第一章
一 日常
朝から蒸し暑い日だった。慎一は目覚めたときから軽い頭痛と吐き気を覚えていた。連日の暑さに疲労感と睡眠不足が重なっていた為だった。また、精神的にも不安定な状態が続いていた。三十歳を目前にして体内から生きることへの情熱と真摯さが失われ、このまま老いてしまうのではないかと不安に苛まれていた。暫くの間蒲団の中にいたが仕方がないと思い起き上がった。窓を開けると生暖かい風が部屋の中に流れ込んできた。慎一は静かに深呼吸を始めた。何度か繰り返している内に吐き気は治まってきたが、頭痛はより深く内部に浸透していくように感じた。
毎日毎日が同じことの繰り返しだった。同じことの繰り返しが生きて行くことであり、仕事として成り立つことの前提だったが、慎一にとって自分を蝕んでいくように感じていた。休暇を取りたかったが休めないことは分かっていた。今日中に仕上げなければならない仕事と予定が組み込んである。慎一は思いを巡らしていたが、何時ものように蒲団を畳み、掃除機を掛け、冷蔵庫の中を物色して朝食に有り付いた。結局、会社の休日以外理由も無く休暇を取ることは出来なかった。
アパートから歩いて二十分程で京王線のつつじヶ丘駅に着く。通勤快速で二十分、聖蹟桜ヶ丘に着き、歩いて十分ほどの所に会社があった。乗り合わせが良ければ一時間程で通勤出来る距離である。アパートは虫食い農地の残る閑静な高台にあり、深大寺の近くだったが、調布市ではなく、三鷹市の西の外れに位置して、国道二〇号線を三鷹市役所方面に向かった所だった。引っ越してきた頃は、休日の度に神代植物公園を散策する習慣が身に付き、一人のんびりと日溜まりを歩いていると田舎での生活が思い出された。しかし今では滅多に行くことは無く、どんな植物が有ったのかさえ思い出せなかった。
大学での四年間、就職して六年、東京に移り住んで既に十年が過ぎていた。就職先を中小企業に選んだ理由は、生活する為に必要最小限の金銭が得られること、煩わしい人間関係に束縛されたく無かったこと、立身出世の為に働きたく無かったこと、それに、何れ生まれ育った静岡県阿部川沿いの田舎で職を探して、静かに暮らしたいと思っていたからだった。
今日の予定を思い出していた。午前中はファクスが受信している受注伝票をコンピュータに打ち込み、発注伝票を印刷して倉庫に持って行く。午後は同僚の佐伯と二、三の小売店を廻り、商品の配置状況を調べ新商品の売り込みをする予定だった。依り多くの商品を販売して、売上高を増やす為、地域的な顧客の嗜好品を調査する必要があった。しかし各店舗の売り上げ状況はコンピュータで管理されていた。準備として必要なことは、書類を印刷することでこと足りた。要するに、慎一が出勤することで一日が規則通り動いて行くように決まっていた。
可も不可もなく規則通りに日常が移り行くとき人は安堵感を得る。何も考えず、不安に思うこともなく無事一日を終える。慎一の仕事も奇を衒う必要はなく淡々と成し遂げて行くことが求められた。慎一は十分応えられるだけの仕事をしていたが、その中に自分自身を置き去りにしている不安を感じていた。しかし仕事自体が、個としての社会的な慎一を表すことの出来る全てだった。依田商事株式会社営業部主任、河埜慎一と、一枚の名刺に刷られている文字以外慎一を表すものは無かった。
依田商事株式会社は酒類卸売業として関東地区一円を視野に納め、五百以上の小売店と取引があり、また幾つか大手デパートにも納入していた。現場社員が二十人、事務社員が社長他九名の中堅企業であるが売上高は群を抜いていた。慎一は依田商事に入社後、情報処理専門学校に通い業務の効率化を図ってきた。慎一の主な仕事は営業事務兼営業であったが、営業は部長の本山、社員の上嶋、佐伯、今年入社した吉本、他に経理の女の子が二名であった。また、総務事務を受け持っていたのが二年目の飯山佐知子だった。部長の本山は酒類生産地を廻ることが多く、上嶋、佐伯も外廻りの仕事に追われ事務所に居ることは殆どなかった。吉本は営業社員だったが、一年目と言うこともあり倉庫に詰めていた。慎一は社長のお供や得意先を廻ることもあったが、事務所に残ることが多かった。しかし、女の職場に残された感覚が嫌で倉庫に行って過ごす時があった。翌日の配送の為に酒類の積み込み作業を手伝うこともあり、また駄弁って時間を潰すこともあったが、大抵事務所からの電話で呼び戻された。
日々の仕事は、コンピュータ相手に前日の午後から送られてきた注文ファクスを地域ごとに振り分け、数値を打ち込む。コンピュータ、ファクスは事務処理を迅速に行う為に導入されたが、結局機械に使われていた。ファクスは全ての小売店に設置されていたので数値は正確に送られてきた。コンピュータへの打ち込みさえ間違わなければ仕事上の失敗は無く、小売店の月間売り上げ状況も分かっていたので、仮に注文伝票に数字の間違いがあったとしても、打ち込むときに処理出来た。慎一が仕事をしていると感じるのは、明らかに数値が間違っていると気付いたときだった。その時、始めて小売店に電話を掛ける。けれども商品と数字の話しだけであって他には何もない。しかし相手の言葉に、人間的な感情を受け取ることが出来た。何れ小売店から直接会社のコンピュータに入力出来るようになれば、慎一の仕事自体必要が無くなる。
一小売店が店内に並べている酒類は凡そ三百から五百、会社の取り扱っている酒類は約十倍の五千種を越えていた。慎一は、その全ての酒類と価格を理解する必要があった。売値は変動しないが、新商品発売の時など、一部の商品は価格が変動することもあり、入力する数値に間違いが無いよう注意を要した。また、特別価格で販売する期間があるときなど、その都度入力値を訂正する。その他、午後から同僚と営業に行くこともあったが、商品の陳列指示程度で、新しい商品や他店への売り込みに行くときはサポート役が主だった。そんな日は夜の八時、九時まで仕事をしたが、普段は六時前には退社出来た。
昼の休憩時間は事務所に残ることはなく、食後は多摩川縁を散歩しながら川辺で石投げをしていた。会話することの面倒臭さとテレビを見ていることの煩わしさからだった。偶々手にした平たい石ころを、サイドスロウ投手のように横手から水面すれすれに勢い良く投げつける。石は水面を切りながら向こう岸に届くこともあり、途中で沈み込むこともあった。水没した石ころは二度と水の底から出ることはなく、川底の渦に巻き込まれ水中深く潜ってしまうか、流れながら小さな砂粒に分解していく。それは、何処か生きることに似ていた。意識的に行動している積もりでいても、自分の意志では無く、他人の意向で動かされ、無意識のまま行動していることがある。石ころは必要があってその場所に在ったのではなく、何十年、何百年の時を経て流れ着いた。しかし、一つの石ころは慎一との出会いに依って方向を変えられる。人と人との出会いも、日常生活も、同じように予期せぬことの連続である。偶然の出会いに依って、全く違った方向に変わることがある。良いか悪いか判断する必要は無く、現在ある姿が事実であり、現実であり、それを受け入れるより仕方がない。現実の姿は現実の儘で変わることはない。身長一七八センチ、体重六五キロ、そよとの風もないどんよりとした蒸し暑い日の午後、多摩川の河原に立ち、ほんの少しの空間を支配している慎一自身が全てだった。
仕事に戻る時間がきていた。しかし、このまま空間から消えてしまいたい衝動に駆られていた。生きることに消耗して、日常に諦念を感じていた慎一にとって、一瞬にして全く違う世界に行き着き、生きる環境を変えてみたかった。
存在する物自体は一体何に依って証明されるだろう。空間に存在していることは、存在を、時間と空間の中で証明しなければならない。物体として存在している物は、永遠であるという定理がない限り物体の永続性は有り得ない。仮に物自体が永遠であったと仮定しても人間に当て填めることは出来ない。人間は有機物である限り時間と空間から遊離して何れ腐蝕し消滅する。歴史は時間の継続であり、現在、時空空間に在ることは分かっていても、それが明日まで続いて行くことを証明することは出来ない。
個々人の歴史にとっても、現在まで計り知れない時間が継続してきた。そして、誰もが自分だけは確かなものであり、安息と快楽の場所を求める。しかし永遠だと信じている宇宙でさえ、暗黒物質如何に因っては何時その方向を変えるか分からない。宇宙の運命さえ変えてしまう暗黒に何時吸い込まれても良いのである。愚かな人間だけが不変であり永遠だと錯覚している。永遠の時間と言えるのは、現在、慎一を支配している一瞬のことであり他にはない。感じ、考え、行動している慎一が全てである。
人間の意識の中にも同じような、陥ると永遠に抜け出すことの出来ない暗黒と未知の世界がある。知らず知らずの内に近付きながらそれを知ることはない。慎一の暗黒は、何れ慎一を吸い込んで永遠の果てに、二度と戻ることのない所に放り出すのだろう。眼前に流れる川の中に在るのか、アパートの狭い空間に在るのか、故郷の景色の中に在るのか分からない。しかしその中に吸い込まれ、当て所の無い空間に投げ出され、そして終末を迎えるだろう。しかし、生死の問題さえ慎一にとって然したることではなかった。生きていることも、死ぬことも日常の煩雑さと同じことであり、自分自身の、日常の不条理から抜け出すことは出来なかった。川面の照り返しを受けていた慎一は、目を閉じると、静謐な時間を駆け上り中空に消滅して行くような錯覚を覚えていた。そして、自分自身に対して支配と統制の出来ない時間を一瞬もってしまったように思った。
午後の小売店廻りをしなければならなかった。訪問することで、売上高を極端に伸ばすことは無かったが行くのが仕事だった。サラリーマンであることが自分の時間を奪い行動を規制する。しかし仕事は生きていることの前提である限り仕方がない。慎一はゆっくりと深呼吸をした。前方を京王線の特急列車が轟音と共に過ぎ去った。電車の乗客は、慎一が多摩川縁で佇んでいることさえ知らない。誰も彼もが自分のことを考え、必要に応じて行動しているのに過ぎない。それが個々人の生活であり社会的な生活だった。
多摩川は何事も無かったかのように滔々と流れ、水辺は静まり返っていた。明日の昼休み、慎一が訪れても同じように受け入れてくれるだろう。
次回 出先