わたしも、大島紬、白大島から泥大島をはじめ、付け下げまで、み~んな、ぶっ切って、二部式の着物にしてしまったので、けっこう愉快に、みせいもらいました。といっても、すべて、母の着物ですけれどね。帯をつければ、ふつうの着物に見えるようデザインしたでやんす。
並みのレベルの和服は、作務衣風・・・。ただし、デザインが違う。
きっかけは、韓国の改良民族服をみて・・・でした。1996年か、1997年の済州島・・・。以来、韓国、中国へ行くときは、<日本服>。
履物は、当然草履か、下駄で、足袋は福助の<色足袋>ですわ。あっちこっち、京都、東京と探したけれど、若い人向けの柄の足袋しかみつからなかった・・・。
その姿で、韓国の田舎なんかを旅行していて、通りすがり、酔っ払いのおっさんに、「ウェノム!」なぁんて、ほんと今は昔のお話
しかし、ええっと今は2011年か・・・。歴史認識については、なぁんにも変わっゃないね。
だって、大日本帝国の続きですよ、いまの日本国は・・・さね。
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