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雑感録

When I’m sixty-four PART2(72)ようやく日本史らしくなってきた(ネタバレ注意)

井沢元彦は『逆説の日本史』を書いただけあって、日本史のいろんな事がらを古代、というより縄文時代まで遡って考察。「入門講座」だからなのか、①~④は同じようなことを繰り返し何度も述べてるけど、『井沢式「日本史入門」講座⑤朝幕併存と天皇教の巻』で鎌倉幕府が登場するに至って、これまでより俄然日本史らしくなってきた。

 
それでも“怨霊信仰”には相変わらずこだわってて、日本最大の怨霊として恐れられたのは崇徳上皇。保元の乱という政権争いに敗れた崇徳上皇は、勝者となった後白河天皇に、敗れた崇徳上皇に着いて戦った為朝の息子・義朝に、武士の学問・儒教の「孝」の教えに反して「自分の父親である為朝を殺せ」と命じた。これが朝廷の道徳的失脚となり、最終的に武家に政権を渡すことになったとしている。 

また、この呪いが明治の王政復古まで続いたため、明治維新の際に崇徳上皇が眠る讃岐の墓前に勅使を派遣して霊前で謝罪し、「京都にお帰りください」と崇徳上皇の霊を都に遷座したといわれているらしい。


実は僕自身も“言霊信仰”はけっこう信じてて、コレは前向きな方だけど、カレンダーに希望を書いたりするのはゲンを担いでなるべく書かないようにしている。 

このほか、平清盛が熱病で亡くなったのは、清盛が奈良攻めの際に誤って焼亡させた奈良の大仏の祟り説。 
義経に三種の神器の奪還を命じたにも関わらず草薙の剣を失ってしまって頼朝と決別した後、九州での巻き返しを狙った義経が出航したとき、嵐に遭って軍資金を積んだ船が遭難したのは平家の祟りだ説など、怨霊や祟りについて語らせたら井沢先生の右に出るものはいないという勢いだ。
 
ちなみに三種の神器は「その時代その時代で、壊されたり盗まれたり、紛失したりしているのですが、その度にいつの間にか、どこからか補充されて、いつも三つあることになっている」とあるけど、実は福岡の奴国と伊都国の間にあったサワラ王国の跡といわれる吉竹高木遺跡からも日本最古の三種の神器が発掘されていて、その種類は鏡・剣・玉と、天皇家の三種の神器と同じだ。 
 
源頼朝が亡くなったのはさすがに怨霊のせいにはしてないが、その死が鎌倉幕府の正史『吾妻鑑』から抜け落ちている謎(これについては昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも出てたのでご記憶の方も多いかも)。これも北条家による記述抹殺説としてるのかな(書き方が中途半端でよう分からん)。
 

鎌倉幕府の成立以降、明治維新まで幕府と朝廷が両立する「幕朝併存体制」ができて、また古代に戻るけど、日本では弥生人と縄文人、朝廷と幕府、天皇家と武家による分業政治が成り立った、というのが「日本史のおおまかな姿です」と結んでいる。

 
話は変わるけど、太平洋戦争でアメリカが日本を徹底的に痛めつけたのは、明治維新で薩長が徹底的に幕府を痛めつけたのと似ている。つまり、日本国内では明治維新が行われ、環太平洋で考えれば昭和維新が行われた訳だ。 

そういえば井沢の著作はこのシリーズが初めてだと思っとったら、以前『日本の英傑~信長・秀吉・家康編』を斜め読みしとったのを思い出した。




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