専横?
290年 炎の死で、衷の子イツ立太子となるが、賈氏派によって殺される。
八王の乱は、291年から306年の恵帝衷の中毒死とされていますね。
さて、この辺で「西晋」は切り上げ、いざ南北朝へ❗\(^_^)/
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます