「なんで人を殴るのか」と問われれば、
殴られる人を“自分以下の人間とみなしていることの表れ”
・・だと答えます。
だから、ひとを殴る行為は
相手が自分以下であることを相手に認識させるための
殴る側のいらだちの表れだとも思います。見方を変えれば、
自分が相手以下だと言うことを悟られないためのいらだち
・・ともいえるかもしれません。
殴る側はそういう事実を認められたくないのです。
それがスポーツの指導者と自認する側であれば
自分の無能さを選手たちに悟られたくないのです。
本当の指導者は芽を伸ばすために根を肥やすことを考えます。
根が肥えれば自然と芽が伸びるからです。
それは体罰という名の暴力や暴言では
根を肥やすことは決してできないとたろすけは思います。
たろすけが思うに、
人に対してすぐに大声をあげたり、すぐにいきり立って殴りたがる人は
その人の考え方が子どものレベルであることを表していると思います。
そういう人間は、自分より上の立場にある人に対しては何も言えず
内弁慶人間であることが、たろすけの経験からもハッキリ言えます。
自分の霊を制する者は勇士に勝る・・ という言葉は箴言の言葉ですが
なかなか難しい・・。それだけに大人になることは難しいことだと思います。
●この日記は
2月12日(火)のつぶやき に寄せられた
noga さんのコメントのお返事が長くなったので、
改めて日記としてまとめたものです。
●関連日記です:
ただ、強ければいいのですか? 2006年05月07日