あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
さっそく、トルコ旅行の続きです。
12月22日の昼食後は、バスで約210km移動して、ヒッタイト王国の首都ハットゥシャシュ遺跡とヤズルカヤの神殿遺跡を見学。
バスの車窓から、岩山が見えてきましたが、ここがヒッタイト王国の首都ハットゥシャシュです。 岩山に築かれた城塞都市でした。 ヒッタイト王国は紀元前1680年頃に建国され、エジプトとシリアで戦うなど、強大な帝国をつくっていて、歴史の授業で鉄を初めて使った古代国家と習った記憶があります。
遺跡入口にあった説明板です。 岩山の麓の下市(図の中央上の部分)と山の上に展開する上市(図の下の部分)で構成されています。
下市には城壁の一部が復元されていましたが、少し?に感じました。
下市にある住居や倉庫などのあと。
同じく下市の住居、倉庫とならんで神殿の遺跡があります。 中央の石造物の前面はライオンの顔のレリーフです。
第一神殿の一部
岩山の間に小さな渓谷があり、その周りにある崖が城壁として利用された。 当時は外敵から守ることが最優先だった。
上市のライオンの門を裏から。 平均標高1000mの高地にあります。
ライオン像です。 (フィルタ処理をしています)
全体像です。 左のライオン像はレプリカ。
発掘当時の写真でしょうか? 説明板には門の上部も残った写真が。
城壁の地下を通り抜けるトンネル。
トンネルの出口から見たボアズカレ(渓谷の城の意)の街。
王の門と下の写真はその説明板。 山の上によく広壮な城を築いたものだと感心します。
つづいて、ハットゥシャシュから北東約2kmにあるヤズルカヤ神殿遺跡です。 ヒッタイトの神と王を祭った聖所です。 この岩の前に神殿の石組が残っており、岩にくりぬきの浮き彫り像をつくっていました。
日本の天の岩戸の伝説に似た雰囲気です。 写真は大室の入口。
丸い帽子をかぶったヒッタイトの王トゥタルヤ4世。
小室の方がレリーフがきれいに残っています。 幅2mほどの狭い場所です。
子供を抱くヒッタイト王トュダハリャ4世。
Webで調べてわかったのですが、古代ヒッタイト王の王位継承をめぐって、暗殺や一族の皆殺しなど、凄まじい争いが繰り広げられています。
通説では紀元前16世紀から紀元前12世紀まで続いたヒッタイト帝国は海の民に滅ばされたとなっていますが、食料危機と内紛による滅亡説も有力になってきているそうです。
ヒッタイト最後の王になったシュピルリウマ2世が、このヤズルカヤの建設に力をいれたそうですが、滅亡してしまった。 しかし、遺跡は破壊されずに残っているのを考えると、内部崩壊したと考えるのが自然です。
再び、バスに乗り、翌日の観光場所であるカッパドキアに向かいます。
車窓から見た集落の風景。 林のような緑はない。
写真ではわかりづらいのですが、屋根の上にソーラーシステムがほとんどの家に付いていました。
温水器のソーラーで、電気をつくっているのではないそうです。
高原の夕暮れ。
ホテルの夕食です。 パンとサラダは美味しい。
激甘のデザート。
ホテルの部屋の窓から。 山の端に三日月が出ていました。 トルコ国旗に似て。
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