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宗教の普遍性について

2024年06月27日 | 自然観、宗教観
以下は宗教法人日本イスラム文化センターが発行しているイスラームガイドから。

イスラームとは、真理の教えです。 一番の真理はアッラーがあられるということ。アッラーは、生まれたのでもない、生むこともない、唯一の存在として元々あられ、あり続けられるということ。 アッラーは、時間、空間、 光、 磁力、熱、 小は素粒子から、大は宇宙までのあらゆるものを創られた創造主で、最も美しく高度な生き物として人間の祖アーダムを創造なされました。 アーダムからイブを創られ、両者に子孫を増やしなさいと命令なさいました。 アッラーは、アーダムとイブ、 その子孫に生きる場所と生きる糧とを用意され、 また、崇拝する神はアッラーだけであるということを教えられました。その上、人間がどのように生きるのが正しい生き方であるかを教えました。 その真理と正しい生き方に係わる教えがイスラームです。



どうですか。イスラームを「キリスト教」、アッラーを「主」、「創造主」と置き換えみると

キリスト教とは、真理の教えです。 一番の真理は創造主があられるということ。創造主は、生まれたのでもない、生むこともない、唯一の存在として元々あられ、あり続けられるということ。 創造主は、時間、空間、 光、 磁力、熱、 小は素粒子から、大は宇宙までのあらゆるものを創られた創造主で、最も美しく高度な生き物として人間の祖アーダムを創造なされました。 アーダムからイブを創られ、両者に子孫を増やしなさいと命令なさいました。創造主ーは、アーダムとイブ、 その子孫に生きる場所と生きる糧とを用意され、 また、崇拝する神は創造主だけであるということを教えられました。その上、人間がどのように生きるのが正しい生き方であるかを教えました。 その真理と正しい生き方に係わる教えがキリスト教です。

違和感ないですよね。

そして、イスラームの最高指導者モハメッドは天馬に乗って昇天しました。イエス・キリストは死んだのち復活しました。空海(弘法大使)は入定し、今も高野山奥の院で衆生の平和を祈り続けていく、ということになっております。奥の院では毎日空海にお食事を差し上げています。また、奥の院は撮影禁止となっており、仮に撮影してもぼけて映るそうです。

クリスマスからイースターまで

2021年04月03日 | 自然観、宗教観
以前の「知っておくと得するキリスト教の年間行事」というタイトルの時、ちょっと詳し過ぎてキリスト教の本質はなかなかつかみづらいものでした。そこでエッセンスのみで再構成。キリスト教徒にとっては大事な日も一部割愛。クリスマスで始まり、イースターで大団円を迎えるキリスト教の一年。詳細な行事は欧米文化の基礎知識としての教会暦へ。

11月30日に一番近い日曜日からクリスマスまで: 待降節(たいこうせつ:Advent [アドヴェント])、または降臨節

クリスマス、つまりイエス・キリストの降誕を待ち望む期間のこと。中世ではこの日を以て一年の始まりとしました。受難節が「忍び待つ」時期であるとすれば、待降節は「待ち望む」期間。もう幾つ寝るとお正月。

12月25日: クリスマス (Christmas Day)



イエス・キリストの誕生日。語源的には「キリストのミサ」(Christ + Mass)。彼が馬小屋で生まれ、飼い葉おけに寝かされたというのは、結構よく知られたおはなし。ナザレ人とされるイエス・キリストがなぜ遠くはなれたベツレヘム(イスラエル北部のナザレから中部のベツレヘムまでは直線距離で約100キロ)で、しかも馬小屋で生まれたかというと、別に両親が極貧だったというわけではありません。当時イスラエルはローマ帝国の支配下。ローマ皇帝の命令による人口調査で全ての人々が故郷に帰ることとなり、父ヨセフの故郷ベツレヘムに戻ったのですが、民族大移動みたいなもので宿は超満員、やむを得ずという次第。
さて、何故クリスマス・イブといって前夜から祝うかと言うと、中世から近世にかけて日没から日没までを1日と数えたことの名残だそうです。

1月6日: 公現日(祭) (Epiphany [エピファニー])

さて、イエス・キリストが誕生したのとほぼ同時、東方(場所不明)の博士(賢者とか、占星術師という意味)達が星によりその誕生を知り、ほぼ2週間かけてベツレヘムに到着、イエスと会う。イエスが初めて公の場に姿をあらわした最初ということで「公現」と名付けられました。(マタイによる福音書 2:1-)欧米ではこの日までクリスマスツリーは残します。

イエスの誕生やこの面会シーンの彫刻や絵のことを特にNativity [ネイティヴィティ]と呼びます。多くの場合東方の博士たちと羊飼い達が一緒に描かれていますが、羊飼い達が密かにイエスにあったのはもっと前。(ルカによる福音書 2:8-)身分卑しき羊飼いですので、公現日を博士たちに譲りはしたものの、実際の一番乗りは彼らだというとことがいいですね。羊飼い達にも栄誉の一端をという計らいがネイティヴィティにはあるみたいです。

復活日の46日前から復活日前日まで(おおよそ2月中旬の水曜日から4月上旬の土曜日): 受難節 (Lent)

現在の暦と当時の暦のズレか、復活日の日が固定されていないことから、関連する行事はすべて日が固定されていません。イエス・キリストの十字架刑(受難)を覚え、贅沢はつつしみ、祈りの毎日を過ごしましょうという期間。もともとこの期間は軽い断食をしていたらしいです。なお、受難節最初の水曜日を特に「灰の水曜日(Ash Wednesday)」と呼びます。どうもこの日にイエス・キリストの受難を覚え、顔に灰を塗る習慣があったらしい。

復活日の3日前(つまり受難日の前日): 洗足木曜日
(Remission [レミッション] Thursday)
 

最後の晩餐の席でイエスが弟子達の足を洗った故事から。(ヨハネによる福音書 13:1-5)レミッションは緊張の緩和、罪の許しというような意で。時すでにイエスはイスカリオテのユダが自分を裏切っていることを知っており、それでも足を洗った。

復活日の2日前: 受難日 (Good Friday)

イエスの復活は十字架刑にあってから3日後のはず。クリスマス・イブ同様、当時は日没から日没までが1日。十字架刑が夕刻ですので、数時間後には翌日となったわけです。また、なぜGood Fridayというかですが、キリストが身代わりになって死んでくれたお陰で、我々は救われた、めでたし、めでたし、というところでしょうか。またイエス・キリストが受難に会わなければキリスト教自身誕生しなかったためでもあるようです。

春分の日以降最初の満月のあとの最初の日曜日(おおよそ3月下旬から4月中旬): 復活日 (Easter)




復活日はキリストの復活を祝う祭日であると同時に春の訪れを祝う日。この日には子ども達や友人にイースターエッグをプレゼント。キリスト生誕前から人々は「大きな力が卵に存在する」と信じて、卵に色や絵を着けて装飾していました。卵は、長い冬の束縛から地球を解放し、新しい希望、新しい生活、繁栄を約束する春の始まりの象徴とされています。「満月のあと~」からも明らかなように当時は太陰暦でした。

復活日の39日後(おおよそ5月初旬から中旬): 昇天日 (Ascension Day [アセンション ディ])

文字通り、復活したイエス・キリストが再び天に召された日。アセンションはascend(アセンド:上昇する)の名詞形で、上昇とか即位という意味。

この「復活」がキリスト教を前身のユダヤ教と分ける唯一の隔たり。このイベントがなければ、イエス・キリストは短気で大酒のみで自滅的な一預言者で終わったことでしょう。有史以降、死んで蘇ったのはイエス・キリストのみですし、永遠に生きているとされるのは弘法大師のみです。空海(弘法大使)とイエス・キリスト

こうして勉強してみると欧米人の一年は、一つはアドベントからクリスマスをはさんでエピファニーまで、もうひとつはイエス・キリストの受難から復活、昇天までの流れ、これら二つをピークとする波形によって成り立っていることがよくわかります。日本人がお正月とお盆を一年のピークと捉えるように、民族、宗教固有のサイクルというものがありますね。

キリスト教とイスラム教は兄弟

2021年03月26日 | 自然観、宗教観
旧約聖書においてユダヤ人の祖と言われるアブラム(のちのアブラハム)はまた、信仰の父と呼ばれています。彼が描いた神の姿(唯一神)を受け継いだのが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教(イスラーム)の三宗教とされているからです。つまりヤーウェ(ユダヤ教)と呼ぼうが、アッラー(イスラーム)と呼ぼうが、父とか主(キリスト教、たまにヤーウェとも呼びます)と呼ぼうが、同じ神なのです。人間としてのイエス・キリストはユダヤ教の指導者として死んでいきますし(キリスト教という形をとったのは後世のこと)、イスラームは旧、新約聖書共に啓典として認めていますし、イエスを預言者としては認めています。

と、まあここまではのイスラム教徒キリスト教の関係は、少し調べればわかることで、本ブログでも何度か言及しております。

今回縁あって(宗)イスラーム文化センターの発行物を入手できました。そしてイスラームとキリスト教の驚くほどの親和性に驚きました。

以下、原文のままですがアッラーはアラーのこと、クルアルーンはコーランのこと、ムハマンドはモハメッドのこと、アーダムはアダムのことです。


1. 唯一絶対の神アッラー
アッラーについては、上に述べたとおりです。崇拝するべき神はアッラーだけです。

2.天使
アッラーの忠実なしもべで、アッラーの命令に従って行動します。

3.諸啓典
アッラーの教えイスラームは、天使を通じて預言者に伝えられ、預言者は、その教えを民衆に伝えます。その教えを啓示と言います。啓示の中で、一言一句がアッラーの言葉であるものを啓典と言います。律法、詩編、福音書、クルアーンなどは啓典ですが、クルアーン以外は原文は残っていません。一方、クルアーンは原文のまま今に伝わっており、クルアーンは、最後の啓典であり、改変されることはありません。

4.諸預言者
アッラーは、各時代、各地で人々の中から預言者を選ばれました。アーダム、ノア、アブラハム、モーゼ、ソロモン、イエス、ムハンマドと多くの預言者がいますが、ムハンマドは最後の預言者であり、イスラームが全人類への教えとしてムハンマドに託されました。クルアーン及びムハンマドがイスラームについて語り行動したことをお手本にして各ムスリムはイスラームを学び実践するように努めるべきものです。

5. 終末の日
我々が今生きている世界は現世であり、アッラーは現世に終わりの日を設けておられ、その日を終末の日といいます。終末の日の後には永遠の来世があります。終末の日には最後の審判が行われ、現世でイスラームに忠実に生きたかどうかを各自が問われます。アッラーが満悦された者は天国へ、そうでない者は火獄で永遠に過ごすこととなります。イスラームにおける究極の成功とは永遠の来世を天国で過ごすことです。

以上、イエスの神格に関する相違点はあるとして、「アッラー」を「主」と、「ムハマンド」を「イエス・キリスト」と読み替えれば、教義はほとんどそのまま通用します。

さらに驚いたのがパキスタン人(日本国籍取得)による祈祷です。これは書いたものではなく、直接耳にしたものを聞き取ったものです。驚いたことにアッラーと呼ぼうが、主と呼ぼうがあまり拘らないようで、これなんかまったくそのまま、キリスト教の祈祷に使えます。

主よ、世界から殺し合いがなくなりますように。
主よ、抑圧されている人々をお守りください。
主よ、異なる人々がお互いを尊重しますように。
主よ、世界を平和にお導きください。
主よ、現生でも幸せになれますように。
主よ、来世でも幸せになれますように。
主よ、病気の人々をお癒しください。
主よ、世界が平和になりますように。

キリスト教徒イスラム教は育ってきた環境があまりにも異なるため、異質とみなされることが多いですが、実際のところ、上述の通り、成立過程や教義に驚くほどの共通点があります。まさに600年の時を隔てながらの兄弟です。

過激派?十字軍の略奪を思い出してください。

もうすぐバレンタインデー

2021年01月27日 | 自然観、宗教観
投稿しているトラクトはほとんど以前業務で作ったものを、クレジットを外しJPG化したものです。書下ろしではありません。

画像をクリックすると拡大します。拡大された画像を右クリックで「名前を付けて画像を保存」を選んだ場合、デフォルトはWEBPファイル(google形式)となります。ファイル名の後ろに「.jpg」を付け、ファイルの種類はドロップダウンリストから「すべてのファイル」を選んでください。そうするとjpgで保存されます。両面印刷、縦三つ折りです。



お東さんと、お西さん。

2021年01月02日 | 自然観、宗教観
浄土真宗は浄土宗の法然を師と仰ぐ親鸞、その弟子の蓮如によって広まった仏教の宗派ですが、長い歴史と膨大な数の信徒を抱え、大きくは、本願寺派と大谷派に分かれてまいりました。ふるくは一向宗、門徒宗とも呼ばれており、一向一揆や秀吉による石山本願寺の討伐など、歴史にも大きな足跡を残しています。

仏教徒じゃない人から見ると二つの区分はなかなか大変。お東さん、お西さん、いったい何のこと?です。簡単にいうとお西さんは浄土真宗本願寺派のこと、お東さんは浄土真宗大谷派のこと。西本願寺は本願寺派、東本願寺は大谷派です。

西本願寺→お西さん→本願寺派
東本願寺→お東さん→大谷派

表にまとめると次の通り



さて、大阪御堂筋にそって中央通りの交差点の北側にあるのが北御堂(浄土真宗本願寺派(お西さん)本願寺津村別院)、





南側にあるのが南御堂(真宗大谷派(お東さん)難波別院)。




二つの御堂の間は直線距離で数百メートルしかありません。そういえば京都の東本願寺と西本願寺もほとんど横に並んでいます。

どちらも巨大な本堂を有しますが、特徴的なのは北御堂の本堂(二つ目の写真)。長大な階段の上に位置します。成人男性でも登りきるのにハアハア言うほどで、実際は階段の裏側が数階建てのビルになっており、上に上がるエレベーターもあります。なぜわざわざこんな構造にしたかというと、もともとは石山本願寺といって信長に滅ぼされ、跡地に豊臣秀吉が大阪城を建てたという歴史があります。つまり追い出されたわけで信徒としては本堂が大阪城天守閣より低いのは我慢ならん、たまたま立地が高台のため階段でかさ上げして天守閣と同じ高さにしたのだとか。

御堂筋という名前自体、この二つの御堂を結ぶ道であることから名づけられたもの、北御堂か南御堂、どちらかの入り口でしばらく観察しておりますと、多くの人が、ご老人も若い方も、立ち止まり合掌されるのに気づくことでしょう。大阪の人はなかなな信心深いです。

ここで一言注意。合掌するときに唱えるのは「念仏」、つまり「南無阿弥陀仏」であり、「お題目」、つまり「南無妙法蓮華経」ではありません。念仏は浄土真宗とか真言宗が唱え、お題目は日蓮宗とは法華宗が唱えます、お間違えないように。

(2016年に投稿した記事を大幅改定しました)

クリスマス・シーズンはいつまでか

2020年12月29日 | 自然観、宗教観
日本では後に門松が閊えている(つかえている)関係もあり、12月25日過ぎると早々とクリスマスの飾りつけは撤去されます。ところが西洋ではクリスマス・ツリーは1月6日まで飾っておきます。つまり11月30日に一番近い日曜日(イエス・キリストの降誕を待ち望む期間の始まり)から1月6日まで、一か月以上飾っていることになります。モミなどの常緑樹でないとこれほど日持ちはしません。

1月6日は公現日(Epiphany [エピファニー])と呼ばれ、東方からの占星術の学者(異邦人)たちが幼子イエス・キリストを訪問し、拝んだ日とされています。つまりこの日をもってイエス・キリストはユダヤ人の救世主という枠を飛び越えたわけです。そういう意味で1月6日はクリスマスの総仕上げとして今も記念されているわけです。



ちょっといろんな聖書でそのくだりを見てみましょう。


マタイによる福音書第2章1節ですが、新共同訳(1987年)では

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、
言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。

最近出版された聖書協会共同訳(2018年)では、

イエスがヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、
言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。

新共同訳の一つ前、口語訳(1955年)では、

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。

ついでに手元の文語訳(1887年)では、

イエスはヘロデ王の時、ユダヤのベツレヘムに生まれ給ひし(たまひし)が、見よ、東の博士たちがエルサレムに来りて言ふ、
「ユダヤ人の王として生まれ給へる者は、何処(いづこ)に存す(います)か。我ら東にてその星を見たれば、拝せんがために来れり」
ヘロデ王これを聞きて悩みまどふ、エルサレムも皆然り。

やっぱ、文語訳はかっこいいですねえ、読み上げるなら最高です。

よく「東方のの三賢人(The Three Wise Men of the East)」と言われますが、どこにもそれはありません、後世の産物ですね。占星術というのは天文学などの知識も必要な専門分野で、博士と呼ばれるのも納得ですが、賢人であったかはどうかは微妙なところ。

彼ら、エルサレムで尋ねまくるものだからヘロデ王の耳に届き、ヘロデ王は自分の地位が危うくなると恐れ、イエス・キリストに殺意を抱くようになるわけですから。一方、ベツレヘムからの帰りは夢のお告げもあり、ヘロデ王に報告するためにイスラエルに戻ることはありませんでした。功罪相半ばする(こうざいあいなかばする)ですね。

写真はPixabayで見つけたものですが、十分あり得る話です。

イエスに最初に会ったのは賤民であった。

2020年12月21日 | 自然観、宗教観
12月25日はクリスマス。イエス・キリストの誕生日。イエス・キリストが神の子であったかどうかの議論はともかく、一大宗教であるキリスト教の創始者であることは疑いの余地がありませんね。

クリスマスは語源的には「キリストのミサ」(Christ + Mass)。彼が馬小屋で生まれ、飼い葉おけに寝かされたというのは、結構よく知られたおはなしです。

ナザレ人とされるイエス・キリストがなぜ遠くはなれたベツレヘム(イスラエル北部のナザレから中部のベツレヘムまでは直線距離で約100キロ)で、しかも馬小屋で生まれたかというと、当時イスラエルはローマ帝国の支配下。ローマ皇帝の命令による人口調査で全ての人々が故郷に帰ることとなり、父ヨセフの故郷ベツレヘムに戻ったのですが、民族大移動みたいなもので宿は超満員、やむを得ずとだったのです。

さて、イエス・キリストが誕生したのとほぼ同時、東方(場所不明)の博士(賢者とか、占星術師という意味)達がその誕生を知り、ほぼ2週間かけてベツレヘムに到着、イエスと会いました。1月6日のことです。イエスが初めて公の場に姿をあらわした最初ということで「公現」と名付けられました。欧米ではこの日までクリスマスツリーは残します。

ところが、ベツレヘム郊外で羊の番をしていた羊飼い達がイエスにあったのは、イエスが生まれたまさにその日、博士たちより2週間も早いのです。羊飼いたちは当時の社会の中では最も貧く卑しいもの()とされていました。



このようにキリスト教ではイエスに最初に会う特権を偉い人たちにではなく、貧しい羊飼いに与えています。

イエス自身も大工の子で、決して裕福ではなかったようです。しかも短気で、大酒のみ。キリスト教は貧しい羊飼いから始まり、貧しい欠点だらけの青年によって拡がっていった、その立ち位置がキリスト教にはあるようです。

クリスマス・プレゼント

2020年12月14日 | 自然観、宗教観
セルマ・ラーゲルレーヴは「ニルスの不思議な旅」で有名な、スウェーデンの作家で、スウェーデン人初のノーベル文学賞受賞者でもあります。



彼女の作品「むねあかどり」(日本基督教団出版局)はキリストの受難が背景にあり、それだけ取ればイースターにふさわしい物語ですが、神様の慈愛を描いた、心温まるストーリーはクリスマス向きでもあります。ぎすぎすしたこの年末、すこしでもほっこりなれるよう、昨年クリスマスの演奏をクリスマスプレセントとして皆様にお届けします。音楽グループSOTE(Salt of the Earth)の承認を得ての公開となります。

SOTE(Salt of the Earth)の問い合わせ先: https://uryukyoko.wixsite.com/music-entertainment

<一言解説>ボーカル西村あきこ、ピアノ瓜生恭子、ドラムKAZUのソウルフルで力強い演奏に、しなやかな執印徳枝のナレーションがからみます。











【一気に読める】クリスマスツリーの誕生

2020年11月27日 | 自然観、宗教観
クリスマスツリーには常緑の針葉樹(主に幼木)が使われます。日本ではモミが主で、ほかエゾマツ・トドマツが用いられます。常緑樹が使われるのは、冬の間も緑を保つため強い生命力の象徴とされたためですね。ツリーの先端には、キリストの降誕を知らせたとして、多くは星が飾られますが、イギリスなどではクリスマスエンジェルという天使が飾られます。

クリスマスツリーをクリスマスに飾る風習が最初に記録されたのは1419年、ドイツのフライブルクという町で。パン職人の信心会が聖霊救貧院にツリーを飾ったのが最初といわれています。1600年代にはドイツ各地で記録が残されています。ベルリンには1800年頃にツリーが伝わり、イギリスへは19世紀に伝わっています。そんなに古いことではありませんね。アメリカ合衆国で最初のツリーはドイツ移民によって1746年に飾られました。やはりドイツがクリスマスツリー発祥の地ですね。

日本では1860年、プロイセンの使節オイレンブルグが公館に初めて飾りました。 1874年には原胤昭(はら たねあき、銀座十字屋の創業者、福祉事業家)という人が築地大学(明治学院の前身)で行われたクリスマス・パーティーに、日本初のサンタクロースとともに登場しています。 1885年に横浜で開業した明治屋が、1900年に東京銀座へ進出すると、銀座のクリスマス飾りは広く行われるようになりました。



欧米ではクリスマスには特に凝った飾り付けをします。最近日本でも見かけるようになりましたが、家中豆電気だらけ、滅茶苦茶けばけばしいのも珍しくもありません。庭の広い家など庭木に全部電球を張り巡らせるので、クリスマスの期間電気代だけで月何万もする、という話さえあります。最近はLED化され、電気代はそう問題にならなくなりましたが、初期投資が大変なそうです。

こんな大げさな飾り付けに、クリスマスを過ぎたら「はいさようなら」、では、ちょっと手間隙もコストも勿体ないですね。そこはそれ、よくしたもので、欧米ではクリスマスの飾りつけは通常12月の初め(正確には11月30日に一番近い日曜日)から1月6日までとなります。日本のようにクリスマスが済んだらすぐ、片付ける、ということはありません。日本の場合しめ飾りがすぐ後に控えているので、やむをえません。

クリスマスリースですが、欧米では車のバンパーによくリースを付けているのを見かけます。まるでしめ飾りのようです。

1月6日はクリスマス・イヴよりちょうど2週間、イエス・キリストが生まれたのを知った博士達(別段博士号を持っているかとか、そういう意味じゃあなくて、当時の「知識人」のこと)がベツレヘムに到着するまで結構長い距離を旅し、2週間後にやっと会えた、そのことを記念するために1月6日という日が定められています。教会ではこの日を公現日(エピファニー)と呼びます。

それでは何故、クリスマス・イブといって24日の夜からクリスマスが始まるのでしょうか?それは昔は、今と違って一日は日没から始まり日没に終わるとされていたことによるのです。

空海(弘法大使)とイエス・キリスト

2020年10月27日 | 自然観、宗教観
空海(弘法大使)とイエス・キリスト。比較はしますが、どちらが優れているとか、ここがおかしいとか批評するものではありません。そちらは専門家にお任せということで。

真言宗の教えでは空海は死なず、生死の境を超え弥勒菩薩出世の時まで、衆生救済を目的として永遠の瞑想に入り、現在も高野山奥之院の弘法大師御廟で入定しているとされています。写真は奥の院の入り口ですが、この先は弘法大使の御廟があるため、撮影が禁止されています。ブラタモリでも紹介されていましたが、今も1日2回、御廟の空海に衣服と食事を届けることが行われてます。つまり空海は死んでいないとされているのです。



一方イエス・キリストは一度死に、三日目によみがえったとされています。イスラエルは砂漠と石の世界です、エルサレムも古い建物は燃え尽きたりせず、そのまま残っており、その上に新しい建物が建つという発展の仕方をたどっており、掘ればどんどん古い遺跡が出てきます。

聖墳墓教会はイエス・キリストの墓の上に建てられた教会ということになっており、実際発掘すると「イエスのものとされる」墓があったそうです。その墓がイエスのものかどうかというのは考古学の範疇ではなく、宗教の範疇です。


「キリストの墓」修復終え公開 エルサレムで


一度死んで蘇った人はイエス・キリストだけですし、死なずに入定を続けているのは空海のみ。モハメッドさえ死んでそのままです。イエス・キリストはよみがえった後(のち)天に昇り唯一神と一体化したとされております。死んだ、死んでないとの大きな違いこそあれ、いずれも死を超越した存在であることには変わりがありませんね。今までに生まれた1067億人の中で、たった二人ですよ、たった二人。

仏教とキリスト教。生まれた環境は全く異なりますが、お互いに壮大な宇宙観を構築してきたとも言えますね。

【一気に読める】ハロウィンと収穫感謝祭

2020年10月19日 | 自然観、宗教観
いまや日本でもすっかりお祭り化しているハロウィン(Halloween、10月31日)ですが、もとはと言えば、古代ケルト人の秋の収穫感謝祭。古代ケルト民族の1年の終わりは10月31日と定められ、この夜には死者の霊が親族を訪ねたり、悪霊が降りて作物を荒らすと信じられていたようです。

この、死者の霊の中にこっそりと悪霊が混じっているのが古来より悩みの種。

ハロウィンには、「Jack-o'-lantern(ジャック・オー・ランタン)」と呼ばれる、カボチャをくり抜いて顔を作った中に蝋燭を立てた提灯が飾られますが、これは死者の霊を導いたり、悪霊を追い払ったりするための焚き火に由来するといわれ、お盆の「迎え火」や「送り火」に近いものだそうです。また、仮装した子供たちが「Trick or treat!(お菓子をくれないといたずらするぞ)」と言って、近所の家からお菓子を貰う由来は、農民が祭り用の食料を貰って歩いたさまを真似たものだそうです。



悪霊をおいだすためのジャック・オー・ランタンですが、ごくたま生命を得ていろいろ悪戯をするらしいです。たまらんですね。

なお、本来キリスト教の祭典とは言いがたいため、欧米では保守的なキリスト教派はこれを認めないことがあり、その派の子弟は可愛そうなことに、友達がみんな仮装して楽しんでいるのに取り残され、さびしい思いをしているそうです。

その後キリスト教圏がケルト人を支配するにいたり、懐柔策として10月31日を無理やり11月1日のキリスト教の諸聖人の日『万聖節』の前夜祭として位置づけたことから、普及したみたいです。諸聖人の祝日の前夜」を意味する「All Hallow's Even」が短縮されHalloweenとなったとか。

さて、続くのが収穫感謝祭(Thanksgiving Day、11月第4木曜)の歴史は17世紀の英国清教徒たちによる、大陸移住の時にさかのぼるとされています。彼らが苦境の中にいたときに、インディアンが彼らの生活を助けました(とうもろこしの栽培方法など)。そして、収穫物が与えられたことを感謝するために、インディアンの人たちを招いてお祝いをしたことが、その始まりとされてます。



ですから、アメリカではケルト人の収穫感謝祭、自分達の収穫感謝祭と、2度続けて収穫を祝うことになります。ハロウィンでは仮装パーティなどをして楽しみ、収穫感謝際は家族でターキーやパンプキン・パイを食べて祝うのが通例のようです。また、収穫感謝祭では独身の友人や、近所の一人暮らしの老人を招いたりすることもあり、要はみんなでお祝いしましょうという感じです。

ところで、ハロウィンはヨーロッパ生まれで、アメリカ(日本にも!)広がったものですが、収穫感謝祭がこれだけ盛大に祝われるのは、歴史的背景もありアメリカだけです。ただ、そのものは形や時期こそ違いますがヨーロッパ各国でも存在します。カトリックは祭壇にこの秋とれた野菜などを飾ったり、ドイツでは麦藁で人形を作り、畑に立てます。

ゲティスバーグ演説と キリスト教

2020年05月20日 | 自然観、宗教観
リンカーンは一度線香読みのすすめ - リンカーンの演説で取り上げていますが、今回はその宗教的背景について。

ゲティスバーグの戦いは、1863年7月1日から3日にかけて、メリーランド州ボルチモアの北西約50マイル(約80km)、ペンシルベニア州の田 舎町ゲティスバーグで起きました。南部連合軍(奴隷解放反対)は、ロバート・リー将軍の北バージニア軍を先頭に、合衆国(奴隷解放賛成)の領土を侵略しました。戦場をバージニアの外に出し、合衆国軍を劣勢に追い込むのが狙いでした。リー将軍の兵士は、ジョージ・ミード将軍率いる合衆国ポトマック軍と戦います。悲惨な戦いで、戦いが7月3日に終結した時、合衆国軍、南部連合軍合わせて4万5千人の死者を出したており、これ以降南部連合軍は勢いを弱め、戦争の終結となったターニングポイントとなった戦いです。合衆国大統領エイブラハム・リンカーンのこの演説は1863年11月19日、ゲティスバーグ国立戦没者墓地の開所式で行われた。全体でわずか2分ほどの演説でした。

この演説は「人民の人民による人民のための政治」が有名ですが、冒頭の「人はみな平等に創られているという信条」、最後の方の「この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために」に注意しましょう。リンカーンは、人間は「神により」平等に作られた、人間は神の下で自由である、と言っているわけで、神の存在、この場合キリスト教の神ですが、スピーチの前提となっています。それには理由があります。歴史をさかのぼること400年前、グーンベルグが最初に印刷したのは、ドイツ語の聖書でした。印刷技術の普及によってキリスト教は特にヨーロッパに広がっていきます。英語も、ドイツ語もフランス語も、聖書の翻訳によってそれまでの話し言葉から、体系化された言語として成立していくので、ある意味ではヨーロッパの文化そのものがキリスト教という側面さえあります。したがって、人間は神によってつくられたというキリスト教の考え方はヨーロッパの人々、その子孫であるアメリカ人にとっていわば「あたりまえ」なのです。多くの死者が眠る墓地で、悲惨な戦争のただなかで、リンカーンは、人間の平等を担保しているのは神だということ、「人民の人民による人民のための政治」は神によって保障されていると訴え、多くの人の共感を得たのでした。




エイブラハム・リンカーン

87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。

今われわれは、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。われわれがそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。

しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地をささげることはできない。清めささげることもできない。聖別することもできない。足すことも引くこともできない、われわれの貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからである。世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。―それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。

リンカーンはこの演説のおおよそ1年半後、65年4月 14日フォード劇場で観劇中,南部人俳優 J.ブースによって撃たれ,翌朝死亡しました。
(アメリカンセンターJAPAN提供の仮訳、原文は英語。)

【一気に読める】キリスト教の基礎のキソ。

2020年05月19日 | 自然観、宗教観
宗教とは(そもそも論)

経験的・合理的に理解し制御(せいぎょ)することのできないような現象や存在に対し,積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系のことだそうです。小難しい(こむずかしい)ですね。まあ、そういうことにしておきましょう。

キリスト教とは

ナザレ(イスラエルの一地方)生まれのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教です。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じます。たいていの宗派では「父なる神」と「その子キリスト」と「聖霊」を唯一の神と考えます。これを三位一体(さんみいったい)と言います。合体モノ、変身ヒーローみたいですが、一神教という性格から当然の帰結とも言えますね。

一神教(いっしんきょう)と多神教(たしんきょう)

一神教は世界に神は一つであると考え、その神を礼拝する宗教のことです。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など。一神教でも、実際には様々な超存在を認めていることが多いようです。キリスト教では、天使や聖人など、イスラム教でも天使やジンなどが信仰の対象となり、唯一神(ゆいいつしん)よりはランクは下ですが、人々に御利益をもたらす存在として認知され、多神教における神と同様の機能を負っていることがあります。

一方多神教は神や超越者(信仰、儀礼、畏怖(いふ)等の対象)が多数存在する宗教で、具体的に言うと日本の神道(ただし汎神教とされることもあります)、インドのヒンドゥー教などが現存する代表例です。古代ギリシャ・古代ローマの神々もこの仲間です。仏教もこの仲間とされることがあります。
ついでに汎神論にも触れておきましょう。汎神論とは全ての物体や概念・法則が神性を持つ、あるいは神そのものであるという宗教観・哲学観。万有神論とも言います。またアニミズム(animism)は生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方で、2つの差は宿るものが霊であるのか神性であるのかの違いです。

一神教、多神教。結構その差は微妙

さて、一神教といえども、例えばキリスト教において天使や聖人を認めたりすることから、どこか多神教の要素を持っていますし、また同じキリスト教において十字架やマリア像に神性を感じたり、ほとんどの宗教における神理解は、一神教・多神教を問わず汎神論的、アニミズム的要素を含んでいると思われます。もともと多神教である神道ですが、神といっても死ぬこともあれば死体も腐敗するし、結構人間との差異が微妙ですし、木々さえ霊が宿るし、深山幽谷は神々しいといった具合。ようするに分類上の都合で一神教といったり多神教といったり、汎神論といったりアニミズムと言ったりしますが、実際はその差は微妙というか、かなり重複しあうと考えた方が良さそうですね。

聖書とは?

キリスト教の最も大切な宗教文書です。一口に聖書と言っても実は旧約聖書と新約聖書に区分されます。イエス・キリストが生まれる前にあった書物群を旧約、生誕後に書かれた書物や日記をまとめたものを新約といいます。「神の御言葉が詰まったもの」。キリスト教にとっては新約聖書、旧約聖書ともに正典(一番大事な書物)、ユダヤ教にとっては旧約聖書のみが正典です。イスラム教にとっては新約聖書、旧約聖書ともに経典(正典の次に大事な書物)で、旧約聖書のことを「完全無欠」とたたえますが、新約聖書に関しては誤りが多いものとみし(イエスは神の子ではなく、モハメッドに先立つ偉大な預言者という見方をします)、コーランの記述を優先します。世界で最も多くの言語に翻訳され、もっとも多く印刷された書物と言われます。

世界におけるキリスト教

世界中でキリスト教信者は20億人、イスラム教が16億人、仏教が4億人程度とされています。グーンベルグが最初に印刷したのは、ドイツ語の聖書でした。印刷技術の普及によってキリスト教は特にヨーロッパに広がっていきます。英語も、ドイツ語もフランス語も、聖書の翻訳によって成立していくので、ある意味ではヨーロッパの文化そのものがキリスト教という側面さえあります。
日本におけるキリスト教

日本のキリスト教信者は1パーセント未満とされています。ただ、シンパを含めると5パーセントを超すという考え方もあります。また、キリスト教系の学校が多く文化的影響力はかなり強いようです。
そして、クリスマスとイースター。イエス・キリストの生誕と復活を祝うキリスト教の大事な行事です。ハロウィーンは起源的にはお盆に近いものです。もともと子供たちのための仮装だったのにね。

日本でキリスト教を信じるということ。

大正・昭和期のキリスト教社会運動家、社会改良家で労働運動、生活協同組合運動のパイオニアである賀川豊彦は「仏式で葬ろうが、キリスト教式で葬ろうが、天国への道は一つである」、と話しております。だれも天国から戻ってきた人はいませんので、詳細は不明ですが、多分仏教徒もキリスト教徒も一緒に平和に暮らしているんではないでしょうか。このようなおおらかな宗教観っていいですね。実際明治期のキリスト教徒は父なる神と天皇を同時に崇拝し、矛盾を感じなかった人も多いと聞きます。一方天皇崇拝を拒否し、第2次世界大戦中に激しい迫害にあっても信仰を捨てなかった人たちがいることも、忘れてはいけない事実です。
一つ言えることはキリスト教に触れるということは島国を飛び出して世界(ちょっとアメリカやヨーロッパに偏りはしますが)に触れるということでもあります。

「これらは途方もないテロ行為です。」 第266代ローマ教皇フランシスコ

2020年05月17日 | 自然観、宗教観
昨年長崎、広島を訪れた教皇フランシスコのスピーチ全文です。ローマ教皇庁から発表されたものです。長いです。教皇の横に掲げられているのは、教皇が深く感銘を受け、全世界のカトリック信者に配ったジョー・オダネルの写真、「焼き場に立つ少年」。

2019年11月24日 長崎・爆心地公園

愛する兄弟姉妹の皆さん。

この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。

人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。

国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。

ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。

核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に聖ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(113番[邦訳61番])。

今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。

カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。

核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇聖パウロ6世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967年3月26日)』参照)。

こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、きわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。

心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。

ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈りとなると確信しています。

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみがあるところに愛を、
いさかいがあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、
絶望があるところに希望を、
闇に光を、
悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。

記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。

皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。

2019年11月24日 広島・平和公園

わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。

あわれみの神、歴史の主よ、この場所から、わたしたちはあなたに目を向けます。死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所から。

ここで、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、なかには、異なる言語を話す人たちもいました。そのすべての人が、同じ運命によって、このおぞましい一瞬で結ばれたのです。その瞬間は、この国の歴史だけでなく、人類の顔に永遠に刻まれました。

この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめます。また、あの時を生き延びたかたがたを前に、その強さと誇りに、深く敬意を表します。その後の長きにわたり、身体の激しい苦痛と、心の中の生きる力をむしばんでいく死の兆しを忍んでこられたからです。

わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、じっと祈るためです。とくに、平和を望み、平和のために働き、平和のために自らを犠牲にする若者たちの願いと望みです。わたしは記憶と未来にあふれるこの場所に、貧しい人たちの叫びも携えて参りました。貧しい人々はいつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者だからです。

わたしはつつしんで、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。

確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています。それは、わたしがすでに2年前に述べたとおりです。これについて、わたしたちは裁きを受けることになります。次の世代の人々が、わたしたちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。平和について話すだけで、国と国の間で何の行動も起こさなかったと。戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪のスピーチで、あのだれもが知る偽りの行為を正当化しておきながら、どうして平和について話せるでしょうか。

平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」に過ぎなくなると確信しています。(聖ヨハネ23世回勅『パーチェム・イン・テリス―地上の平和』37〔邦訳20〕参照)。真理と正義をもって平和を築くとは、「人間の間には、知識、徳、才能、物質的資力などの差がしばしば著しく存在する」(同上87〔同49〕)のを認めることです。ですから、自分だけの利益を求めるため、他者に何かを強いることが正当化されてよいはずはありません。その逆に、差の存在を認めることは、いっそうの責任と敬意の源となるのです。同じく政治共同体は、文化や経済成長といった面ではそれぞれ正当に差を有していても、「相互の進歩に対して」(同88〔同49〕)、すべての人の善益のために働く責務へと招かれています。

実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません。「武器を手にしたまま、愛することはできません」(聖パウロ6世「国連でのスピーチ(1965年10月4日)」10)。武力の論理に屈して対話から遠ざかってしまえば、いっそうの犠牲者と廃墟を生み出すことが分かっていながら、武力が悪夢をもたらすことを忘れてしまうのです。武力は「膨大な出費を要し、連帯を推し進める企画や有益な作業計画が滞り、民の心理を台なしにします」(同)。紛争の正当な解決策として、核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか。この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。それに、「平和は単に戦争がないことでもな〔く〕、……たえず建設されるべきもの」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』78)です。それは正義の結果であり、発展の結果、連帯の結果であり、わたしたちの共通の家の世話の結果、共通善を促進した結果生まれるものなのです。わたしたちは歴史から学ばなければなりません。

思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません。記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための、保証であり起爆剤なのです。すべての人の良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶です。わけても国々の運命に対し、今、特別な役割を負っているかたがたの良心に訴えるはずです。これからの世代に向かって、言い続ける助けとなる記憶です。二度と繰り返しません、と。

だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。

神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、心から声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない! と。わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」(詩編85・11-12)。

主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!

「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。


ローマ教皇庁発表

【一気に読める】日本人とキリスト教の自然観

2020年05月16日 | 自然観、宗教観
文化にはそれ独自の自然観や宗教観、死生観というものがその根底にあります。例えば日本人が「神も仏もない」といった場合の神は神道的八百万(やおよろず)の神であり、仏は観世音菩薩でしょう。アメリカ人やイギリス人が"Oh, my God!"と言った場合のGodはほぼ間違いなくキリスト教の神です。ほぼ間違いないといったのは可能性としては低いものの、イスラム教のアラーを指し示すこともあるみたいです。

古来からの日本の宗教である神道は、万物に霊が存在すると考える多神教の一つであり、神はただ一人と考える一神教のキリスト教とは、その設立環境が違い、したがって自然観も異なります。神道の場合、自然は清らかで、変化に富み、水はただで、食べ物も豊かで共存していける世界です。一方キリスト教の場合、生まれ育ったのは砂漠。戦い、征服していかなければならない自然です。

フラ・アンジェリコの「受胎告知」など中世の宗教画でよく描かれる背景は緑豊かで花が咲き乱れ、鳥が歌う、といったものが多いですし、キリストはたいてい白人です。これは絶対あり得ません。ユダヤ人の祖といわれるアブラハムは人種的には現在のイラク人ですし、その子孫のイエスも肌は浅黒く、たぶん縮れ毛だったはず。そして背景は砂漠の茶けた世界。イコンの世界はほとんど西洋の作り物と考えてよいと思います。確かに白人として描いた方がヨーロッパでの布教のためには好都合だったのでしょうが。

死生観も異なります。神道より遅れて日本に広まった仏教の場合、死生観の中心は因果応報で、よい行いをすると幸せに生まれ変わり悪い行いをすると蝶や虫など人間以外に生まれ変わると言う、いわゆる輪廻という考え方。現代のチベット仏教でもダライラマが死ぬとその生まれ変わりを探します。

キリスト教では人は一度死ぬが、キリストがその例を示されたとおり、いずれ総決算される最後の審判のときに全てが裁かれ死者がよみがえるといわれます(よみがえらない死者も
あります)。それじゃあ復活するまで死者はどうしているのかというと、この辺りは結構諸説紛々で(だれも行ってみたことがない、経験したことがないので当たり前と言えば当たり前)、ずっと天国で待っているのだという楽観的な見方や、地獄に落とされると復活は無理だけど、煉獄という地獄と天国の中間みたいなところだと可能性があるとか、旧約聖書、創世記の言葉通り、「お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」まであります。この場合死ぬことと復活する時との間には連続ではない、非連続の隔たりがあると考えます。

神道に話を戻します。日本人は深山幽谷を神々しいと思うところから始まり、身近なもの、昔で言えば、かまどにも、大黒柱にも神性を感じるという、自然万物に対する感覚があります。また、日本人の感性の特色として、黄泉の国や冥土と現世の垣根が低い。天国地獄という上下関係ではなく、むしろ水平線上に並んでいる、と捉えます。

だから伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は死んだ伊邪那美命(いざなみのみこと)をたずねて黄泉の国まで旅をするのであり、おばあちゃんが仏壇の死んだおじいさんに語りかけるのです。(このあたり、神道と仏教が微妙に混在しています。)この伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が伊邪那美命(いざなみのみこと)を黄泉の国まで追っかけて行く話(古事記など)は極めてリアルで、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は腐敗し、蛆がわいている伊邪那美命(いざなみのみこと)の姿を見て恐怖に駆られ、逃げ返ります。怒った伊邪那美命(いざなみのみこと)は八雷神(やくさのいかづちがみ)に追っかけさせています。

ローマ神話、ギリシャ神話の神々も人間臭く、全能の神ゼウスは好色で、人間との間に何人も子供を作っています。また、イカロスのように墜落して死ぬことさえあります。
このように、多神教の神々は概して大変人間臭いですね。

実は、神の子であるイエスも結構人間っぽく聖書では描かれています。ブチ切れて神殿の屋台を全部ひっくり返したり(ヨハネ福音書2章13節~22節)、「イエスは涙を流された。」(ヨハネの福音書11:35)。決して超人としては描かれていません。このあたりが「人の子」でもあるイエスの魅力です。