銀の記憶

着物、猫、本、楽器、片付け、料理、京都、旅、神社仏閣、ハンクラ…

ある末っ子のオハナシ。

2024-04-21 19:39:00 | 日記


彼は13人きょうだいの末っ子。
お姉さんは4人、
お兄さんは8人いた。

一番上のお兄さんは大事な跡取り。
次男はそのスペア。
残りは木っ端(こっぱ、木くずの意)と呼ばれ要らない子扱い、そんな時代に生まれた。

そうは言っても家は田舎の貧農。
上のきょうだい達も扱いはそれほどかわらない。
姉たちは尋常小学校を出ると、子守りや商店の奉公へ出され。
年頃になると親の決めた縁談のために帰ってきて、実家近くへ嫁ぐ。
兄達も、近隣の村の娘さんと添い合い、実家近くで世帯を持った。

そんな中、末っ子は1人、関西へ住み込みの奉公に出た。
今と違い交通事情も悪く、家から奉公先へは、船や鉄道を乗り継ぎ1日掛かりだったと言う。
帰って来れるのは、盆と正月のみ。

この頃には、中学校までは義務教育になっていた。
末っ子が奉公に出たのは15歳だったとはいえ、故郷から1人遠く離れ、知らない土地で働くのはさぞ心細かっただろうね…

末っ子は小さな町工場で働いて働いて。
お嫁さんを貰い、子供も生まれ。
やがて独立し、自分も工場を持った。

末っ子は70歳とちょっとで、病気で亡くなった。
工場は息子が継ぎ、娘は良いところへ嫁ぎ、孫にも恵まれ、少し早かったかもしれないけど、安心して彼岸へ旅だったことと思う。
 

このオハナシの末っ子は、ワタシの祖母の弟で、父の従兄。

昔の子沢山だった時代、上の子たちが出稼ぎに出ている間に、生まれた弟妹がいるなんてこともあるあるで。  

次女だった、ワタシの祖母の息子だった父と、大叔父さんは年もそれほど変わらず。
子供のころはよく遊んで貰ったと言う。
大叔父さんは、大勢のきょうだい達の中でも、利発でユーモアに溢れ、そして優しい人だった。


なんで大叔父さんのことなのに、こんなに詳しいのかと言うと…
大叔父さんは、しょっちゅう故郷に帰省してたから(笑)

商売が軌道に乗ると、跡を息子に任せ、盆暮れだけじゃなく、大叔父さんからしたら甥の娘達(ワタシと妹)の結婚式にまで来てくれた😆


若い頃、生活するのに手一杯で、故郷から遠ざかっていた分を埋めるように…なんなら、同じ県内に住むワタシ達より多く帰省してた😆

本家の長兄は早くに亡くなり、跡を継ぐ人も無なかったので、大叔父さんは帰省時、ワタシの実家や近隣のきょうだい達の家に身を寄せていた。

関西弁のオモロイ大叔父さんは、親戚みんなの人気モノ。
ちょっとルー大柴さん似の、中高な顔立ちで、スラっと背も高く、今で言えばイケメンだったと思う。

残念なのは、他の兄弟たち同様、若い頃から髪がとても薄かったこと😅
でも関西人特有のユーモアで、カツラネタなどで、周囲をよく笑わせていたっけ。


先日、その大叔父さんの息子さんが、地震のお見舞いに関西から来てくれた。

三年前に大叔父さんの最後のきょうだいが亡くなり。
連れ合いのみなさんももういない。

そんな故郷に、大叔父さんの想いを継いだ息子さんが、
ウチの弟や能登の親戚達に、たいそうなお見舞い品をくださったそう。

もうずっとずっと、大叔父さんは故郷に錦を飾っていたんだね。
そして今度も… 

ほんとにほんとにアリガトね……




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