カウンセリング「エデン」のふんわりエッセイ

心理カウンセラーの目で世の中を鋭くとらえながら、ものごとの真実を探ります。

Duesseldorf便り(3)電車やバス

2008年03月26日 | ドイツ
Uバーン(ドイツの地下鉄はウーバーンと呼ばれています。)のことを書きます。デュッセルドルフでは、中央駅からどの方向にも行けるようにクモの巣状に路線が走っています。もちろん、このUバーンだけではなく、シュトラッセンバーン(いわゆる路面電車)路線バスなどもかなりの本数が市内を縦横に走っています。
 切符は、各駅の自動販売機で買いますが、日本のような券の回収はありません。列車に乗り込んだら自分で機械に挿入してスタンプを押さなければなりません。一見、無賃乗車ができそうなのですが、検札官に見つかると無賃乗車と見なされ、高額な反則金を収めなければなりません。
 列車のドアは、側面についている緑色のボタンを自分でおさないと開きません。降りるときは、完全に停車した後、自分でボタンを押して下車します。ただし、乗車した後は自動で閉まります。

 日本では見られないこととして、このUバーンには、自転車・ベビーカー・犬などのペットにも料金が決められていて、自動券売機にはそのチケットを買うボタンが付いています。
 バスは、ベンツ製です。(ベンツは自家用車しか作っていないと思っていた私は、この後ベンツのトラックを見つけて驚きました。)停留所に停車すると車体右側のエアがプシューと大きな音がして抜けやや下がります。これは乗車の時に地面と平らになるようにするためなのです。(いわゆる低床式ですね。)車椅子の人も楽に乗れるというわけです。福祉が行き届いている証拠です。




Duesseldorf便り(2)ちょっとしたエチケット

2008年03月17日 | ドイツ
街を歩いていて気がついたのは、デパートや地下鉄のエスカレーターでは、必ず右側に立つことが守られていることです。これは、急いでいる人の通り道を空けておくためです。日本では、何となく左側に立っていたので、はじめはなぜ反対なのか気がつかなかったのですが、そのうちに(自動車を運転するようになってから)道路での自動車の走行に関係があると理解できました。つまり、高速道路でいう走行車線と追い越し車線の関係に当たります。日本では、左側通行なので右側を追い越し車線のように使います。だから、エスカレーターでは人は左側に立ちます。反対にドイツでは右側通行なので、左側が追い越し車線になります。左側をあけておくのはそのためなのです。
 幸いにも、このことについては絵表示を見てすぐに気がつくことができました。多くの外国人が住む異文化共生のお国柄ですがら、決まり事として表示がついているのです。
 まだ、住み始めて間もない頃で、車も運転していませんでしたから、もっぱら移動手段はバスや地下鉄、シュトラッセバーンという路面電車でした。当時、私も周りに合わせて右側に立ってみると、感覚的には変な感じがしながらも、何となく異国情緒を感じたものでした。

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Duesseldorf便り(1)ドイツの街並み

2008年03月17日 | ドイツ
 ドイツ滞在時の印象を紹介しようと思います。当時、初めての海外滞在でしたので、新鮮な目で捉えたままを書いたものを加筆修正してみました。

デュッセルドルフは、人口50万人ほどです。しかし、市内のほとんどが平野であるため、住宅にかけられる面積が広く、計算上よりも人口密度は低い感じがしています。それゆえ、人々は気分的にはゆったりと生活しています。
 道には、・・・通り(○○○STRASSE)を表示した看板が必ずあり、毎日清掃車が隅々まできれいにしているので、街がきれいです。また、街道には樹木が立ち並び、クリスマスの象徴とも言えるもみの木を所々に見ることができます。
 街並みを見て、日本と大きく違う点が2つあります。それは、電柱が見あたらないこととジュース等の自動販売機がまったくないことです。これは、送電がすべて地下配線で行われていることと市の規制によって自動販売機類は設置できないことが理由のようです。道を歩くと電線・看板・販売機などがすぐ目に入ってくる日本と比べ、実にすっきりとした印象を受けます。
 4月の天気の良い日には、ヴォーヌング(こちらのマンション)のかべの白と木々の緑が鮮やかなコントラストを描き、とてもよく映えて見えたことを覚えています。

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ドイツとのチャット

2008年03月14日 | ドイツ
毎週、一度ドイツの友人とのチャットを楽しんでいます。電話をかければ何千円のところをヴォイスチャットで何時間も無料で話ができるのがとても重宝しています。

最近、ドイツでもインターネット環境が良くなりつつありますから・・・。

彼が、Vistaのノートパソコンを買いました。バージョンが違ったりすると、うまくつながらなかったり、突然切れたりします。それこれ乗り越えて、もうここ6年くらいずっと話しています。

彼は、むこうにいたときのテニスパートナーでした。チーム(Manschaft)のメンバーとして、ダブルスパートナー(Doppel partner)として私生活でも深いつきあいがありました。

昨年は、私が渡独しました。今年は、彼が来日します。

テニスは、お互いに現在やってはいませんが、永遠のパートナーになりました。

国籍も文化も違うのに理解し合って仲良くできることが不思議といえば不思議なのですが、気の合うもの同士に国境はないのでしょう。

いっつも、カメラを通して乾杯し(もちろんビール)話が弾みます。


日本とドイツの違い(2) ~散歩~

2008年03月10日 | ドイツ
散歩する=spazieren ドイツの人々の生活の中にかなり深く浸透している動詞であろう。日曜の早朝には、老夫婦が腕を組み合ってゆっくりと歩いている。急ぐ様子もなく、お互いに会話をするでもなく、ただ散歩するのである。とりわけ、太陽が出ている日にはその数も多い。

ライン川沿いには、ラインプロムナードという芝が生えてきれいに整備された散歩道が作られてあって、貨物船が行き交う横をゆったりと歩いている人が多い。市民にとっては、格好の散歩ルートであろう。

日本でも最近よく見かけるようになったが、それでも数は及ばない。散歩というよりも、ジョギングをするために外を早歩きに歩く人は、多いのかも知れない。我々は、ただ、ぶらぶらと目的なしに歩くということはしないように思う。反対に、ドイツの散歩は、散歩そのものが目的になっている。

下の階に住んでいたWolf(ヴォルフ)さんは、私が出勤時にエレベーターのところで出会った時に「Wohin gehen Sie?」(どちらへお出かけですか?)とたずねると、毎度のように「Ich gehe spazieren.」と必ずと言っていいほど返事が返ってきたものだった。

年間を通して戸外が寒い日が多いことに加え、年間の日照時間が3分の一もないということからもわかるように、太陽の姿を見たら、外へ出て日光を浴びたくなるということも関係しているように思う。散歩を楽しむ国民性というものに文化の違いを感じることができる。

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日本とドイツの違い(1) ~あいさつ~

2008年02月25日 | ドイツ
動作的に考察すると、日本のあいさつの基本はお辞儀である。頭を下げる動作は、自分を相手よりも下げる謙譲の精神とも言える。なるほど、日本語には、尊敬語やら謙譲語やら、場に応じた多くに表現がある。ドイツの場合は、あいさつの動作は、日本とおよそ反対である。相手に対してあごを少し引き上げるような感じで「Gutentag」と言う。このとき、目線は相手からは決して離れない。

日本のあいさつは、お辞儀の時に相手に対して目線を下げる。ちょうど地面を向くような感じである。

このあいさつについての文化の違いについてのおもしろい話がある。
鳴門市にドイツ館がある。第1次世界大戦が始まると、日本は当時ドイツの租借地だった中国の山東半島にある青島を攻撃した。敗れたドイツ兵士約5.000人が俘虜となり、日本各地の収容所へ送られたが、その内、四国の徳島・丸亀・松山にいた約1,000人が1917(大正6年〉から192O年までの約3年間を板東倖虜収容所で過ごした。「バルトの楽園」という映画でも、紹介されているのでご存じの方も多いと思う。あるドイツ兵士が、すれ違う日本人がそのたびに深々と頭を下げ地面を見るので、そこに何かが有るのだと思い、通り過ぎた後に地面に目を近づけて見てみたら何もなかったという話。

東洋の文化が現代ほどヨーロッパに紹介されていない時代には、お辞儀をする習慣が非常に不思議な行為に見えたのであろう。

反対に、相手の目をじっと見ることは、日本では敵意を与えるためどちらかというと好まれないことである。

動作一つにも文化的な背景がある。日本のあいさつは、謙譲の精神に富んでおり、きちんと行えば大変美しい動作であると自信を持って言える。



在外教育施設について(1)

2008年02月16日 | ドイツ
世界50カ国、85校存在する在外教育施設。(2006年の統計による)

これへの赴任を、希望する教職員は意外に多い。私もそのうちの一人で、念願かない今から10年ほど前に文部省(現在は文部科学省)より派遣された。実際は、身分的には外務省から派遣されるという形をとっているため、パスポートがoffisialで(緑色)、身分も外交官と同様の扱いとなる。

所属長(校長)の推薦がまず第一で、次に市教委で書類選考にかけられる。私のケースでは、このときに市からは2名であった。その後、県の選考の段階で、半分以下に人数が絞られる。つまり、もう一人の方は、県の選考に残れなかったことになる。実際には、かなり、厳しいことを質問される。あやふやなことを答えるとつっこんで聞かれる。知ったかぶりはせずに謙虚でありながらも自信を持って答えるのがよい。そして、我が県の場合は、県での段階で選考された教員には番号が振られる。私は、このとき7番であった。一番最後の人は、確か32番であったと記憶している。

この32人が文部科学省の最終面接を受ける権利を与えられる。これは、これから受験する人には、心してほしいのであるが、だめな要素を持っていないかどうかを審査されると思ってよい。つまり、海外で赴任する心構えを問われるのである。①どこでも赴任する決意があるか。②子どものために我が身の苦労を惜しまない姿勢を持っているか。③組織の長を立て、考えをしっかり持ちながらも、周りと強調して仕事ができるか。など、が言動から判断されるのである。

面接官との受け答えで、何となくこれはよい評価をいただけているなと感じられたら成功と思っていいと思います。私の知人で、ノーネクタイの写真を履歴書に貼った人がいて、結果、最終選考で不合格だったのですが、後からそれはまずかったと反省していました。県の番号も、後ろから2番目で、なぜだかだめな気がしていたと振り返っていました。ほかの受験者との順列は、早い段階でつけられていると考えてよいでしょう。

本日、在外教育施設から帰任した先生の講演を聞く機会があった。また、追々書こうと思いますが、この頃、海外情勢の不安定なこともあり、これを希望する教員が減っているのだそうです。

志ある方は、是非希望されることをおすすめします。経験すると自分のものの見方に広がりと深まりが生まれます。極端に言うと人生そのものが変わります。

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