時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

豊中のあれ、どうなった?

2024年02月26日 | 時のつれづれ・如月 

多摩爺の「時のつれづれ(如月の42)」
豊中のあれ、どうなった? 

あれやこれやと世間を騒がしたものであっても、話題にするのも一時のことで、
二、三カ月もすれば、そのほとんどは忘れられて、話題にすらあがらなくなることを例えて、
先人たちは・・・ 「人の噂も七十五日」だとの諺を残した。

ところが、情報の整理と保存が、ペーパーからデジタル化に移行した現代社会では、
話題そのものは聞こえてこなくなっても、
インターネットネットという、サイバースペース(仮想空間)に記録された情報は消えることがなく、
なにかしらの切っ掛けがあると・・・ 「あれ、どうなった?」と検索することができるのだ。

閑話休題
女房と義妹が電話で話してたことを、盗み聞きしていたわけじゃないが、
歳を取ると声が大きくなるにも拘わらず、
ケータイの受話音を、スピーカに設定して話してるもんだから、
離れた部屋にいても・・・ なにを話してるのか筒抜けになっているのである。

義妹の長男が、豊中市(大阪府)に新築のマンションを購入したらしい。
42歳の厄年だから、思い切った大きな買い物で、厄落としすると話していた。
私はそういった風習や言い伝えを気にするタイプではないが、
我が家の息子は、嫁が買った家に転がり込んでるので・・・ 甥は頑張ってると云って良いだろう。

豊中と云われても縁も所縁もないが、思いつくことは・・・ 三つほどある。
その一つは、吹田ジャンクションで名神高速から中国道に入ると、最初のインターチェンジが、
間違ってたらゴメンだが・・・ 確か豊中ICだったと思う。

高速道路を走っていて、上空を飛行機が飛んでいたのが見えたので、
「伊丹空港が近いのかな?」程度だが、
豊中ICの標識は、しっかりとインプットされている。

二つ目は、高校生の頃に大ブームだったボーリングのテレビ中継で、
いつも中山律子さん、須田開代子さん、並木恵美子さんが上位争いをするなか、
野村美枝子さんという、豊中ボウル所属の小柄なサウスポーが居たことを、なぜか覚えていて、
「豊中ってどこだ?」と・・・ 地図帳で探した記憶が残っている。

おそらく、私より4~5歳上の団塊の世代の女性だと思うが、
ボーリングの中継カメラは右手に置かれていることが多く、サウスポーの野村プロが
ミニスカートから左足を高く蹴り上げると・・・ パンチラギリギリのアングルとなるので、
不謹慎で申し訳ないが、当時私の周辺に野村プロのファンは、かなり多かったと思う。

そして、最後の三つ目は、7~8年ぐらい前に、国会で揉めに揉めた森友学園問題で、
小学校の用地として、払い下げされた国有地が・・・ 確か豊中市にあったと記憶している。

そして、私の記憶が確かなら、問題とされた小学校の校舎は、すでにほとんど完成していたと思うが、
未だに開校したという報道がないのは・・・ なぜだろう?
まさか、まさう、ほったらかしで荒れ放題ではないと思うが・・・ どうなっているのだろうか?

この国有地の払い下げ問題では、自ら命を絶たれた方がでており、
ご遺族が当時の上司を訴えているので、ときおり話題にはなるものの、
建物や用地が、どのように利活用されているのかといった話題は・・・ 一切聞こえてこない。
あれほど大騒ぎしたのに・・・ いま、どうなっているのだろうか?

払い下げ価格があまりにも格安だったことから、国会で揉めに揉めていたが、
小学校の開校にまでストップをかけていたとしたら・・・ この先をどうするのかまで、
キッチリと詰めておいてもらわないと、
こう言っちゃなんだが、言いっぱなしの尻切れトンボだと言わざる得ない。

「損して得を取れ。」じゃないが、破格の値段で払い下げしても、
そこに新たな人の流れができれば、払い下げで出てしまった帳簿上の損失は、
学校法人ゆえに、税金での回収は無理としても、経済効果で地域に貢献できていたと思うが、
そういった遺失利益について・・・ 国会で議論されたのだろうか、なにかが抜け落ちている。

もちろん、売却先と売却後の事業計画に、適性があるか否かの精査は必須であって、
結果的に当時の売却先に、適性と適正があったかと問われれば、その解は否となってしまうが、
穿った視線を排して、ニュートラルな視点で捉えれば、
野党はボロクソに叩いたが、小学校を作るといった事業計画に、適性がなかったとは言い難い。

よって国会で行われた、国有地払い下げ価格の責任追求が、間違ってたと言うつもりはないが、
負の遺産として、策のないまま、ほったらかしになっていたら、
これこそ言いっぱなしで無責任の極みだと思うが・・・ 如何なものだろうか?
疑問を追求するのは大事なことだが・・・ どうみたって、詰めを欠いていると言わざる得ない。

伊丹空港で離発着する飛行機の進入路上にあって、騒音対策として国が買収した土地らしく、
利活用が難しい土地なので、ゴミの処分場や、葬祭場への転用などが案としてはあると思うが、
そこに公共性はあったも、地域のブランド価値や、資産価値との兼ね合いもあって、
自治体がそれを判断するのは難しいのかもしれない・・・ 知らんけど。

個人的には、縁も所縁もなかった豊中市だが、
息子と二つ違いの甥が住むことになったので・・・ 「豊中のあれ」について、
頭の中にあったことと、思い浮かんだことを記してみた。

もし思い違いや間違いがあったとしたら、大変申し訳ないが、ご容赦願えればありがたい。
それにつけても、書き終えた後になって、
野村美枝子さんのいまが・・・ ちょっとだけ気になってしまった。


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