退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
ご笑覧あれば大変有り難く存じます。

「『すまなかった』ですか。―塩漬け准教授の仕掛け―」(1)(愚か者の回想三)

2020年09月11日 16時46分42秒 | 日記

(「『すまなかった』ですか。―塩漬け准教授の仕掛け―」はファンタジーです。実在する個人及び団体とは一切関係ありません。)

 1.私の退職から9年前。あの学長の退任及び退職慰労パーティーでのことであった。私も出席していた。主役である学長は謝辞を述べ乾杯を終えると壇上を降りその足で真っすぐ私がいるテーブルに向かって歩いて来た。立食パーティーである。テーブルを囲む他の教員にあいさつに来たのだと思い一歩退くと学長は私の前でとまった。

 「H先生。よく来てくれました。」

 思いがけない発言だった。しかし、その後の発言はそれ以上に思いがけないものであった。

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 2019年3月31日、私はこの大学を定年で退職した。65歳であった。退職時の職名は准教授である。

 ご存知の人も多いが、大学の教員が全て教授であるわけではない。大学の教員の通称が教授だというわけでもない。

 一般的に他大学の例では採用後4~5年、遅くとも10年以内には昇任人事が動く。しかし、15年奉職したこの大学で私は准教授のまま定年退職を迎えた。

 9年前、学長の退任慰労パーティーでその仕掛けを知ることとなった。

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 大学で講義する者は文科省の審査を受ける。大学の教員には高校までのような教員免許は無い。その代わりこの文科省の審査に合格しなければならない。そうでなければ大学で教員として講義を担当することができない。

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 合格する資格には違いがある。私は軽い方だ。特に国(文科省)に評価してもらわなくても構わないが、生活ができないと勉強もできないので最低限の収入源は確保する必要がある。その為、必要ならば審査を受けざるを得ない。

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 もとより、他の国家試験とは異なり個人が受験票を文科省に提出して審査を受けるというものではない。その人物を採用しようとする大学が本人の業績を付して文科省へ審査を請求するようだ。しかし、文科省も、ドイツのような教授資格請求論文制度(後記)があるわけではないので、採用する大学の判断をほぼ100%尊重する。「尊重する」と言えば聞こえは良いが鵜呑みにしているだけだ。だから学位の無いものや論文業績の無いものまで横滑りで大学の教員になることができる、わけだ。

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 大学で講義を持つ教員には教授、准教授、講師という種類がある。大学によっては講師の次に助教や助手という職名で人材を確保するところもある。だが、助教や助手は講義を持たない。

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 日本では多くの大学で教員の公募に当たり「博士の学位を有する者」という条件を付している。だが、現実には博士どころか修士の学位すら持たないものが大学の教壇に立つことも頻繁にある。

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 しかし、これに対して、外国には教授資格というものを置き学位とは別にこれを扱う国がある。たとえば、ドイツでは学位請求論文(Dissertation ディッセルタチオン)とは別に教授資格請求論文(Habilitation ハビリタチオン)を提出しこれが認められなければ教授にはなれない。良い制度だと思う。

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 ちなみに、学位には博士、修士、学士他があり古くは「○○博士」、「○○修士」と表記されたが、これも法律が改正され「博士(○○)」とか「修士(○○)」と表記されるようになった。どうでも良いことだが、私の学位記には「修士(法学)(中央大学)」と書いてあった、ように記憶している。
  
近年、中央大学でも諸般の事情から博士の学位が出るようになった、と聞く。だが、私がいた頃は「博士は出さない」という大学だった。学究よりは実学をめざす学風を考えれば十分納得のゆく哲学であり全く疑問を感じなかった。むしろ博士の学位は「勉強おバカ」の印象を持たれるので無用なものと考えている人が少なくなかった。

 私にとっては、唯一、自分が師事する先生に評価してもらうことこそが大切であった。この思いは私の勉強仲間も同様であったと思う。これは法に対する認識の違いから生じる哲学の違いだと言ってよい。詳細は別の機会に譲ることにしよう。

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 ところが、その後、法改正に伴いどこだか知らないが(知っていても言わないが)博士の学位を乱発する大学が出てきた。博士の学位が無いと就職できない傾向も強まり就職状況が危惧されるようになった。斯くして、多くの私学でも博士の学位を出すようになった、と聞いたことがある。

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 私が前任校に採用されたとき、その身分は助教授であった。その後、法律が改正され呼称が准教授になった。だが実体は変わらない。通常の大学では教授も准教授も講師も同じように講義を持つ。
 古の講座制のように助教授や講師が教授の手足のように支配される仕組みでは助教授や講師は常に教授の目をうかがう日々となる。
 だが、今では表立ってこうした制度を採用しているところは少ないと聞く。ただし、一部には教員自身の意識の中に講座制が残っていて、自縛的、自虐的に動いている助教授や講師もいる。私の周辺にもたくさんいた。見ていて気の毒であり、気持ち悪かった。いわゆる、パワハラやセクハラはこうした環境の中で起きる。まさか自分が被害者になるとは夢にも思わなかったが。

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 前任校では当時、教授に上がる仕組みが無かった。その為、同僚教員で助教授のまま60歳を迎えた人が依願退職した。有能な人だった。

 しかし、この大学には昇任の仕組はあった。事実、私が退職するまでに何人もの同僚が私を追い越して昇任した。開学時、私と同期で採用された講師が准教授を経て教授になった。まれに廊下ですれ違うことがあったが、そのたびに態度が変わっていくのが不思議だった。後で昇任していることに気付いた。昇任すると態度も変わる。偉いのだ。

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 採用時、私は採用試験というものを受けていない。新設校の設置教員ということで、「採用する」というよりは設置法人が揃えなければならない職員の一人として前任校の副学長が押し込んだだけである、と感じていた。いわば邪魔ものだったのかもしれない。しかし、大学の教員資格を有するものは必要だったのだろう。

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 私に限らず専任教員には長くいて欲しくないのが経営側の本音のようだ。折りに触れ理事者が、「ここに骨を埋めるつもりでいては困る。大いに羽ばたいて欲しい。」と不可解な発言をしていたことを思い出した。

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 そんな折、「変な噂が流れている」と親切な同僚が教えてくれた。「H准教授は高速バスで大学に来る途中、神輿を見つけるとそこで降りて担いでいた。そうして何度も授業をすっぽかしていた。」という噂である。事実無根。根も葉もない噂だ。聞き捨てならない。

 ところが、その噂の発信源があの学長だというのだ。さて、どうしたものか。(つづく)



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