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ゲーム理論を読みとく

2006-04-17 21:01:06 | 経済
ゲーム理論を読みとく

筑摩書房

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ゲーム理論はマンハッタン計画にも参加したフォン・ノイマンが発明して、60年が経つが日本において特に最近経済活動などで注目を集めだした理論だ。

そのゲーム理論の戦略性理性の批判として書かれたのがこの本。

この本は、あくまで入門書ではない。
ゲーム理論をマスターして、それが全ての人間の活動に応用できるのではないかと思う向きに向けた警告書といったところだろうか。
ゲーム理論では相手と自分が同じ思考や思いがないとその理論自体が破綻してしまう。
そのことをキューバ危機、ベトナム戦争の逸話を絡めて説明している。
ゲーム理論では、簡単に書くとお互いに鏡像の関係にある合理的主体が存在しないと始まらないが、キューバー危機で、アメリカは戦術核をキューバサイドは持っていないと判断。
キューバ・ソ連側の全面反攻が無いと判断して、ミサイル空爆とキューバ侵攻を計画した。
しかし、もしそれら二つの計画が実行されたなら、キューバ・ソ連側は戦術核での全面反攻に転じて、それに驚愕したアメリカは核の反撃に出て、核戦争はエスカレーション。
今の私たちは存在していなかったかもしれない。
そういう逸話は、ゲーム理論の限界を示すモノで、何でも応用できるモノではないと示唆してくれる。

当初は、そのようなゲームの理論と現実との対比を見せてくれるのだが、いかんせん第8章の暴力の連続体では、ゲーム理論とは別の世界に突入してしまった感がある。
著者は、ここでジェノサイドを社会学的に説明する。これはゲーム理論とは全く別なのだが。
ここで、一つハットしたのは、著者の次の一節である。

憎悪が暴力に結びつくのは、反射とでも呼ぶべきメカニズムによってである。
『啓蒙の弁証法』によれば、民衆は自分たちに向けられる支配権力や政治的暴力を恐れつつそれに魅了される。
自分の暴力が集団によって聖化され、日頃満たすことができない主体的行動への渇望が一挙に解放されるような状況のもとでは、支配される事への怒りは他者への暴力に姿を変える。

これは、米国との開戦時における日本国民の感情でもあるし、現在の北朝鮮の状況を表しているのではないのか?
単純に圧力をかけることは、圧力をかけられた国では、更に主体的行動への渇望の度合いが高まるであろう。
自分が圧力をかけられたから屈するという、鏡像的な反応を期待してはいけない。
結果的にソフトランディングさせるためには、支配権力を解体するしか方法はなく、それは制裁という手段でないことはハッキリしている。

この本は、そんなことを考えさせる一冊。
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