1983年初版、定価440円の中公新書≪689≫です、『中欧の崩壊』、副題は「ウィーンとベルリン」・・・。
まずは章立てから・・・。
プロローグ ベルリン、ブランデンブルク門、東方を失ったウィーンの苦悩
第一部 ウィーン
第一章 ハプスブルク家 運命のマルヒフェルトの戦い/神聖ローマ帝国/日没を知らぬ世界帝国/30年戦争とトルコの脅威/憂なきバロックの都/新興のプロイセンに敗れる/ビーダーマイアー時代/崩壊の初めの危険信号一八四八年
第二章 リングシュトラーセ 近代への都市改造/バロックスタイルを破ったリング建築/『美しき青きドナウ』もお蔵入り/オーストリア・ハンガリー二重帝国へ
第三章 華麗なる没落 世紀末ウィーンの時代像/オペレッタ、そして憂愁のペシミズム/文士カフェと才能たち/世紀末の深層にメスを入れたフロイト/グスタフ・クリムトの『医学』/なぜ世紀末に多彩な才能が・・・
第四章 世紀末とヒトラー マカルトのウィーン・ファッション/ウィーンは「最もつらい人生の学校」/ヒトラーの目に映じた世紀末文化/反ユダヤ主義思想との出会い/暴力政治家シェーネラー/反ユダヤ市長「美男子カール」
この本は、第2部「ベルリン」から、読み始めておりまして、昨日みた映画に触発されて、今日は第一部を呼んだという次第ですが・・・。
気になった箇所は、1873年のウィーン株式市場の大暴落で、最も痛手を蒙ったのが中産階級、中小企業や手工業者だったという下りです。
オーストリア・ウィーンで、反ユダヤ思想を広めさせたのが経済不況だったという点でした。ヒトラーは、1907年から1913年まで、このウィーンで過ごし、ミュンヘンへ行った・・・。
量的にはさほどではありませんが、この本を読みつつ、今の日本社会の状況と同じ匂いが漂っていると感じたりした本日でした。
≪世界遺産アウシュビッツ収容所≫観光の際、案内してくださった中谷剛さんの話は、ほんとに厳しいものを含んでおりましたわ。
<ちらりの「観光」はしたけれど、見学はまだしていない>が、現在の所感で、答えですね。
<備忘録>外出せず。朝、カップ麺で夕方に、野菜などを炒めて皿うどんが本日の<食>。テレビは「カーネーション」とニュースだけ・・・。
昨日、「為書」のある福田赳夫さんの掛け軸をめぐって、実弟をいさかいを起こしかけ、ちょっと憂鬱な今日でした。
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