典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

今日は何した?何するかい?まずは照明の交換から・・・

2011年06月29日 | 【日録】今日は何した?どう過ごした?

 前のマンションから使い続けてきた電灯を買い換えました。6~8畳用のペンダント型を12畳のリビングに・・・。

 これまでのは、30ワット形が4つもくっついた、シャンデリア形っていうの?でも、必要な作業や読書は、各部屋に置いてある<蛍光灯スタンド>を使ってきました。よって、天井からぶら下げた電灯のグロー球をゆるめて、せいぜい、2つで60ワット使用・・・でした・・・。でも、不細工すぎるのよねぇ

  なんでこんなの買ったのだろうかと振り返ると・・・。

 震災後、当時住んでいた文化住宅から、広~いマンションに引っ越しました。息子は浪人だったけど、授業料不要、タダの予備校を選び、わたしは1年間の学生生活・・・。それで、嬉しくなって買っちゃったんでしょうね。2.5倍も高い家賃の新築マンションに引越しましたのよ。

 奥に見えているのが、16年間、お世話になった家。

 19年文化住宅暮らしでした。しかし、最後の16年間の住まい、気に入っていました。 2万8千円で入居して、2年度家賃の値上げ(2千円)で、出たときは4万4千円 6畳4畳半に台所3畳に風呂トイレ・・・ですが、T字の間取りが暮らしやすかったですわ。

 何よりも、1階でしたので、ブロック塀に沿って、幅もけっこうあるベランダがあり、勝手口もついていた・・・。台所の出口と部屋の扉を開けっぱなしにしたら、クーラー不要の夏で、過ごせましたのよ。外に、古~いのっぽのケヤキがこれまた、よかったのです。

 周囲は、一階建ての昔ながらの家屋も多く、広くはない庭でも、みなさん樹木・草花を育ててなさった・・・。住人も昔から暮らしているおうちがほとんどでした。少なくとも、江戸時代から続く旧い村の庄屋か地主さんが所有なさっていた地域なのでありまする。

 第一次世界大戦後の大正末から昭和10年代の都市大阪の変遷なぁんて、わたくしめ、お気に入りの<話>ではござりますが、必然のない限り、ラジオで喋ったりのバカなことはもうしませんね。つまり、必然があったってのは、自分もいっぱい調べて、資料も出せて、根っこの部分から<声>が出るんですよさ。

 

  自分が育った横丁やその周りの地域の<観察>ということもあって、この文化住宅での暮らしに満足していました。家賃が安い分、旅行をはじめモノではなく、くらし・すごすにお金を費やすことが出来たからですわ。

 しかし、二階からの水漏れ、そして阪神大震災の揺れの結果、私の住んでいたところは、大幅な修理・修復が必要という状態になりました・・・。

 2階からの水漏れについて補足しておきますね。現在住んでおられる方ではなく、その前の住人さんの住まい方がひどくって、トイレの壁が水漏れで、グショグショになり、ついには、ポカ~ンと、震災後穴があいたのですわな  たぶん、掃除に水を床にジャアジャア~!ではなかったでしょうか?

 今回、写真までアップした文化住宅のうち、わたしの住んだ家は、今も無人です・・・。

 入居時の敷金50万円は、当時としてはずいぶん高いものでしたが、16年後、そっくりそのままの金額で返していただき、転居先の敷金に当てることが出来ました・・・というわけ

 だから、ちょっと舞上がって、シャンデリア型の照明を買ったりしたのですわさ。 

(ちゃんと、オチついたかな

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