典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

ひさしぶりお出かけは・・・

2010年10月21日 | 【日録】今日は何した?どう過ごした?
 久方ぶりに、母校を訪れました。九年ぶりかな?
 九年前は、休職中・・・。家に籠り、精神的につらい状態だったけれど、
数十年ぶりの史学科の同窓会ゆえ、ちょっと気張って出席しました。本来な
ら、私は幹事役をしなければならない立場だったからです。
 3月の終わりでしたでしょうか。

 その際、私の状態を知った恩師のK先生から、週一回、院のゼミナールが
あるので出てこないか?と声をかけて頂き、一年間通いました。もちろん
手続きなしのもぐりであります。

 わたしにとって、母校は4年間通った大学・・・ではありませんでした。
大学院にすすむことは、ほぼ決まっていたも同然。研究者として、身が立つ
ように、学部生のときから、古文書も読めるように、特別に手ほどきをうけ
ました。また、院試のための英語の個人レッスンまで、担当の教授は施して
下さった。民俗学の研究調査にも加えて頂いたり、学会、研究会にも連れて
もらっていました。
 しかし、私はこのまま、学究としての道をすすむか、迷い、迷った・・・。
 自分やって研究が、ほんとうに自分がしたいことなのかどうかと。

 大学院の入試の日、さぼりましたんですわ。周りも親も期待を裏切ってで
す。とにかく、聴講生で籍をおき、大学に通いはしていましたが・・・。
 アルバイトとして、年史編纂室のしごとも与えられ、研究会にも通いの
日々が数年続きましたね。
 高校の教員ならば、研究も続けられると叔父に説得され、教員免許を取っ
て、二年間近く、講師もしました。
 しかし、大学の教員なんぞにはなりたくないという選択をしたデス。

 自分のほんとうにしたいこととは、違う・・・と。性格的には向いていた
とは思いますけれども、このレールに乗っていくことは、自分のやりたいこ
とではない・・・。
 ふつうに、平凡にボケーッと生きてみたかったのね。

 ほんとうに先生方や多くの先輩にはよくして頂いたのに・・・。わたくし
には、後ろめたさが残っています。

 そうそう学部2回生のときに退学しかけたこともあります。美容学校の生
徒になり、美容師を目指しましたが、やっぱり本が読みたい、勉強したいで
美容学校(夜間)は退学した。
 父が学費だけは払ってくれていましたから、ちょっとした寄り道かな?


 そんな昔がある母校ですから、ただ懐かしいではなく、複雑な思いも伴っ
ている大学なのです、私にとっては・・・。

 しかし、9年前は現代史のゼミであり、中学校の社会科教師として、もっ
ともっと、勉強したいことがいっぱいあって、その一年間は楽しかったです。
 その数年前にも、一年間、学生証をもった研究生として別の大学に通って
いましたから・・・。

 本日は友人の講演とのことで、ひさしぶり母校・・・。帰りは、9年前に
時々立ち寄っていた居酒屋さん、どもだちに付き合ってもらって、飲みまし
た。
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