猫だらけの日々

6にゃん'sとの毛だらけの生活

すすむ道

2013-01-06 02:00:47 | 日記
自分がどちらに進みたいのか?

今、立ち止まって考えてみる。

私は動物が大好きだ。

自然が好きだ。

本当は、できれば、「飼う」という付き合い方でなく

それぞれの生活の中でクロスする付き合い方をしたい。

だから、飼い猫より野良猫に惹かれたりする。

自分の力で生きている者達が好きだ。

「可哀相」ではなく、「お前も頑張ってるな」という同志

として付き合いたい。

だが、今の日本の風潮ではそれはあり得ない。

猫も犬も、完全に人間の支配下に置き、管理されなければならない。

それが人と暮らす動物の幸せだとされている。

本当だろうか?

何て人間本位なんだろう

野生動物が厳しい自然の中で生きていくのを

「可哀相」といって手を貸してはいけない。

増えれば減らす。減れば保護する?

その環境で生きていけないものは淘汰され絶滅するものもいる。

そしてその環境で生きていけるものは環境に合わせ進化する。

それが自然の摂理。

もし今、日本狼が復活しても野生では生きていけない。

そんな恐ろしいもの放っておくはずが無い。

捕まって、動物園で見せものにされ、研究対象とされるだけ。

それでも、個々にとっては幸せかもしれない。

でも、それは狼といえるのだろうか?

やはり、狼は絶滅せざるを得なかったのだ。

朱鷺だって、わざわざ中国から連れてきて大事に育てて

増えたらまた減らすのか?

自分たちの罪の意識を和らげるためにやっているのではないのか?

他の外来生物は駆除するくせに

やり方が間違っている。

今いるものたちを大切にすればいい。

今、自分の近くにいる野生動物をどれだけ見つけられるのか?

どんな生き物がいるかも知らずに暮らしているのに・・・

目に見えないものはどうなろうと気にもしないのに・・・

たとえば、バッタやヤモリ、最近まで近くにいたはずなのに、

タヌキやイタチ、ヘビやトカゲ、みんなどこに行ってしまった?

キジや多くの野鳥たち、消えてもみんな、気にもしてないように見えますが?


多くの生き物が絶滅し、進化し続けているのに

絶滅することが悪いことのように言うのはおかしい。

今の状態がベストなわけではないのだから

絶滅も進化も有りだ。生命は模索しているのだから。


私は、私の周りに自由に生物が生活できる環境がほしい。

たまにそんな生き物たちに出会えたらそれでいい。

見えなくともそこに居るのだと感じられる環境がいい。

人間だけしかいない都市はいやだ。


清潔できれいな環境に住みたい。

虫なんて、うちの庭にいたら嫌だ。

雑草抜いて、コンクリ流して、防虫剤を撒く

そんな場所に生き物なんて住めない。(うちは雑草だらけ、ダンゴ虫とナメクジだらけです)

いや、そんな場所に住める新種の細菌や微生物が必ず出てくるはず

生命とはそんなものだ。

酸素だって大昔は有毒だった。

二酸化炭素が増えれば、それを糧にする生物が出てくるはず

生きるために進化する


野犬だっていつか狼になる



ミントだっていつか山猫になる





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