高浜ビーチスポーツクラブBLOG

ビーチラグビー中部大会を通し、福井県高浜町を盛り上げようと日々頑張っております。

懐かしの・・・

2010-08-03 21:58:56 | 温故知新
拝啓



どうも、どうも、夏衛門です。


懐かしいの見つけました。


高浜町は昨年「高浜白宣言」という新しいスローガンを掲げました。


くわしくはこちら→http://www.shiro-club.jp/



で、活動ブログの中にありました。


最新ブログの、高浜町の夏の最大イベント「漁火想」の報告の中に。


Tシャツ展示の中に。



そうです、部員Tシャツです。

たぶん、7回目のTシャツだったような・・・。



いや~、マジ懐かしい~~~。


今でも持ってる方、大事にしてくださいね。




                      敬具

想い出の夏 2000

2008-06-06 00:48:08 | 温故知新
2000円札発行・・・


シドニー五輪

「Qちゃん」で愛称の 高橋尚子

「天才柔道家」 井上康生

後に「五輪3連覇」の偉業を達成した 野村 忠宏

「最高で金、最低でも金」 田村亮子

の金メダルラッシュに沸いた9月・・・



その2ヶ月前に20世紀 最後の中部大会は開催されました。


10名以上の参加は認めず、選手には試合前にリストバンドを着用させた年。


過去最多、約100名のスタッフを携えた年。


110チームを超える参加チーム。



しかし、大会初日はあいにくの天候・・・

第1回のような猛暑でなければ

第2回のような豪雨でもなく

なんと第5回大会は剛風 の中開催しました。


本部~各コート間の連絡が通じず大会は朝一から中断・・・


小谷会長を中心とした実行委員会メンバーが本部テント裏に集合し今後の動向についてミーティングを行ないました。


躊躇(ちゅうちょ)していたメンバーに対し当時の一瀬副会長の一言・・・


サンデーモーニングの大沢親分張さん のような「渇!」

ではありません


大会に参加してくれているチームの為

大会運営に協力してくれている人の為

そして何より自分達の為





円陣になっていた当時の実行委員メンバー。

円の中心には小谷会長・・・


堀尾、大西正、時岡、堀口、梅垣、朽木


といったメンバーが周りにはいました。



第10回大会までの運営の中心にいたこのメンバーの背中を

円陣の後から私は見ていました。


「4年間やってきた自信をしっかりと持ちなさい!」(途中省略)


一瀬副会長の一言で、約1時間強遅れの午前10時頃に試合は開始しました。


5-1-5に急遽、試合時間を変更。


各コートテントは脚をたたみ暴風対策。

チームの呼び出しも各コートが仕切る。


そんな中でも1回戦全試合を何とか無事に終了させる事ができました。



前年からの期待が膨らむ中



開会式・・・選手宣誓


チーム名 大飯blacks


この選手宣誓を覚えている方いらっしゃいませんか?


お立ち台の上で、カンペを見ながらメンバー 一同で繰り広げ


前年に劣らないお笑い宣誓でした。



開会式が終了し午後の試合開始までの間

ビーチフラッグ大会
が開催されました。


各コートで予選を行い決勝はメインコート。


優勝者の快走ぶりには驚かされました







今大会は大勢の女性スタッフが参加、各コートにはたくさんのがありました。


そんな女性スタッフの中、数回の練習を重ね試合に臨むメンバー達がいました。





高浜ウランズ


数年後に全国優勝を成し遂げたチームの序章・・・


2000年


球界では長島ジャイアンツが胴上げされた年でもありました(補足)・・・


                              つづく


















































想い出の夏 1999

2008-06-04 11:31:42 | 温故知新
ノストラダムスの大予言・・・



1999年7の月に何かがが起こる?

そんな不安を抱えた中

第4回目の中部大会は開催されました。




前年、前々と大会期間中は大雨となり

中部大会=大雨


というイメージを我々大会関係者は持つようになりました


今年こそは是非ますようにと願いを込め


スタッフTシャツはこのようなデザインにしました



暑い じゃなく

熱い・・・


Tシャツのお陰か

この年は天候に恵まれた大会でありました。


そして今ではお馴染みの

第1コートのメインスタンドが設置された年でもありました。


たぶん・・・(汗)


過去最多120を超えるチームが集い


カップ&プレート方式で大会は進行しました。


その為、1999年の第4回大会は


第5コートでも公式戦を行なった唯一の年です。



そして現在に至っているユーモアな選手宣誓はここから始まりました。


チーム名 「くさmens」。

地元チームです。




仮面ライダーのテーマに合わせバイクで登場し笑いを誘う口調。


約1500人をお笑いの渦に巻き込みました


じゃんけん大会やイベントゲームで試合以外でも盛り上がりました。

ただ、どのようなイベントだったかはちょっと覚えてません(汗)


この年に歌謡界で大ブレークした

Doragon Ash

の曲が大会中流れていたのが記憶的です。



2日目になり大会はいよいよ大詰め。


前年度優勝の朽木オールスターズ(この年は若狭高浜インビテーショナルXVというチーム名)はベスト8で姿を消しました。


そして決勝に残ったのは


第2.3大会準優勝の「愛してます福井 コットンクラブ」


第1回大会優勝の「打!中電(中部電力)」


メインスタンドに多くの観客が集まる中、試合開始。


前半からコットンクラブがゲームを支配。

プレッシャーをかけたディフェンスに目が引きつけられました。

後半も有利に進めたコットンクラブが見事、初優勝!



後の全国大会でコットンクラブは見事優勝しました。


大会終了後、全スタッフの集合写真撮影。





大予言ですが





7の月に何かが起こる・・・


もしかしたら


衝撃的な選手宣誓を意味していたのかもしれませんね。


たぶん・・・















想い出の夏 1998

2008-05-26 18:21:03 | 温故知新
松坂大輔(現レッドソックス)が

甲子園の春夏連覇に挑んだ年が

1998年

でありました。

全国各地で甲子園予選が始まった頃、第3回中部大会は開催しました。



第3回大会・・・



皆さんは憶えていますか?


髪の毛が黄色いのやら坊主頭のやら


当時24歳以下のメンバー数名が

お祭り

の如く賑やかに自分を演出しました。


もちろん大会2日間だけです・・

翌日の仕事はきちんとした身だしなみです!



大会ポスターはこの年からイラストに変わりました。



スタッフTシャツも同様のイラスト入りになり

この頃から賑やかな感じになりました。




ゲーム方式はカップ&プレートトーナメント制。


100を超えるチームの参加がありました。


しかし、初日は前年同様のあいにくの雨でした。



中部大会=雨


と連想するようになったのはこの頃からです。



1回戦が全て終了し開会式。



選手宣誓をおこなったのは地元農協のチーム。


大きな声で高浜町をPRする素晴らしい宣誓でありました。


また、中学生チームが参加するなど町内にも


ビーチフットボールが知れ渡り始めた頃でもありました。



ジャンケン大会は2日間健在。


お馴染み曲が鳴ると本部前に多くの参加者が駆け足しました。



そして、大会運営に携わる我々が初めて


他の大会の運営する人たちと接した年でもありました。



1週間前に同じ3回目の白浜大会を開催された白浜実行委員会のメンバー。


同じ志を持った仲間とふれあい


ここから良いお付き合いをさせてもらう事になるのです。



大会2日目になると天候は若干回復し、参加者にはベストはコンディションでした。


会場にはMCのジョークが伝えられたり終止、賑やかな大会でありました。






カップトーナメント決勝・・・

朽木オールスターズ 対 コットンクラブ


史上最強のタレントを擁した朽木オールスターズ。


ビーチフットボール界のカリスマ軍団。



長いフロントパスや早いリスタート、そして驚愕のワンタッチパス。



15対10で朽木オールスターズの2連覇で大会は幕を閉じました。


今から丁度10年前の出来事です。

10年前のこの大会に参加し、且つ今年の大会にも参加下さる選手の方


本当に感謝です・・・

















































想い出の夏 1997

2008-05-22 20:26:34 | 温故知新
1997年・・・それは



長野オリンピック開催の年でありました。

女子モーグル 里谷 多英

男子ラージヒル 団体

男子500mスピードスケート 清水 宏保

が金メダルを獲得した興奮から4ヶ月後・・・


第2回目の中部大会が開催されました。


この年から運営組織がしっかりと確立されました。


「総務部」「競技運営部」「審判部」

現在も3部署に分かれ運営を行っている訳であります。




当時の大会ポスターは96年中部大会の写真を使用。


朽木オールスターズの選手がボールをキャッチしているシーンです。



スタッフTシャツはラグビーでもお馴染みの「スズキ」を使用。


スズキのマークが胸に大きくプリントされ


背中に第2回中部大会のアルファベット文字。

色は白とグレーの2色。

これも今となってはビンテージ物です(笑)。


第2回中部大会は100を超える参加チームを迎えました。


ただ、前年との違いが1つだけありました。



それは・・・

天候です


まだ梅雨が明けていないこの時期。


豪雨(ごうう)



そんな中、朝一から全レフリーは第1コートに集まり

ゲーム形式でルールの説明をしました。


しかし豪雨の中、聞いている人、見ている人は・・・

言うまでもありません。


ただ寒かったの一言です。


開会式も中止になりMCからのメッセージのみの開会式となりました。



そんな中でしたが初日は、無事に終了しました。





2日目になると天候も曇りに変わり

選手は昨日の分を取り戻すかのように

ハツラツとしたプレーをしていました。


そんな中注目を集めたチームがありました。


前大会準優勝の朽木オールスターズ。


ビーチフットボール発祥の地 関東から初参戦のコットンクラブ。


この2チームが順当に勝ちあがり決勝戦で対戦しました。



そして、中部大会史上に残る名勝負を繰り広げたのです。



一言で言うと

「笛の鳴らない試合」

25mあるコートの端から端まで飛ばされるロングパス。

ワンタッチで繋がっていくパスワーク。

豪快なランプレー。

観客を驚かせ、ビーチフットボールの醍醐味を知らされた

素晴らしいゲームでした。



終了後も呆然とさせられた決勝戦・・・


優勝は朽木オールスターズ。


こんな2チームを負かすチームは一生出てこないだろうと思いました。




この時、若干21歳のコシヒカリくん。


来年の大会が待ち遠しくて仕方ありませんでした。


次の年には一休さんのような坊主頭になるとは知らずに・・・











































想い出の夏 1996

2008-05-21 00:27:33 | 温故知新
こんばんは。コシヒカリくんです。

今年で13回目を迎える中部大会。

大会までの間に過去12回の大会を


私の目で見たもの、そして記憶でお届けしたいと思います。


どれだけ覚えているか分かりませんが


多少の間違いはお許しください


記念すべき1回目はもちろん1996年に開催した第1回大会です










1996年

この年に世間の話題を集めたのが


木村拓哉、山口智子主演のドラマ

ロングバケーション

このドラマが最終回を迎えた頃

第1回中部大会は開催されました。


コシヒカリくんはこの時若干20歳・・・



地元ラグビーチームの高浜アトムズ

のメンバーはレフリーとして参加。


私は第4コートにいました。


そして、高浜町並びに協賛下さった企業・ボランティアスタッフの厚いサポートを受け大会2日間は進行しました。


スタッフTシャツは黄色で胸に小さく「STAFF」の文字だけ


今となればビンテージ物です(笑)



そして、この年の大会期間中はすごい猛暑


暑いなんてものではありませんでした

町内にある飲料水が売り切れたと噂された程でした(実話)



第1回大会の募集チーム数は96チーム。 

カップ&プレートトーナメント方式で試合が行なわれました。


現在同様、1回戦が終了後開会式が行なわれました。


記念すべき第1回目の選手宣誓をおこなったのは

地元の先生チーム(後にGT10となる)

女性の先生が元気で素晴らしい選手宣誓を行なってくれました。



お馴染みの曲で始まる中部名物ジャンケン大会

はこの年からあったのではないでしょうか・・


あと遠投コンテストもあったような気がします



初日の大会が終了し家へ帰りシャワーを浴びると背中が痛く

寝る時は仰向けにはなれませんでした(笑)


参加者の皆さんもきっとそうだったと思います。




2日目も順調に試合は消化されベスト4が出揃ったのは真昼頃。


1・2コートで準決勝が行なわれMCから名前を呼ばれて


選手は1人ずつコートへ入っていきました。


この瞬間、大会が大きく盛り上がりました。

と同時に大会が終了に近づいていると予感させるものでありました。




第1回中部大会カップトーナメント決勝


第1コートから勝ち上がった

朽木オールスターズ


第4コートから勝ち上がった

中部電力


すさまじい攻防が続きました。

朽木3兄弟を中心にパススキルで観客を魅了した朽木オールスターズ(以下KAS)。


砂の上で信じられないような快走を見せた中部電力。


決勝戦のベストシーン。それは・・・


独走するKASの選手をはるか後から猛スピードでタッチした中部電力の梶浦選手。


中部電力の勢いは止まらず18対14で見事に競り勝ち初代王者に。


2日間を締めくくるのに相応しいナイスゲームでした。





大会2日間、ずっと流れていた曲がこの曲でした。


LA LA LA LOVE SONG

大会が終わってもしばらくの間頭から離れませんでした。


そして今でもこの曲を聴くと、この暑かった2日間を思い出します。



オーバー35に参加されてる皆さんは覚えてませんか?この2日間を。





大会も無事終了。一安心したスタッフ一同は


長~い休み・・・


つまりロングバケーション

に入りました。



























温故知新(2回目)

2006-02-18 23:48:46 | 温故知新
オーバータイムッッ!!
皆さんこんにちは、更新が遅めなビーチナッツマンです。

4発目です。


前回ちょくちょく展開していきます。
と言った温故知新シリーズ、、、早くも2回目です。

まだまだ公開することが出来ないネタばかりなので・・・。


という事で今回も過去大会のポスターを紹介させて頂きます。

まず、第9回大会(2004シーズン)を
 私、ビーチナッツマンがメインです。
カップトーナメント優勝はKAS、準優勝はGTX(GT10
両チーム共、地元高浜町からのエントリーということで決勝戦は大変盛り上がりました。
レディーストーナメント優勝は高浜ウランズ、準優勝はBUSAIKUでした。


お次は、第3回大会(1998シーズン)のポスターを
  この頃の募集チーム数は96チームなんですね~。
優勝はKAS、準優勝はコットンクラブでした。

両ポスターデザインPEACE ROCK氏


巷で人気の?この温故知新シリーズにリクエストがありました。
それは、過去Tシャツを紹介してほしいとのことです。

リクエストにお答えしまして、できる限り入手し、温故知新シリーズで
紹介していきたいと思います。


みなさんお楽しみに・・・。



温故知新(1回目)

2006-02-11 20:36:38 | 温故知新
タッチイ~~~~ン!!
あなたのインゴールに飛び込みたい、ビーチナッツマンです。

3発目です。


このブログでいろいろと中部大会の情報、イベント等紹介したいのですが、
現在検討中の議案が多く、なかなか紹介できません・・・。

決定次第、紹介したいと思います・・・



というわけで温故知新シリーズ?
過去の大会のポスターを2つほど紹介したいと思います。

まず、昨年の10周年記念大会(2005シーズン)のポスターを
    10周年記念ロゴマーク 
ポスター、ロゴマーク デザイン PEACE ROCK氏

昨年のポスターなので、憶えている方も多いのでは・・・。


それでは、お次に2回大会(1997シーズン)のポスターを


このポスターを覚えている方は、かなりのビーチマニアかと・・・。
歴史を感じます・・・。


みなさんどうでしたか?
懐かしくないっすか?

「あのポスターの時は・・・。」など
思い出すこともあるのではないのでしょうか?

今後もちょくちょく温故知新シリーズ展開していきます。

乞うご期待!!