山に越して

日々の生活の記録

山に越して 遠景の向こうに 12-08

2014-11-06 09:25:26 | 中編小説

 遠景の向こうに

 微かに残る香り、幸子と同じ香水だった。女は、私を一瞥して足早に遠ざかっていった。待ち人は来なかったのか、行き場がなく其処にいたのか不安定な女だった。幸子でなかったことの安堵感と失意があった。しかし、その後の幸子のことを知らない不安が拡がっていた。

 

 幸子との逢瀬は二箇月に一度か、三箇月に一度になっていた。しかし会う度に大切にしたいと思いながら何も出来ない不安が重なっていた。会えば別れの辛さに苦しみ、会わなければ日々の辛さに苦しんでいた。せめて次に会う約束さえ出来れば救われていたのかも知れない。私が踏み越えられない日々幸子はひとりで待っていた。『最早戻ることはないだろう』と、そう言う思いで東京に行った日があった。私の視野の片隅に焼き付けられていたのだろう、幼い子の残像が分かったのか、『帰って、待つこと出来るから・・・』と、そう幸子は言った。

 夏が過ぎ秋になっていた。幸子は松本に来ることはなく東京の商事会社に就職が決まっていた。私を苦しめたくないと幸子は思い、私は幸子を壊せないだろうと思っていた。踏み越えられないことだった。私の掌のなかで成長していく幸子・・・美しくなっていく幸子・・・私にはその変容する姿が見えていた。しかし幸子の成長は、幸子のなかに内在していたものが明確な形となって現れてきたのであって、私との出会いと過ごした日々はきっかけに過ぎなかった。何時の日か掌のなかから飛び立っていくことを予感していた。仕方のないことだった。幸子を背負い切れないのではなく、背負うことの出来ない不安があった。

 何時のことだったか幸子は私の少し先を歩いていた。ビルの谷間から急に西陽が射し幸子をくっきりと映し出した。私はその場に釘付けになり後ろ姿を見ていた。光り輝く女神のように美しかった。その姿は、幸子の内面の神秘さと、冒してはならない尊厳ささえ持っていた。余りの美しさに私は絶句した。そして、既に私の手の届かない所に行ってしまったように感じた。

 幸子の悲しみを有りのまま受け入れることで、二人で生きることが出来た筈だった。しかし幸子と私の思いが交差することは、何時しか幸子の清楚な思いを、純粋な愛を壊してしまうことだった。月日が流れていた。『会いに行くことが出来ない・・・』と、書いた短い手紙を投函した。二人の間に終止符を打つことが、永遠の思い出として心の中に残ったのかも知れない。そして、再会することなくその時に終わっていれば、愛は永遠の彼方に見いだすことが出来たのかも知れない。

 幸子と別れて五年が過ぎていた。その間、私は私の生き方を掘り下げることもなく徒に時を過ごしていた。悔恨という言葉が虚しさと反響して為体な日常に覆い被さっていた。出会いの瞬間に幸子との生を重ねていた筈だった。そして、再会出来たとき既に後戻り出来ないことを知るべきだった。二度の失ってはならない機会があった。それなのに・・・何故・・・幼い子供のことを考えていたと言う私は、言い逃れをしていたのに過ぎなかった。湖で『執着しても良い?』と言った私は、幸子に対して変わらない愛を誓っていた。後ろから抱きしめている腕に幸子の涙が幾筋も幾筋も落ちていた。腕に絡みついた涙は私の身体のなかに染み込んでいった。夜明けの湖を歩いていた。湖岸の近くは靄で煙っていた。あの時、私は失われていた愛の感覚を知った。それは幸子によって呼び起こされたものではなく、初めて知った震撼するような思いだった。

 

 失ってはならない愛を失った私は、何時しか軽薄な思いを抱いたまま老いて行くのだろう。そして、ぽっかりと空いた空洞を埋めることもなく二度と幸子に再会することもないだろう。それが私に与えられた罪と罰なのかも知れない。

 生きること、愛すること、生活することは同じ事である。それは寂しさと虚しさの交差する接点の上に在り、そのことを人は知らないまま見過ごしている。待つことは内に苦しみを蓄積していく。しかし待つことが思いを変容させることではない。愛は変わるのではなく、その姿を変え、日常の中に潜み、出口のないまま埋もれている。人が人として生きる時間は短すぎる。その短い生のなかで愛する時は一瞬しかない。しかしその一瞬さえ知る人はない。寂しくて虚しい胸裡を掻きむしられるような思い、溜め息のなかに消え入ってしまいそうな生、そして愛・・・。

 人は、人を求めるから独りであること知る。そして、人を求めようとするから寂しさを知る。愛することは、その寂しさを、独りであることの寂しさを癒してくれる。愛の希求と欲望は矛盾しない。互いに求め惹かれた二人にとって全てを透明にする程強いものだろう。愛は共有する時間の中で芽生え、会えない時間の中で形作られていく。けれども、先が見えなく明確な形で現れてこない。それでも人は愛さずに生きていられないのだろう。

 日々が過ぎていった。しかし幸子を愛していながら、自分自身を構築していくことをしなかった。幸子は、そんな私に対して自分を預けられない悲しみを感じていた。そして、何時しか無為に過ごした時間だけ幸子から遠ざかっていた。愛すことは、自己との、社会との闘いではなく内なる時間の共有化であり持続する感性の進化なのだろう。

 私の日常は同じことの繰り返しだった。幼い子から離れていく私を幸子は許すことが出来るのか、矛盾と逡巡から抜け出すことが出来なかった。それが間違いであることに気付かなかった私は、一歩一歩と幸子からの距離を拡げていた。