退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
ご笑覧あれば大変有り難く存じます。

読書感想文雑感―困っている皆様へ―(3)

2019年08月12日 17時48分46秒 | 日記

 2の1.つぎに感想文の本体の書き方をご案内しましょう。ここにもコツがあります。先ほど上げた「感じる」、「想う」、「考える」をキーワードにご案内しましょう。

 1)まず、「1.」の作業が終わった直後に感じたことをメモしましょう。多くの場合、「あぁ~疲れた。」が直後の感想ですか。次に、「難しいなぁ~!」ですか。そこで、このとき、「あぁ~疲れた。」や「難しいなぁ~!」の後に「なぜ」をつけます。「あぁ~疲れた。なぜ疲れたのかな?」、「難しいなぁ~!なぜ難しいと感じたのかな?」というふうにします。でも、ここでは気付いたことをメモするくらいで本格的に書いてはいけません。書こうとすると思考が止まります。

 2)何かを感じたら、次に何か想ったことをメモして下さい。
 「『感じたこと』と『想ったこと』とは同じだろう。」と思いますか。これが違うのですね。いや、違うことを意識するほうがいいのです。感じるのは自分の勝手です。「寒い!」と感じても他の人は「寒くないよ!」っていうときがあります。でも、「寒い」と感じた人は寒いと感じたのですから寒いのです。他人は文句を言えません。これに対して、「想う」というのは自分の外で起きていることを一度自分の意識の中に取り込んで、それからそれについて心が動いた結果が「想う」という現象に現れるのですね。寒い季節が終わり、次第に暖かさが増してきたころ桜のツボミがふくらんでいるのに気づいたとします。「春が近いなぁ~」と想いますね。「『春が近いなぁ~』と感じるかもしれないじゃないか。」との反論が聞こえそうですね。「感じた」と思ってもいいのですが、ここでは「想う」のですね。その違いは何か。「感じる」のは勝手に感じるだけですが、「想う」のは桜のツボミを見たからです。「感じる」と「想う」の違い、分かってくれたかなぁ~。
 「なぜ、『春が近いなぁ~』と想ったのですか。」と問われたら「桜のツボミがふくらんでいるのに気づいたから。」とその根拠を示すことができます。「自分の発言に何らかの根拠を示すことができる場合を『想う』で表現する」と理解するといいと思います。

 3)さて、最後が「考える」ですね。「考える」は「感じる」や「想う」とどう違うでしょうか。「〇〇と考えます。」と発言したり、文字で書いたときはその論理的根拠を示す必要があります。ただ、ここで注意しなければならないことは、論理的根拠とは言っても難しい結びつきを示さなければならないというわけではありません。ここでは、大多数の人が納得できる程度の一応のつながりさえ示すことができれば論理的根拠が示されたと言ってよいと思います。「桜のツボミがふくらんでいるのに気づいた。例年、桜のツボミがふくらんでいるのが見えると数日後に暖かな強い南風が吹き気象庁が『春一番が吹いた』と発表している。だから私は春が近いなと想ったのです。」と大多数の人が納得できる程度の一応のつながりを示すことができます。「桜のツボミ」→「数日後の暖かな強い南風」→「気象庁」→「『春一番が吹いた』という発表」、このように「なるほど」と納得できるつながりがあれば論理的根拠が示されたと言ってよいでしょう。こういうときは「考えた」ことになります。

 「感じる」、「想う」、「考える」にこのような意味内容がもともとあるということを言っているのではありません。そうではなく、何かを表現するときにはこのような違いを自覚していると表現しやすいということを言っているだけです。

 ちなみに、「感じる」、「想う」、「考える」という順に従って何かが付け加わっていることにお気付きだと思います。「感じる」には何も客観的要素がありません。しかし、「想う」には「桜のツボミ」という外部的で客観的な要素が加わっています。そして、「考える」には「桜のツボミ」の他にさらに「数日後の暖かな強い南風」、「気象庁」、「『春一番が吹いた』という発表」という外部的で客観的な要素が加わっています。そしてさらに!外部的とか客観的と言ったこと以上に大きな要素が加わっていますがお気付きですか。それは「例年」という二文字です。これは大きいですね。強い説得力を加えています。つまり統計上の経験則ですね。経験則とは経験によって何らかの規則性があることが分かり将来の予測がつくことと言ってよいでしょうか。これは目には見えないものですが論理的な説得力を高めることに大きく貢献しています。

 そして最後に、「考える」に不可欠な要素が「つながり」です。上記の外部的で客観的な要素がどれほどあっても、それらがばらばらに登場したり順序が逆だったりしたら論理的な説得力は無くなります。つまり、論理的なつながりが必要になるのですね。しばしば「論理的証明」を説明する場面で引用される三段論法がその典型ですね。「A=B、B=C、よってA=C」というやつです。(つづく)

読書感想文雑感―困っている皆様へ―(2)

2019年08月12日 16時51分30秒 | 日記

1.本の要約―目次を文にする―
 読書感想文を書くときは、まず、指定された本を要約して紹介しなければなりません。しかし、この要約という作業は大変難しいものです。

 そこで、このときその本の目次を全部つなげて書いてみることをおすすめします(目次の無い本については「目次の無い本の場合」でご案内します。)。こうするとその本の内容が大体つかめるものです。

 このやり方の効果は検証済みです。
 私が大学で法律関係科目を担当していた頃、学生諸氏にはずいぶんたくさん参考書を紹介したものです。他の科目と同じように法律関係科目でも参考書の通読、熟読、精読は単位取得の必須条件です。

 しかし、高校までの勉強で本の読み方を習っていない人には、急に本を読みなさいと指示されてもどう読んでいいか分からないものです。

 そこで私は本の読み方からご案内してきました。まず、「読みなさい」との指示があったらその本を購入するのです。学習を妨げる最大の障害は先ずここにあるのですね。

 大学生の多くは教科書までも買わない人が少なくありません。いわんや参考書に至っては買う人は少ないようです。
 ところが、高校までの学習と異なり大学の勉強ではその勉強に必要な資料や参考書を知ることから勉強が始まるのですね。「ある事柄を知るためにはどの本を読めば良いのか」ということ自体を知ることが大学では勉強の中心となるのです。このことは多くの大学生が気付かないようです。希望通りの成績が取れないまま卒業して初めて分かることが多いようです。

 すなおな学生諸氏は指定参考書を購入し講義室に持ってきます。「買いました!」誇らしげです。こころみに「読みましたか?」と問うと、「読んでません!」と答えます。しかし、買ってきただけでも十分です。あとは読めばいいだけですから。

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 さて話をもどしましょう。

 読書感想文を書くときも、まず指定された本を買います。そして読み始めます。しかし、こういうときの本というのは読み手にとって多くの場合、「これを読むの!」と驚くほど分厚いものです。
 そこで目次の文章化作戦が効果を発揮するのです。

(目次は作者の思考過程の表れ)
 ところで、読書感想文に悩む皆様は目次のつくられ方をご存知ですか。すべての目次に当てはまるわけではありませんが、少なくない割合で目次は文章が出来上がってからつくられます。もちろん、目次らしきものを作っておいてその目次に従って文章を書く人もいます。しかし、この場合にも目次が作者の思考過程の表れであることには変わりません。ここが重要なところです。
 したがって、目次を文章化することで作者がどういう思考過程を経て、またどういう話の展開を意図してその本を書いたのかということが大体つかむことができます。

(目次の無い本の場合)
 目次を文章化すると話の展開が見えてしまうので、小説、とりわけ推理小説などでは目次が無いか大変少ない場合があります。また、ときには目次の番号だけで目次に文字が無いものもあります。こういうものは読書感想文初心者には扱いが困難なので避けた方が良いでしょう。読みたい本と読書感想文を書きやすい本とは必ずしも一致するとは限りませんから。読書感想文が宿題として課される多くの場合、複数の本が候補に上げられその中から一冊を選ぶというやり方がされているようなので図書館や本屋さんで目次に文字があって少し詳しいものを選ぶといいでしょうね。もっとも、興味が向かないものは読み難いものですが。興味で選ぶか書きやすさで選ぶか、勝負ですね。

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 目次を文章化するとその本の話の展開や内容が見えてくるものです。そこで見えてきた内容をまとめると本の要約になります。

 この部分が感想文の四分の一くらいの分量になりますね。400字詰め原稿用紙5枚という指定があるならば全部で2,000字ですから、四分の一くらいだと500字前後ですね。400字くらいでも大丈夫です。
(つづく)

読書感想文雑感―困っている皆様へ―(1)

2019年08月12日 16時26分27秒 | 日記

 夏休みの宿題に読書感想文が出され書けなくて困っている人がいらっしゃるようです。
 初老男が愚痴をまじえて雑感をご披露いたしたく存じます。
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 子供の頃、夏休みは嫌いでした。
 「宿題ばかりが多くてちっとも休めない。」と親に不満をぶちまけていました。小4のときは宿題を捨てました。
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 さて、読書感想文ですか。書き方は学校で習いましたか。私は教えてもらった記憶がありません。
 教えていないのに、遠足や運動会が終わるとそのすぐ後の国語の時間では決まって作文を書かされたものです。
 書き方が分からないので「書き方を教えてください。」というと「思った通りに書けばいいのです。」といつも同じお答えが返ってきました。
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 ところが、歳を重ねこの仕事につき、若い人にレポートを書いて頂く側になったとき「やはりそうだったのか。」と強く感じたことがありました。
 それは、今でも学校では作文や感想文の書き方を十分教えてくれてはいないということです。感想文や作文を書くには技術と訓練が必要なのですね。
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 そこで、今日は感想文の書き方について考えてみましょう。
 ところで、さきほど「感想文や作文」という表現をしましたが、感想文と作文の違いを意識したことはありますか。
 これも私が小学生の頃、先生に質問したのですが「同じようなものです。」というお答えでした。
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 感想文と作文とは別のものだと思います。作文の方が感想文より広いものを表現しているような気がします。また、その狙いにも違いがあるような気がします。
 例えば、漠然と「遠足について作文を書きなさい。」と指示されたときは、遠足に関することならば何でも書けそうです。しかし、読む本が指定された感想文の場合には何を書いてもよいということは言えない気がします。
 他方、作文は書くべき対象が広い代わりに文の構成まで考えなければなりませんから難しいですね。したがって、感想文の方が書きやすいともいえるかもしれません。
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 では、感想文とは何でしょうか。
 漠然として解不能な日本語の文字列はその文字列を構成する一つ一つの文字の意味を考えると分ることがあります。
 したがって、感想文は「感」「想」「文」ですから「感じたこと、想ったことを文にしたもの。」ということができるでしょう(ちなみに、「想う」は「思う」より情緒性が高いようですね。したがって、「感じる」に近いようです。)。
 それでは、このあたりのことも含めながら次回は読書感想文の書き方についてご案内しましょう。

#夏休みの宿題、#読書感想文、#作文、#苦手

暑中稽古進行中

2019年08月12日 13時17分36秒 | 日記
昨日も暑かったですね~!

そんな暑い中、合気道八王子合気会はお稽古日でした!

一般部二名(有段者一名)、少年部二名。

今日のお稽古場には空調があるのですがお稽古中はやはり暑いですね!

基本技をじっくり研究しながら愉快なお稽古ができました!

こんな暑い中、お稽古に来てくださる人がいるというのは本当に有り難いことですね!

ありがとうございました。

今後とも何卒よろしくお願いいたします。

m(_ _)m