この夏は、家の中の、細々とした品々を片付けた。私が死んで
いちばん厄介なのは、書籍の類だが、これは一応、友人たちや
親しい古本屋さんたちに、「頼むで」と冗談めかしだが、言って
いる。今、需要ありの古書なので、中には、「売る気ない?」の声
かがリもある。
高校生の頃、「方丈記」のような生活に憧れたことがあった。
何もないも、シンプルな生活・・・。
ところが今の私といったら、その反対である。
そうそう今、弟くんは、一人住まいで亡くなった高齢者の方の
「片付け」のしごとに通っている。弟の友人の手伝いだ。
今、独居高齢者が亡くなった後、親族は業者にその片付けを
任せることも多いと聞いた。
アルバムもまで、廃棄の対象となっているという。ちょっと
むごい話のような気もするが・・・。
しかし、考えようによっては、いや私はそう考えているのだ
が、人間というものは、老いを迎え、よわいを重ねる中で、
「削る」ことをしなければならないと思う。
蓄えるから、捨てるへ・・・の身辺整理だ。
いちばん厄介なのは、書籍の類だが、これは一応、友人たちや
親しい古本屋さんたちに、「頼むで」と冗談めかしだが、言って
いる。今、需要ありの古書なので、中には、「売る気ない?」の声
かがリもある。
高校生の頃、「方丈記」のような生活に憧れたことがあった。
何もないも、シンプルな生活・・・。
ところが今の私といったら、その反対である。
そうそう今、弟くんは、一人住まいで亡くなった高齢者の方の
「片付け」のしごとに通っている。弟の友人の手伝いだ。
今、独居高齢者が亡くなった後、親族は業者にその片付けを
任せることも多いと聞いた。
アルバムもまで、廃棄の対象となっているという。ちょっと
むごい話のような気もするが・・・。
しかし、考えようによっては、いや私はそう考えているのだ
が、人間というものは、老いを迎え、よわいを重ねる中で、
「削る」ことをしなければならないと思う。
蓄えるから、捨てるへ・・・の身辺整理だ。
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