もう、表紙は剥がれて、いずこへ?の一冊は、講談社現代新書の「西洋史②」『地中海世界』。その中の「7 ローマ帝国の支配のイデオロギー」の章にひっかかった本日でした。
現在のわたしは、支配され、従属させられた側から世界の歴史を見直したいという欲求に駆られてる・・・。
まずは、上記の一冊の148ページから抜き書きしてみます。まっ、指の運動ですかね。
地中海世界をまさに一つの「世界」たらしめたものは、ローマの「支配」であった。しかしながら、それが支配である限り、それが与えるものは恵みだけではない。いやむしろローマの支配の対極には、支配をおしつけられた諸民族の敗残と屈辱の姿があった。苛酷な徴税によって膏血をしぼりとられた人びとの飢餓と貧困と絶望の姿があった。略
ローマ支配の歴史は、これらの被抑圧民族の反抗と挫折の歴史でもあった。スペインに、ガリアに、ゲルマニアに、北アフリカに、小アジアに、シチリアに、ブリタニアに、東方に、服属諸民族は機をうかがって抵抗に立ちあがり、英雄的な戦闘に身を捧げた。それらを鎮圧したローマの軍事力もさることながら、ローマの外交はさらに巧みであり、宣撫の術はいっそう老獪であった。その宣撫の役割を果たしたのが平和の恵みであったのである。略
では、アグリコラが善政によってブリタニア人に示してやった平和の魅力とは何であったか。それは神殿や市場や家を建てさせて
快適な生活をさせること、つまりローマ的都市生活を導入してかれらに平和と憩いになじませることであり、教養学科つまりラテン的教養を子供たちに授け、服装にいたるまでローマ的風俗習慣に染ませることであり、さらに浴場や優雅な饗宴にふけってローマ的悪徳に誘うことであった。「これを何も知らない原住民は、文明開化と呼んでいたが、じつは奴隷化をしめす一つの特色でしかない」とタキトゥスは喝破する。平和の本質とは、ブリタニア人にとっては、奴隷化にほかならないことをローマ人支配層のタキトゥス自身、熟知していたのである。
アグリコラは、歴史家タキトゥスの妻の父、つまり岳父で、ブリタニア総督も務めたローマ帝国の軍人。WIKにも・・・。そして、これに続く小見出しは「平和と自由」です。
夕方、散歩に出ただけの一日でした。大北ガーデンの菜の花を観に・・・。
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