ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ラストレター

2021年03月22日 | 激辛こきおろし篇

自殺した母親が自分にそっくりな娘のために人生にエールを贈った遺言書をのこすという、冷静に考えれば本末転倒のトンデモストーリーである。音楽に合わせた映像美に定評があった監督さんだけに、シナリオに奉仕したような本作はそもそも“らしく”ないのである。  

25年前に撮った長編処女作『ラブレター』(未見)に岩井自身相当な思い入れがあるらしく、本作はいわばそのセルフオマージュ的作品。トヨエツやミポリンをわざわざキャスティングしてオマージュ色を出しながら、スマホ全盛時代の今日に、いかにして“手紙”をキーワードにした映画が作れるか。岩井にとっても大いなるチャレンジだったという。

死んだ姉=未咲(広瀬すず)に代わって同窓会に出席する妹=裕里(松たか子)という冒頭のくだりはかなり強引だが、そこで見かけた初恋の相手鏡史郎と(旦那に知られないよう)姉になりすまして(スマホではなく)文通を続ける設定はまだ許せる範囲。しかし映画後半、福山演じる小説家が高校時代の未咲との思い出をたどるシークエンスは、ハッキリいって気持ち悪い。

広瀬すずや森七菜の体育ずわりやO脚気味の素足を狙った揺れるローアングル・ショットには、高校時代の初恋相手を忘れられず50近くなって未だ独身の鏡史郎の目を借りた、岩井監督の変態趣味が露骨に表現されているのである。廃校をうろつくこんな怪しい男に吠えかからない大型犬ボルゾイも不自然この上ないのである(バウ?!)

高校時代の鏡史郎と裕里(代筆)のラブレター交換を現代に甦らせ、死んだ未咲をも黄泉がえらせようと試みた映画の意図は分かる。が、鏡史郎が小説を書けなくなった理由がいまいちハッキリせずあやふやで、時間的にも未咲との死とはまったくリンクしていないため、後半の展開がグダグダになってしまっているのだ。

(イアン・マキューアン著『贖罪』のごとく)未咲の死を止められなかったことへの“償い”として鏡史郎がふたたび筆をとるような後半の展開になっていれば、前半の伏線が生きてくる非常に引き締まった人間ドラマになっていたのかもしれない。神木隆之介と福山雅治という似ても似つかない二人をダブル・キャスティングしておきながら、広瀬すずと森七菜のみ一人二役にして出番を大幅に増やした、単なる興行狙いのアイドル映画に堕してしまった1本だ。

ラストレター
監督 岩井俊二(2020年)
[オススメ度 ]




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