典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

あの辺りやっ!

2014年08月20日 | 【自然と暮らし】暮らし・自然災害・環境問題

 朝から衝撃的なニュースが報道されています。

 広島市といっても、「ここも広島市かいな」と目を瞠るほどに広い・・・。安佐南区には、動物園がありますから何度か行っておりまして、市中心部から車でもかなり時間を要したと記憶しています。

 山が迫る川沿いに北へ、北へ・・・。

 交通が不便かというと、まったく反対で、可部線・芸備線、道路網の他、アストラムラインという第三セクターの鉄道が広島市西部をぐるっと入る路線もあります。

 朝から、ずっとテレビをつけています。

 やっと、「可住面積」という言葉が出てきました。午前11時半です。死者・行方不明者は、30名を超える模様・・・。

 「太田川」、太田川・・・。広島県西部の中国山地に降った雨は、全部といっていいほど、太田川に流入しています。

 「天正十七年から、毛利輝元は太田川の河口の中州を埋め立て、広島築城をはじめる」。山川出版『県史 広島県の歴史』の65ページ。

  広島市の中心部を走ると、ほんと、川、川、川です。京橋川、元安川、太田川本川、天満川、太田川放水路と・・・。しかし、これらの川は、みな「太田川」から分かれ出たものです。

 太田川・根谷川・三篠川が合流し、川幅がもっとも狭くなる場所は、この八木と東の玖村のあいだである。」前出、75ページ。

 そして、太田川の上流は、中国山地からくねくねと曲がりくねって流れています。ということは、山から多くの川の水が、太田川を目指して、流れて込んでいる・・・です。

 さっき、思い出したことですが、1990年代の終わりころ、安野発電所に行こうとしたけれど、可部線が不通になり、「湯来」の国民宿舎に3泊ほどしました。夏の終わりで、当時は、可部線は、三段峡まで通っていました。現在は廃線・・・。

 さても近年は、息子一家が広島市に住んでいましたから、マイ旅行をしました。車窓から、地形、風景を眺める各駅停車の旅です。

 今回の土砂災害が起こった辺りの風景をみて感じたことは、「こんなところまで、住宅地になっているの!」と記憶しています。pm0:47

 

 

 

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