時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

頑固親父、ついに力尽きる。

2022年02月02日 | 時のつれづれ・如月 

多摩爺の「時のつれづれ(如月の15)」
頑固親父、ついに力尽きる。(石原慎太郎・元東京都知事)

昨日のお昼・・・ テレビ画面に速報のテロップが流れた。
オリンピックが始まっていたら、メダル獲得の速報もありだが、まだ始まってないし、
緊張関係にあったウクライナで、ついにロシアが暴発したのか?
それとも、性懲りもなく・・・ 半島がまたミサイルを撃ってきたのか?
はたまた、どこかで地震が起きたのか?
もしやもしやだが、新規感染者数が途轍もない人数になってしまったのか?
混沌としている時期だけに、良い情報でないことだけは・・・ 容易に察しがつく。

一瞬のうちに、いろんなことが頭のなかを駆け巡ったが、
なんのことはない・・・ といったら、大変失礼で申し訳ないが、
かつて東京都知事を務められた石原慎太郎さんが・・・ 89歳で亡くなられていた。

学生時代に執筆された「太陽の季節」で芥川賞を受賞した後、
小説家を経て、政治家になってからは、
自民党内の若手を中心に、派閥を横断した「青嵐会」というグループの中心メンバーとなり、
私よりは少し先輩に当たる、団塊の世代の方々に多大な影響を与えた政治家だった。

私が石原さんという政治家の政策を、最も身近に感じたのは、都知事になられてからで、
1999年4月に都知事に就任してから、2012年10月に辞職するまでの13年と半年、
大げさに言えば・・・ 21世紀の東京都政は、石原さんから始まっている。

お隣の半島のメディアは訃報に接して「極右の政治家で妄言製造機」であると、想定どおりに非難し、
大陸に至っては・・・ 「尖閣諸島を購入するために、寄付金を募ったことから、
日本政府が国有化を決めており、両国関係の悪化を招いた。」と、バッサリ切って捨てている。

思うに・・・ お隣の半島と、大陸が挙って非難するということは、
素晴らしい政治家だったことを意味しており、
いまごろ、あの世で、石原さんはさぞかしご満悦なのではなかろうか?

好き嫌いが分かれる政治家でもあり、その政策には光と影があったが、
最も衝撃だったのは、記者会見の場でボトルを振って、中に詰められた粉塵をまきながら、
総理も、生まれたばかりの赤ん坊も、いまこれを吸ってるんだと説明し、
ディーゼル車の排ガス規制を、国に先駆けて始めたときには・・・ 拍手喝采だったことを思い出す。

また、いまじゃ当たり前のど真ん中で、石原さんの功績だったなんて、知る人も少ないだろうが、
羽田の沖合に新滑走路を建設して、羽田空港の国際化を進めたのも石原さんである。

さらに・・・ 私の住む多摩地区にある「在日米軍横田基地」の返還にも尽力し、
ソニー会長の盛田さんと共同で「NOと言える日本」という本を著わされ、
日米が対等な立場での安全保障条約を提案し、地位協定の見直しについても熱心に取り組まれていた。

このことについては、結果的に未だ答えは出てないが、
安全保障条約で、アメリカに真っ向から物申した政治家は・・・ 石原さんぐらいかもしれない。

その他には・・・ 老朽化した築地市場を豊洲に移転させたり、
都が出資して「新銀行東京」を開業させたり、
東京マラソンの開催や、東京2020の招致など、目に見える形で実績を残しているが、
絶対に忘れてはならない・・・ 超特大級の功績がある。

それは、東日本大震災で出てしまった瓦礫の受け入れを、
どこの自治体よりも早く、東京都が受け入れると表明し、実行に移したことだろう。
だれかが、いつかリスクを負わねばならない時がある。
そのとき・・・ 躊躇しないのが政治家であり、その先頭に立たれたことは忘れてはならない。

震災直後から「絆」という言葉が、そこかしこで言われるようになったが、
言葉だけじゃなく、目に見える行動として「絆」を具現化したのが石原さんである。
美辞麗句の「絆」を、本物の「絆」にするため、あえて敵役を引き受けてくれたんだと思う。
これこそ、この先なん年が経とうと、絶対に忘れてはならない、超特大級の功績ではなかろうか?

都知事を辞めることになったころには・・・ 週に1日しか登庁しないとの批判もあったが、
淡々と行政実務に励む、事務方タイプのトップではなく、
だれに忖度することもなく、常に既成概念と対峙しながら戦いを挑み、
答えを出してきた・・・ 政治家ではなかっただろうか?

とはいえ・・・ 物言いがハッキリしてて、暴言も失言も周囲の期待通りに発することから、
好き嫌いがハッキリと分かれた政治家でもあり、
うちの女房からいわせれば、上から目線で物を言う大嫌いなタイプらしい。

また、石原さんの功績を引っ張り出してきて、
そこだけにフォーカスして、褒め称えたいと思ってる訳でもない。
政治家だから・・・ 好き嫌いがあるのは当然である。
この国は、大陸のように好もうと好まざろうと、支持を強要されるような国ではない。

ただ、思ったのは・・・ 政治家の足跡(評価)というものは、
リタイアしたときには、なに一つ注目されないのに、亡くなった途端にほじくり返されて、
「ああだ。こうだ。」と厳しい目で評価が下されることがよく分った。

そういった視点で捉えてみれば、石原慎太郎さんという政治家は、
ときには目に余る物言いで・・・ 暴走する老人であったかもしれないが、
文学的な才能を武器に、思いの丈を言葉にすることに長けた、
極めて希有で、実に正直な・・・ 分かり易い政治家だったと思う。


昭和という動乱と急成長の時代が終わって、早くも40年弱の歳月が流れ、
社会は大きく変化し、成長から成熟へ向かおうとするなかで、
威厳を保ち続け、ビシッと背筋を伸ばしてくれる・・・ 頑固親父のような人だった。

いまとなっては、叶わぬことだが・・・ 粋な方に、あえて野暮なことを問うとすれば、
オミクロン株の猛威が治まらぬなか、石原さんが東京都のトップだったら、
どのような指揮を執っておられたのだろうか?
ここ1~2年・・・ たまに、そんなことを思う日もあった。

たらたらと、生意気に能書きを垂れさせてもらったが、
まずは、ご冥福を祈念しようと思う。
お疲れさまでした。

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2 コメント

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Unknown (力丸ママ)
2022-02-03 20:53:31
私も今石原都知事だったらどうするのかな~って考えていました。
もっと政府のことなど気にしないで大胆な事やったと思います。
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Unknown (多摩爺)
2022-02-03 22:59:10
力丸ママさん、こんばんは

石原さんのコロナ対策は、やっぱり気になりますよね。
おそらく、医師会を含む医療従事者への、硬軟を使い分けた巧みな叱咤激励だったと思います。
見てみたかったですね。
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