冒頭 ジャパニーズポップス 来生えつこさんの作品集から…
1948年 3月9日は、お誕生日。 雑誌PR紙を歴てフリーライターになり、
弟、来生たかおさんの曲に詞をつけた事がきっかけで
1976年プロの作詞家としてデビュー。
🎼🎶セーラー服と機関銃 薬師丸ひろ子 (夢の途中リリース11日後に、この曲も出て、昭和56に…)
🎼🎶マイ・ラグジュアリー・ナイト しばたはつみ (昭和52年新車コマーシャルソングとしてとりあげられヒット この曲がきっかけで世に知られるようになり、記念すべく曲)
🎼🎶シルエットロマンス 大橋純子 (恋愛小説のシリーズ、このイメージソングとして発売、その翌年来生さんがセルフカバー。昭和56年)
🎼🎶セカンド・ラブ 中森明菜 (1983年第3回日本作曲大賞受賞)
🎼🎶笑ってよムーンライト 美空ひばり (常々曲をかきたいと…その夢が叶った。名曲と自負していらっしゃる)
🎼🎶モンローウォーク 南佳孝 (昭和54年にリリース)
🎼🎶涼風 岩崎良美 (昭和55年 化粧品メーカーのCMソング)
🎼🎶悲しみモニュメント 南野陽子 (昭和61年 2クール目から南野陽子さんがこちらをお歌いになり、ヒット)
🎼🎶Goodbye Day 来生たかお (昭和56年 30㌢45回転 限定ミニアルバム)
今回、どの曲も途中で端折る事なくフルで聴く事ができ良かった!
そういえば、過去の会報誌で、読んだのですが、『🎼🎶マイ・ラグジュアリー・ナイト』は、ある意味では、私たちのもうひとつの出発点といえるかもしれません。デビューしてまだ一年目、誰も私たちのことなど知らない時に、ふってわいたCMソングの話。他の候補曲がたくさんある中、競争を突破してしまった。しばたはつみさんが歌ったのだけれど、しばたさんの事務所の人と、レコード会社の人がとても気に入ってくれて、他の有名作詞家、作曲家のものを蹴散らしたのです。たかおはロスアンゼルスへ次のアルバム「ジグザグ」のレコーディングのため旅立つ前夜、必死にコロムビアのディレクターと曲の手直しを行ないました。荷造りしたトランクと共に、コロムビアのロビーで、ギターを手を入れ、そこで完成。
歌入れの時、スポンサーの人(マツダのコスモの担当者)に、「この曲はいったい売れるでしょうか」と聞かれて困りました。その課長さんだかは、私が詞を書いた本人だと気づかなかったでしょう。
また、🎼🎶『シルエット・ロマンス』のレコーディングも印象に残っています。大橋純子さんは、もともと声を張る人ですから、あまり何度も歌って、情感をめいっぱい込められると、あざとくなるだろうという判断で、二回目、3回目に歌ったものをキープして、あとは私、弟、ディレクターとで知らん顔していました。彼女は、そのあと感情を入れて何度か歌いましたが、それは無視したのです。御本人に申し訳なかったけれど、出しから思い入れたっぷりに歌われるとサビが生きないので。