第四章 一 競馬場
その日、慎一は雑多な人々の中にいた。レースが始まる度に人々の視線は一点に集中され競走馬の流れを追い掛けている。慎一が競馬を始めたのは一年ほど前からだった。同僚と一度出掛け、それからは休日の日中を過ごす時間になっていた。しかし大レースに興奮することも、当たり馬券を手にしたときの喜びも感じなかった。レースが始まる度にあんぐりと口を開けている人々の姿を見ていた。競馬場に着いてから適当な新聞を買い、馬券を買うときも新聞の通りに買っていた。評論家が何日も考え結論を出したことに対する敬意からだった。
「毎週来ているな!」
正面スタンド、指定席の真下にいるとき声を掛けられた。男の身なりは地味だったが一見やくざ風に見受けられた。
「ああ毎週だ!」
話したくなかったが、そう応えた。
「取っているか?」
「駄目だ」
「日曜日にネクタイ姿ではサラリーマン風情だな?」
「まあ、そんなところだ」
「競馬は楽しいか?」
「別に」
「そうか、楽しくないのに毎週来ているって訳だ」
「暇を持て余している」
「若いのに良い身分だ」
「仕方がない」
「十一レースは何を買う?」
「新聞の通り買う」
「投資額は?」
「一万四千円」
「当たるかな?」
「当たらなくても良い」
慎一の受け答えに男は幾分不機嫌な顔をした。
「当たらなければ明日から飯が食えなくなると仮定する。それでもそんな買い方をするのか?」
「明日のことまで考えている訳ではない」
「今日を生きているって訳だ」
「そんなに恰好の良いものではない」
「俺を信用してこの通りに買わないか?」
競馬新聞の印とは違う馬に赤い二重丸を付けていた。
「止めておこう」
「最終レースが終わったら飲みに行かないか?」
「行っても良い」
「この場所で会おうぜ」
「分かった」
相手を信用する、しないもなかった。最終レースが終わる時間は何時も中途半端である。アパートに帰っても仕方がないし、駅前で早い夕飯を食っても、酒を飲むにも早過ぎる時間だった。慎一は十一レースを取り、十二レースは投資した額だけ戻ってきた。偶々今日買った新聞が当たっていただけのことで、来週は違う新聞を買う積もりでいた。馬の戦績を検討しても、自分で考えても分かる筈がなかった。十二レースが終わった後、約束の場所に行ってみたが先ほどの男は来ていなかった。帰ろうかと思ったとき声を掛けられた。「待たせたな、いないだろうと思ったが一応来てみた。俺の言ったことを信用したとは恐れ入った」
「暇を持て余しているだけのことだ」
「結果はどうだった?」
「新聞の通りに買うと当たる」
「成る程、自分で考えて当たるようなら予想紙なんて必要ないって訳だ。それが賢明と言うことかも知れない」
「考えても分からない。競馬は時間潰しに丁度良い」
「競馬に関わっている連中も食っていかなくてはならない。厩舎も順繰りに勝たなければ潰れてしまうだろう。でも、その金は俺たちから出ている。競馬は遊び程度にしておけば良いが、気が付いた時は填り込んでいる。連中を食わす為に破綻しても仕方ないが、何もかも失い夜逃げをした連中を何人も見てきた。実に情けないことだ」
蟻が散らばるように人々は出口に向かっていた。急いでいる者、笑顔で捲し立てている者、疲れ切った表情をしている者など、それぞれの懐具合を表現していた。金は生活する為に必要であったが、衣食住が満たされ、必要な物を手に入れた場合、自分を依拠する日常を持ち得ない場合など、ぎりぎりの所で賽子を振るように自分自身を投げ出す。競馬があるから賭けるのではなく、賭けざるを得ない人生を生きていた。
「近くに行き付けの店がある。競馬場帰りの連中を相手にしている店だが食い物は旨い。其処に行こう」
「分かった」
店内は客でごった返していたがカウンターを詰めて貰い座ることが出来た。
「いらっしゃい!」
と、店の主人が威勢の良い声を掛けてきた。
「相変わらず繁盛しているな!暇人が多過ぎるのだろう」
「旦那、今日は如何でした?」
「負けないようにしているが、賭け事は胴元が強い」
「何に致します?」
「酒に、煮込み、兄ちゃんも好きな物を頼みな」
「同じ物で良い」
「俺はこの先で商売をしている。人間の食う人参で稼ぎ、馬に人参を与えている」
「止めようと思ったことは?」
「止めるとか、止めないとかの問題じゃない。何だろうな、近くにあるから行くのでもないし、ゴール前、百メートルの興奮に感動したいのかも知れない。要するに、俺は賭け事をロマンとして捉えている」
「感動して、金を擦って、馬に感謝する?」
「落胆と感激が忘れられないことは麻薬と同じだろう。競馬には一定の仕組まれたプログラムがあるのかも知れないが、填っていると分からなくなる」
「プログラムが働いているなら見えない日常と変わることはない。騎手や馬主や厩務員も食わなくてはならない。その為には順繰りに勝たせる必要がある。何も競馬に金を捨てることはない」
「商売と同じで、仕入れ値掛けるパーセントで答が出る。何年も商売をしていると、余程の気象変動がない限りプログラム通りに進んでいく。偶に余計な物が入ってきても長続きしないよう上手く出来ている。競馬も同じで、G一レース、G二レースと乗せられていることに気付かない。せっせせっせと働いても、酒と女と賭け事が世の中を支配している。然りとて、何もしないと年を取ってから不安になるのかも知れない」
「不安に?」
「自分の意志で出来ることが競馬である」
「競馬は農林水産省役人の為に有り、連中の退職金を稼ぎ出しているのに過ぎない。誰も彼もが、官僚の快楽な生活の為に金を注ぎ込んでいる。それだけのことだ」
「どうもお前さんと話をしていると余計なことを考えてしまうな」「競馬で破滅する人生があっても良いじゃないですか・・・それだけ必死に生きたことの証明になる」
「本人にとって良いかも知れないが周囲は堪ったものではない。借金取りに追われ生きた心地がしない。競馬があるから金を賭けたくなる。しかし、責任は個人の意志に帰着する。俺も収支決算をしたことはないが随分擦っているだろう。所で、勝っても負けても良いと言っていたが意味が分からない」
「競馬場に来ている連中は、ある意味で個としての生き方を証明しているように思う。金を賭けることは、自分自身を賭けることと同じであって、最早退けないところにきている。そして、賭け事を繰り返す内に自分の本来の姿を見ることになる」
「深入りしている間は泣き言が言える。しかしそれを過ぎた時、個人としての責任を取る・・・」
「そう言うことだと思う」
「厳しいな!」
「そろそろ行きましょうか?」
「俺の所は、この通りを行った角にある八百屋だ。暇があったら寄ってくれ。若いの、今日は有り難うよ」
角まで来ると確かに八百屋があった。さっきの男の店だろう、奥さんらしき女が大きな声を出していた。忙しく切り盛りしている奥さんがいて、旦那は酒に溺れ競馬に現を抜かしていた。
翌週は新宿の場外馬券売り場に行った。路地裏の狭い通りは人々で溢れていた。一個の建物に吸い込まれて行く人々は、塵の山に群がる鼠のようだった。一階から六階までの狭隘な建物の中はごった返していた。場外馬券売り場に来たのは初めてのことであり、テレビで見るレースは興奮も迫力もなかった。競馬は宣伝文句のようにスリルと興奮を味わうことではなく、単なる賭け事をしている場所だった。場内は益々人々で溢れ空気は稀薄になっていた。慎一は窓辺に行き、入れ替わり立ち替わり動き回る人々を見ていた。激しい動きに連れ、頭の中心部が痛み出し、薄汚れた空気の中で意識の統制が出来なくなっていた。耐え切れなくなった慎一は売り場を出ると新宿公園の方角に歩いていった。公園の片隅に座り、やっと、人いきれから解放された思いになった。車の騒音も聞こえず、冷たい風の中に春先を思わせる匂いと生命を感じていた。凍り付いた土の中で新しい命が芽吹き春の匂いが息付く。変わりなく続いて行く自然の生業である。人間が死に絶えても、芝生の下から、木々の根本から生命は生み出されてくるのだろう。
日溜まりで小さな子が遊び人々のざわめきは消えていた。
・・・季節を変えることも、海洋の流れを変えることも人間には出来ない。所詮、狭隘な地域で蠢いているのに過ぎない。しかし人間の活動は自然を破壊し動植物を壊滅させていく。人間の世界は何時までも続き、個も、類も思弁的に歪められている以上現実の享楽だけに陥る。自己が、現在ある空間が認識されなくては戯言を言っているのに過ぎない。恐らく生死を彷徨う厳しい状況に置かれたとき、始めて自分の周囲の環境を知ろうとする。そして、日常の中に身を置きながらも自分の限界を認識し、覚醒した意識を持つことで、辛うじて耐えるようになる。愚昧な日常を忌み嫌い、一分一秒を無駄にしないとき、始めて淡々と流されている現実から抜け出すことが出来る。人間の存在とは、その現実的生活過程を意味する。唯一意識的に出来ることは、全ての生活過程を否定し、次の段階に止揚することである。しかし、また同じような生活が待ち受けている。生きている限り逃れることの出来ない現実、何処に行っても、何処で生きても同じことであり、現実が全てを規定している・・・日々仕事机に向かい伝票を処理している現実、競馬場でレースを眺めている現実、酒を飲み酩酊のまま帰路に着く現実、煎餅蒲団を抱き抱えながら寝入ろうとしている現実、それらが俺の現実である。存在は現実だけであり、過去にも未来にも存在することはない。人間が死ぬ時も、死ぬ現実の中にいる。現実から逃れた瞬間を知ることは出来ない。既に死しているのである・・・
慎一は薄暗くなるまで公園にいた。そして、体内から絞り出すような激しい慟哭を聴いていた。
次回 二 遊技場
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